偉大なる助平FF(8)


第三章 静香

 朱理がいれてくれた紅茶は火傷しそうに熱くて豊潤なミルクティだった。

「あ――これ、チャイですね」

 美琴がすこし弾んだ声で言う。

「チャイってなんだ?」

 好男は紅茶というとリプトンしか知らない。

「インド式のミルクティのことよ。ジンジャーだとかシナモンとか、スパイスを入れてあるの――これは……不思議な香りですね? カルダモンかしら」

 美琴の言葉の前半は好男へ、後半は朱理に向けられている。

「兄がアッサムで手に入れたものらしいのですが……わたしは詳しくないんです」

 アッサムというのはインドの紅茶の名産地のひとつだ。

「アッサム『で』……ですか」

 『から』ではないのだ。取り寄せではなく現地調達らしい。

「その助平なんだけど、いるの?」

 紅茶談義は好男の守備範囲のはるか外だ。さっそく本題にはいる。

 朱理の表情がかすかに曇る。困った顔も可憐にみえる。

「それが……旅に出てしまっているんです」

「旅? まさか、またヨットで世界周遊?」

 助平は大型のクルーザーを持っているのだ。夏休みに乗せてもらったことがある。

「ええ……まあ……」

 朱理の返答はいまひとつ歯切れが悪い。

「いつ帰ってこられるんですか?」

 美琴が質問する。過度に入れ込んだ様子はないが、目つきそのものは真剣だ。

 朱理は返答に困っている。

「それが……わからないんです。行き先もなにもわからなくて……」

「一週間も? それって蒸発っていうんじゃ」

「色事くん」

 たしなめるような語勢で美琴が言う。好男は黙った。

(なんだか、美琴のやつ、強くなったなあ……。真由美みたいだ)

 もっとも、真由美なら口より先に手が出ているだろうが。

(そういえば、真由美のやつ、遅いな……。道に迷ってるのかな……。まさか、まだ学校にいたりして)

 好男の考えがあちこち飛んでいるうちに、美琴が朱理と話しこんでいる。

「でも、念のために警察に相談したほうがよくはありませんか?」

「ええ……。でも、兄のことですから、ひょっこり戻ってくるかもしれませんし」

「こういうことは、今までもよくあったんでしょうか……その……誰にも言わずにいなくなってしまうようなことは……」

「ええ、たぶん……」

 朱理は曖昧に微笑んだ。

「わたし、つい最近まで『入院』していたので、よくはわからないのですけど」

「入院って、朱理ちゃん、病気だったの?」

 好男は会話に割って入った。いつのまにか『ちゃん』づけになっているか、このへんは色事家の血というものだ。

「そういえば、ちょっと顔色よくなさげかも……でも、朱理ちゃんって、助平によく似てるね。兄妹だから当然か」

 男性的なイメージの助平に比べて、朱理はほっそりしていかにも女性的だが、顔のつくりには共通項が多い。一言でいえば、いい意味で日本人ばなれしている。

「兄とわたしは双生児なんです」

「へえ、道理で。ところで朱理ちゃんはどんな病気だったの?」

 好男の質問に朱理の答えが遅滞する。美琴がそれと察して口をはさむ。

「だめよ、色事くん……失礼よ」

 人には言いにくい病気というものもあるし、いずれにせよ会ったばかりの女の子にずけずけ訊ける話柄ではない。

 だが、朱理はちいさくかぶりを振った。

「いいえ、いいんです……ほんとうのことをいうと、わたしにもわからないんです。記憶が……なくて」

「記憶が……って、それって、記憶喪失ってこと?」

「ですから――兄のことも、よくは覚えていないんです。気がついたら、この家に独りでいましたし……」

「ええっ!?」

 好男は驚きの声をあげる。さすがに美琴も目をまるくしている。

「でも、それだと……困るでしょう……その、生活とか」

「それは、兄がいろいろ残してくれていましたから大丈夫なんですけど」

「いろいろって……ああ、発明品を売ったお金とか?」

 好男は、助平に見せてもらったいろいろなアイテムを思い返した。どれひとつとっても画期的なものだった。よくはわからないが、ドクター中松でも特許料で大金持ちになったそうだから、その気になればものすごい大金が転がりこんでくるだろう。

「発明品って?」

「ほら、たとえば姿を隠すテントとか」

「え?」

 美琴が好男の顔を覗きこむ。好男は口をすべらせたことに気づいて青くなる。つい先週、その発明品を使って美琴のことを……

「朱理さん」

 美琴が助平の面影をやどした少女に向きなおる。

「助平さんの『発明』ってどんなものなのですか? よかったら、見せていただけないでしょうか」

「おい、美琴、なに言い出すんだよ」

 好男は慌てた。美琴の発言の意図がわからない。もしかしたら、あの時の記憶を取りもどしたのだろうか。

「助平さんが姿を消した理由が、その『発明品』にあるような気がするんです。根拠はないんですけど……」

 朱理はしばらく無言だった。すこしたってから、唇をひらく。

「『発明品』のことはわからないのですが……兄の部屋へご案内します。きっと、兄もそれを望んでいるでしょう。なぜなら――」

 そこで朱理は言葉を切って、美琴と好男を見た。

「結界を解いてあなたたちはここへたどり着いたんですもの――それが理由です」