ジャリン戦記 第三話 仔猫モノ騙り(第七回)
ああ、ついに。
ついに抜いちまったねえ。
てゆうか、「抜けちまった」んだけど。
マモンがそこに立っていた――正確には床からわずかに浮いているのだが――背中の黒い翼をパタパタ動かしながら。
見た目は十歳かそこらの女の子だ。しかし、その顔に浮かんでいるのは、実に皮肉っぽい、陰険な笑みである。
黒ずくめ。マモンが身につけているのは、黒マントに、先がふたつに割れた大きな帽子、そして爪先の尖った黒いブーツ――それだけだ。つまり、胴体は素っ裸である。
手にはめちゃくちゃ長い煙管を持っていて、それを使ってシルヴァイラの爪をおれの首筋――延髄のあたり――から遮っていた。
黒精霊である。その中でも魔神とも呼ばれたりもする、魔界の貴族階級だ。こやつが、おれの刀にとり憑いている「呪い」の正体なのだ。
「いいところに出てきやがって」
おれはマモンを睨んだ。こいつは魔法解除には重宝するが、ふだんは極力出てきてもらいたくない。理由はすぐにわかるだろうが。
「へへん、ボクが出てこなかったら、ジャリン、いまごろ血ィ吹いてるんじゃんよ。にしても、猫系の獣人女かあ〜。ちょいトウがたってるけど、いい女だね〜、うふふ〜」
マモンは煙管をすちゃっと回転させ、吸い口をくわえると、嬉しそうに目を細める。
シルヴァイラといえば、突然のマモンの登場に気を抜かれたようだ。
「な……なんなんだい、あんたら、いったい? ゾルドの手先であたしを殺しに来たんじゃないのかい?」
「ゾルドってやつが、こーゆー魔神系と知り合いだってんなら、そーとーの大物なんだろーな」
おれはシルヴァイラからティムティムを抜きながら――さすがに続きをする気にはなれない――言った。
「ゾルドはそんな大物じゃない。それに、あいつのバックはマジ――」
動揺のためか、シルヴァイラが口をすべらせる。まあ、わかってはいたがな。
「マジックギルドの命令で暗殺者を使っていたってわけか。なるほどな。獣人を使って、マジックギルドに反抗する人間をやれば、その矛先は《深き森》の獣人に向かうって寸法だ。おまけに、治安維持の名目で、ギルドの権限はさらに強まる。魔法薬の原料の宝庫である《深き森》の側にあるこの町を巧みに支配できるってわけだ」
女の目が見開かれた。それから、ややあって、あきらめたようにため息をついた。
「――ゾルドの裏の仕事はたいていマジックギルドがらみだよ。ギルドがこのあたりで勢力を保っているのも、あたしみたいな獣人を使って、人間と獣人の力関係を裏からいじくっているからさ。自分の手は汚さないでね」
バイラルは魔法薬原料の一大集積地だ。しかも、人間と獣人が混淆する、政治的には微妙な場所だ。マジックギルドにとっては、人間と獣人の間に適度にいざこざが起こる方が、なにかと都合がいいのだろう。
「しかし、マジックギルドはなんでおれを襲わせたんだ? それも、あんたじゃなく、あんなガキに……」
「あたしはあいつらのカラクリを知りつくしちまっているからね。使いづらくなったんだろうさ」
シルヴァイラが言った。
「だから、アシャンティをあたしの後釜にしようとしたんだろ……ゾルドのやつ! 約束を破りやがって」
「おまえは娘に跡を継がせるつもりがないのか?」
おれの質問に、シルヴァイラは激しく反応した。
「冗談じゃない! 身体を売って、同時に人を殺めるなんて稼業、どうしてあの子にやらせたいもんか!」
「ほほう……」
おれはシルヴァイラを改めて眺めた。さっきまでの妖艶かつ酷薄な暗殺者の表情は微塵もない。
「ゾルドのやつにジェイルの魔法で自由を奪われ、かつ、娘を人質にとられている――ってわけか」
「そうさ」
「じゃあ、おれがゾルドをやっつけてやる。その魔法も解いてやる」
「ほんとうかい?」
信じられないものを見るようにシルヴァイラはおれを見つめた。
「おれは、いい女には嘘をつかない」
「うそつき〜」とはマモンだ。だまれ、クソ魔神。
「助けるかわりに、情報がほしい」
おれが狙われた理由がわからない。マジックギルドの賞金首になった自覚はない。いずれにせよ、まともな理由があれば、密かに暗殺者を雇ったりはしないだろう。
ふっと脳裏にうかんだのはキースの野郎の顔だ。たしか、マジックギルドの紹介状を持っていたとかなんとか……。
「この街のマジックギルドで、ゾルドとつるんでいるのはなんてやつだ? だれから指示がある?」
おれはシルヴァイラに訊ねた。まずはそのへんからたどるしかない。
「――あたしは直接会ったことはない。いつも念話を使うのさ」
念話というのは、魔法で声を遠くまで飛ばす魔法機械の技術のことだ。マジックギルドにはそのためのブースがあるし、高位の術者なら機械的な増幅なしで世界中に声を飛ばすことができる。もっとも、受け取る側にもそれなりの訓練がいる。その受信ができたというからには、この獣人女が優秀なアサッシンであることはまちがいない。
「名前は、ディーと名乗ってた。女の声だよ。たまにしか現れないんだ」
おれはその名前を記憶に刻みつけた。初めて得る《敵》の手がかりだ。しかし、女とは――。女の恨みを買った記憶は――ないな。コマした女はみんなおれに夢中になってたし。へんだなあ。
「娘とはちがって協力的だな」
「そんな魔神を見せられたら、あんたがゾルドの手先じゃないことはわかるよ。だとしたら、あんたがゾルドに狙われたって話は信用できる。だからさ」
「ほう?」
シルヴァイラが真顔になる。
「――ターゲットのあんたが無事だとわかれば、アシャンティはゾルドのやつに折檻を受ける。あいつは生来のサディストだからね」
「ゾルドの居場所はどこだ?」
「地下。賭場のさらにその下だよ。そこに獣人女を客にいたぶらせる折檻部屋がある。知らないやつには絶対にわからない。でも、あたしは知ってる。そこへの行きかたもね」
女は要領よく道順を教えてくれた。へへえ、そんなに凝った造りになっているとはな。
「わかった。ちょっくら行ってくるぜ」
おれは立ちあがった。
マモンの方を振りかえった。
「こら、とっとと鞘に戻らねえか」
「やだー! ひっさしぶりのシャバなのにぃ! まして、こんな奇麗なネコちゃんを目の前にして、引っ込むのはやだやだやだ!」
ぷるんぷるん頭を振って、マモンはごねる。
「だいたい、ジャリンってば魔法のかかった鍵開けだとかそんな面倒な仕事ばっかこっちに振ってさ、あのホムンクルスの子とか、めがねっ子なんかも、ぜーんぶ独り占めじゃんか! ボク、もうガマンできないよおおおおおっ」
ジタバタジタバタ駄々をこねる。しょうがねえなあ。
おれは、シルヴァイラに向き直った。
「悪いけどさ、こいつの相手をしてやってくれねーか? なーに、ほんの三十回くらいイクくらいですむしよ。ジェイルの魔法の解除もやってくれるからさ」
「え? あの、え?」
シルヴァイラはあっけにとられている。おれは心の中で手を合わせ――すげーめずらしいことだが――本気で申し訳なく思いながら、きびすを返した。
実にうれしげにマモンが吠えた。
「いー、くー、よぉぉぉぉぉぉほほほぉぉぉぉぉん」
その後の阿鼻叫喚のさまを見るのにしのびなく、おれはシルヴァイラの部屋を去った。