うたかたの天使たち 第七話
まふゆのファンタジスタ
真冬の幻奏者

 

2(承前)

「あーっ! あのときのニセ監督!」

 美耶子カメラを構えた中年男の顔に指をつきつけるのとほぼ同時に、桃山園も叫んでいた。

「な、なんてこと!? あのときの生意気なガキじゃない!」

 それから、自分に突きつけられた指と非難にあわてる。

「ばっ、ばかっ! なんて、失礼な……っ! わたしはれっきとした監督なのよ!」

「だって、窪塚くんのお父さんに叱られて、つまみだされてたじゃない!」

 そういや、あのオーディションのとき、自称大監督の桃山園と美弥子がトラブルを起こしてたな。そのへんの事情は秋のお話で確認よろ。

「あ、あんたのせいで、アタシはねえ……! ゴールデンタイムから干されて、こんなちんけで低予算の深夜ドラマをやらされる羽目になったのよ! しかも、スタッフに払うギャラも予算もなくて、ぜんぶあたしと助監督で掛け持ちだし!」

 カメラを握り締めて、桃山園が声を絞り出す。それに対して鋭く反応したのは、しかし、美弥子ではなかった。

「えー、うそ、きいてなーい! 監督さん、言ったじゃん! 今度こそ、プライムタイムに流れる、すっごいドラマだって!」

 小石川涼子だ。オッパイは依然ポロリしたまま。いいぞ!

「ほんとだよー! だから、昨日の夜、涼子ちゃんと二人でサービスしてあげたんじゃないですかー!」

 久遠かすみも乳出しで、お湯をばしゃばしゃ叩いた。

「でも、ぜんっぜん勃たないのぉー! ふざけんなよって感じですよー!」

 うーむ、美少女二人からのご奉仕を受けてもダメなんか、この男。

 思わぬ方角からの暴露攻撃に桃山園はうろたえ、動揺し、さらにキレてしまった。

「きいいいいい、くえええええええ!」

 訳のわからないことをわめきながら暴れはじめる。具体的には、サングラスの助監督をヘッドロックして、メガホンでどつきまわすわけだが。助監督はそんな仕打ちにも無言で耐えている。

「――それもこれもみんな、あんたのせいよ!」

 桃山園は美弥子に向かって吠えた。

「みてなさいよぉ、さっき撮ったあんたの裸の絵を業界じゅうにバラまいてやるんだから! デビューなんかできないようにしてやるわ。 期待の新人、無名時代にヌードモデル! ぎゃはは、窪塚の面目まるつぶれ! 泣きっつらが見えるようよ!」

「なによ! 窪塚くんのお父さんは関係ないでしょ!」

 しゃがみこんだまま、美弥子が反論する。顔色がかわっている。

 桃山園はニタニタ笑った。混乱から抜けて、自分の優位を確信したらしい。力関係で態度がコロコロ変わるタイプだな、こいつ。

「関係あるわよ。あんたとあいつのせいで、あたしはひどい目にあったんだから。なんなら、映像をばらまくのはデビュー後まで待っててやってもいいわよ。その方がマスコミにも高く売れるものね!」

「ひ、ひきょう者ぉ〜!」

 美弥子は歯噛みしている。直情型の美弥子がやりこめられたままでいるのは珍しいが、裸だからしょうがないか。

「おっほっほ……なんとでも言ってちょうだいな」」

 桃山園はあたりを制するようを声をはりあげた。

「今日はここまでよ! 明日、今日のぶんもふくめて一気に撮影するからね! 解散!」

 

 桃山園たちが撤収したあとに美弥子はぽつんと取り残された。

 背中が震えている。

 おれは、わざとお湯を蹴立てて、美弥子に近づいた。

 美弥子は嗚咽をこらえていた。おれの気配に気づいたのか、湯をすくって顔を洗うふりをする。

「ゆーいち、どこ行ってたのよ? 大変だったんだぞ」

 振り返った美弥子は唇の端をつりあげて笑っている。こんなときに演技かよ。まったく、もう。

「出て行きたかったけど、よけいあいつを調子づかせるだけだからな。きっと、こう言ったぜ。『小学生のくせに男と温泉旅行とはマスコミが大喜びするぞ』ってな」

「そうかもね……」

 美弥子は目をそらした。つーか、なんで、そんなに大人っぽいんだよ。調子くるうぜ。

「で、どうするよ。デビューやめるか? もともと、おまえ、乗り気じゃなかったろ?」

「そうだけど……」

 美弥子は顔を伏せた。まつげが長いんだな、こいつって。気づかなかった。

「……あんなやつに脅されてやめるのは、やだ」

 だろうな。

「それに、いちばんムカつくのは、窪塚くんのお父さんを巻き添えにしようとしてること。しかえししたければ、あたしにだけすればいいのに」

 美弥子が目をあげる。いい顔だ。発見だな。騒音を発するだけのガキだと思ってたのに。

「あたし、やめない。デビューする。ほんとうの女優になれるかどうかわかんないけど、やってみる」

「なれるさ」

 ってゆーか、もうなってる。本人に言うとつけあがるから黙ってるけどな。あと、もうひとつ、内緒にしとこう。

 惚れ直したぜ、美弥子。

 

 夜になった。

「わかってるな、おまえは女優だ。人格は捨てろ」

 おれの言葉に美弥子はうなずいた。

「わかってるって、ゆーいち」

 美弥子は笑って見せるが、緊張は隠せない。

「ってゆーか……さ……あの……もしも、あたしがあいつに……」

 おれは美弥子を抱き締めてやった。

「もしも、はない。女優は脚本次第で、だれとでも恋人になったり、夫婦になったりするんだぜ」

 美弥子の細い身体が震えている。それを感じながら、おれは美弥子を追い込んでいく。

「おまえはおれをマネージャーにしてくれるんだろ?」

「そうだよ。ずっと、あたしのマネージャなんだからね」

「一生、楽させてくれんだろ?」

「そう、一生左うちわだよ。そのかわり、コキつかうから」

「たのむぜ、金ヅル」

「たのむね、ジャーマネ」

 おれたちは共犯者の視線を交わし、キスをした。なぜだか、しょっぱい味がした。

***

 美弥子は、意を決して、旅館のある一室へむかった。

 緊張ぎみにドアをノックする。

『だれ? なぁに?』

 ぞんざいな返答が戻ってくる。

「宇多方美弥子です、監督さん」

 美弥子はやや声をひそめて名乗った。ドアの向こう側が沈黙した。ややあって、

『なんの用? あんた、ひとり?』

 ちょっと心配そうな桃山園の声が聞こえてくる。味方を引き連れて、怒鳴りこんできたとでも思ったのか。

「ひとりです。さっきのこと、あやまりたくて」

 しおらしい声で美弥子が言う。

 ドアの内側が沈黙する。ややあって。

『ちょっと、助監、あんた、廊下に出て見てよ。さっきのガキが因縁つけにきてるのよ。ほら、またへんなの出てきたらいやじゃない。ガキひとりかどうか確かめてよ、いいわね』

 がちゃん、と音がしたので、いまのはきっと電話だろう。

 すると、桃山園の部屋の隣のドアが開いて、助監督の男が姿を現わした。目の小さい、気の弱そうな若い男だ。となると、サングラスは彼にとっての防御装置なのかもしれない。洗い髪はぼさぼさで、旅館の備えつけの浴衣をまとっている。

「こんばんは」

 美弥子は助監督に微笑みかけた。

***

 髪ぼさぼさのサングラス男が桃山園の部屋のドアをノックする。

 用心深そうにドアが細目に開き、黒縁眼鏡にちょび髭の男の顔がのぞく。桃山園である。

「一人だった……みたいね」

 ほっとしたようにつぶやく。こわもての兄さんを引き連れて怒鳴りこんできたとでも思ったのか。

 グラサン男が美弥子を中に押しやり、後ろ手にドアを閉めた。

 美弥子は心細そうに座敷に足を踏み入れる。

 その部屋は美弥子たちが泊まっている部屋とさほど変わらない広さで、すでに布団が敷かれていた。

 桃山園は撮影した映像をチェックしていたらしい。ビデオカメラや小型モニターなどが雑然と座卓の上に置かれていた。缶ビールや、さきいかの袋なども散乱している。飲みながら作業していたようだ。

 グラサン男はさりげなく部屋の出口前に陣取った。まるで美弥子の退路を断つかのようだ。桃山園は満足そうにうなずいた。

「どういう心境の変化かしら? さっきとはえらい違いね」

 桃山園は強い口調で言った。二対一、しかも相手は少女だ。

「先ほどは、暴言をはいてしまい、すみませんでした」

 美弥子は深々と頭を下げた。

「さっきのビデオ……消してほしいんです」

 座卓の上の機材に目をやる。

 桃山園が破顔した。勝利者の輝きがあらわれる。

「だめよぉ、今もね、あんたの映像を仮編してたのよ。見る?」

 機材を手早く操作すると、湯煙の中に立つ美弥子の全裸の姿がモニターに映った。まるで、雪と湯のはざまに生まれた蜃気楼のような儚さ――まぼろしの妖精――

 だが、監督はちがう言葉でこの映像を評する。

「ね、真っ正面から撮れてるでしょ? ワレメもばっちり映ってるわよ。これ、放送できたらおもしろいのにね。けっこう視聴率取れるんじゃないかしら」

 映像美を薄っぺらな数字に換算して、自称天才ディレクターは笑った。 

 美弥子は顔をくしゃくしゃにする。畳の上に手をついた。

「このとおりですから……どうか……!」

「ふふん、今度は泣きまね? 甘いわね。あんたの演技力であたしをだませると思ったら大間違いよ」

「こんなにお願いしても……だめなんですか?」

 美弥子は必死の表情で桃山園を見上げる。

 浴衣の襟がゆるんで、薄い裸の胸がほとんどあらわになっている。それを凝視しつつ、桃山園の喉仏が動いた。

「そおねえ……あたしのいうことをなんでも聞くっていうんなら、考えてあげてもいいわよ」

「ほんとうですか?」

 美弥子の吐息に希望がこもる。だが、桃山園の表情はドス黒く染まっている。

「もっと、ちゃんと、あんたの身体を撮らせてもらうわ。もちろん素っ裸でね。できるかしら?」

 希望が凍った。身体が動かなくなる。

「小学生の裸って、むかしはけっこうオープンだったのに、最近うるさくてねえ……ひさしぶりに撮ってみたいのよ。いや?」

 ビデオカメラを準備しながら桃山園は言った。

「やる気があるならお脱ぎなさいな。いやなら、帰っていいわよ。スポーツ新聞やゴシップ雑誌を楽しみにしてね」

 拒否、すなわち交渉決裂、という態度があからさまだ。

 美弥子は顔をあげた。立ち上がると、自分で浴衣の帯を解きはじめる。

「覚悟は……できてます、監督さん」

 浴衣の下に美弥子はなにも着けていなかった。

 目の前に美弥子の性器の亀裂をみて、桃山園の顔が喜悦にゆるむ。

 屈辱のカメラテストが始まろうとしている。

つづく