ジャリン戦記 ドリーマー編

最終話

ラ プ ン ツ ェ ル

「ディー、すごぉい! 中央魔導大学(セントラル)の特別教程に一発合格だなんて、すごすぎだよぉ」

 村の石畳の道。靴のかかとをカツッと鳴らし、スカートをひるがえし、細身の少女がおどけたポーズを取って見せた。

 14歳のエメランディア。大きな眼を輝かせている。まだメガネをかける前だ。胸もない。

 振り返ったのは銀髪の少女だ。エミィとそっくりの顔立ちだが、幾分こちらの方が大人びている。

「エミィだって、中央図書館の司書教程に合格したじゃない。ふつうにエリートよ、それ」

「ランクがちがうって。それに、わたし、ガリ勉したしい」

 てへ、と舌をだす。屈託のない笑顔だ。

「ベルカーンツは遠いけど、アルセアの人もたくさんいるから大丈夫だよねっ。あと、部屋も探さなくちゃ。セントラルと図書館って近いから、一緒に借りればいいよねっ」

 未来への期待と不安がないまぜになった表情で、エミィが双子の姉妹に同意を求める。

 だが、ディーはあっさりと首を横に振った。

「エミィ、わたしは大学には行かないのよ」

 かたまるエミィをよそに、ディーは淡々と言葉を続ける。

「わたし、ザシューバ先生の仕事を手伝うの。試験を受けたのはそのための力試しよ。先生にも、特別教程に合格する実力があるのであれば、と、お許しをいただけたわ」

 長い髪をはらった。

「え……そんな……」

「くだらない大学に行ったってしょうがないわ。すでに、最高の魔導士から指導を受けているんですもの。ザシューバ先生の側から離れるなんて、愚の骨頂だわ」

「でも、でも、機関公認の学校を出ないと、魔導士ギルドに登録できないんだよ?」

 ギルドに所属しない魔導士は、すなわち犯罪者となる。狩られる対象になるのだ。狩る者とは、すなわちギルド監察官。対魔法装備に身を固めた凄腕の剣士たち、いわば、魔導士の天敵。ギルドに加わらぬ魔導士は彼らに追い回されることになる。

 魔導は強力であるがゆえ、一般人の嫌悪や忌避の対象にもなりやすい。それがゆえ、魔導士たちは結束し、ギルドを作り、厳しい自主規制をおこなうことによって、社会に適応している。その掟から逸脱する者は、すなわち、魔導士の敵なのだ。

「わたしは別に魔導士になりたいんじゃないもの。ただ、ザシューバ先生のお側にいたいだけ。あなたも子供のころはそう言ってたじゃない、エミィ」

「それは……でも、子供のころの……」

「そう。二人して言ってたものよね。ザシューバ先生のお嫁さんになるって。むしろ、エミィ、あなたの方が熱心だったじゃない?」

「はうぅ……まさか、ディー?」

 ディーの物腰の変化に気づいて、エメランディアはわたついた。

「ええ。ザシューバ先生に女にしていただいたわ」

 悪びれることなく、ディーは言った。表情は硬いまま、まるで挑むような口調だ。

「最初は叱られたけど、わたしから強引に迫ったの。そうしたら、抱いてくださったわ」

「ああ……」

 エミィの顔にさまざまな表情が走り、それから、半泣きのような笑顔になった。

「おめでとう、ディー」

 双子の妹の肩を抱き、頬にキスする。

 ディーの顔もようやくほころんだ。そうすると、エミィと見分けがつかない少女の顔になる。

「ありがとう、でも、結婚だとか、そういうんじゃないの。わたしはザシューバ先生のお役に立ちたいだけ。ザシューバ先生の研究をお手伝いするの。だれよりも近くで」

「うん、わかるよ、わかる」

 エミィはわんわん泣いていた。

 

 ――だが。

 それから一月のち。エミィがベルカーンツに発つ前夜、それは起こった。

 村の半鐘が打ち鳴らされた。

 火災のしらせだ。

 人々は寝入りばなをたたき起こされ、それでも、水系の呪文を持つ者は消火のために現場に馳せ参じた。

 塔が。

 アルセアの魔導研究の拠点、旧伯爵邸の塔が炎上していた。そこでは、ザシューバとディーが二人きりで魔導研究に打ち込んでいたはずだった。

 エミィは寝間着姿のまま、館に続く坂道を駆け登った。

「ディー! ザシューバ先生!」

 エミィにとっては、その二人だけが家族といえる存在だった。

 水系の魔導の心得のある者が懸命に鎮火につとめていたが、火勢がつよく、どうにもならない。

 村人たちは、現場に飛び込みかねないエミィを羽交い締めにして押しとどめた。

「はなして! ディーをたすけなきゃ! 先生を、ディーを……!」

 そのときだ。炎のなかからローブ姿の人物が、ゆらり、姿を現わした。

 何ものかを抱きかかえている。

「ザシューバ先生!」

 エミィは村人たちを振り払って、ローブの人物に駆け寄った。

「よかった、ご無事で……! ディーも助け出してくださったんですね……!」

 エミィは安堵の涙にくれながら、その人物の腕の中をのぞき込んだ。

 その、顔は。

 

「!」

 わたしは声のない悲鳴とともに跳ね起きた。

 心臓が壊れそうなほど暴れている。喉がからからだ。

 夢の残像が脳裏にこびりついている。

 無意識に顔をなでる。みずみずしい肌の感触。柔らかな唇。

 わたしは生きている。

 簡易ベッドから滑り出て、石造りの冷たい床を素足で進み、壁際の姿見の前に立つ。

 白の簡素なネグリジェに包まれた17歳の肉体。成熟しているとはまだいえないが、もう青い果実ではない。この肉体は、もう十分に男を知っている。

 銀の髪は以前のままでも、その中身は確実に変わってしまっている。

「エミィのやつ――わたしの身体をあんな男に与えて……ゆるせない」

 爪をかむ。うずくものがある。下腹に、乳房に、飢えがある。まるで毎晩与えられていた食事から遠ざけられたような枯渇感。

 昨夜のことを思い出す。

 独り寝が耐えられなかった。

 手淫にふけった。

 驚いた。

 経験したことのないレベルの快感が体内から湧きだした。自分の肉体がこんなふうに反応するとは――でもぜんぜん足りない。ほんとうの快感とは、自分の指でもたらされるものではないことを、わたしの身体は知っている。

 エメランディアは、知っている。わたしが得られなかった快楽を。

 ――だが、この肉体はもうわたしのものだ。わたしのために。わたしの望みのために。すべてを使い尽くす。

 わたしは手早く身支度すると、仮眠室を出て、塔へとむかった。

 石造りのこの建物はずっと変わらない。昔の――あのときのままだ。

 螺旋階段を登ってゆく。無限に続くかと思われる長さ。しかし、空間をねじってあるおかげで、呪文さえ知っていれば、さほどの時をかけずに頂上にたどり着くことができる。

 巨大な黒い扉。閉ざされた、闇へのとば口。それこそ、わたしの終わらない夢の城への入口。

 開け――開け――念ずれどそれはかなわず、わたしは大ぶりなノッカーでもって、来意を告げる。

 しばしあり、扉の一部に細い透き間がひらく。のぞき窓。

 憔悴した――しかしながら奥深く知性の神髄輝く双眸が彼方よりわたしを見つめていた。

「――ディアマンテか。何用だ」

 賢く強く気高い――そして、感情のこもらない声だ。

「なにか、お手伝いすることはないかと思いまして」

「ない」

 にべもなく閉ざされようとするのぞき窓に、わたしはすがった。

「ならば、ご命令を。あのジャリン一行を抹殺いたします」

 双眸の形がかわった。あざけりの笑いか――

「おまえにはできぬよ。今までに何度も機会はあったのをなんとした。ドリーマーを求めるやつばらがベルカーンツの中央図書館に手掛かりを求めてくることは今までもあったこと。偽りの書に導くなり、書庫に閉じ込めて無限の虜囚とするなりすればよかった。バイラルでも、あのような半人前のアサシンを使いしくじった。ついには、バルゲンウームの迷宮に誘い込み、命を奪えなかったばかりか、ここアルセアの地へ案内してしまったではないか」

「それは――すべてエメランディアの邪魔だてがあったためです。わたしの意識が完全であったなら、そんなことには――」

「そうかな? おまえは――姉妹どちらも――情に溺れやすい。たとえば、ジャリンなる男でも閨房では無防備だったろうに、なぜ寝首をかかなかった? 毒を使わなんだ? それ、すべて秘法の探索にすべてを捧げていない証左」

 それはちがう――ジャリンという男の恐ろしさは閨房にこそある――だが、それはわたしには言えない。それこそ、自分のいたらなさを吐露することだ。それがたとえエミィの惰弱のせいだったとしても、あの男との行為に溺れてしまったのは事実なのだから。

 それでも、わたしは伝えなくてはならない。エメランディアの心の奥に潜みながら、ずっと守り続けたザシューバ様への想いを、忠誠心を、真心を。

 だが、わたしの弁明は、始めることさえ許されなかった。しかも、それは怒りによってではなく、ザシューバ様の無関心さによって。

「わしは今それどころではないのだ。ドリーマーに眠りをもたらす秘術――そのための実験を続けねばならぬ。あと少しなのだ――あと――」

 ザシューバ様は目が濁りを帯びた。かすかに女の声が漏れ聞こえた。すすり泣くような――切れ切れで――絶え絶えの――

 わたしの身体が変化した。

 匂いか、声か――わたしの性欲を強く刺激するなにか。

「ザシューバさま――わたしを――わたしを使ってください」

 懇願していた。抱かれたい。抱き締められたい。そのために戻ってきたというのに――

「無用だ。おまえは、手はずどおりに動けばよい。最後の鍵はすでにほぼ手中にある。おまえはそれをここに運んでくればよいのだ。村の者を使え。種はとうに仕込んである」

 のぞき窓が閉ざされた。扉のまわりは闇に沈み、声さえ聞こえなくなる。

「ザシューバさま……! ザシューバさま……」

 扉を拳で打っても詮無いこと。

 ――殺す。

 ザシューバさまの大望をおびやかすジャリンを倒し、禍根を断つ。そうすれば、ザシューバさまもわたしを認めてくださるだろう――きっと。

 

***

 

「――というわけでしたのじゃ」

 老人が語り終えた。おれは首をひねった。

「よくわからんが、こういうことか? 双子の妹を事故で亡くしたエメロンのやつは、それを受け入れられず、自分の心のなかに妹の人格を作り出したと」

「あるいは、ほんとうにディアマンテの魂が乗り移ったのか――」

 キースが思慮深そうにつぶやく。まったく、外面のいいやつだ。おれはなにげに手を伸ばし、左隣に座っているキースの形のいいおしりを触った。

「きゃっ!」

 飛び上がるキースはすごい目をおれに向けた。

「どうなされた、監察官どの」

 思いもかけずかわいらしい声をキースが出したので、ゾーシュライは驚いたらしい。

「あ、いや、なんでも」

 取り繕うキースの尻をさらに触りまくる。キースがおれを横目でにらむが、へへへ、無視だ無視。

 つーか、おもしろいので、別の場所に手を移動させる。むろん、左手――邪掌の方でだ。

 太ももに触れ、内側をなでる。キースの背筋が伸びる。

「ひっ」

 話を続けようとしたゾーシュライは、キースの声に出端をくじかれて、さすがに少し不快そうな表情になる。

「うほん、よろしいかな、続けても」

「は、はい、むろんです」

 うわずった声で答えるキースの脚の付け根をこちょこちょ。

「ひゃ、あ……し、失礼」

 たまりかねたのだろう、キースがおれに小声で囁きかけてくる。

「ジャリン……どういうつもりだ」

「べつにどういうつもりもないけどな」

「エミィ殿の事情が気にならないのか? 元のエミィ殿に戻したいとは考えないのか?」

「知るか、あんなやつ。おれをだましてたんだぞ。せっかくいい具合に調教してやったのに」

「それがエミィ殿の意志だとはかぎらな……こ、こら、指を入れるな……ッ」

 騎士さまの下衣をかきわけて侵入したおれの手をつかみ出そうとするキース。

 まあ、だいたい騎士ってのは鎧の下は軽装だったりするわけで、しかも今のキースの身体は細くなってるせいで、男物の衣装だとなにかと都合がいい。いたずらとかするのにな。

「一度、身体を自由にしたからといって、わたしを思うままにできるとでも思っているのか」

 低い声でキースがすごむ。でも、顔が赤いぜ、お嬢ちゃん。

「思ってるもなにも、おまえはおれの女だろ」

 そうでなきゃ、他人のまえでこんなことはしない。まあ、おれはいい女なら、初対面でもこういうことをするけどな。

「殺す。絶対に殺してやる」

 あそー。

 指で、ぐりんっ。

「うっ、あっ……! シータどのがあんな状態でなければ……」

 ぐりぐりぐり……おほっ、ぬるぬるしてきたぞ。

「おほん、さっきからなにをしておられるのかな、監察官どの」

 ゾーシュライが不審さをあからさまに表わし、おれたちを覗き込んでくる。

「あ、いや、なにも……!」

 ごまかそうとするキース。おれに向かっては必死の形相になる。

「――わかったから――あとでさせてやるから、今は――」

 させてやるって言い方がむかつくので、Gスポ攻め。

「あああっ! だめ! ここで、いかせないで……っ! な、なんでもいうこときく……から」

 それならいい。

 おれは指を抜いた。テラテラに光っている。けげんそうなゾーシュライが覗き込んできたので、その目の前に指を突き出した。

「嗅ぐ?」

「よさんか!」

 耳まで赤くしてキースがわめいた。

「冗談だよ」

 おれは指を引っ込めて、ぺろりとなめた。ふむふむ、こういう味か。

「……なんにせよ、ようやくと話の続きができそうですな」

 ゾーシュライは重々しくうなずくと、ノート型のパソコンを取り出した。

「それでは、その後の事情を3Dポリゴンのムービーで説明しましょう」

 だから、そういうのやめれ! 雰囲気がだいなしになるだろが!

 

つづく!