ジャリン戦記 第四話 ダンジョン・シーカー(第二回)
ケガの功名っつーか、たんなるドジ子さんっつーか、ともかくも、エミィの活躍で、その寺院の地下にダンジョンが広がっていることが判明した。神人時代の古いもので、しかも、盗掘者の手にも今までかからずにきた、希少なものだ。
自分でも忘れていて恐縮なのだが、じつはおれたちの職業は冒険者だったりする。
その目の前に、魅力的な冒険の対象が現れたわけである。これは見逃す手はない。
「マスター、わたしは探索すべきではないと思います」
が、シータが反対した。
「もう夜ですし、みなさん食事もされておらず、体力も落ちているはずです。しかも、このダンジョンについて、われわれには一切の予備知識がありません」
「とはいえ、ここで夜明かししたって、おれたちが金なしなのはかわらねえ。ダンジョンをひとまわりすりゃ、なにがしかの戦利品は手に入るだろう? うまくすりゃ、神人のお宝でも引き当てられるかもしれねえぜ」
「しかし……」
なおも反論を試みようとしたシータだが、
「わーい、ダンジョンにゃ! ぼーけんにゃ、血がさわぐのにゃ!」
と、はしゃぐ猫や、
「ち、ちょっとドキドキするですぅ」
と、ときめいているエミィを見て、あきらめてしまったようだ。今回に限ってはキースでさえも、突如出現した地下迷宮に対し、なみなみならぬ興味を抱いたようだ。ふふん、キースのやつも冒険者のはしくれだってことか。
「べつに、ここで留守番しててもいーんだぜ?」
おれは意地悪く、シータに言った。シータの表情が一瞬くもったが、すぐにいつもの無表情にもどる。
「お供します、マスター」
勝った。
おれたちは暗闇のなかに足を踏み入れた。
階段を慎重に降りていく。足元を照らすのは、エミィの浮かべる魔法の明かりだ。
どうやら、かつて、このあたりは神人たちの地下都市だったらしい。神人の時代と人類の時代は完全には隔絶していない。混交の時代があったのだ。その時代には、神人は辺境に隠れ住んでいたという。この場所も、きっと、その頃の名残なのだろう。
人間の技術では複製さえできないだろう精緻な壁画や文様。この壁を引っ剥がして売れば、すごい値がつくだろーな。もっとも、そんな道具もないし、運ぶ手段もないが。
だが、もぐってみてわかったのは、この地下迷宮が神人の時代からまったく手付かずだったわけでもなかったことだ。ちっ。
神人の遺跡といえば、本場はボイナータ密林だ。ボイナータ密林がどうして本場かというと、神人のつくった仕掛けや彼らの残した宝物などがまだ残っているからだ。
いっぽう、このダンジョンについていえば、後の世に、おそらく人間によって再利用され、手を加えられた跡が残っている。
そればかりではない。どうやら、地下のどこかで外とつながっている部分があるらしく、モンスターがすみついている気配もある。土の酸っぱい匂いが鼻をつくのは、ここに生態系が形成されている証拠だ。土の有機物を分解する、目に見えない生物が活動しているのである。
しかし、なんだな。
この話も始まってからずいぶん経つが、初めてじゃねえか、こんなファンタジーっぽい展開とゆーのは。
前衛はおれとキースだ。本来は部外者のキースはお呼びじゃないのだが、まあ、ヴュルガーとかいう魔法剣のおかげとはいえ剣の腕はまあまあだし、せいぜい働いてもらうことにしよう。
おれたちの後ろに、エミィとシータが立つ。魔法を使える二人は後衛だ。もっとも、当初の勢いはどこへやら、おっかなびっくりのエミィはシータに抱きつくようにしており、いざというときに役に立ちそうにない。
アシャンティは遊撃のポジションだ。というか、「ここにいろ」と命じても、言うことを聞くタマではない。あちこち駆けずり回っては、勝手に遊んでいる。まあ、こいつはアサッシンとしての訓練をうけているし、盗賊のスキルもあるから、それなりに役立ちそうだ。
剣士に盗賊に魔法使いに僧侶――シータは僧侶とゆーのとはちょっと違うが、支援系の魔法が使えるという点で僧侶っぽいといえるだろう――こうやってみると、なかなかバランスの取れたパーティなような気もしなくもない。
まあ、キースがジャマだがな。剣士は天才でハンサムでアッチの方も物凄いおれがいるからな。まあ、いいとこ、おれの下僕というか、露払いの役目というところか。さあ、キリキリ働け。
おれは優男を使役すべく、その姿を横目で捉えようとしたが、いない。
「シータさん、ここには段差があります。気をつけて」
振りかえってみると、キースのやつめ、シータに手を差し伸べていたりする。
「ここは足元がよくない。わたしが手をひいてあげましょう」
「前衛はよろしいのですか?」
キースに手を取らせながら、シータが質問する。
「ああ、哨戒任務は従者のつとめです。それくらいはいかにウニ頭が粗忽とて、さすがにこなせましょう」
なんだと、きさまぁっ!
――と、おれがキースを怒鳴りつけようと思ったときだ。
「ジャリン、あぶないにゃ! 前、まえ、にゃっ!」
かん高い子猫の声が壁のほうから聞こえた。そちらに目をやると、アシャンティが壁にはりつくようにして、髪の毛やうなじの産毛を逆立ている。
その視線を追う――と!
ごおおおおおおんんん
鐘かよ、と思ったのもつかの間、突風が押し寄せてきた。すごい圧力の邪気だ。
短い毛のびっしり生えた真っ黒い壁、としか表現できないものがこちらに殺到している。ほとんど通路いっぱいをしめるサイズだ。
掃除屋、と呼ばれる浅い階層によく出るモンスターである。大きな身体をつかって、ダンジョン内を動き回り、迷い込んできた小動物などをその柔突起で搦め捕って体液を吸いあげるのだ。一説によれば、神人が廊下の掃除用につくった人工生命だともいわれているが、いまではすっかり野生化して、ダンジョン序盤のおなじみの敵になっている。
なにしろガタイがでかいので、その接近は容易に察知できる。準備さえできていれば、掃除屋はちっとも怖い相手ではない。なにしろ、身体の前面に密生している柔突起そのものが弱点なのだ。捕食のための器官、すなわち内臓を剥き出しにしているようなもんだからだ。
だが、ひとたび接近を許せばやっかいだ。なにしろ、かわしようのないサイズでせまってくる。
まいったな。もう剣を抜く暇さえねえ。
その瞬間、白銀が光の残像を残して閃いた。
「ちぇええいッ!」
裂帛の気合とともに、騎士が走り抜ける。まるで、影絵芝居の殺陣のようなあっけなさで。
掃除屋の巨体がふたつに分かれて、左右に崩折れた。
柔突起がうにうにしている。屠られた無念さを訴えているかのようだ。
ヴュルガーを構えたまま、おれに厳しい視線を向けたのはキースリング・クラウゼヴィッツである。
「この無能が! 物見の役にも立たないのか! それでサムライを自称するなど千年早い!」
言いつつ、さらに怒りがつのってきたのか、語気が激しさを増す。
「それでシータどのを守っていけるつもりか! 老師の最高傑作を……」
そこまで口にして、キースは突然だまった。激情のあまり、つい口がすべったという感じだ。
老師……? 最高傑作……?
そういえば、この自称騎士、だれに剣を捧げて騎士に叙任されたのか、よくわからないままだったりする。
だが、おれには、その疑念を確かめる暇などなかった。
仲間の体液の匂いにひかれてか、わらわらと湧いて出てきた大小の掃除屋どもへの応対に忙殺されることになったからだ。
掃除屋を片付けつつ、おれたちはさらに奥に進んだ。キースは黙りこくり、ただ剣を振るうばかりだ。だが、シータに常に気を配っていることはわかる。やつはシータを守っているつもりなのだ。
それにしてもヴュルガーなる剣はすごい。まるでそれ自身に意志があるように動く。切れ味が鋭いばかりではなく、力を刀身にまとっているらしく、ザコ敵などは、刃に触れる前に崩壊してしまう。
おかげで、おれは手ぶらでその後をついて行くだけでよくなってしまった。ある意味、当初のもくろみ通りなのだが、なんかひっかかる。
シータもエミィも支援魔法をかけるのはキースに対してのみだし、アシャンティが連繋するのもキースとだ。おれの立ち位置がないっつーか なんか、おれがお客様みたいじゃねえか。
とはいえ、労働はあんまり好きくないので、とりあえずその立場に甘んじることにしよう。
それにしても、しけたダンジョンで、出てくる敵は三下ばかり。宝石も金も持っていない。肉も皮も売り物になりそうもない。むろん、食うには匂いもみてくれもひどすぎる。
ようやく三層目あたりから雰囲気がかわりはじめた。
空気に含まれる魔導粒子――学派によっては、マナとよんだり、エーテルと呼称したりする、魔法の力の媒質だ――の濃度が濃くなった。
「これはぁ――この空間には、魔道士の手が入ってますですぅ」
メガネの位置を指で直しながら、エミィがうんちくをたれはじめた。
「たとえば、この壁とかぁ……目立たないように護符が貼りこまれてますう。一種の魔道増幅器のようなぁ」
「遠隔操作でトラップを動作させたりするのに使う技法ですね」
シータが補足する。エミィとちがって、シータは体系的な魔道を学んでいるわけではないが、ホムンクルスの脳にはあらかじめ専門的な知識が焼き込まれているのだ。その記憶や技術は、ホムンクルスの成長とともに、少しずつ解凍されていくらしい。そういや、最初に逢ったときからは、けっこう性格もかわってるっぽいし。
シータの指摘にエミィがうんうんとうなずく。
「そ、そ。そうですぅ。このあたりの護符の効力はもうほとんどなくなってますけどぉ……でも、この場所にわりと最近、魔道士が住むかなにかしていたのは確かですう」
「魔道士の……隠れ家?」
なんか引っ掛かるな。
魔道士っつてもいろいろいるが――市井の占師に毛が生えたようなへっぽこから、一国の軍師クラスまで――彼らの共通項はなにかというと、魔道士ギルドに登録し、その居場所を定期的に本部に報告していることだ。
魔導の力は、常人からすれば、やはり脅威だ。それが畏怖や尊敬の形をとればよいが、往々にして迫害や排斥につながることがある。魔導士たちがギルドを作り、たがいの居場所を把握しあうことは、いわば安全装置なのだ。
こんな辺境の、さびれたダンジョンに隠れ住むということは――
「ということは、これからは、魔道士による攻撃がありうる、ということですね」
キースが考え考え、言う。
「シータさん、エミィさん、アシャンティも、わたしのそばから離れないでください。わたしの鎧はヴュルガーと連動して、魔法攻撃に対しても一定以上の防御力があります。まちがってもウニ頭に近づいてはなりません」
おいっ! 失礼だなっ!
「わかりました」
「了解ですぅ」
「にゃ」
わかるな! 了解もするんじゃねえ! にゃ、も禁止だ! リーダーはおれだぞ!
「キース! おれとおまえはフォワードだ! それを忘れるんじゃねえ! それとアシャンティ、おまえは常に動いて、付近の気配をさぐれ! 魔法を使うときにはかならず前触れがある。それをみつけるんだ! シータ、おまえはおれの肩もみだ! かわりに乳をもんでやる! エメロン、おまえは尻文字で『ジャリンさま、かっこいい』と百回書け! ミスったら、あとでアナルフィストの特訓だ!」
おれは矢継ぎ早に指示をだした。流れるような的確なジャッジメントの数々だが、残念なことにメンバーには伝わらなかったようだ。みんな、おれを無視して、先に進んでいる。おい、おいて行くな。せめて、突っ込んでくれ……!
なんとか先頭のキースに追いついた。キースのやつ、抜き身のヴュルガーをぶらさげている。あぶないなあ。まあ、さっきから戦闘の連続で鞘に収める間もなかったのは事実だが。
「おい、ジャリン」
キースが珍しくおれを名前で呼んだ。まっすぐ前を見つめた状態で、なにかしら思い詰めた様子がある。なんだっちゅーの。
「シータ殿のことだが」
いちおう、後ろにいるシータの耳に届かないようにという配慮だろうか、声を低くしている。
それにしてもこいつ、シータ本人に呼びかける時は「さん」づけなのに、なぜか改まると「どの」づけになるな。どういう基準で使い分けているんだか。
「きさま、シータ殿と別れろ――いや、別れてくれ、たのむ」
「はああ!?」
世にも不思議な要請だ。ありえない。
おれは、キースの横顔をのぞき込んだ。どうやら寝言ではないらしい。これ以上ないほど、張りつめた表情をしている。
あまりに不条理な暴言を吐かれると、かえって腹もたたないもんだ。
「おまえ、シータに死ねっていってるんだぜ? いわば、コアラにユーカリの樹と縁を切れって言ってるようなもんだ」
「おまえは時々よくわからないたとえを持ち出すが――言っている意味はわかる」
にこりともせず、キースが応じた。めずらしいな、おれの軽口に反応しないとは。それだけマジってことか。
「わたしとて白き血の誓いの意味は知っている。なんというか、ありうべからざる不幸というか、おぞましい悪夢といおうか、この世の辛酸の極みと評すべきか、はたまた地獄の責め苦に例えるべきか、もはや筆舌尽くしがたいが、シータどのがおまえと契約を結んでいることは潔く認めよう」
ぜんぜん潔くねえ。
「だが、これ以上、ヴェスパーホムンクルスの精華ともいうべきマスタースピーシーズを、貴様のような不良冒険者のもとに置くわけにはいかん。それは、輝かしい魔道科学に対する冒涜だ」
「マスタースピーシーズ? なんだそれは」
「そんなことも知らないのだ、この能無しは!」
キースが天井を仰いで嘆息した。それから、おれをキッと睨みつける。
「よいか、無知蒙昧な無礼者、さらに変態性欲をもてあます猟奇犯罪者、ええとそれから」
「いいから、はやく続きを言え」
「マスタースピーシーズとは、ヴェスパー博士が手ずからお造りになった最後の十体のホムンクルスのことだ。シリアルナンバーにして、40から49までの」
へえ、そりゃ知らなかった。まあ、最近のヴェスパーホムンクルスの製作には、ほとんど博士自身はかかわっておらず、弟子たちが過去の遺伝設計図を流用してでっちあげているというのは聞いたことがある。それでも、ヴェスパーホムンクルスのブランド力は健在で、もう何十体分も予約が入っているといううわさだ。顧客たちはいずれも、諸国の王侯貴族や大商人といった金持ち連中である。
「つーことはヴィンテージものってわけか。得したのかな、おれ。だけど、転売できねーしなあ……って、ちょっと待て」
おれはふと気づいた。たしかにシータのシリアルナンバーは49だが、どこでそれを知ったのだ、こいつは。おれは言ったおぼえがないし、シータにしても、訊かれてホイホイ答えるようなことではない。まして、偶然見るなんてことはありえない。なぜなら、シリアルナンバーは、脚のあいだの微妙な場所にあるからだ――っつーか、はっきり言えば小陰唇に記載されている。余談だが、「ちぃ〜」とか鳴くタイプの人造人間(ホムンクルスではなく、機械式)も、やっぱりシリアルはそのへんにあるらしい。
人造人間を――しかも女の子の形をしたやつ――なんつーのを造るやつらの考えることはだいたい共通しているってことだろう。
それはともかく、なんで、こいつがシータのシリアルナンバーを知っている?
まさか……
「き、きさま、シータを襲ったな!?」
「なぜそうなるんだ!」
「いや、そうに決まってる。なんてひどいやつなんだ! いやがるシータをおさえつけ、むりやり膝をひらかせて……ああ、ひとでなし! 少女の敵! 鬼、悪魔、ロリコン、節操なし!」
罵倒しつつ、自分の心も痛くなってしまうのはなぜなんだろうな。
だが、キースにとっても、この「口撃」は痛手だったようだ。顔色がかわる。
「ぶ、無礼な! わたしは無理強いなど! 見せてくださいとお願いしただけだ!」
「よけい悪いわ、どあほう!」
おれの頭が灼熱する。たしかにキースは美形かもしれん。それにしても、ひとには――ホムンクルスにも――やっていいことと悪いことがある。
おれはシータを振り返った。
「シータ、ちょっと、ここに正座しなさい」
「はあ」
けげんそうな顔でシータはダンジョンの床に座った。
エミィとアシャンティは、なにごとがはじまったのかと目を丸くしている。
「シータ、おれはおまえを見損なったぞ」
「そうですか」
おれの叱責に、シータはあっさりと応じた。くうう、ベッドのなかでは恐ろしいほどの甘えん坊さんのくせに、このすかしたツラはいったいなんなんだ。さらに怒りがつのってくる。
「キースにシリアルを見せたというのはほんとうか!?」
「見せた、という自覚はありませんが、キースさまが見た、とおっしゃるなら、そうなのでしょう」
しれっとした顔で答える。
「ど、どういうことだ!? あ、あんなところを、偶然見られたりするはずがあるかよ!」
「それはそうかもしれませんが、いっしょに入浴した場合にはそういうこともありえるかと」
ぬ、ぬわんだとお!? い、いっしょに風呂だとお?
「い、いつだ!? いつ、そんなこと!」
「さあ……何度か浴場でごいっしょしてますので回数は覚えていませんが」
シータが長い首をわずかに傾げさせた。まったく悪びれた様子がない。
それにしても、いつの間に……
たしかにここのところは、個室に浴室がついているようなまともな宿に泊まる余裕はなかったので、風呂があったとしても共同浴場だった。おれ的にはむろん、女風呂での入浴を希望するのだが、いつもかならずシータに却下されるので、ひとりさびしく男風呂にはいっていたのだ……って、そういや、風呂場でキースを見かけたことがなかったな……なんてことだ、キースのやつめ、おれの目を盗んで堂々と(なんか矛盾した表現だが)、おれの女たちと混浴を楽しんでいたのか……!!
これは、もう、明確な殺意が芽生えて、一気に生長して、花を咲かせて、果実までたわわに実ってしまった感じだ。
「ぶっとばす」
おれはキースをねめつけた。一瞬動揺したように見えたキースだが、すぐに表情を引き締める。口元にはかすかに笑みさえある。やせ我慢でないとしたら、こいつ、けっこう自信があるのだろう。
「それはわたしの望むところだ。きさまを倒して、女性がたを解放する」
「できるもんならやってみろ! その気取った二枚目づらをひんむいて、裏返しにして、パンツにしてはいてやる! ウンチも漏らしてやるからな!」
「それはやめろ」
顔をしかめつつ、キースは抜き身のヴュルガーをゆっくりと正眼にかまえた。おれは鶴翼拳の構えだ。いや、べつに意味はないが、なんとなく。
「マスター、まさかとは思うのですが、ある点に関して誤解をされているのでは」
シータが正座していた膝をすこし崩しながら言った。ホムンクルスでも、しびれを切らせたりするんだろうか。
「なにが誤解だ、このふしだら女め。どこの世界に主人に隠れて男遊びするホムンクルスがいるか! おれの精液なしには生きて行けないくせに……」
わずかにシータの眉がひそめられた。
「申し上げておきますが、マスター。白き血の誓いはたしかにわたしたちホムンクルスにとって、破れえぬ禁忌ですが……それはマスターとなった相手への盲従を意味するわけではありませんよ」
いつもと同様、あっさりした口調だが、心なしか口調が強い。もしかしたら、怒ってる?
「――わたしたちには、自ら死をえらぶ自由もあるのです」
あ、怒ってる。
「みろ、シータが怒ったじゃねえか! おまえのせいだぞ!」
とりあえず、キースに責任を転嫁してみる。
「きさま……ヴェスパー老師の最高傑作に向かって、言いたい放題、やりたい放題しおって……もはやゆるせんッ!」
こっちもなんか切れてるし、くそう。もともとおれが怒ってたんじゃねえのかよ。
「あのう、ジャリンさん、キースさん、お取り込みちゅう、アレなんですけどお」
おずおずとエミィが口をはさむ。
「だまれ、エメロン。さがってないとケガするぞ」
おれは一喝した。つか、キースの放つ殺気のボルテージがあがっている。気をそらせば、その瞬間に襲ってくるだろう。そのとき、おれはどうふるまうべきか考えている。
刀を抜く――としても、おれの得物は、あのマモンだ。痛いのをいやがる性格だから、ヴュルガーとの一合を拒むかもしれない。よしんば剣のままでいてくれたとしても、あとで法外なお返しを要求されるだろう。この前はシルヴァイラというさばけたおねーさんがいたからよかったが、エミィにしろアシャンティにしろ、マモンの相手は酷だろう。耐え切れる可能性があるとすれば、シータだが……む〜ん。
「ジャリンさぁん……それがですねえ……」
エミィが泣きそうな声で言い募る。ええい、うるさいな、気が散るだろうが。
ふと思う。こいつはおれがたとえば死んだら泣いてくれるんだろうか。
たぶんな。こいつは泣き虫だからな。ちょっとアヌス拡張ごっこしただけで、すぐピーピー泣きやがるし。
アシャンティはネコだし、ガキだし、すぐにおれのことを忘れるだろう。ネコは三年調教しても三日で浮気するっていうからな。
シータは――どうなんだろう。おれには、この人造の少女のことがよくわからない。全身くまなく知り尽くしているのに、たったひとつのことがわからない。
それは――
「滅べ、悪党!」
我をわすれたキースが踏み込んでくる。
おれは視界のはしでシータの動きをみていた。
最後の一瞬に、シータがどっちにつくか。シータの防御系の支援魔法はなかなかに強力だ。その庇護下にあるほうが生き延びる。
シータの命はおれとともにある。正確には、シータの自我を維持するためには、定期的におれの精液を身体に取り込まなければならない。精液からの単性生殖から生まれたホムンクルスの、それが運命だ。
だから、デフォルトでおれに味方するはずだ。そうでないとすれば――
「天誅ッ!」
魔力をまとったヴュルガーの刀身がせまる。まずいな。考え事をしていたら、よけるタイミングを逃しちまった。なにも、シータを試すためじゃないぞ。ほんとだぞ。
シータの右腕が動きかけて、止まった。おれを見ている。魔法はかけない。
そういうことか。
おれは間に合わないと知りつつ、マモンを引き抜く。よくて相打ち、たぶん、斬られる。
それはそれで。
エミィの悲鳴がほとばしる。
「あぶないですぅ、ジャリンさぁん、キースさぁん」
そりゃ、斬りあってるからな――と思った瞬間、足元の床が消えた。
おれは宙に浮いていた。
エミィがつんのめりながら叫んでいる。
「だからあ! 落とし穴の罠が作動してるんですってばあ」
もっと、早くいえ!
という罵声を吐いてる余裕もないままに、落下を始める。
おれはシータを見た。その表情の奥に隠されたものを、確かめたかった。
――だめだな。やっぱり、わからねえ。