うたかたの天使たちXI
「だから、なんでおれが一緒にいかなきゃなんないんだ、ああ?」
お出掛け姿の美耶子を見上げ、おれは言った。
夏が過ぎ、輪郭のくっきりとした風が縁側に吹き込んでくるようになった。空の高さに季節の移り変わりを感じる。
一年で最も快適な時期の貴重な休日を、なんで犠牲にせねばならないのか。
だが、オリーブドラブのトレーナーの上にコーデュロイのジャケットを羽織り、黒のプリーツスカートをサスペンダーで吊って、やはり黒のニーソックスで足元を決めている美耶子はまったくもって納得していないようである。
「そんなの、ゆういちのせいだからに決まってるでしょ!? とっとと支度してよ、ぐず!」
毒づきつつ、ダークブラウンのつばなし帽子をかぶる。
まったく、家では超だらしない格好で平気なくせに、外に出るときは異常なまでに服装に気を使うガキだ。
おれは、ゆるゆるになったジャージのパンツのゴムの具合を確かめながら、確認をする。
「なあ、たしか、おまえ、同級生の家におよばれしてんだよな」
「そうだよ」
「招待されたのはおまえ一人だよな」
「うん」
「で、おれがついていくってことは先方には言ってないんだよな」
「まあね」
「して、おれが、いっしょに行かなくちゃならない理由ってのはなんなんだ」
「窪塚くんちなの」
美耶子がぶすっくれた表情で言う。
「はぁ!?」
おれは嫌みったらしく、でかい声を出した。
「おまえの同級生の名前なんか知ったこっちゃねーぞ」
「忘れたの!? 夏休みに、プールで! 会ったじゃん!」
負けずに美耶子も大声を返す。
「ああ、あの美少年くんか」
おれはあごをなでた。まあ、めずらしい名字だから、ほんとは憶えてたけどね。
「へえ、あいつんちにお呼ばれしたのか。よかったじゃねーか。金持ちなんだろ?」
「かなりね」
美耶子は不機嫌そうに言った。
「しかも、頭のよさそうなお坊ちゃんだったじゃないか」
「ってゆーか、成績は学年トップよ。スポーツも万能だし、この前は絵画コンテストで表彰されてたわ。歌も上手で、ピアノとバイオリンも弾けるのよ」
「へ、へ、へええ、そーかい」
「性格もいいし、生徒会の役員もしてるわ。来年は生徒会長間違いなしって、みんな言ってる」
「ほ、ほ、ほおお、すげーじゃねーか」
なんか、ハラ立って来た。
「彼、あたしのことが好きなの」
美耶子は頬に手をあててため息をついた。
「プールでキスしちゃったから、学校でも公認カップル扱いだし」
ほー、そうきたか。おれに妬かせようと? 十年早いぜ。
おれはヘラヘラと笑った。
「玉の輿ってやつか? そりゃーめでたい。いっそ婚約でもしたらどうだ?」
「そうなったら困るから、一緒にきてって言ってるんじゃん」
真顔で美耶子が言った。ぬな?
「窪塚くんのお父さんがあたしに会いたいんだって、どうしても」
「はい?」
「そのためだけに仕事の予定をキャンセルして、ニューヨークから戻ってきたんだって。まともじゃないでしょ?」
まあ、たしかにな。
「その場で婚約とかさせられたら厭だから、ばしって言ってほしいの」
「美耶子はおれのセックスフレンドだっ!」
「ちがう! 恋人でしょっ!」
「え――そうだっけ?」
美耶子のやつ、ただでさえつり気味の瞳を三角にする。すげえ、二等辺だぞ。
「冗談だよ、いやだな、ハニー」
と、おれは折れて見せた。
「それに、いきなり婚約はないだろ? おまえ、いくつだよ」
「窪塚くんのお母さん、十四歳で婚約して、十六で結婚だって」
「むぅ……」
やるな、窪塚氏。
「それもこれも、ゆういちがプールであんなことをしたせいなんだから、責任とってよね!」
そうなのか?
だが、否定するのもアレだし、窪塚くんちってのも見てみたい気もするし、なにより美耶子の剣幕からして断れそうになかったので、おれは重い腰をあげた。
おれはトレーナーとジーンズとゆーいたってラフな格好で、それは美耶子の気には入らないようだったが、まさか正装していくわけにもいかず、だいたいにして、それ以外の服なんか持ってないし。
窪塚くんちは歩いて二十分くらいか――高級住宅街のなかにあった。まあ、宇多方家もそれなりに閑静なところにあるのだが、こちらのほうが家並みが新しく、でかい家が多い。きっと、医者とか弁護士とか金貸しとか作家とかタレントが住んでるんだろうな。
「そういえば。窪塚くんのお母さん、元女優だって」
「うげ、そうなのか」
「ここだよ」
美耶子は、壮麗かつモッダーンな、いかにも名のある一級建築士が「ちょっと調子に乗っちゃいました」みたいな、でも嫌みまではいかない感じの一軒家の前で立ち止まった。ガレージが広く、ジャガーとBMWとアウディが停まっている。バイクもあるな。ハーレー・ダビッドソンかな。やたらとでかい。あと、もうすこしこぶりなバイクが数台。窪塚くんのかな、子供用の自転車もある。しかしブランドはポルシェ。
それだけの乗り物がさほど詰めあわずに置かれている――ってだけで、ふざけんなよ! と言いたくなる広さだということがわかってもらえるだろう。
美耶子はさっさと呼び鈴を押した。なんか物慣れてるな、こいつ。
『はい』
若い女性の声がこたえた。
「ジュンくんの同級生の宇多方です。ジュンくんはいらっしゃいますか?」
当然、インターホンはカメラつきだ。その前で首をかるく傾け、美耶子は名乗った。家では見ることができない、おすましぶりだ。
『はい、お待ち兼ねですよ、いまお開けしますからね』
ぐおおお、と門扉が開いてゆく。基地か、ここは。
「いくよ、ゆういち」
まるで犬を呼ぶような口調でおれに一声かけるとすたすたと先に立って歩きだす。
くそう。なんか頭くるぞ。
「いらっしゃい、美耶子ちゃん――あ」
玄関の扉をあけて出迎えた窪塚くんは、おれに気づいて、ちょっとまごついた。
「ジュンくん、ごめんね、どうしてもついてくるって聞かないの。迷惑だった?」
美耶子がすまなさそうに言う。おい、捏造すんな。
「いいよ、美耶子ちゃんのお兄さんなら大歓迎だよ――ようこそいらっしゃいました」
おれに向かって、ぺこりと頭をさげる。ふむぅ、たしかにきちんと躾けられているな。
「ありがとう、ジュンくん。ほら、遊一お兄ちゃんもお礼を言いたがってるわ」
おれは礼なんぞ言いたくはないが――げしっ! さりげなく肘打ちを食らったので、仕方なく笑って見せる。
「はっはっはっ、押しかけてごめんよ、窪塚くん。美耶子といつも仲良くしてもらってると聞いたので、ぜひお礼を言いたくてね」
「そんな、こちらこそ……それに美耶子ちゃんと仲良くなれたのも、お兄さんのおかげですし」
ふむぅ。やっぱりプールの一件がきっかけらしいな。
まあ、小学生がディープキスだからな。舞い上がるのもむりあるまい。
窪塚くんが先に立って家のなかを案内する。おれは美耶子と並んで歩きながら、小声で話しかける。
「で、おまえら、どこまで行ってるんだ?」
「なにがよ」
「とぼけるなよ、すっかり、彼氏・彼女って感じじゃねえか。この家だって何度も来てるんだろ?」
「何度もって――二回目よ。前はクラスのみんなで来たの」
「ほんとかな、あやしいぞぉ」
などと、美耶子をからかいつつ、ちょっと、ほっとしてたりするおれ。
とかやってるうちに、応接室というのか、でかいソファとでかい椅子とやたら壁に写真の飾ってある部屋に通された。
ここは美耶子も初めてらしく、きょろきょろしている。
「ごめん、ここは、父さんが取材を受けたりするのに使う部屋なんだ。落ち着かないかもしれないけど」
すまなそうにジュンくんがいう。ほんと、育ちのいい子だね。
「ううん、いいの。とてもすてきなお部屋ね――あら?」
よそ行きの顔とよそゆきの態度。これがおれに浣腸プレイをねだる淫乱ガキと同一人物とはとても思えない。
「この写真――」
壁に飾ってある額に見入る。いまはどっかの州の知事をやってるらしい筋肉バカ俳優と肩をくんでいる中年男性の写真が飾ってある。
「シュワちゃんと写ってるのが――ジュンくんのお父さんなの?
「うん、そうだよ」
恥ずかしそうにジュンくんはいった。
「すごいじゃない――こっちはスタローンだし、トム・クルーズ、これは、スピルバーグ?」
「ぼくはいやなんだけど……こんな写真飾るの」
「どうして? すごいおとうさまじゃない。ファッションセンスも最高だし、かっこいいし、年中家でごろごろしてる無駄飯食いの居候大学生とはえらい違いだわ」
いま、なにげにおれの批判をしなかったか、美耶子よ。
「そうかなあ、ぼくはもっと平凡な父親のほうがいいよ……あっ」
ジュンくんは小さく声をあげた。美耶子の方をおずおずと見る。美耶子が両親を亡くしていることに気づいたのか。
「ご、ごめん、美耶子ちゃん……ぼく……」
美耶子はにっこり笑った。人をひきこむような笑顔だ。
「気にしないで。でも、お父さんの悪口はもう言っちゃだめだよ」
「う、うん」
ジュンくんは顔を赤くしてうつむいた。いかんな、少年。もう尻にしかれてるぞ。つーか、美耶子よ、きさま、なかなか人心を掌握するのうまいじゃないか。
「ぼ、ぼく、ジュース持ってくるね」
「あ、おかまいなく」
「おれはビールのほうが……」
ごす。
にこやかな顔の美耶子に思いっきり足踏まれた。
そのときだ。
ドアが開いて、軽やかな足取りで男が入って来た。
「ジュン、きみが台所まで行く必要はないよ。わたしが持って来てあげたからね」
銀製のお盆をウェイターのような手つきで捧げ持っている。長身、ロマンスグレー、コロン臭、の典型ってやつだ。
「おとうさん……」
ジュンくんはちょっとばつが悪そうな表情になる。だが、この親父、美耶子の姿を認めると足早に近づいてきた。
「おお、きみが宇多方美耶子さんか。ジュンの言ってたとおりの人だね。じつに気品があって、愛らしい。まるでシンデレラ城の舞踏会から抜け出してきたようだ」
いきなり歯の浮くようなお世辞をぶつけられて、さしもの美耶子も目をぱちくりさせた。とっさに切り返せないようだ。
「あ……あの……はじめまして」
「もしもよろしければ、お手を取らせていただけるかな?」
「え? あ、はい」
おずおずと出した美耶子の手を親父は片手で握り締めた。
「うむぅ、これぞ王女の手だ。みてみなさい、ジュン。彼女の手は無垢で清浄だ。指先まで見事に整えられている」
家の手伝い、ほとんどしないからな、こいつ。
「さあ、美耶子さん、掛けて。いま、おいしいお茶をごちそうしよう。ジュン、おまえも突っ立ってないで、手伝いなさい」
む。おれを無視したな、こいつ。
「ああ、おほん、ごほん」
咳払いしてみる。
「おや? ジュン、風邪かい?」
親父が首を傾げる。
「ち、ちがうよ、おとうさん、もう一人お客さんがいらっしゃるんだよ」
「なんだって、それはいけない。早くここにお通ししなさい」
もういるんだが。なめてるのか、このおっさん。
「あー、はじめまして」
おれは皮肉っぽく声を出した。
親父の二重瞼が、おれの方角に向いた。
「ふぅむ、なにかしらダミ声がしたように思ったが、幻聴かな?」
な、なんなんだ、一体。
「おとうさん、目の前にいらっしゃるんだよ、美耶子ちゃんのお兄さんが」
たまりかねたようにジュンくんが言う。
親父は激しく目をぱしぱしさせた。
「お……ほんとうだ。気づかなかった」
すまなさそうに頭をかいた。
「いやあ、すみません。仕事柄、美しいものばかり見慣れているので、そうでないものについては、視神経が受けつけを拒否することがあるんですよ、あっはっはっ」
かさねがさね失礼なおっさんだ。
「とにかく、お掛けください。いま、お茶をいれますから」
美耶子の前には白磁のティーカップ、そして、おれの前には紙コップが置かれた。くそ、あからさまに差別しやがって。
「あらためまして、窪塚悠一郎と申します。ジュンの父です」
ソファには美耶子とおれ、その向い側には窪塚父子がすわっていた。なんだか、お見合いのような雰囲気といえなくもない。
「息子からいつも美耶子さんのことを聞かされていましてね。ぜひお目にかかりたいと思っていたんですよ。息子と仲良くしてくだっさって、ありがとう」
恥ずかしそうにうつむくジュンくん。
「わたしこそ、ジュンくんとお友達になれてうれしいですわ、おじさま」
お友達、というところに力をこめて、美耶子は言った。
それから、しばらく談笑になった。パターンとしては、窪塚氏がジュンくんと美耶子の仲良し加減についてからかい、ジュンくんが照れ、美耶子がさりげなくやり返す、という感じで、おれの出番はまったくない。
美耶子は窪塚氏との会話を楽しんでいるようだった。隣にいるおれのことなど忘れてしまったかのようだ。なんだよ、もう。こんなことなら家で昼寝してるんだったぜ。
と、窪塚氏のポケットから呼び出し音が流れた。氏は眉をひそめながら携帯電話を取り出した。
「まったく、今日はオフだと言ってあったのに……ちょっと失礼」
携帯電話の通話ボタンを押す。
「わたしだが――なんだね、いったい? なに? 木村くんから? 今度のドラマに出させてほしいって? キムタクはもう古いよ。君から丁重にお断りしてくれ。え? 他にも? ジェームズ先生が書かせてほしいって? 困ったな。彼のホンではもう無理だよ。適当な二時間枠でも回してやってくれ。それに? まだあるのか? あややが連絡を待ってるって? ばかばかしい。酒の席での冗談じゃないか。夜、つきあってもいいと言ってる? くだらないね。そんな手で仕事を取っても、彼女自身のためにならないと伝えてあげたまえ。もう切るぞ」
おいおい、なにか、やばい名前がいろいろ出てこなかったか?
「失礼したね。休日だというのに、まったく、うるさいことだよ」
「だって、おじさまは、ナンバーワンのプロデューサーなんですもの――むりもないと思いますわ」
美耶子が目をきらきらさせている。あこがれのまなざしってやつだな。
「わたしは、ただ、映画を作るのが好きなだけだよ。実際に監督したり、演技をしたりする才能がないから、かわりに、人とお金を集めてるのさ」
「それでも、すごいです! おじさまが手掛けたドラマも映画も、ぜんぶ大ヒットしてるじゃないですか!」
「たまたまだよ……でも、うれしいな、美耶子くんにほめてもらえると」
窪塚氏は目を細めた。
「じつは、わたしは娘がほしくてね。ジュンが生まれたときも、本人には悪いけど、女の子だったらなあ、と思ったんだ。それで、ジュンという名前にして、しばらく女の子のように育ててみたんだが、妻に反対されてね……」
なるほど。ジュンくんのなよっとしたところは、そうやって培われたのか。
「というわけで、わたしの娘になる気はないかね、美耶子くん」
いきなり直球かよ!
つまり、ジュンくんと美耶子の婚約――義理の親子関係成立ってことだな。しかし、気の早いことだ。
「え……でも……」
美耶子はしどろもどろだ。
「お、お姉ちゃんに相談しないと……」
拒否しろよ!
まったく、これだから女ってやつは油断ならねえ。
おれのことをちらちら見やるが、口を出してほしそうな、おれが突拍子もないことを言うのを警戒してそうな、微妙な目つきだ。
しょうがないな。
「窪塚さん、ちょっと、よろしいですか」
おれは咳払いして口をひらいた。
「美耶子の兄代わりの者として言わせていただきますが、こいつはまだまだ子供です。おたくのジュンくんもそうでしょう。結婚だなんて、早過ぎです。だいいち、夫婦生活はどうするんで……!」
せりふの終盤で美耶子のエルボーがみぞおちに入った。いてえな。
「ああ、なにか、誤解されているようですな……ええと」
言いかける窪塚氏の視線がどことなくさまよってるふうなのは、おれが見えていないせいだろう。ちくしょう。
「わたしが、自分の娘、と表現したのは、わたしの作るドラマに出ませんか、という意味です。いわゆる、窪塚ファミリーの一員にならないか、ということですよ」
「えええ、うそおお!?」
さしもの猫かぶりっこもかなぐり捨てて、美耶子がのけぞった。
「な、なんだ、窪塚ファミリーって」
おれはこしょこしょと美耶子の耳元にささやきかける。
「ばかゆーいち、そんなことも知らないの? 窪塚ファミリーっていえば、超一流の脚本家、演出家、俳優が集まるグループで、窪塚プロデューサーの作品はみんな、そのグループでつくってるんだよ。さっきの電話なんかも、窪塚ファミリーに入りたいってゆーアプローチじゃん」
美耶子もささやき返す。おれ相手だと口調がぞんざいだな。
だが、そんな話ってあるか?
「窪塚さん、こいつは素人ですよ。ドラマったって、あーた、電信柱とか小便小僧のかぶりものをする以外には、使い物になりませんよ」
うう、ゆういちのくせにぃ、と美耶子が歯噛みする気配が伝わってくるが、本人も反論っできないのだろう、黙っている。
だが、窪塚氏はゆっくりと首を横に振った。
「なめてもらってはこまりますな、わたしはプロです。人を見る目だけで業界を生き延びてきたのです……ええと……」
さまよう視線……人を見る目があるんなら、いいかげんおれを発見しろ!
「そのわたしの感性に響くものがあった以上、美耶子くんには才能があります。わたしは彼女の演技を実際にみていますし」
「なに、おまえ、いつのまにオーディションに出てたんだ?」
おれは美耶子に詰め寄った。
「えっ、わたし、知らないよ、そんな」
「うおほん」
窪塚氏が咳払いする。
「去年の学芸会の白雪姫です」
「なんだ……」
美耶子がため息をつく。どういうわけか学校では人気者の美耶子は、たいていの劇で勝手に主役に推挙されてしまうらしい。だが、本人は別にそれを喜んでるわけではなく、「良い子ぶりっこ」の一環でこなしているに過ぎない。
それにしたって、学芸会かよ!
「むろん、それだけで合格というわけにはいきません。ほかのスタッフや、出演者の手前もありますのでね。そこで、美耶子くんには、今度の日曜日に、わたしの新番組のドラマのオーディションをうけてもらいたいのです」
これが芸能界志望の女の子だったら、キターと叫びながら回転するところだが、美耶子はそういうタイプではない。あいまいな笑みを浮かべて、断りにかかる。
「あの……おじさま? わたしには、きっと無理だと思いますわ……ですから、せっかくですけど……」
「急な話だからおどろいたかね? でも、どういうドラマだか、聞くだけ聞いてみないか? じつは、ここにオーディション用の脚本があるんだよ」
どこからともなく取り出したのは、オレンジ色の表紙の冊子だった。
「月曜花丸ドラマ マリアさまゴーホーム」とかなんとか、タイトルが書いてある。
うー、月曜花丸ドラマってば、視聴率戦争の激戦区にあって、常にトップの成績を収めている番組枠じゃないか。おれが芸能界オンチでも、それくらいは知ってる。
「美耶子くんに挑戦してもらいたいのは、主人公の妹役だ。脇役だけど、毎週出番もせりふもある、けっこう大事な役だぞ」
窪塚氏はページを開いて、役名の部分を見せる。主演やヒロインなど配役の大半はもう決まっているらしく、いま最高に売れっ子の俳優たちの名前が並んでいる。
「主人公の妹には今回はフレッシュな人材を充てたいと思ってね、候補は若手に絞ったんだ。たしか、久遠かすみに小石川凉子だったかな」
「えー!? かすみんが来るんですか?」
美耶子の目が見開かれた。女子小学生にとっては影響力のある名前らしい。いっぺんに身を乗り出した。
「も、もしかして、サインとかもらえたりするんでしょうか、おじさま」
「それはどうかな。彼女たちもこの役を手にいれようと必死だからね」
ちいさく笑って窪塚氏は言った。ペースをつかむのがやはりうまい。もう、美耶子をくどき落としかかっている。
「そ、そうですよね……でも、かすみんかあ……」
「オーディションが始まる前なら、わたしから頼んであげてもいいよ」
包容力たっぷりの魅力的な笑み。
「本当ですか、おじさま! わたし、行きます!」
ほら、落ちた。
てなわけで、美耶子はドラマのオーディションを受けることになってしまったのであった。