ジャリン戦記 第三話 仔猫モノ騙り(第五回)
通りをうろついて時間を潰し、朝になるまでずいぶん待った。
おれは通りの端に腰をおろして、街が目覚めていく光景を見守った。
不思議なものだ。
まるで魔法のように周囲が明るくなり、人があらわれ、店のまわりを掃除し、開店の準備をはじめる。そうこうするうちに、近くの村か深き森からか、半獣人たちが姿を見せて露店の場所取りをしだす。
通行人が現れるころになるとすっかり陽はのぼっている。
おれはその変化をずっと見ていた。
おもしろいものだと思った。こうして人は生活しているのだ。たぶん明日も同じように陽がのぼり、人は動き、店はひらくのだろう。同じことの繰り返しだ。旅暮らしを続けてきたおれからすれば、未知のリズムだ。
おれがそういう生活をすることはたぶん――いや絶対にない。
仲間だってそうだ。旅の仲間――それも一時のものにすぎない。家族ではない。
そんなことはわかっていたはずだ。だからおれはジャリン――邪なる車輪、地獄行きの馬車なのだ。
おれに関わったものは全員魔王に魅入られる。取り憑かれる。だから、早めに離れたほうがいいのだ。
ほんのちょっとだけ、旅をはじめたころのことを思い出しかけた。思い出したくもない故郷のことだとか――
そのときだ。通りの隅っこに見知った人影が映った。
ゾルドだ。昨日、アシャンティにアヤをつけていたおっさんだ。どうやら部下か仲間に叩き起こしてもらったらしい。自分の足で歩いている。
もういいじゃないか――そういう声が内部から聞こえた。このまま街を出ちまえばいい。ドリーマーの一件にしたって、ほっておけばいい。また、新しい騒動のネタをしこめばいいだけだ。女だって欲しくなればいくらでも手に入るじゃないか――
だが、おれは立ちあがっていた。つくづく損な性格だな。
ゾルドのあとをつける。といっても、おれは背が高いし目立つ。かっこいいからな。だから、あまり接近はできない。ゾルドが角を曲がるまではじっとしていなければならない。いくらおれの眼がよくても、これでは見失わないようにするのがやっとだ。
ゾルドめ、おれの尾行を知ってか知らずか、細い路地ばかり通りやがる。
まかれず、見つからず、絶妙な距離を保ちながらおれはその行き先をさぐった。
と。
繁華街に入った。猥雑な通りだ。夜になったら人獣とりまぜて娼婦が立ち並ぶような。どうやらゾルドはこのへんの顔らしい。通りのあちこちにたむろっている男たちのあいさつを受けている。
ゾルドは一軒の酒場に足を踏み入れた。おれたちが宿泊している旅館兼酒場とはまったくちがうカテゴリィの店だ。宿泊施設もあるが、必ず女つき。ようするに娼館である。
店構えは立派だ。建て増しに建て増しを重ねたような奇々怪々な建物だが、周囲にはこれほどの店はない。
玄関で、ゾルドは店の者の丁重なあいさつをうけていた。いまの時間は営業時間外だ。どうやらそこはゾルドの店らしい。なるほど、昨日ほざいていたのはあながちウソっぱちでもなかったようだ。
なにかしら、店の男とひそひそ話をしている。
おれの耳はけっこーいいカンジに遠くの音が聞こえるのだが、さすがに離れすぎているし、声も低いのでなにを言っているのかわからん。が、ゾルドの表情がなにかしらに失望し、つぎに怒りの表情になり、さらにそこにわずかな嗜虐のひらめきがあったのをおれは見逃さなかった。
その一瞬ののち、扉がしまった。
おれは店の裏にまわった。せまくて汚い路地だ。あたりかまわず廃棄されたゴミと汚水が異臭をはなっている。まあ、いずこも同じだ。繁華街は、そのきらびやかさの代償を、こういったところで払っているわけだ。
おれはゾルドの店の裏口にまわった。
首を上にめぐらせる。
三階建て。一階はイベントステージつきの酒場、そしてちょっとした個室、上客用の特別室。二階と三階が女たちの部屋だ。二階は客をよく通す部屋があるだろう。訳ありの場所は三階にあるはずだ。あるいは地下か。
こういった酒場――娼館は、賭場も兼ねていることが多い。賭場はたいてい地下だ。ということは客の出入りも多いはずだ。だとすれば、やはり三階だな。
三階の窓は二階のそれよりもひとまわり小さい。採光が悪そうだ。しかも、ほとんどが閉められている。
視線を動かす。右端のほうに鎧戸さえ閉められている窓がある。おれは位置を記憶する。
裏口に近づく。
生意気に鍵がかかっているが、七秒であける。だれかさんの力を借りる必要もない。
入ったところは予想通り厨房だ。この時間ではまだ下ごしらえのための火も入っていない。まあ、ここが稼動しはじめるのは夕方くらいからだろう。
昨日の料理の残りらしきものが汚れた皿の上に放置されている。ひどい材料に適当な調理、まあ、ゴキブリやネズミにはお似合いの味だろう。もっとも、ここへ来る客は料理が目当てなのではないから、べつにかまやしない。これらの料理は、勘定書きの金額の桁をひとつあげるためだけに必要なのだ。
おれは厨房を出て、従業員用のせまい階段を見つけ出した。
きしきし音が鳴る。
二階をすぎるあたりで、寝ぼけまなこの若い女と行きあった。はしたないことに下着姿だ。
ハーフガゼル。しゅんとした後ろ肢をした女だが、残念なことに目が離れすぎだ。ドリームズ・カムなんとかの……やめとこ、いまのナシね。
「あらあ、あんた、だれ? お客じゃないわよねえ」
女はぼうっとしているらしい。昨夜の酒や薬の影響が残っているのだろう。
おれは左手で女の手をにぎった。
「あら」
女は笑った。
「なあに、あたしとヤリたいの? だったら、今晩、お金もってきて」
「逆だ」
おれは波動を女に送りこんだ。ガゼル女の表情が蕩けそうになる。
「あ……あ……なに、これ……手を握られているだけなのに、身体が熱くなってくる……」
細い肢がかくかく動きはじめる。
「だろ? ほうら、とっととベッドにもどて、オナってな。気がむいたら抱いてやるぜ」
おれはガゼル女の背中を押した。ふらついて、女は床にへたりこんだ。パンティから飛びだしたしっぽをぴくぴく動かす。
「ひぃ……いいん」
あんまり色っぽくない声を出しながら、女は失禁した。
おれは三階に向かった。ガゼル女はしばらく手淫に浸りきるだろうから、だれかにおれのことを知らせる気づかいはない。
三階は暗かった。なにしろほとんどの窓が閉めきられているからな。
それに、二階の廊下には敷きつめられていた絨毯もない。ここは客が入ってこないゾーンなのだ。
廊下には扉がならんでいる。四隅を鉄で補強した頑丈なやつだ。まるで牢獄のようだな。まあ、用途は近いのだろう。
ここに、女たちが収容されているのだ。
逃げる怖れがある新入りの女や、逆に、使いものにならなくなった女など――
おれは記憶しておいた窓の位置にあたる部屋の前に立った。鎧戸までが完全に閉ざされていた部屋だ。
扉の取っ手を調べる。厳重な施錠。しかも、外側からしか開けられない仕組みだ。さらには、かなり強力な禁固の呪文。
またこのシチュエーションかね。
おれは刀の柄に指をかけた。
「――ちょっくら、たのむぜ」
借りはあまり作りたくないが、しょうがない。この分だと、そろそろ請求がきそうだな。だれを犠牲にするか、思案せねばなるまいて。
*
*
扉をひらき、中にすべりこむと後ろ手にそっと閉める。音も気配も断っている。おれならではの動きだ。
中は薄暗い。鎧戸の隙間からわずかにさしこむ光だけが光源だ。
甘い香のかおり。麝香か。それにたぐいする匂い。
室内はあたたかい。獣の巣のようなよどんだ空気。なにものかの呼気を感じる。
おれの目は急速に闇に対応する。すぐに周囲はおぼろな光彩に包まれて輪郭をとりもどす。そこには重厚な調度があり、女ものらしい装飾があり、鏡台があった。浴室もついたそれなりの部屋だ。女の仕事場である。
と、部屋の片隅、寝乱れたベッドの上の一対の緑の光に気づいた。
「ども」
おれは片手をすいとあげた。
「女の部屋にしのびこんだ時のあいさつじゃないわね」
ハスキーな声が応じた。色っぽい声だ。若すぎないが、衰えてもいない。だが、脱力した空虚な響きがある。
「あんた、だれ?」
「旅のかっこいいお兄さんだ」
「ふうん」
ベッドにしどけなく横たわったままで、その女が鼻をならした。
背中から腰のあたりまで長い金髪が流れるにまかせている。ネグリジェの下の身体のラインは優美の一言だ。階下で会ったガゼル女とは比較にならない。
顔だちは明らかに猫系の獣人だ。つりあがったアーモンド型の目。小さめの鼻。口は大きめだが、唇は薄い。歯をむけば、きっと奇麗な牙が並んでいるだろう。
人間と同じパーツが揃っているのに、その印象はどうしようもなく肉食獣だ。
年齢は――外見からではわからない。猫系の獣人は――ほかの獣人もそうだが――顔に年齢があらわれないのだ。毛づやだとか歯だとか、そういったものから判断するしかない。極端なことをいえば、見た目は三十にもならない美形が老衰で死ぬ、なんてこともありうる。まあ、それはさすがに極端だが。
「お客さん? んなわけないわね。ゾルドがよこしたのかしら? それもちがうみたいね」
女は呑気そうに思いつきをいくつか口にした。
おれは勝手にソファに座った。
「おれは娼館経由でアサッシンを雇う趣味はないぜ」
ぴくり、女の片眉が動いた。
「ふうん?」
女がゆっくりと身体を起こす。薄物の下は裸だ。胸はそんなにないが、なめらかな肌にはびっしりと和毛が生えている。あれに顔をうずめたら気持ちいーだろーな。
「おっと」
おれは指をひらいて掌を前に出した。
「あんたの手口は知ってる。ゆうべ、ガキんちょに見せてもらったばかりだ」
女が身体の動きをとめた。
「――アシャンティを、知っているの?」
「ああ、たしか、そんな名前だったな」
おれは、ポケットからパンツを取り出した。ちょっと破れている。これが昨夜の「不愉快な記憶」の記念品だ。女にむかって投げつける。
「これは――」
布きれを手にとった女は獣人らしくひと嗅ぎする。とたんに女の毛が逆立った。怒りの波動がつたわる。こりゃあ、すごい殺気だ。タダモンじゃねえ。
女の身体が弾けた。物凄い跳躍。そして――