うたかたの天使たち 第七話

まふゆのファンタジスタ
真冬の幻奏者

珠子編

「うっそー、マジかよー!」

 おれはうろたえていた。

 というか、身体の震えがとまらない。

 正直、賭け事なんてやったことなかったし、まあ、いい経験かなと思ってやってみただけだ。

 それが……まさかこんなことになっちまうとは。

 

 まず初心者らしくスロットマシンに挑戦した。

 いきなりジャックポット。

 手持ちのチップが一気に増えた。

 それで気が大きくなったおれは、ポーカーのテーブルについてみた。

 みようみまねでやってみたが、最初はもちろん順調に負けた。

 こんなもんかな、そろそろやめるか、と思ったとたん、勝ち始めた。

 勝つとこんなにおもしろいゲームもない。賭け金を積みあげ、駆け引きだけで戦う。ハッタリが得意なおれ向きの遊びだ。

 破竹の連勝で、さらにチップが増えていく。

 ブラックジャックのテーブルに移ったころには、完全にハマっていた。

 おれってギャンブルの天才かもしれん、と思いはじめていた。これこそ天職じゃん?とも思った。

 とにかく読みが当たる。ディーラーがいい手のときは不思議と勘が働き、こちらが張ったときは絶妙な札がくる。

 珠子は明らかに退屈している様子だったが、そんなの気にならなくなっていた。目の前のチップの山がおれの理性を溶かしてしまっていた。

 いつしかチップの色が変わっていた。一枚一万円のゴールドチップだ。その山が一勝負ごとに減ったり増えたりし――そして確実にボリュームを増していった。

 なんつーか、チップって経済感覚を麻痺させる。やりとりしているのはカネなのに、現金のような生々しさがない。ゲーム感覚で、数十万、数百万が行き来する。

 おれは、百万負けては二百万勝つ、なんて勝負を続けていた。

 ルーレットに移ったころにはチップはプラチナ色に化けていた。最高レートだ。一枚いくら、なんて感覚はもうない。

 完全に珠子は興味を失っていて、うつろな目をしてじっとしている。火の玉の飛び加減から、たぶんそのへんの霊と遊んでいるんだろう。

 おれのついたテーブルには、多くのギャラリーがついていた。勝ちまくっているおれの戦いぶりへの感嘆と賞賛、そして嫉妬と羨望――だが、注目されるのは悪い気分じゃない。

 そのなかには荒重の姿もあった。

 取り巻きたちと一緒になって、おれの戦いぶりと、珠子の様子を交互に見ている。時折ひそひそと互いに話している。しかし、勝負に集中しているおれはそんなものに気を取られたりしない。

 荒重の奇妙な笑みを背中に受けつつ、おれは勝負に没頭した。

「マジかよ……」

 おれの身体の震えはとまらなくなっていた。

 手元のチップは数えるほどになっていた。

 流れが変わっていた。ぴたりと勝てなくなってしまったのだ。

 あれほどあったチップは見る見るなくなっていった。

 あともう一回、あともう一回、こんど勝ったらやめる、と思ってチップを張り続け、そのたびにディーラーに根こそぎ持って行かれる。

 潮時だと言いたげに、珠子がおれの背中をちょいちょいとつつく。たしかに今手元に残ったチップだけでも換金すれば、けっこうなもうけにはなるだろう。だが、一時はこのカジノのチップのほとんどを手中におさめていたのだ。

「あとも一回だ、最後の勝負!」

 おれはありったけのチップを賭けて――

 負けた。

 呆然とした。

 その時だ。おれの肩を荒重が叩いた。丸い顔が好々爺のように笑っていた。

「いい勝負でしたな。さすがは珠子先生の助手――感心しましたぞ」

 助手ってアンタ……でも、荒重からすればそうなのか。

 だが、いまのおれはそれどころじゃない。敗北に打ちのめされている。

 そのおれを荒重の次の言葉が救った。

「よかったら、少し用立てましょうかな」

 罠が完成する一言だった。

 それからのことはほとんど記憶にない。

 借りては負け、負けては借りた。

 荒重は気前がよかった。おれが乞うままにチップを貸してくれた。

 そして、それをおれはそのままディーラーに吸い取られた。

 気がついた時には、おれは巨額の借金を抱えていた。

 

「困りましたな」

 荒重が渋面をつくった。おれは精も根もつきはてて呆然としていた。

「まさか、ろくな財産も持たずにこのカジノに出入りするとは」

 おれと珠子は関係者の控え室に連れ込まれていた。

 ここで初めておれは自分の負け額を知らされた。信じられない金額だった。

 むろん、持ち合わせなどない。それどころか、実家の家や土地を売っても足りるかどうか。

「働いて……」

「むりですな。おまえさんごときがいくら働いてもおっつきやしない」

 荒重の声が凄味を増した。

「目玉や内臓を売ったって、足りないよ」

 うおお。

「だが……ひとつだけ、方法があるがね」

 生命保険を掛けられて殺されたりするんだろうか。こいつらならやりかねない。

 おれはびびりまくって縮こまった。

 だが、荒重の視線はおれには向いていなかった。おれの側でじっとしている珠子を見つめている。

「もっとも……珠子先生しだい、ですがね」

 珠子ははじめて荒重の視線に対して顔を向けた。

 そして、うなずく。ためらいなどなく。まるで、荒重の言葉を予想していたかのように。

 ちいさな声で言う。

「競って」

 なに?

「できるだけ高く競って」

 なにを言ってるんだ、珠子は。

 だが、荒重には通じたようだ。

「やはり……お見通しでしたか。さすがは珠子先生」

「――なんの話だ」

 荒重は汚物を見るような目でおれを見下ろした。

「珠子先生はな、自分の身体を競りにかけて、おまえさんの借金の肩代わりをするとおっしゃっているのだよ」

 それから、おれは荒重から驚くべき話を聞いた。

 この地下カジノには、少女の人身売買の競り市が併設されていたのだ――

 

 ホテルクサナギの地下カジノのさらに奥のエリア――そこは厳選されたセレブのうち、さらに特殊な趣味を有する者たちだけが立ち入りを許される厳戒ゾーンだった。

 客たちは目元を隠す仮面をつけ、紫煙をくゆらせながら談笑に興じている。

 みな中年以上の年代――身につけているスーツは間違いなく超高級品、腕時計は乗用車なみの値段だろう。

 その客に酒を運んでいるのは、身体のラインがモロに出るハイレグスーツに網タイツ――バニースタイルはカジノゾーンと同じだが、女の子の年齢がグッと下がっている。ほとんどが十代半ばかそれ未満の少女たちで、金髪、ブルネット、黒髪、人種もさまざまだ。

 いずれもモデルやタレントになってもおかしくないような美形ぞろい。そんな美しい少女たちが裸よりも恥ずかしい格好で、男たちに奉仕している。

「この子たちは売れのこり――競りで値段がつかなかったクズたちだ」

 北欧系らしき金髪少女から酒を受け取るついでに、その尻をなでた荒重が言った。

 少女は荒重からチップを受け取ると無感動なブルーアイで一礼して去っていった。

「あんなクズとはいつでもヤレるからな」

 シャンパンで分厚い唇を湿しながら荒重はせせら笑う。

「今夜は楽しくなりそうだぞ、なにしろついに――」

 珠子はここにはいない。競りにかけられる少女はバックステージに連れて行かれるのだ。珠子は諾々と従い、おれは取り残された。

 会場の照明が落ちて、ステージにスポットライトが当たる。

 競りの始まりだ。

 司会進行役の男が、ステージ中央に引き出された少女を紹介する。

 全裸に剥かれた少女たち。国籍はさまざまだ。人種もさまざま。年齢にもばらつきがあるが、下は6歳くらいから上は15歳くらいまで。

 幼い方が高い値段がつく。100万から500万くらいまで――意外に安いというべきだろうか。

 彼女たちを売ったのはいったいどんな人間なのだろう。かわいい盛りの少女を、変態男たちに売り払う――信じられない。

「ふん、表の世界でさえ、小学生の娘にTバック下着を着けさせた写真集やDVDを売る親はゴロゴロしている。最近では幼稚園児の表DVDさえ出回る始末だ。裏の世界では――推して知るべしだろう」

 荒重がせせら笑う。

「お上の政策でグレー金利が撤廃されたおかげで、闇の世界は潤っている。借金したけりゃ、もうヤミの世界に足を突っ込むしかないのさ。結果としては――売れるものは何でも売ることになる」

 そんな理不尽な、と言いかけておれはとどまった。おれはどうなんだ? 借金のカタに珠子を犠牲にしようとしているおれは――

 おれは拳を握った。硬い感触を骨に食い込ませる。わずかチップ一枚。それしかおれには残されていないのだ。

「くそうっ!」

 おれはきびすを返し、たった一枚残ったチップをスロットマシンに呑みこませた。考えなどない。やけくそだ。すべて失ってしまえば――

 

「本日のメインイベント――最高の商品が入荷いたしました」

 司会の男が興奮ぎみにアナウンスする、その商品は――

「宇多方珠子さん、10歳――あの、宇多方珠子さん、ご本人です」

 おれが売った、おれの最愛の少女――だった。

つづく