偉大なる助平FF

第一章 美琴

 いつものように登校した色事好男は教室を一瞥して、ここ数日続く失望をまた味わった。

「今日も……か」

 そのすぐとなりで同様にため息をついているのは同級生の鳥羽美琴だ。夏服のセーラー服がなんだか寒そうに見えるのは肌が白すぎるせいか。

「お休みですね、助平さん」

 ぽっかりとあいた席にうつろな視線を投げかけている。

「どうしたんでしょう。もう一週間近くになりますよ」

「うーん」

 好男はうなる。美琴のうなじに落ちた視線をあわててそらす。

「どうしたんだろうな、いったい」

「もしかして、病気なんでしょうか」

 美琴が好男の顔をのぞきこんでくる。まるで好男の顔に答えが書いてあると思っているかのようだ。

「さーな、中条先生も知らないらしい。昨日も心配してたしな」

 好男は美琴の視線を外して、あたりさわりのない返事をする。

 美琴の眉がくもった。

「色事くん、なにか隠してない?」

 今までの美琴にはない反応である。積極的になったというか、言いたいことが何も言えずただ赤面するだけの少女ではなくなっている。

「助平が休んでいる理由なら、ほんとうに知らないぜ」

 好男は正直なところを答える。

「電話もつながらないしさ。だいたい、むこうから連絡してくるのがいつものパターンだったから、家もしらないし」

 美琴が大きな目をくりっと動かす。

「助平さんが休んでいる理由なら――って、なにか別のことなら隠しているの?」

 んげ、けっこう鋭い、と好男は狼狽する。

 その時だ。

「なに暗い顔つきあわせて悩んじゃってるの? うじうじ考えることないじゃない。中条センセに助平くんの住所をきいて、お見舞いに行きゃあいいじゃない」

 元気な声が背後からひびき、好男の後頭部が軽くはたかれた。

「乱暴だな、真由美はっ!」

 こんなことをするやつはほかにはいない。むかっぱらをたてながらも、美琴の追究をごまかせそうだ、と好男はすこしほっとする。

 ふりかえった好男は息をのんだ。

 天才格闘少女、大河原真由美がかばんを持ってそこにいる。美琴と同じく夏服を着ているが、肌寒そうな美琴とは対照的に、まくりあげた半袖からのぞく腕は適度に焼けている。引き締まった上腕はむしろ男子よりも筋肉がついているくらいだ。

 その見慣れたはずのやんちゃ坊主のような立ち姿に、好男はなにか違和感のようなものを抱いた。それは、なんだろう――まぶしい、そんな感じがする。好男にはその変化をうまく説明することができなくて、棒立ちになった。

 むしろ、同性の美琴のほうが敏感に反応した。

「真由美ちゃん、髪、ちょっと切ったんだね」

「そーなの。ちょっとうっとおしかったから」

 真由美は自分の髪を払った。いつもの男の子っぽい仕草だが、以前とは何かしら違う。

「すごく似合ってる」

「そう? 照れるなあ」

 真由美は右手で頭をガシガシ掻いた。

「あれ、真由美ちゃん、その手のなかのは……?」

 封筒らしきものをいくつか、無造作に真由美はつかんでいた。

「あー、これ? なんだか、最近多くってさあ……どうしたもんかねえ」

 どうやらラブ・レターらしい。みせびらかすでもなく、照れるでもなく、真由美は本気で首をかしげているようだ。

「すごい、男の子からも貰うようになったんだね、真由美ちゃん」

 もともと女の子――とくに下級生からは絶大な人気を得ていた。「おねえさんになってください」などいう手紙は山ほどもらっていた。しかしながら、男子からは無反応――そりゃあそうだ、たいていの男子よりも腕っぷしが強く、気性もはげしい真由美だ。本人も男子とは気のおけない友人関係を築くほうが楽だった。

 ところが、夏休みに入るころから、男子のあいだにも真由美のことを「いいなあ」と言い出す者がふえたのだ。

「陽気もよくないってのに、どういうんだろうね。まったく、物好きが多いとゆーか」

「真由美ちゃん、最近、かわったもん」

 美琴が真剣な面持ちで言う。

「きれいになったもん。なんか、おとなっぽくなったっていうか」

「やだなあ、美琴、そんなホントのこと言って、照れるじゃないのー」

 冗談ごとにすまそうとする真由美に美琴は食い下がった。

「ホントだよ。うまくいえないけど、真由美ちゃん、なにか特別なことがあったんじゃないかって……」

「美琴、いったいどーしたの」

 真由美のほうが不思議そうに美琴をのぞきこんだ。

「あんたこそ、なんかかわったよ? 積極的とゆーか、元気になった」

「あ、え、そうかな……」

「そういえば、中条先生もかわったね。前はなんだかムリしているような感じだったけど、すごく余裕がでて、いい感じになったし」

 好男は言葉をさしはさもうとして、やめた。

 中条静香の変化の理由はなんとなくわかっているのだ。

 助平と好男が仕掛けたイタズラ――というには事が重大なよーな気もするが――によって、静香はたしかに変化した。なにかしら、抱えていたトラウマから解放されたのだ。

 同じように、美琴も変わった。その理由も、好男は知っている。

 そして、真由美も――

 以前のビデオ撮影事件のこともある。あれは、助平のイタズラということに落ちついているが、好男自身の記憶が操作されていたとしたら――? そして、あの島での事件――あの時も、真由美は単独行動をしていたはずだ。

「とにかくさ、色事くん、きいてる?」

 考えをさえぎられて、好男は目をしばたたいた。目の前に真由美の顔があって、どきまぎする。

「今日の放課後、助平くんの家に行ってみましょ。プリントもたまってるし」

***

 映画研究会の部室は、人があまり近づかない旧校舎の一角にある。

 こことはべつにシネマ・クラブという鑑賞中心のサークルがあり、そちらは女子部員もふくめ大所帯だが、自主制作活動を旨とする映研は、実質の部員わずか二名である。

 ガリガリのっぽの小出と、チビデブの長崎、学園最強のオタクコンビである。

 映研といいつつも、その部室のなかがアニメや美少女ゲームのポスターでうずめつくされているところからもそのことは察せられる。ポスターはいずれも真新しいが、部室そのものは異臭がただようくらいにちらかっている。

 部室内には長崎が持ちこんだパソコンがあり(ジャンク品でCPUはペンティアム160メガヘルツという骨董品だ)、ふだんはDOSの美少女ゲームのグラフィック抜き取りなどに使われているのだが、電話回線につないでインターネット接続もおこなっている。

 むろん、ハードディスクの中には、海外のサイトやニュースグループなどから入手した未修正画像が数百メガバイト単位でおさめられている。

 その時も、小出が趣味のブラウジンクをしていた。

 ロリータアニメ系の穴場サイトを発見し、歓声をあげつつ画像のダウンロードをはじめようとしたとき、メール受信のサインがあらわれた。

 小出は首をひねった。このアカウントは長崎と共同で取ったもので、メールアドレスは公開していない。スパムのたぐいが偶然届くことはありえるが、しかし――

 メールソフトを立ち上げてみた。差出人の名前は、わけのわからない記号の羅列になっている。サポートされていない文字コードが使われているのだろうか。

 最近話題になったウィルスのことが頭をかすめる。だが、このパソコンには、海外のさまざまなサイトをブラウジングするための用心に、最新のウィルス退治ソフトをインストールしてある。まず、大丈夫だろう。

 興味を感じて小出はメールをひらいてみた。

 きみは、HIROHIRAにだまされている。

 記憶を操作されている。

 そればかりではない。

 本来きみたちの栄誉となるべき傑作が、不当に闇にほうむられている。

 これをみよ。

 不思議な内容だった。差出人の名前はない。

 HIROHIRAというのは二年生の助平のことだろうか。ほかにこんなかわった名前の人間は知らない。そういえば、夏休みにはいるまえ、映画を撮ろうともちかけられた。大河原真由美とかいう女の子を主役にしてイメージビデオのようなものだということだったが……。

 あれはけっきょく、助平とかいうやつが勝手にCGで映像を作って、それでモデルの女の子が激怒して流れてしまったはずだ。かわいい女の子だったから、撮りたかったのだが……。

 「これをみよ」となっている部分にアンダーバーが引かれていた。リンクがつけられているようだ。きっと、どこかのホームページにジャンプするのだろう。ネット初心者がよく陥る罠として、悪質なページに飛ばされ、エッチ画像見たさにクリックしているうちに、ダイヤルQ2やら国際電話に接続させられ、法外な料金を請求される、などということもあるらしいが、どうせ学校の電話だ。

 それに、文面に触発されて、心がざわめいていた。なにか、大切なことを思い出しそうだ。快楽にみちた記憶が、後頭部にわだかまり、いまにも飛び出してきそうだ。

 クリックした。

 *******に接続しました、と表示され、ブラウザが空転をはじめる。

 ドメイン名が化けている。そんなことってあるのだろうか。数字でもない。JIS記号でさえない。見たことのない形状の文字? あるいは、絵か?

 そして、無味乾燥なページが表示された。

 一瞬、失望する。

 戻るボタンを押そうとしたとき、その映像が表示された。

 小出は映像を凝視した。

***

 長崎はコンビニ袋を手に部室にもどった。

 なかにはジュースやスナック類が入っている。このほか、今日は新作アニメビデオのDVDを持ってきていた。お菓子をつまみながら作品を鑑賞し、スタッフの演出意図について議論し、たがいの声優萌えを告白する。はたから見たら「なんだかなー」と思うような行為だが、本人たちにとってはいたって真面目なクラブ活動だった。

 かなり閉鎖的だという自覚はあるが、以前にくらべればクラスの連中とも話ができるようになっていた。以前は――自分でもよくわからないが、ろくに同級生と話すこともなかった。

「なんだよ、おまえら、たんなるオタクじゃねーか。前はもっとヤバいやつらだと思ってたぜ」

 半分バカにしているのかもしれないが、そんなふうに話しかけてくるクラスメートも現れるようになった。

 長崎は部室の扉をひらいた。

 中は薄暗い。パソコンモニターだけが照明だ。そのモニターも、座高の高い小出の身体に隠されている。

「おい、小出……どうしたんだ?」

 パソコンのモニターをかかえるようにして動かない相棒に長崎は声をかけた。

 ひょろっとした小出がふりかえる。長崎は息をのんだ。

 笑っている。しかし、不自然な笑いかただ。口が両端で引きつっている。しかも、視線はあらぬ方向を見ている。

「ながさきぃ……おもしろいものがあるぞお」

 声も奇妙だ。まるでテープの再生速度をランダムに変化させたようだ。

「なんだよ、いったい。そんなにすげーページでもみつかったのかあ?」

 また小出の病気がはじまったかな、そう思いつつ、長崎は何の気なしにモニターをのぞきこんだ。

 動画だ。ストリーム再生だろうか。それにしては画面サイズはモニター全面をおおうほどだし、画質もきれいだ。ふつうの電話回線を通じてはこんな大容量の動画はリアルタイム転送できないはずだ。

 長崎は興味をひかれて動画に見入った。

 少女が微笑んでいる。薄物をまとっている。下は裸らしい。

 イメージビデオのようだ。アイドルタレントかと見紛う愛らしさ。映像もいい。プロの作品にちがいない。

 と、画面がかわり、少女がヌードになっていた。

 胸はこぶりだが、形はいい。

 パンティもはいていない。薄いヘアの下にワレメが見えている。

「おいおい、小出、なんだよ、これ。どこのアングラサイトだよ?」

 製品にしてはモデルの年齢がわかすぎる。長崎たちと同年代ではないか? それに、どこかで見たことがあるような……。

 そして、またシーンがかわり、今度こそ長崎は仰天した。

 体育倉庫のような場所で、さっきの少女がふたりの男にねちっこく責められている。服を脱がされ、オナニーを強要される。恥じらいながらも乱れていく少女。

 カメラワークはさっきよりも稚拙だが、そのぶん被写体にたいするこだわりが感じられる。執拗に少女の表情を追い、その乱れるさまを映しとっている。リアルでライブ感あふれる映像だ。

「すげえ……」

 独り言をもらしていた。股間が熱い。屹立していた。小出がそばにいなければオナニーしていただろう。

 ついに男が少女に挿入した。結合シーンがばっちり見える。

 長崎はたまらずズボンの上から股間をおさえた。

 少女の体内の感触がなまなましく感じられた。

 熱くて、せまい。ぬるぬるしていながら、ぎゅんぎゅんしめつけてくる。

 少女はよつんばいの姿で、前後から責められていた。のっぽの男のものを口で、小太りの男のものを膣で。

 男たちが果てた。

 長崎のモノはブリーフのなかで破裂寸前だった。

 少女に中出しした男がゆっくりと振りかえった。にったりと笑う。

 長崎がそこにいた。

 モニターのむこうから、長崎を見つめている。

 その口が動いた。長崎自身の声でしゃべりかけてくる。

「思いだしたか? これは現実だ。おまえたちは助平勉によってあやつられていたのだ。おまえと小出は、大河原真由美をモデルに、傑作をものにしたんだぞ。とくに長崎、おまえは、大河原真由美の処女を奪ったのだ。あの女はおまえのものだ。どうした? 信じられないのか?」

 パソコンモニターの前にいる長崎は驚愕のあまり口がきけなかった。だらしなく唇を開きながら、自分自身の声を聞いていた。

 ゆっくりと記憶がよみがえってくる。

 封じられていたもの。

 自分自身。

 狂暴なかぎろいが長崎の双眸によみがえった。

 それをモニターのなかから見つめ、長崎自身が嗤う。

「そうだ。その顔だ。それがほんとうのおまえだ。中学生でありながら、いや、その年齢を利用して同年代の女子を強姦してはビデオに撮影し、インターネットを通じてさばいていた。小出とコンビでな。おまえたちは助平によって、ほんとうの自分さえも塗り込められていたのだ」

 長崎はアニメソフトを放りなげた。靴でパッケージを踏み砕く。小出も立ち上がり、壁のアニメポスターを引きちぎった。こんなものにはもともと興味はなかった。ポスターが貼られていた壁には、無数の傷や血痕らしきものがきざまれている。

 二人はたがいの顔を見た。それぞれの邪悪な表情に満足したかのようにうなずきあった。