ジャリン戦記 ドリーマー編

最終話

ラ プ ン ツ ェ ル

 

 アルセアは盆地だ。周囲を高い山に囲まれたすり鉢の底に集落が点在している。老若男女人口すべていれても一万にとどかない。辺境の一地方だ。

 政体は集落単位のゆるやかな合議制、王もなければ軍隊もない。それでよく独立を保てるものだと感心するが、なんのことはない、田舎すぎるし貧乏だし山に囲まれて交通の便も最悪、侵略する価値さえない、ただそれだけの話だ。

 しかし、昔からどういうわけか魔力の強い人間が生まれやすい土地柄で、何人もの大魔道師を輩出している。オーンとの関係もそのために深い。

 エメランディアがオーンに留学していたのもそのへんのつながりなんだろう。

 ――にしても、こんな抜け道があったとはな。

 おれは後ろを振り返り、崖に穿たれた穴を確認する。

 外側からは岸壁だが、その向こうは人工の通路――迷宮が広がっている。

 つまり、ゲドラフ山峡の険しい尾根を越えずとも、地下道をテケトーに歩くだけで、あっと言う間にアルセアに着いてしまうのだ。行程からいえば、一週間――いや天候によっては平気で何週も足止めを食らってしまう難所がゲドラフ山峡なのだから、もしかしたら半月くらいの節約になってしまうのかもしれない。

 この地下道があれば、アルセアは超ド田舎とはいえない。むろん田舎であることにはちがいがないが、数日根をつめれば虹の街道の末端に行き着くのだ。文明とはつながっている、と言える。

 だからなのか――いまさらながら思い当たる。エミィが女ひとり旅でオーンまでやってきていたこと。そして、アルセアへの帰路に海路を選ばず、最短距離とはいえ苛酷なゲドラフ越えを提案したのも。

「あいつ」は、このルートを知っていた。それどころか、実際に行き来していたのだろう。

 そうでもなければ、あの、ぼぉー、とした女が山越えなんかできるわきゃねえ。

 問題は、どうしてそれを事前におれに伝えなかったのか、だ。

 幻想は捨てて、事実を付き合わせれば、答えはおのずから明らかだがな。

 

 エミィ――いや、エメランディア。あいつは実は二重人格者で、もうひとつの人格はおれたちのターゲットである悪の魔道師ザシューバの手下・ディアマンテだった。

 しかも、このディーなる人格はエミィの妹らしい。実在の妹の人格がのりうつっているのか、エミィがそうと思い込んでいるだけなのかはわからないが。

 ディーはおれを殺そうとしたが、失敗して姿をくらました。だから、エミィも当然ここにはおらず、行方不明ってゆーのはあながちウソではない。逃亡中、といったほうが正確だがな。

 エミィがいなくなり、しかも実は敵だったというのもうざい展開だというのに、かててくわえてシータが戦力外通告って感じで、まるで役にたたない。

 無言のホムンクルスは、いまはキースにおぶわれている。自力で歩けないほど消耗してるのだ。おれの精液を飲みさえすればすぐに回復するってのに。

 キースのやつが、騎士の心得か、うやうやしくシータを背負っている。シータは鳥みたいに体重が軽いので、女の姿でも楽に運べるのだ。

 その側にいるのは猫耳少女のアシャンティだ。心配そうにシータを見上げている。ずいぶんなついたもんだ。

 それにしても、現在のパーティの状態は最悪だ。おれを除く全員がどこかしら傷ついてるし(キースは心なしか内股だ)、雰囲気もわるい。

 おれは、和やかな空気を作り出そうとして、キースに話しかけた。

「アルセアは盆地か……なるほどなー。おい、キース、盆地をさかさに言ってみろ」

 むろん、正解は「ちんぼ」だ。

 ぎゃーははは、ちんぼがそんなに好きかよ? ゆうべあんなにくわえたのによ〜。

 だが。

 キースは押し黙っている。むぅ。

「おい、アシャンティ、おもしろい話をしてやろう――ふとんがふっとんだ!」

 アーモンド型の眼を一瞬おれに向けたが、アシャンティはしっぽの先端をひょいと動かしただけで返事もしくさらねえ。

 くう。

「じゃ、じゃーこれはどうだ? あるある探検隊! あるある探検隊っ! はいっ!」

 おれが傍らの木の幹に手をかけて、どんな恥ずかしいポーズをとったか、詳しくは説明すまい。

 だが、身体を張ったこのギャグも不発だった。残念。

「ジャリン……きさまを見損なったぞ」

 キースが低い声で言った。

 やはりな。おれはため息をついた。

「ギャグの切れ味がイマイチなのは、いさぎよく認めよう」

「そんなことではない! ばか!」

 キースが吠え立てる。

「シータどののことが心配ではないのか!? こんなに衰弱しているのだぞ!」

「だから、一発やれば治るっつってんだろーがよ。それを拒んでるのはシータのほうなんだぜ」

 おれは肩をすくめた。

「だからといって……」

「じゃーなにか? おれにシータをレイプしろってか? いっとくが、このジャリン、いやがる女を無理やりせにゃならんほど不自由したことはねえ」

 キースが口をあんぐりあけたまま固まった。

「き……きさま……わたしにしたことをもう忘れたのか」

「おいおい。あれはちゃんと合意のもとのでのことだぞ? おまえも感じまくってたじゃねーか。最後なんか、孕ませてぇ、おねがぁい、なんて言ってたしな」

「ぐ……く……」

 おれに斬りかかりたいが、シータをおぶっているのでそうもいかない、という状況だ。顔を真っ赤にして唸っている。

「ヴュルガー復活の暁には、かならず仕留めてやる……ッ」

 ほーそーかそーか。おれは鼻糞をほじった。

「だが、そんときゃ、マモンもフル満タンで回復済みだぞ?」

「うぐっ」

 キースが詰まる。

「とにかくだ。自分からおねだりするまで、シータはメシ抜きってこった」

「こ……この……腐れ外道」

 憤慨するキースだが、事が事だけにそれ以上は何も言えないようだ。キースの立場では、おれにシータを犯せとそそのかす訳にもいかないしな。

「あにょね……ジャリン――シータねいちゃんをどこかで休ませたほうがいいにゃ」

 猫耳少女がおずおずと提案する。ふん、それくらいはいいか。

 

 山をおりて、まず最初の人里に着いたおれたちは、村唯一の酒場兼宿屋に入った。もっとも、宿屋としての客は三年ぶりとのことだったが。

 店の主人夫婦はやけに人が好くて、よそ者のおれたちを快く受け入れてくれたばかりか、シータのためにすぐさまベッドをこしらえてくれ、おれたちにも土地の料理をふるまってくれた。

 おれたちがほぼ無一文なのも申告済みなのにもかかわらずだ。

 まったく、おれたちが野盗のたぐいだったらどうするつもりだ?

 もっとも、お人よしなのは。この夫婦だけではないことがすぐにわかった。

 おれたちのことを知った村人たちが手に手に贈り物を携えて集まって来たのだ。贈り物ったって、畑でとれた芋だとか、ゆでた栗だとか、すっぱいだけで飲めたもんじゃない酒だとか、そんなのばっかりだったが。

 村人たちは無邪気におれたちの話を聞きたがった。外の情報によほど飢えているのだろう。

 じきに、勝手に酒盛りになり、余興がはじまった。くそー。ふだんなら、こんなジジババの宴会になど付き合う暇も義理もないんだが。えーい、ここにはきれいなねーちゃんはおらんのか!?

「それでは、一番、ゾーシュライ、鳩を出します」

 手品かよ。だが、一歩進み出た白髪白髭のじじいは、虚空にルーンを描いて呪文をとなえた。すると。

 くるっくー。

 鳩が――手品用の白いやつではなく、そのへんによくいるドバトだ――じじいの手のひらから出現し、ばさばさと飛び立った。驚いた。こりゃあ、魔法だぞ。自然界のありふれた生物を召喚する――召喚魔法としては初歩のものとはいえ、こんな無学そーなおやじが使いこなすとは。

 だが、驚きはそれに止まらなかった。

 そこに詰め掛けた村人たちのほとんど全員が、かんたんなものとはいえ、魔法が使えたのだ。

 ある者は伏せたカードの絵柄をことごとく当てた。それだけならよくある手品だが、このおっさんはカードに自己申告させた。カードに低級の聖霊を宿らせてしゃべらせたのだ。

 またある者はタライ一杯の水を一気飲みした。のめばのむほど、テーブルの上のコップ類に水がみちあふれていく。どうやら喉の奥を別の空間につなげたらしい。 

 みんな自己流らしく、詠唱にも癖があったが、とにもかくにも、それは魔法だった。

 魔力の強い奴らが生まれやすいという話は聞いていたが、これは予想以上だ。

「にしては、センスなかったよな、エメロンのやつ」

 おれはつぶやいた。たしかに魔法薬の調合はそれなりだったが、呪文についてはたいしたことはなかった。

「エメ――なんと申されたかな」

 最初に芸を見せたゾーシュライとかいうジジイがおれの独り言を耳にとめたらしく、話しかけて来た。ち、くそ。なんで、おれが若いねーちゃん以外と口をきかなきゃならんのだ。

「あー、あんたにゃ関係ない。おれの連れで、エメロン――エメランディアってのがいたなあ、って話さ」

「エメランディア――!」

 がたっ! がたたっ! と椅子が鳴った。がしゃこん、とコップが割れる。

 村人たちの雰囲気が一変していた。

「エメランディアをご存じか」

「あー、知ってるもなにも、旅の連れだった」

 衝撃が村人たちのあいだを駆け抜ける。

「ここへ来たのもエメロンの案内だ。まあ、いまは別行動なんだが――」

 おれは言いかけて気づいた。雰囲気がおかしい。

 人々はおびえを含んだ表情で言葉を交わし合っている。

 ――あのふたつぶの宝石の片割れが……

 ――凶事の前触れではないか?

 ――そういえば、<塔>の様子がおかしいという話も……

「だーっ! なんだ、なんだ、一体全体! こそこそ話すな! 猥談と噂話は大声でやれ!」

「あいすまぬ。だが、アルセアの者にとって、ふたつぶの宝石とはそれほどまでに重要な存在なのでな」

 白髪じじいが一歩進み出る。あとから知ったが、このゾーシュライなる貧相な年寄りが、この集落・ホートワーフの長で、アルセア自治協同体の議員なのだという。

 ゾーシュライはおれに問いかけた。

「失礼だが、旅のおかた、あんたはエメランディアとはどういう……」

「だから、言ったろう。エメロンはおれの女だ。あそこの使い方やフェラテクやら、全部おれが教えてやったんだ。うらやましいだろう。だが、抱かせてはやらんぞ。あの身体はおれ専用だ」

「いや……そういうことではなく……」

「ご老人。この阿呆、いや、色気違いの人格破綻者の戯言はお聞き流しいただきたい。エメランディアどのはたしかにわれわれの旅の道連れでした」

 キースのやつが割って入る。なんだ、邪魔すんな。

 だが、キースめ、いつもの偉そうな押し出しで言葉を続ける。け、女の声で偉ぶっても、宝塚っぽくなるだけだぜ。

「わたしは、キース・クラウゼヴィッツ、魔導士ギルドの監察官です。われわれは、エメランディアさんの故郷であるアルセアに、ドリーマーをさらったザシューバなる魔導犯罪者の手掛かりを求めて来たのです」

 おい、ちょっと事実とちがうぞ。おまえは、おれがシータやエメロンとエッチするのを邪魔するために、くっついてきたんだろうが。その説明だと、まるでおまえがリーダーみたいじゃねえか。

 だが、そんなツッコミをいれる暇もなく、酒場は騒然となった。ギルド監察官、それにドリーマー、ザシューバという単語がトドメとなったようだ。急を告げるためか、幾人か、店を飛び出してゆく。

「これは――ゆゆしい事態ですじゃ」

 ゾーシュライがうなった。

 

「ふたつぶの宝石が生まれたのは、いまから十七年前のことでしてな」

 ゾーシュライが説明を始めた。

 酒場では混乱して話にならないため、おれたちのために主人が用意してくれた部屋にシータを寝かせ、おれとキースは族長の家に移動していた。猫耳ようじょは留守番だ。シータから目を離すな、と命じてある。どうせ連れて行っても役にたたないしな。

 族長の家――といってもほかの村人の家とそう変わるものではなかった。だが、部屋には魔法書や霊的な紋章の入った呪具などが数多くあった。なんでも、かつては魔法を本格的に学んでいたこともあったらしい。

 ゾーシュライはキースと魔法に関する雑談をしては、何度もううむ、ううむと唸っていた。キースは魔法そのものは使えないが、いわば魔道士ギルドの役人だから、知識はある。

そして、感にたえぬ面持ちで言ったものだ。「ふたつぶの宝石のひとつ、エメランディアを仲間にしたことといい、至高の芸術品としかいいようのないホムンクルスを同行させていることといい、あなたさまは恐るべき人物だのう」と。

 キースにな。

「それはともかく、事情をお聞かせ願いたい」

 キースのやつめ、ゾーシュライの賛辞をさらりと流して、話を促した。くっそう、おれが割って入る隙がねーじゃねーか。

 んで、さっきのせりふにもどるわけだ。

「ふたつぶの宝石というのは、双子の女の子のことでな。先に生まれたほうがエメランディア、ついで生まれたほうはディアマンテと名付けられたのじゃ」

 エメランディアがエミィ、そして、ディアマンテがディー、か。

「この二人は、赤ん坊のときからずば抜けた才能を持っておった。ご覧のとおり、このアルセアには魔導の力を生まれつき持っている者が多い。そのなかでも、二人は別格だった。ために、ふたつぶの宝石と貴ばれ、この土地出身の魔導博士のもとで最高の教育を授けられることになったのじゃ」

 魔導博士――?

「その博士の名は、ザシューバ――そうですね?」

 考え深げにキースが言う。あ、こら、おれもわかってたぞ。言おうとしてたんだからな!

 ゾーシュライの顔にさらなる感嘆の色がうかぶ。そんなもん、誰だってわかるだろーが。

「ご明察……たしかにその魔導博士はザシューバ。当時、ベルカーンツから戻って来たばかりの若い、気鋭の学者でしたのじゃ」

 たしか、いまザシューバは四〇代後半だから、当時は三〇そこそこか。たしかにその年齢で博士号を持っているのはなかなかのものだ。

「双子は、まだ物心つく前に両親を失いましたのでな、ザシューバが事実上の養い親でしたのじゃ」

 むー。そういや、エメロンのやつ、家族について話したことなかったな。まあ、それはおれも同じだから気にとめていなかったんだが。

「ザシューバのもとで二人は習練を積み、才能を伸ばしていきました。わけてもディアマンテはアルセア始まって以来の天才と賞され、末は魔導博士どころか、ウィザードの器とさえ目されていましたのじゃ。三年前の、あの事故さえなければ……」

 事故か。おれは眼をとじた。まったく、今回はブルーで困るぜ。

「その事故とは……」

 キースが神妙な面持ちで促す。

「それについては、再現フィルムでご覧ください」

 ゾーシュライは手にしたリモコンを操作した。モニターが青白く光り、映像が流れ出す。

 おい! なんだそれ! ぶち壊しだ!

つづく!