「美耶子はわたしが連れていきますから、遊一さんは苑子たちをお願いします」
一子ちゃんがゆったりとした口調で言った。ここは宇多方家の長女にまかせることにする。
「じゃ、ウォータースライダーのところで」
「はぁい」
小さく手を振る一子ちゃんを残し、おれと苑子、珠子は歩きだした。
それにしても、だ。
右手に苑子、左手に珠子を連れているおれを、周囲のやつらがじろじろ見やがる。とくに、若い男の視線がねちっこい。端的にいえば、「うらやましそう」な目をしている。なんでだろうな? 世の男どもは、妹と手をつないでプールに来ているやつに嫉妬するもんなのかな。不思議なことに、彼女連れとおぼしき男さえ、そーゆー表情を浮かべていたりする。
もしかしたら、世の中の「おにいちゃんになりたい症候群」ってのは意外に深刻なのかもしれない。もっとも、おれたちは兄妹じゃねーけど。
しかし、苑子の水着はちっちゃいな。おっぱいが半分見えてんぞ。ぷるぷる揺れてるし。上から見てるとやばいな。勃起しかねん。すれちがう男たちの視線も、胸のあたりにけっこう集中している。本人は自覚ないようだが。もっとも、いまは眼鏡をかけていないので、他人からどう見られているかすらよくわかっていないのかもしれない。
一方の珠子のほうはスレンダーで子供子供している。ひらひらスカートがついてる水着もかわいらしい。でも、胸はない。あたりまえだが。こちらのほうにもそれなりに注目する人はいて、すれちがいざまに「まあ、お人形さんみたいねえ」と感嘆するオバハンとかもいた。まあ、たしかに珠子は宇多方姉妹のなかでも顔だちでいえばいちばん整っているかもしれない。好みにもよるだろうが。
まあ、そんなふうに、一般的に見て「かわいい」と評価される女の子を左右に従えているというのは、そんなに悪い気分じゃない。
「わあ、いっぱい人がいるね、お兄ちゃん」
苑子が人ごみにちょっと驚く。
ウォータースライダー付近のプールは芋洗い状態だ。
「はぐれたらどうしよう」
ぴったり、くっついてくる。このガキャ、あいかわらずおっぱいを押し当ててきやがるな。犯すぞ、てめえ。
むろん、それは冗談だが、ちょっと勃ってしまったかもだ。
「手をつないでりゃ大丈夫さ。な、珠子も」
と、左手に向かって話しかける。
あれ?
珠子がいない。
「どうしたの?」
近眼の苑子は珠子の不在に気づいていないようだ。
「珠子のやつがいないんだ……」
おれは周囲を見渡してみる。ピンク色の水着を探すが、それってけっこうありふれている。変わった目印ってことで、頭上に火の玉を浮かばせている人物がいないかどうか目を凝らしたが、残念なことにおれには霊魂を見る能力はないのであった。
ふっ、と視線を動かすと、いたいた。プールの中をふらふらと歩いている。手を前に出して、まるでなにかに引き寄せられているかのようだ。いかんな。また何か降霊したらしい。場所が場所だけに、入水した霊だとかなんとか、そういうのも考えられる。そうこうするうち、深いところに達したらしく、珠子の頭が水没する。
うわ、やばいな。
「苑子、ちょっとここで待ってろ!」
「えっ、お兄ちゃん、なにかあったの?」
「珠子がプールの深いところに行っちまったんだ。連れてくるから待ってろ」
「あ……うん……」
苑子がうなずく。基本的に、おれの言うことには逆らわないのだ。まあ、全般的に、他人の言うことなら、たいてい従うようだが。というか、苑子が我を張ったり、なにかに反論するというところを見たことがない。
ともかくも、いまは珠子を放っておけない。おれは苑子を置いてプールに入った。
プールのなかは子供、若者、大人のブレンド状態だった。少し離れたところにはウォータースライダーの終点があって、水しぶきとともに歓声があがっている。
おれは珠子の姿が消えたあたりに近づいた。底がスロープ状になっていて、少しずつ深くなっている。そのあたりまでくると、子供の姿は減ってくる。さらにその先は、大人向けのゾーンだ。潜水用の深いエリアになっている。ほんとうなら子供が近づかないように監視員がいるはずなんだが……。
首をめぐらせたおれは、人ごみのなかに心細そうに立っている苑子を見つけた。おれを探しているのか、あちこちに目を向けている。視力が悪いから、おれがいるところがわからないらしい。
と、苑子に話しかけてきた男がいる。頭のはげたおっさんだ。横顔しか見えないが、にやけている。おっさんは苑子の手を取った。ちょっとだけ抗うそぶりを見せた苑子だが、おっさんに引っ張られるように、てこてこ歩きだす。
なにやっとるんだ、あいつは。迷子だと思われたのか。苑子の性格だと反論できないまま、迷子案内所まで連れていかれそうだな。
まあ、苑子のやつも多少は経験を積んだほうがいいしな。それに、珠子がもしも溺れていたら、たいへんだ。あの霊感体質だと、幽霊になる可能性100パーセントだ。
おれは珠子の姿を探した。もうおれの胸元にまで水が来ている。ということは珠子の身長では完全に水没してしまう。水のなかに顔をつけた。
澄みきった水のなかに、いろいろな人の身体が見える。さらに深いエリアでは、大人でも背がとどかないので、ばたばた脚を動かしていたりする。男の毛脛は醜いのであれだが、女の子のきれいな脚が水中でゆっくり動いているのはいいよなあ、と思う。ああ、抱きつきたい。
というのはさておき、潜水ゾーンに入っていく。最深部では5メートルくらいありそうだ。さすがにあんまり潜っている人はいない。
と。
女の子が水中を漂っていた。ドキリとする。珠子だ。溺れてしまったのか?
おれはあわてて水を蹴る。急いで助けなければ――!
珠子に近づいていく。目を動かして珠子はおれを見た。よかった。意識はあるようだ。珠子に手をさしのべる。
その細い腕をつかみ、水面に向かおうとする。と。
『もうすこし、このままでいたいのだが』
珠子が水中なのにかかわらず、しゃべりかけてきた。
「がば、ごばぐはばべぼ」
なに、いってんだよ、と言ったつもりだが、おれは水中で発声するのがヘタらしい。
『ちょっと、待て。そなたにも結界を張ってやろう』
珠子がほほえみ、おれの背中に手をまわす。すっ、と冷たい気が身体をおおった。
『さあ、しゃべってみよ』
『水のなかだぞ、しゃべれるわけがないだろ、バカ』
『バカはそなたじゃ。ちゃんとしゃべれておる』
『あ、ほんとだ』
ついでにいえば息もできてしまう。周囲に水の感触はあるのだが、どういうわけか鼻と口から吸いこむものは空気になってしまうのだ。謎だ。
『いったい、なんだよ、これは』
『だから結界じゃ。いわば異次元の薄膜のようなもの』
『……だからなんだよ、それは』
『ド*えもんのエラ・チューブのようなものだと思えばよい』
『うむ。納得した』
なんか全然ちがうような気もするのだが、理屈にこだわっていては話が先に進まないので、むりやり納得することにした。
『ところで、おまえ、珠姫だな?』
『よくわかったな』
珠子の顔でにやりと笑う。
珠姫というのは、どうやら宇多方家の祖先の姫君かなんからしく、霊媒体質の珠子の身体をちょくちょく拝借している。非常に長期間にわたって現世をうろついているので、いろいろよけいな知識も持っている。ド*えもんとかな。
本人によれば宇多方家の守護霊らしいから、ミラクル・パワーを持っていても不思議ではないのかもしれないが、大槻教授が知ったら激昂するにちがいない。
とはいえ、もうひとつの可能性としては、珠子が作り出した別人格、ということもありうるとおれは睨んでいるが、その場合は「結界」というのは珠子の超能力ということになってしまうな。まあ、どっちでもいいや、この際。
『とにかく、まぎらわしいことするなよな。溺れたかと思ってヒヤヒヤしたぞ』
『ほほう、そなた、わらわを心配して来てくれたのかや?』
『珠子をだ、珠子を』
『それでも嬉しい』
珠姫が抱きついてくる。珠姫のときは積極的なんだよな。
『こうでもしないと、遊一と二人きりになれぬ』
『おいおい、そのためにわざと溺れたふりをしたってのか?』
あきれつつも、そんなに悪い気はしない。
『それだけではないがな。このお堀もかつては宇多方家にゆかりのある地のうちのひとつだったのじゃ。わらわも子供のころ、何度か舟遊びなどに興じたものじゃ。それを思いだしたらなつかしゅうてな』
『お堀って、このプールがか?』
そういえば、案内板に、もとはこのへんは大きな堀池があったとか書いてあったような気もする。それを現代風に改装していろいろな施設を併設したとかなんとか。
『宇多方家は、公方さまから江戸の護りについての特命をひそかに受けておったからな。このお堀もその一環でつくられたもの。宇多方家とも、地下でつながっておる』
なんだか話が大きくなってきたな。だが、なんとかなく興味をひかれる話だ。宇多方家の財宝を狙う立場からしたら。
『そういや、あの地下道はいったいなんなんだ? 宝の隠し場所があるのかと思ったら、屋敷のあちこちにつながっているだけじゃないか。夜這いくらいにしか使いみちがないぞ』
『夜這いをしているのか? すくなくとも珠子と美耶子の寝室には来たことがないようだが?』
じろり、珠姫が睨んでくる。小さいくせにいっちょまえに嫉妬はするらしい。
『してねーよ。いっとくが、姉妹のうちの誰に手を出しても、バレたら犯罪確定なんだぞ。この前もおれと同い年くらいのヤツが女子高生とエッチして捕まってるしな』
おれの回答に安心したのかどうか知らないが、珠姫は表情をもどした。
『ふむ。あの地下道はほんとうは、江戸の備えのために張り巡らされたものじゃ。いまはしらんが、かつては江戸城までつながっていたし、市中の要所への連絡通路にもなっておった。まあ、この前の戦争で、ずいぶん埋まったり分断されたりしているようだが』
この前の戦争ってのは太平洋戦争か。幽霊の時間感覚はのんびりしてるな。
『へえ……ってことは、幕府の秘密通路が宇多方家の下を通ってるってことか……』
待てよ、と、おれは気づいた。
『じゃあ、財宝の隠し場所ってのは、まさか……幕府の隠し金?』
どっかのコピーライターが掘りまくってたというアレとか。
珠姫はにやにや笑っている。
『さあてのう、江戸の地下を網羅する地下道ともなれば、たしかに何かを隠すにはもってこいかもしれんがな。そして、その地下道の詳細を把握していたのは宇多方家だったのであるから……御用金の保管についても、なにかしらの相談を受けていたとしてもおかしくはないかも……しれぬのう』
『うわー、教えてっ! ねっ、教えてお願い、珠姫さまぁ』
おれは珠姫の身体を抱きしめ、水中でくるくる回転しながら懇願した。
『これ、戯れはやめぬか……』
笑いながら珠姫が言う。
『まあ、教えてやらぬではないぞ』
『マジで?』
『うむ。そのかわり、条件がある』