「色事くんのお父さんが?」
職員室で教材のプリントの原稿を作っていた静香は、事務課の職員に来客を告げられて、とまどった。
「ええ。中条先生に呼ばれたとおっしゃってましたよ?」
職員は慌ただしく歩きだしながら言う。
「個人面談室に呼び出されたということだったんで、場所を教えときましたから」
「そうですか……」
静香は首をかしげる。
色事好男について、父兄と現時点で話しあう必要はない。以前は学習態度に問題があったが、一学期末のテストは非常によい成績だったし、態度にうわついたところが少なくなり、ずいぶんと落ちついた雰囲気を持つようになってきた。
実際、ほかの教科の教師からも「中条先生は、いったいどんな魔法をつかって色事を変えたんです?」と真顔で質問されるくらいだ。
そんな状況だから、色事極太を呼び出さなければならない理由はないのに――と思いつつ、自分の手帳のスケジュール表を見ると、たしかに今日の日付のところに「色事極太氏・個人面談」と書きこまれている。静香自身の字で、しかも赤ペンで目立つようにだ。
「あれぇ……?」
訝しさに思わず声をあげ、静香は周囲を見回した。
風景が、ぐにゃり、歪んだような気がした。
どこからともなく波の音が聞こえてくる。
ねばつく風は、潮風だ。
「どうしたのかしら……。とにかく、いかなくちゃ……」
静香は立ち上がった。
個人面談室は六畳あるかないかという狭さだが、最近調度類が入れ替えられたばかりで、内装はけっこう豪華だ。中古ながらソファと肘掛け椅子が設置され、生徒と父兄がリラックスして教師と話せるように配慮されている。そのほか、25型のテレビとビデオデッキがあるのは、学校案内のビデオを見たりするためだ。
「ああ、静香先生」
部屋を覗くと、長身の色事極太が手持ちぶさたに立っていた。
「お待たせしました……あ、いまお茶いれてきますね」
「おほっ。楽しみですなあ、静香先生のいれてくださるお茶とは」
「おかけになっててくださいな」
あいかわらず調子のいい人だなあ、と思う。好男の言動のかなりの部分がこの父親の影響を受けたものであることは想像にかたくない。
ただ、魅力的な男性ではある。たんにハンサムだとか、スマートというのではない。女の扱いかたがうまいのだ。たくみに三枚目を演出しながら、心に食い入ってくる。
プライベートでお酒を飲みに行くには格好の相手だが、教師の立場上だと、二人きりになるのは避けたほうがいい人物だ。まあ、今回はしょうがないが。
静香は給湯室でお茶の準備をして面談室にもどった。極太はテレビのスイッチをいじっていた。映るかどうか確かめていたのだろう。
「それ、アンテナにはつながっていないんですよ。ビデオを映すためだけのものですから」
静香は言った。
「そうなんですか。どうりで」
極太は席にもどった。来客側がソファだ。
湯のみを手にとり、お茶をすする。
「うまいですな。玉露ですか」
「いえ……たぶん、ちがうと思います」
学校備えつけの安い茶葉だ。
「じゃあ、淹れた人が上手なんだ」
にこにこ笑いながら極太は言う。みえみえのお世辞だが、悪い気はしない。
「ところで――」
極太と静香は同時に話を切り出した。
「今日はいったいどんなお話を――」
完全にハモった。
「えっ? 先生からお呼びになったんでしょ?」
「それなんですが……記憶になくて……」
静香は返答にこまる。
「たしかに先生から電話をいただいたんですが……まあ、運転中でしたから、会話はしてませんが、留守電に、たしかに」
「電話、してませんよ」
でも、静香のメモの問題もある。あれは、自分で書きこんだとしか思えない。無意識のうちにメモをし、極太に電話をしたとでもいうのだろうか。夢遊病者でもあるまいに。
「はあ……うちのバカ息子がまたなにかしでかしたのかと思いました」
「好男くんは、最近すごくよくやってますわ。成績もあがってますし、クラスでも中心になってます」
以前も、『騒動に関してだけは』中心人物でしたけどね、と心のなかで付けくわえる。
「そうですか……。じゃあ、なんだろう。もしかして、静香先生……?」
極太の顔が近づいてくる。不潔にかんじられない程度の不精髭がセクシーといえばセクシーだ。
静香はどきっとして、背筋を伸ばした。担任している生徒の父兄とあまり親密になってはならない。それが独身(やもめ)の男性となればなおのことだ。
へんに誤解されるような言動はつつしまなければならない。
と。
『そうなんですの。色事さんとは一度、個人的にお会いしたかったんです』
静香の声がそう言った。静香自身ではない。はっとして振り返る。
テレビの画面が光っていた。映像が出ている。スイッチは入っていなかったはずだが――あるいは、極太がいじった時に偶然入ってしまっていたのか――いずれにせよ、その映像の説明にはならない。
映像は、静香だった。今と着ているのとまったく同じスーツで、アクセサリーも一緒だ。
こんな映像を撮られた記憶はない。
『この映像を見ていただきたくて……』
画面のなかの静香が言い、映像が切り替わった。
南の島の風景らしい。光量が多い。夏の陽射しだ。
青い海、白い砂浜――そして、海茶屋の――簡易シャワールーム。
静香がいた。水着姿だ――それは正確ではない。水着を身体に着けてはいるが、どこも隠していない。ただでさえ大胆カットの水着が紐状によじれ、バストも局部も剥き出しになっている。まるで――肉体の豊満さを強調するリボンのようだ。
男が静香にのしかかっている。腹の出た中年男だ。海水パンツがずれて、毛の生えた尻が露出している。
静香の局部がアップになる。結合部に男根が食い込むたびに白い粘液が噴き出している。精液だ。
男がうめく。尻が震えている。射精しているようだ。
その男が身体を離した。善良そうな男だ。ふだん、小学生の娘の手を引いて買い物に行っているような――
男は精液がまとわりついた男根を静香の顔に近づけた。静香は自分から顔を近づけて、男の男根を口にふくんだ。舌できれいに掃除している。
その間に、あいた静香の股間には次の男がまたがっている。どうやら列ができているようだ。これでは貸シャワー室ではなく、性欲処理便所だ。
「いやっ! なに、これっ!」
しばし凝固していた静香はテレビに駆けよって、スイッチを押した。映像に変化はない。電源スイッチもチャンネルボタンも無反応だ。
「どうなってるの!?」
静香はコンセントを引き抜いた。それでも、だめだ。むしろ、音が大きくなって、明瞭に静香の声がスピーカーから聞えてくる。
『んああああっ! いいっ! あああああ、もっと、もっとちょうだいぃぃ!』
「うそようそよ、こんなのうそよぉっ!」
自らの睦声にかぶせるように、静香は声を放った。
その瞬間も、画面のなかの静香は、その美しい顔に男の精液をかけられ、喜悦にふるえている。
静香は20キロは超えていそうな大型テレビにしがみついて床に落そうとした。もうパニック状態だ。
「あぶない!」
静香は背後から抱きかかえられた。極太だ。
「ガラスが割れるかもしれない。落ちついて、静香先生」
平静な声だった。静香の白熱した神経がほんの少しだけだがクールダウンする。
「たちの悪い悪戯だ。合成か――そっくりさんを使ったか――いずれにしても、静香先生のせいじゃない」
「はい……」
静香は泣きそうな気分で、後ろからまわされている極太の手にふれた。暖かくて大きな手だ。左手の薬指にはシンプルな銀の指輪が嵌まっている。失敗した結婚生活の記念なのだろうか――?
『お気に召していただけましたかしら? わたくし、中条静香のいやらしい姿を』
画面が切り替わって、また静香が現われた。教師然とした態度で、画面ごしに極太と静香に授業でもしているかのようだ。
『――でも、セックスってとっても気持ちいいんですのよ? ずっと避けていたのがばかばかしくなってきますわ。それもこれも、ある生徒が教えてくれたおかげ――その記念の映像もお見せしますわね』
次に映った画面は、職員室の風景だった。
静香が机にむかってテストの採点をしている。そこにやってきたのは――好男だ。
「なに!?」
極太は目を見開いた。
画面のなかでは、好男が静香を裸に剥いているところだった。静香はとろんとした眼で好男のなすがままに任せている。
大きなバストがこぼれだす。好男がそれに吸いついた。ああ、と静香が声をもらす。
「これは……」
極太の腕に力がこもる。静香は動けない。パニックの劇症はおさまっていた。というより、パニックが恒常化して、もはや神経がそれ以上反応できなくなっていた。
頭のなかで波の音が繰り返されている。単調で力強いリズム。眠くなるような――逆に身体の奥まった部分が覚醒するような――そんな感じ。
「これも合成――? まさか……」
極太はつぶやいた。父親の表情で、息子のふるまいを凝視している。
好男が静香のお尻をうまそうに舐めている。静香も悦んでいる。
静香はその映像を見つめながら、極太の体臭をかいでいた。腋臭とまではいかないが、男性的な力強い匂いがする。
極太の匂いはやっぱり好男に似ている。好男の匂いは若々しくて酸味を感じさせたが、極太はそれを落ちつかせて燻したような感じだ。いずれにしても好ましい。
静香はハッとする。
――待って、どうしてわたしは好男くんの匂いをこんなに知ってるの?
それどころか、もっと濃密な情報が頭のなかからあふれ出してくる。目の前の映像とその情報がシンクロする。好男の指や唇の感触――性急な動き――ひさしぶりに秘部を開かれたときのかすかな痛み――ああ――
思いだした、思いだしてしまった――わたしは、好男くんと、した。そして、夏休み、島で無数の男とつながった――どうして忘れていたのだろう?
静香の身体が震えだす。心拍数が際限なくあがっていく。めまいが、悪寒が――戦慄がはしる。
「先生、だいじょうぶですか?」
異常に気づいたらしい極太が静香を軽くゆさぶる。
静香はその極太の手を取って、自らの胸のふくらみに導いた。
「せ、先生!?」
『極太さんが欲しいの』
現実の静香のかわりに、モニターのなかの静香が言った。
「なっ……」
『息子さんに、わたくし、セカンドバージンを奪われたましたの。おかげでこんなにいやらしい女になってしまいました。だからお父さまに責任をとっていただこうと思って……』
その、通りだ。静香は否定できない。このモニターのなかの女は確かに静香だ。静香以外のなにものでもない。これは、真実をうつす鏡なのだ。
誰しも偽りの仮面をつけて生きている。そうしないと社会が成りたたない。人は欲望をむきだしにしてはならないのだ。だが、ほんのいっとき、それが許される瞬間がある――祭だ。
祭のときだけ人間は解放される。自由になる。快楽に溺れることができる。それが幸福ということだ。静香はそれを体験した。好男に貫かれたとき。海辺で数え切れない男たちとまぐわったとき。
それを、再現しよう。
祭を、はじめよう。
「極太さん……」
静香はうるんだ瞳で男を見あげた。
「わたし……わたしのこと……めちゃくちゃに……して」
「先生……」
極太の喉仏が上下する。
掌が動く。静香の胸をやわやわと揉みはじめる。
静香のなかで、なにかスイッチのようなものが音をたてて切り替わった。