闇のなかで、初音は嗅覚を頼りに行動していた。
深夜の港湾地帯。周囲には巨大なコンテナが野ざらしになって積まれ、まるで迷路のように入り組んでいる。
この地域を所有していた海運会社は数年前に破産し、コンテナや倉庫も無主のまま放棄されているという話だ。
実際、周囲には人の気配というものがまるでない。
だが、潮臭く湿度の高い空気のなかに、初音はいくつもの異臭を嗅ぎ取っていた。
初音はポケットからビニール袋を取り出し、その中の布の匂いを確認する。それは女性の体臭だが、清潔で爽やかな感じがする。
その匂いと、今しがた捉えた収去照合する。
「まちがいない、ナオミ姐さんの匂いだ」
その布きれは、ESPレイパーズに拉致監禁されているB.A.B.E.L.の特務エスパー、梅ヶ枝ナオミの衣服だった。谷崎主任の秘蔵アイテム、というわけではなく、女子寮のナオミの部屋から持ち出されたものである。
ナオミの敗北と拉致監禁から一週間が経過していた。すでにネット上にバラまかれた動画は百種類以上に達している。
動画はナオミを監禁調教するさまを記録したものだったが、その映像と音声が徹底的に調査された。
映像に映る床や壁には何の特徴もなかったが、ごくたまにカメラがぶれて映り込む背景から、倉庫の大きさやタイプが推測され、さらに、ごくごく小さく汽笛のようなものが聞こえることなどが解析され、優秀なサイコメトラーである三宮紫穂の能力により、縦濱港のはずれにある倉庫地帯が怪しい、というところまで絞り込まれた。
しかし、縦濱港にある倉庫といっても膨大で、かつ、おおっぴらに探索すれば敵に気づかれ、場所を移されるおそれもある。
したがって、ザ・チルドレンに、ザ・ハウンドの2チームが手分けをして、深夜の探索をおこなっているのだった。
特にザ・ハウンドは、初音のその優秀な嗅覚が期待されていた。
『初音、どうした、何かあったのか?』
宿木明のテレパシーが飛び込んでくる。明は初音のパートナーであり、幼なじみであり、ごはんを作ってくれる人だった。つまり、初音にとってはかけがえのない存在だ(主に三つ目の理由による)。
現在は、夜目がきくフクロウに憑依して、周囲の空域を監視している。明は複数の超能力組み合わせて動物を操ることができる合成能力者なのだ。それも、自分の身体のように自在にだ。ただし、難点がひとつあり、動物を操っている時の明の肉体には逆に動物の方のみ精神が入り込んでしまう。要するに、今、指揮官である小鹿佳子と待機している明は、止まり木にとまって、ホーホー鳴いているということだ。
それはともかく。
『うん、ナオミ姐さんの匂いを感じた。この先につづいてる』
『ほんとうか!? じゃあ、すぐに連絡して応援を――』
『待って。匂いが薄れてて、どこにいるかまではわかんない。もうちょっと追ってみる』
『そうか、気をつけろよ。おれはとりあえず小鹿さんに報告する』
交信が途切れる。おそらく指揮車の中にある自分の身体に戻ったのだろう。
初音は地面に顔を近づけて、匂いの跡を追いかける。
ナオミとは別の人間の匂いも発見する。複数だ。いやな匂いだ。腐った肉のような――
こいつらがナオミ姐さんにひどいことを――と怒りが沸き起こってきたが、しかし、「ひどいこと」の中味については初音はよくはわかっていない。明もそうだが、初音もナオミの映像は見せてもらっていないからだ。
しかし、ナオミを一秒でも早く救出してあげたい気持ちに違いはない。
「匂いが強くなった!」
初音は確信を持った。ナオミは近くにいる。
はっきりとした臭線を感じ取れていた。男たちに連行されているようだ。さまざまな分泌物の匂いもする。
初音は知らないが、ナオミの最新調教動画は屋外プレイものだった。ほんの一時間前に公開されたばかりの陵辱ビデオ。
その撮影現場に、初音はたどりついていたのだ。
『ナオミちゃんもすっかり味を覚えちゃったなあ』
顔を特殊なマスクで隠した男が、ナオミの首輪についたヒモを手に、楽しそうに嗤った。
ナオミは犬のようにヒモでつながれ、全裸でよろよろと歩いていた。
長い脚にきゅんと上を向いたヒップ、贅肉のない背中のライン、長い黒髪はサラサラで、監禁生活の過酷さは一見みてとれない。
しかし、白い肌のいたるところに刻まれたキスマークや歯形などは、ナオミの身体に加えられた陵辱のごく一部を感じさせた。
今も、内股に伝うのは愛液だ。ナオミは、屋外で、全裸で、股間を濡らしていた。
『期待しちゃってんなあ……もう朝から何人も相手にしてるってのに、チンポを少しでも外しちゃうとオマンコがさびしいんだねぇ』
ナオミは答えない。うつろな表情だが、頬は上気している。
『これからの相手は、ナオミちゃんの大好きなオジサンたちだからねぇ……ほぅら、お待ちかねだ』
コンテナの迷路を抜けた、やや広けた場所で、労働者のような身なりの男たちが四、五人たむろっていた。年齢は四十代から五十代、いずれもむさ苦しい姿をしている。
男たちは――顔はビデオ処理されている――一様に驚いたようだった。
『俺たち、仕事があるって言われて……』
『なんすか、あんたたちっ……』
『これが仕事だよ。格差社会の被害者の諸君』
マスクの男がナオミの尻を靴で蹴る。よろめいて膝をつくナオミ。形のいいバストがぷるぷる震え、丸いヒップが労働者たちの視線にさらされる。
『この女はB.A.B.E.L.の特務エスパーだ。君たちから職を奪ったエスパーの、その中でもエリートだよ。女子高生だが、年収は君らとは比較にならない』
労働者たちの様子が変わった。
『エスパーのクソが……』
『おれの会社はエスパーの経営する企業に潰されたんだ……』
『エスパーどもの人権団体の運動のおかげで、会社のリストラが始まった……』
『おれは女房をエスパー野郎に奪われた……』
どうやら、それぞれエスパーに対して恨みを持つ者たちが集められていたようだ。
男たちのナオミを見る様子が明らかに変化した。ナオミが放つ被虐のオーラが男たちの征服欲を刺激したらしい。
『今日は、この梅ヶ枝ナオミくんの肉体で君たちを慰労しようというわけさ。一回射精するごとに一万、バイト料も払おう』
マスクの男の補足説明に、男たちは色めき立った。
『マジかよ!?』
『こんな可愛い女とヤッて、金までもらえるのかよ』
『何発でも出してやるぜ!』
『ナオミちゃんは、おしゃぶりも絶品だし、アナルも調教済みだ。存分に楽しむがいい』
男たちは下半身を露出させ、ナオミに殺到した。
『かわいいオッパイだあ……! 乳首立ってら』
ナオミの乳房にむしゃぶりつく者。
『ひょおっ、パイパンだぁ……もうグッショリだぞ』
性器に、ふしくれだった指を突っ込む者。
『じょ、女子高生のアナル……ッ、おおおおおッ! いい匂いだッ!』
尻の下に顔を突っこみ、肛門に鼻をこすりつける男。
『ナオミちゃん、キッスしようぜぇ……げはは』
黄色い乱ぐい歯の間から舌をぞろりと出し、ナオミの唇をなめ回す男。
『ふ……うう……ん』
ナオミはうっとりと目を閉ざし、男の舌を自分の舌でからめとる。唾液が混ざり合い、いやらしい音をたてる。
『なんていやらしい舌なんだ……っ! たまんねえ!』
男は半立ちのペニスをナオミの唇に押しつける。おとなしくそれをくわえるナオミ。巧みに舌をつかいはじめる。
『おおっ……巧い……すげぇ』
『オマンコもすげえぜ、ちょっといじっただけで、潮吹きかと思うくらい濡れやがる』
男は愛液でべとべとになった手指を閉じたり開いたりする。にちゃあ、と糸を引くナオミの分泌物。
『これなら、すぐチンポ入るぜ』
五十代とおぼしい男のペニスがピンクの粘膜に押し込まれていく。
『すっげぇ……吸い付く……こんなオマンコ、生まれて初めてだ……』
中年男が快楽に顔をゆがめる。
『エスパー女のマンコ、ぬちゅぬちゅでキツキツじゃねえか……』
『んぅっ……ふぅ……ぁぁ』
フェラをしながら、顔をゆがめるナオミ。気持ちよさに押し流されている。かつての清楚で利発な少女の面影はない。いやらしく開発された雌の顔だった。
『アナルも伸びるぜ……マジで開発済みだな』
肛門を責めていた男がペニスを穴にあてがい、下から侵入していく。
『うあああんっ! おしりっ、キモチいいっ!』
かつての彼女なら一秒とて耐えられなかったであろう濃厚なオヤジ臭に包まれながら、穴という穴を犯されて、喜ぶナオミ。
それを撮影し続ける黒マスクの男たち。
『もうこの女もネタ切れだな……何をしても悦びやがる』
『脳の中までオマンコになっちまってるのさ』
『そろそろ次のネタを仕込まねえとな?』
『これだけヒントをバラまきゃ、来るだろうよ、特務エスパーのやつら』
『次は誰かな? 楽しみだ』
くっくくくくく……密やかな笑いを漏らす男たちの前で、ナオミは男たちによって種付けをされていくのだった……
「なに、この匂い……キモチわるい」
異様な臭気に初音が混乱する。さまざまな種類の体液や分泌物の匂い。尿、大便、精液、バルトリン腺液、膣分泌液、カウパー腺液――そして、血も。それだけではない。もう想像さえつかないような複雑な匂い、薬のような、奇妙な――
初音の本能が警報を鳴らした。ここでいったい何がおこなわれたのか。そして、今、ナオミはどんな目に遭っているのか。この匂いの生々しさからいって、そんなに時間は経過していない。ということは、ナオミの監禁場所がこの近くである可能性はさらに高まった。
「明! 明ぁ!」
初音は空にフクロウの姿を探した。初音も合成能力者だが、外部に向けてのテレパシーの力はほとんどない。というより、いつも側に明がいたからそんな必要はなかったのだ。判断に困れば、すぐに明が的確に導いてくれる。小鹿が指揮官になってからは、アドバイスをしてくれる人がさらに増えた。初音は彼らの言う通りにしていればよかった。
だが、この瞬間、初音は自分で判断しなければならなかった。進むか、引き返すか。
「自分で、考えなきゃ」
初音はつぶやいた。いつも明から説教されていることだ。「何でも人任せにするな、自分でも考えろ」 確かにその通りだ。
B.A.B.E.L.に入るまでの初音は、食べることと、寝ることと、明と遊ぶことができれば、それでいいと思ってきた。だが、B.A.B.E.L.に入って、ザ・チルドレンや、皆本や、小鹿たちと出会うことで世界がずいぶん広がった。
ナオミもその一人だ。仲がよいというほどでもなかったが、ナオミは初音にも優しかった。それに、谷崎主任をワイルドに叩きのめすナオミには自分に近い野性を感じた。親近感と言っていい。
そのナオミが、この近くで、苦しめられている。
初音は決断していた。
匂いが導く、さらなる闇へと走り出した。
『初音! どこだ、初音ぇ!』
小鹿への報告を終え、フクロウに戻った明は、倉庫群を見下ろしながら初音に呼びかけた。
いつもならすぐに返事があり、お約束の「明ぁ、ゴハン!」あたりの要求がありそうなものだが、どういうわけか反応がない。
『初音ちゃん、いないんですか?』
ESP変換無線機――フクロウの身体にとりつけてある――のスピーカーから小鹿の心配そうな声が聞こえてくる。明の肉体は小鹿のすぐ側にあるのだが、動物に憑依している時の明と連絡をとるにはこうする必要があるのだ。
『ええ、呼びかけても返事がありません。もしかしたら、腹をすかせてどっかにいっちまったのかも』
フクロウの脚には初音の好物のちくわが結びつけられている。もちろん、小鹿のはからいである。
『でも、最近の初音ちゃんは任務中の買い食いはイケナイってわかっているはずです。もう少し探してみて』
『はい……』
明も少しずつ不安になってくる。確かに最近の初音は特務エスパーとしての自覚が出てきた。任務もかなり高確率で成功させるようになった。まあ、たまに空腹から暴走したり失敗することもあるが、最初の頃に比べると格段の進歩だ。それだれに明は多少の危うさを感じてもいた。初音は嗅覚だけではなく、戦闘力も高い。たいていの敵なら初音だけで充分制圧可能だ。だが、それが過信につながったりはしないだろうか。
『もしかしたら、初音のヤツ……』
明を待たずに敵のアジトに突入したのかもしれない。
『小鹿さん、皆本さんに――ザ・チルドレンに連絡をお願いします!』
フクロウの翼を羽ばたかせて、明は闇夜の空を旋回した。