うたかたの天使たちXI

あきかぜ   クロッシング・ロード
秋風の十字路

 

-美耶子編-
(2)

 

 美耶子の「快挙」に対する宇多方家の人々の反応は次の通り。

 一子ちゃん。

「まあ、美耶子が女優さんに? どうしましょう、ハリウッドって、外国でしょう?」

 ……ツッコミにくいボケだなあ。

 つぎ、気恵。

「ふーん。でも、甘えん坊の美耶子にはいい経験かもな。うまくいってもいかなくても」

 つめたいよーな、ほーよーりょくあるよーな。気恵らしいよ。

 そんで、苑子。

「すごいなあ、美耶子ちゃん。わたしだったら、人前でお芝居なんかできないよ。すごいすごい!」

 ひたすら感心しまくり。メガネずれてるぞ。

 ラスト、珠子。

「丑寅……」

 それだけかよ!

 ――どーやら、オーディション会場が宇多方家からみて方角がよくない、ということらしい。

 

 

 てなわけで、あっというまに当日になる。

 美耶子は白いブラウスの上に紺のベスト、同色のプリーツスカートを合わせて、ソックスは白。清潔感のある出でたちだ。髪も念入りに整えてブルーのリボンでまとめている。このリボンは一子ちゃんのお手製だ。

 その他、気恵はレースのハンカチ、苑子はピンクのポシェット、珠子は魔よけのお守りを美耶子にもたせていた。

 なんつーか、やさしいな、姉妹。

「ゆういちは?」

 生意気に手を突き出してきたので、掌に、でろ〜と唾液を落としたら、マジで怒りやがった。まったく、気が短いんだから。精液のほうがよかったか?

「おれは保護者として付き添うんだから、餞別はいらねーだろが」

「オーディションでへんなことしたら殺すからね」

 鋭い目でおれをにらみつける。信頼ねーのな。

 

 

 オーディションの会場は、某局の撮影所だった。じっさいに撮影に使われるスタジオで審査するのだ。

 局に着いた美耶子とおれを窪塚氏が出迎えた。あいかわらずおれのことはよく見えないらしく、美耶子の肩を抱きかかえるようにして、今日のオーディション参加者の控え室を回っていった。

 といっても、美耶子以外の候補者は二人だけだ。

 まずは久遠かすみ。小学六年生のときムービング娘のメンバーに抜擢され、それ以来大人気を誇るスーパーアイドルだ。現在、中学一年生だが、内部競争の激しいムー娘のなかでもトップクラスの人気を誇り、ソロ活動が増えている。

 もう一人は小石川涼子。母親はかつて一世を風靡したスーパーアイドルで、父親は二枚目俳優だ。子役としてのデビューは早かったが、まだこれといった実績はない。黒髪ロングの正統派美少女だ。

 美耶子は嬉々としてサインをもらっていたが、思わぬライバルの出現をつきつけられた二人は心穏やかではなかったろう。

 審査会場のスタジオには、ドラマのセットと思われる、マンションのリビングルームが作り込まれていた。そのセットの前に、オーディション参加者は集められた。

 窪塚プロデューサーが現れる。ブランドものとおぼしいジャケットをラフに着込み、下はブルーデニムのパンツだ。おっさんのくせに脚が長い。

「これから、美鈴役のオーディションを行います。みなさん、よろしいですか?」

 美耶子だけはポケっとしているが、ほかの二人は情熱をこめてうなずき、口々に返事をした。もうオーディションは始まっているのだ。

 窪塚氏も、さすがにいつものおちゃらけた雰囲気はない。

「美鈴は、このドラマのポイントになる役です。主人公に対して秘めたる情熱を抱き、ヒロインである姉との間も微妙――あるときは小悪魔のようにふるまい、またあるときには健気な妹としてふるまいます。ある意味、影のヒロインといってもいい。このドラマが成功するかどうかはこの役にかかっているといって過言ではない!」

 おいおい、えらいこっちゃないか。さすがの美耶子もちょっと顔色かわったぞ。

「撮影開始まで時間もないため、審査は実戦形式でいく。じっさい、このセットで美鈴のシーンを一人一人演じてもらい、そのシーンを撮影する。その画(え)をみて、わたしが決定する。つまり、カメラテストがそのまま審査となる!」

 候補者たちの間に動揺が広がるのがわかる。

「わたしは映像しか信じない。だから、撮影にも立ち会わない。モニターのなかで最高の美鈴を表現した者が合格だ」

 窪塚氏はきっぱりと言い切った。

 それから、周囲を見渡した。

「今回のカメラテストを演出するディレクターを紹介しよう――桃山園くん、どこかな?」

「わ、わたしならここにおります、窪塚プロデューサー」

 窪塚のすぐ隣にいた、帽子をかぶった中年男が声をあげた。

「お、おお、そこにいたのか。どうも桃山園くんは見えにくくてな」

 窪塚氏にとっては、醜いは、そのまま「見にくい」ことにつながるようだ。この男同様に「見にくい」ことにされているおれとしては腹立たしい限りだが。

 帽子の男は前に進み出ると、昂然と顔をあげた。何度かテレビのワイドショーとかでで見かけたことのある顔だな。

 黒縁メガネにちょび髭、頭はベースボールキャップ。テレビで「カントク」と持ち上げられて、いい気になって世事に対するコメントを述べていたような気がする。

 それなりに有名な監督なのかもしれないが……

「よろしくて? これからカメラテストの手順を説明するわ」

 なんか女言葉だし。

「台本は当然覚えてきたと思うけど……美鈴の独白シーンを中心に撮影するわよ。当然、一人芝居。撮影もあたしひとり。立会人はいないわ。一対一の真剣勝負だと思ってちょうだい」

 候補者たちは思い詰めた表情でうなずくと、競争者たちの顔をそっと盗み見た。火花が飛び散っている。すげー気迫だ。

 美耶子だけは困ったようにうつむいている。

「テストは三十分後から開始。順番を発表するわ。小石川、久遠、そして宇多方の順よ。わかったら、美鈴の役作りをすぐにはじめてちょうだい――解散」

 

 

 控え室にもどった美耶子は、とつぜん頭をかかえた。

「ど、どうしよう……」

「なにがだよ」

「じつは、あたし、台本よんでない」

 がく。

 ま、考えてみればそうかもな。美耶子が宿題をやってるところなんてみたことない。夏休みの最終日なんて大騒ぎだった。なまけ者のくせに見栄だけは張るもんだから、たいてい周囲の者が迷惑する。

「だって、いきなりこんなことになるとは思わなかったんだもん」

「べつにいいだろ? 最初から受かるわけねーんだから。サインももらったんだし、もう帰ろうぜ」

「そうはいかないよ。みんなに合わせる顔がないもん」

 リボンにハンカチ、ポシェット、お守り――か。

「それに、推薦してくださったおじさまに悪いもん。落ちるのはしょうがないけど、ちゃんとしなくちゃ」

 えらい――っつーか、それだったら最初からちゃんと台本読んでこいよな。

「そういうわけだから、ゆういち、しばらく部屋からでてって」

「ぬな? なんでだよ」

「気が散るから」

 美耶子はかばんから台本を取り出しながら言った。

 むー。

 しょーがねーな。

 

 

 廊下に出て、ぶらぶら歩くうちに、審査会場のスタジオの前に戻ってしまった。

 暇つぶしに見物しようと扉から覗いてみると、カメラや照明のセッティング中だった。

「そこ! なにやってるのよ。ライト、ずれてるじゃないの! しっかりなさいよ!」

 ヒステリックな声が聞こえてくる。桃山園がメガホンを振り回している。

「助監! あんたって、なんてぐずなの? だからいつまで経っても半人前なのよ、この半ぺら!」

 サングラスをかけた若い男の頭をメガホンで殴った。殴られた若い男は無言で頭をさげて、機材の調整をおこなう。

「この撮影はあたしにとって大事な試験なんですからね。念入りに調整しときなさいよ! だれが操作しても、きちんと絵が撮れるように、完璧にしておくのよ!」

 桃山園の金切り声にサングラス男は無言でうなずく。おとなしい男だな。桃山園になに言われても、反論ひとつしない。

「あたしは、ちょっとトイレに行ってくるけど、ちゃんと準備やっておいて、開始前になったらここを出て行くのよ。審査のための撮影はあくまでもあたしの仕事ってことになってるんだから!」

 スタジオを出て、桃山園はあるきだした。何とはなしにつけてみる。

 桃山園は上機嫌だった。

 おれに気づいていないらしく、独り言をつぶやいている。

「ふふふ、これであたしも窪塚組の一員ね。それに、久藤かすみに小石川涼子……どちらもあたしの言いなりになるだろうし。楽しい仕事になりそうだわ」

 桃山園は男子トイレに入っていった。個室のひとつに姿を消す。

 トイレにはほかに利用者はいなかった。だいたい、今日はこのオーディション関係者しか来ていないようで、全体的にガランとしているのだ。

 個室のなかから、描写に耐えない音が聞こえてきた。

 なんとなく頭にきたので、おれは掃除用具入れからモップを取り出して、桃山園がこもっている個室の取っ手に柄を突き刺してドアが中から開けないようにした。けっこう音がしたが、桃山園はフン戦中で、気づかなかったようだ。

 けけけ。

 審査に遅刻して、恥かきやがれ。

 

 

 おれはスタジオに戻った。カメラやライトのセッティングは終わっているようで、サングラスの男の姿もない。あくまでも監督と役者の一対一の勝負、ということらしい。

 セットは、ありがちな、「ちょっとしゃれたリビング」ってやつだ。裏手には衣装や小道具なんかも雑多に置かれている。

 桃山園が着ているのと同じデザインのスタッフ用のジャンパーもあるな。記念にガメとくか。お、帽子もあるぞ。もらっとこう。

 ほかに、女優さんの匂いつきパンツとか落ちてないかな、落ちてないと思うけど。

 あったのは、伊達メガネとか付け髭だとかメガホンとかだった。なんだよ、この、作為的な見つかり方は。

 おれはジャンパーを羽織り、帽子をかぶり、メガネをかけ、付け髭をつけて、メガホンを手にとった。

「おほほ、あたしが監督よ」

 冗談のつもりで、声まねをしてみたときだ。

 スタジオの扉が開いて、小石川涼子が入ってきた。

 

 

「監督、よろしくお願いします」

 お辞儀とともに、黒髪がさらさらと流れる。ほんと、正真正銘、美少女、ってやつだ。

 おれは咳払いした。意識して裏声をつくる。

「は、早かったわね、もう時間?」

「はい。ご指定のとおりです」

 まずいな。

 本物が戻ってきたら大変だぞ。なんとかこの場は取り繕って逃げださないと。

 だが。

 小石川涼子は切れ長の瞳でおれをじっと見つめている。真剣で、ひたむきで、野心に燃えている。

 冗談ごとではとてもごまかせそうにないな。

 ええい、ままよ。

「おほん、じゃあ、始めるわよ。セットの所定の位置につきなさい」

「はい」

 涼子は疑いもせず、ライトの照らす中心――ソファのあたりに移動した。

 つーか、体型も声も、おれと桃山園では全然似てないと思うんだが。ライトが当たってるセットの一部を除いて、スタジオのなかは薄暗いからな、そのせいでバレていないのだと信じたい! 桃山園に似てるなんて屈辱以外のなにものでもないぞ。

 涼子はおれを――いや、カメラを見つめている。精神集中をしているのがわかる。

 おれはスタンドの上に設置されたカメラのハンドルを持ち、ちょっと動かしてみる。

 プロ用のカメラなんてむろん扱えないぞ。だいたいにして、家庭用のビデオカメラでさえ、おれは扱えないのだ。

 これがスタートなのかな、よくわかんないけど、押しちゃえ、えい。

 赤いランプがつき、涼子が役に没入していくのがわかる。彼女はスタートの掛け声を待っている。

 うう、息苦しいな。

「涼子ちゃん、ちょっと、表情かたいわよ。リラックスして、ソファに座りなさいな」

「はい」

 演出家の言葉は絶対だ。涼子は素直に腰掛ける。さりげなくスカートの裾をなおす手つきも優雅だ。いいねえ。

 でも、おれの演出はあまくないぜ。

「だめよ、そんな座り方は、美鈴じゃない!」

 いきなり叫ぶ。涼子の表情に動揺が広がり、あわてて立ち上がる。

「す、すみません、つい。やり直します」

「美鈴っていう子はすっごくお行儀悪いから、ソファに座るときも、はねるようにして、パンツ丸出しで座るのよ!」

「え……でも、台本では」

「あたしが演出家よ!」

 おれは言い切った。涼子は黙る。台本がどのようであっても、演出家の解釈次第ですべてが変化する――そのことに気づいたのだろう。

「いい? 美鈴は、大股開きが基本よ。やりなさい!」

「は、はい!」

 涼子はフレアスカートの裾をつまむと、真っ白な太ももをさらしながら、ソファーに飛び上がった。

 パンツが見える。おお、ブルーかよ。

「ひざを立てて、男の子みたいにね――美鈴は無邪気で無防備な子だから、下着が見えてたって気にしないの」

「は……はい」

 涼子がソファーの上で脚を広げて座る。あの、小石川涼子のパンちら――いや、パンモロだ。価値高いぞ、こりゃあ。

 清楚な外見と比べて、涼子の太ももはけっこうむっちりしてるな。着痩せするタイプかもな。

 けっこう、楽しくなってきたぞ。

「いいわよ……せりふ、はじめて――」

 おれはおごそかに宣言した。

「スタート!」

つづく