縦濱港エリア、別の一区画にて――
「初音ちゃんが?」
三宮紫穂が、皆本に触れて、小鹿からの連絡を勝手に読み取った。
「初音がどないしたん」
「また暴走か?」
野上葵と明石薫が聞き返す。三人とも、もちろんザ・チルドレンの制服に身を包んでいる。
「違うわ、ナオミちゃんの居場所の手がかりを掴んだ直後、連絡が途絶えたみたい」
「なんやて!」
「ど、どこだよ、それ! すぐに行こうぜ!」
今にも飛び出していきそうになる薫。
深夜に近い時間帯だが元気いっぱいだ。とにかく、今夜中にナオミを救出せんものと張り切っている。
「こら、紫穂、また勝手に」
皆本は渋い顔をした。
ザ・チルドレンが担当した地域は、紫穂が中心になって探索をおこなったが、結果はシロだった。(別件の密輸取引を発見し、薫の超能力で組織を壊滅させたという余禄はあったが)
明日は学校もあるし、そろそろ撤収すべきか、それとも別のチームに合流すべきかを考えていた矢先の応援要請だった。
「とにかく、初音くんからの連絡が途絶えたあたりに急行だ。敵がいるかもしれない。充分、気をつけるなんだ」
「了解っ!」
「わかってるって」
「じゃ、皆本さん、後でね」
葵のテレポートで消え去る三人。紫穂が読み取った小鹿からの応援要請には、初音がいなくなったあたりの位置情報も含まれている。
「……ったく」
皆本はため息をついた。日に日に手に負えなくなっている。だが、あの三人の働きがなければ、敵をここまで追い詰めることもできなかったはずだ。
「まあ、今のあいつらなら大丈夫だろう」
そう楽観することにして、自分も移動を開始する。
歩きながら、初音が消えたというポイントを携帯端末の地図検索で調べ始める。
「このエリアは……まさか!?」
皆本の顔色が変わる。慌ただしく端末を操作する。本部への緊急コールだ。
「局長ですか!? 蕾見管理官をお願いします! 大至急で!」
「旧日本軍の超能力開発実験――それが源流のひとつではあるのだよ」
その声を発したのはミイラのようにひからびた老人だった。寝間着にローブを羽織ったくつろいだ姿で車椅子におさまっている。その車椅子からはさまざまなチューブがのびて、老人の身体につながっているようだ。
しわだらけ、しみだらけの顔が時折歪むのは、苦痛のためか、それとも、笑っているのか。その傍らには大型のドーベルマンが忠実な警護者のように控えている。
老人と犬をモニターごしに眺めて、兵部京介は小さく鼻を鳴らした。そこは兵部の私室で、周囲には誰もいない。この映像による会見は兵部に直接に持ち込まれたもので、真木も知らない極秘のものだ。
逆にいえば、この老人は、兵部と直接のパイブを持っている存在ということになる。
「そうは言ってもね、ご老人。あなたたちの系列は、ぼくとはまるで関係ない」
「ご老人、か、確かにおまえさんよりわしは年寄りに見えるだろうが、しかし、実際はそんなに変わりはせんだろう?」
「精神的にもきみたちは老いさらばえているようだね。とにかく、ご提案には興味がない。そもそも、B.A.B.E.L.の所属とはいえ、きみたちが苦しめているのは、本来ぼくたちの仲間であるべきエスパーだ。ぼくの気がかわらないうちに、とっとと墓場に戻るんだね。もちろん拉致監禁したエスパーはすぐに解放するんだ。さもないと、今度はパンドラがきみたちの敵となる」
兵部の視線は冷たかった。
だが、モニターの中の老人はまったく動じることなく、顔をしわに埋没させた。やはり、笑っていたらしい。
「しかし、B.A.B.E.L.を崩壊させ、超能力者と普通人を対立させるという我らの計画は、おぬしたちにとって悪い話ではなかろう。おぬしらの計画も何年か前倒せように」
ぴくり、兵部の眉が動く。
「現在の社会はあまりにいびつ。超能力なしに産業や経済は立ちゆかぬというのに、普通人は社会の実験を超能力者に奪われることを恐れ、押さえつけようとする。超能力者は迫害されてもちろん不満をためる。両者の軋轢は増すばかりだ。それを何とかしたい動きがみっつある」
老人は兵部が黙ったのを機会ととらえたか、持論を述べ立てる。
「ひとつは、超能力者による超能力者のための社会を築こうとする者たち――パンドラ。
もうひとつは、普通人によって超能力者を管理しようとする者たち――B.A.B.E.L.
そして、最後のひとつが、普通人と超能力者が殺し合う世界を創り出そうという者たち――つまりわれわれだ。
ESPレイパーズによる社会活動はその策動のひとつに過ぎぬ」
「戦争マニアの老いぼれめ」
兵部は吐き捨てた。だが、その声には若干の弱々しさもある。
「おぬしたちの手段は、われわれの目的と一致する――つまり、戦争だ。おぬしたちは、超能力者の自由のための戦争を欲している。われわれは、ただひたすら戦争を欲している。見事に利害は一致する」
日本は、
と、老人は言った。
「日本は惰弱になりはてた。何が欠けたか。それは、生死を賭けた戦いだ。かつてコメリカと血みどろの戦いを貫いた時代、日本人は美しかった。透明なエネルギーに満ちていた。よき敵を持つこと、それは人生を美しくする。強い敵があるからこそ、家族を愛しく思える。守ろうとする。義務を果たそうとする。若ければ若いほど理想に殉じようとし、年老いれば老いるほど愛しき者のために雄々しくなる。それこそが人としてのあるべき姿。なればこそ、戦争を起こすべきなのだ。それもお互いにとって最強の敵と。すなわち、超能力者の天敵は普通人。その逆も然り」
「――ノーマルとエスパーの戦争はいつか起きる。きみたちのような亡霊が蠢かなくても」
「かもしれんが、わしが待てぬ」
老人が目を細める。車椅子から伸びたチューブの中をどろりとした何かが通過する。それが体内に入り、老人は目を大きく見開いた。骸骨にむりやり義眼をはめたかのような不釣り合いな巨大な目玉。
「ああ、戦争がしたい、したいしたいしたい、したいのぉ。たくさん人が死ぬところを見たい。町が燃えるところを見たい。幼子が親を失って泣き叫ぶところが見たい。見たいのだ」
兵部の拳がスクリーンを破壊する。砕け散る破片のなかで老人の笑顔が無数に増殖した。
「知っておるぞ、おぬしらこそ戦争をあせっておる。なぜならば、おぬしらが渇望する女王たちは、今やB.A.B.E.L.に飼い慣らされようとしておる。未来は明らかに変わりつつある。その流れを引き戻し、女王たちを手中にするには、わしらの行動はありがたいのじゃろう? だからこそ静観しておったのだろう? ならば手を結んだ方が早いというのがなぜそんなに気に入らぬ? わからんのう、超能力者の考えることは、ほんにわからん……」
「なんだろ、これ」
初音は匂いを追ってたどりついたその場所で、しばし惑った。
意外な場所にたどりついたからだ。
ゴーストタウンのような倉庫街を抜けたそこは、不夜城のように輝くビルディングだった。
「ばーさくてっく?」
バーサクテック社・日本支社ビル。
「ここって、確か……」
いちおう中学生である初音は、社会科の授業で最近その名前を教わっていた。バカに見えて、実はそんなに成績は悪くない初音はそれを思い出した。
「世界中に飛行機や船を売ってるおっきな会社だっけ……」
正確には、戦闘機や軍艦、戦車やミサイルなど、ありとあらゆる兵器を扱う軍需産業の多国籍企業体(コングロマリット)だ。
日本も自衛隊がここから大量の武器を購入している。縦濱は、海自の基地のある縦須賀にほど近いため、支社があるのだろう。
「なんでこんなところが……」
ナオミの臭いとつながっているのか。
その答えは数秒後に明らかになった。
「なんだかしけたトコだなぁ」
コンテナの上をふわふわ飛びながら薫がつぶやく。その周囲を明が憑依したフクロウが飛び回っている。
『このあたりでナオミさんの匂いを見つけたらしいんだ』
「ちょっと待って、読んでみる」
紫穂が地面に手をあてる。紫穂はその場所で過去起こったことを透視することができる。リーディングと呼ばれる能力だ。
「初音ちゃん、このあたりで何か見つけたみたいね。すごく興奮してるし、悩んでる」
「なに見つけたんかな」
葵はメガネを指でおさえて目をこらしたが、周囲が暗いから、結局何も見えない。
「ナオミさんの匂いを見つけただけだったら、応援を待っていてもよかったはず。もっと何か決定的な手がかりを見つけたはずよ」
「なあ、紫穂、ナオミちゃんの手がかりは見つけられないのか?」
「匂いと違って、残留思念の拡散は早いの。それに思念そのものが弱い場合はムリね」
紫穂が残念そうに言う。レベル7のサイコメトラーとはいえ、万能ではない。
「なあ、あっちの方にすごい建物あるんやけどねなんやろ?」
葵がコンテナの山の間から顔を出している高いビルを指さした。周囲にほとんど建物がない分、やたらと目立つ。月が隠れていても、完全な闇ではないのは、そのビルの明るさのためでもあった。
「縦濱名物マリンタワー、だっけ?」
薫が知りもしないくせに適当なことを言う。
「違うわよ。有名な会社の日本支社よ。バーサクテックって知らない?」
紫穂の説明に反応したのは明だ。
「えっ? あの、戦闘機とか戦艦とか原潜とか空母とか作ってる?」
「そうよ。小銃から戦術核ミサイルまで扱ってる兵器のデパートね」
「すっげー、F−25 ファイヤーウォンバットとか、空母ミニッツとか、プラモ作ったなあ……すっげー」
「なんで男の子って、戦闘機とか戦艦とかに夢中になるんやろ」
葵が肩をすくめる。
「ってことは、あっち方面ってことはないよな、さすがに。警備員とかもいるだろーし、アジトを構えるには向いてねーよな」
「そうね、こっちの方をまずは当たってみましょ」
紫穂はバーサクテック社とは逆の方向に歩き出す。
明は少しだけ名残惜しそうにその巨大なビルを見やった。
フクロウになった明の視力は人間の比ではない。それでも、警備員たちによって包囲され、抵抗むなしく気絶させられた初音の姿を見いだせるほどではなかった……