「もおだめッ……! ヒロぉ……イッちゃうよぉッ……!」
そう言ってるようにしか聞こえない、柚子っちのイキっぷりが話題の「朝霧の巫女」ですが、すてきなアニメをありがとう、森山ゆうじ監督。
それにしても、唐突ですね。これまでは、海外外注のひどい作画くらいしか話題のなかったアニメなのに、いきなりそう来ますか。
これを第一話か、第二話でやってくれていたら、ぜったいヒット作になっていたと思うんですけどね。かなり遅きに失しました。
それでも、残りの話数で、ククリたん&珠ちゃんをイかせてくれれば、うづきはDVD買いますよ。うん。ぜったいみんな買うと思うな。
これまでこのANNEXの大家さんであったHOOPSがインフォシークと合併したそーで、その結果、HOOPSの無料ホームページ事業はiswebに統合されてしまいました。てなわけで、いつの間にかアドレスもかわり、BBSもカウンターも死んでしまいました。BBSのログも取ってないし、カウンターも幾つくらいだったのかイマイチおぼえていません。あーあ、という感じです。
まあ、予告はされていたのですが、もうちょっと優しい引き継ぎはできなかったものか、と思います。せめてカウンターくらいはスムーズに移行できるようにしてほしかった。
HOOPSの時よりもポップアップ広告がうざいし。うづきは不思議に思うんですが、ユーザーに漠然と「うざいなー」と思われる広告に、果たして効果ってあるもんなんでしょうかね? 逆効果のような気がしますケド。
さらに問題がありまして、移転以来、FTPがちゃんとできないのですよ。いま書いてるコレも、はたしてちゃんとアップロードできるかどーか。
うむー。
最近ココ更新してないなー、と思ったので。小説サイトも同様ですが。
9月末でしゅーりょーしてしまったアニメですが、いろいろ追いかけで最終回を見たので、感想とか。
「ちょびっツ」
意外にアッサリというか、もっとすげードンデン返しがあるのかと思ってたので、ちょっと肩すかし。機械と人間の恋愛って「結ばれ得ない二人」がどう愛を全うするか、というところで、悲劇なりなんなりがあるわけで、その古典的なテーマにどうCLAMPが決着をつけて見せるかを楽しみにしていたんですが、結局「好きだから、いっしょにいたい」という、陳腐な結論に落ちついてしまってました。
いや、わかるんですよ。恋愛の原点ですからね、「いっしょにいたい」というのは。でも、だからこそ「人間と機械が一緒にいることが、ほんとうの幸せなのだろうか」という葛藤が生まれてくるはずで、その先にあるものを見せるのが「物語」だと思うんですが、「やっぱり原点に戻ってみました」とゆーんでは、それまで語ってきたことの意味って……? という感じ。第一話だけでいーじゃないですか。
「最終兵器彼女」
これも似たようなテーマ、というか、「彼女が最終兵器になったら?」という限界状況を描いているわけですが、ラストがどーにもこーにも。原作どーりなのかもしれないんですが、あの終わりだと「泣けません」。これって、「泣かせる」話じゃないんですか? 究極の恋愛を描くために世界をまるごと犠牲にしておきながら、あの曖昧なオチでは「世界が滅び損や」という感じがします。
「あずまんが大王」
原作どーり、というか、変えようがなかったか、というか。これはけなしているのではなく、それくらい忠実に原作を再現しよーとしていた、ということ。シリーズの最初の頃は、原作の空気をアニメに翻訳する方法論に迷いがあったよーな気もするんですが、中盤以降はしっかりとアニメで「あずまんが」していたと思います。とりあえずは良質なシリーズであったと。でも、アニメならではの「泣かせ」がちょっとくらいあってもよかったかな、というか、それくらいのごほーびはアニメ・スタッフにあげてもよかったと思ったりも。
「円盤皇女ワるきゅーレ」
よくある美少女増殖萌えアニメかと思っていたら(まあ、実際そーなんですが)、これが意外にキチンとまとまった作品だったとゆーか、素直に面白かったです。最終回も予定調和というか、誰もが予想したであろう展開であるにもかかわらず、それが許せてしまうよーな感じで、「王道っていーな」という気がしました。それは、まあ、やっぱり、キャラがそれなりに立っていたからじゃないかな、と。
主人公はハレム系アニメの基本パターンどーりなんですが、銭湯を守る、という目的がしっかりしていたせいか、それなりに言動に安定感がありましたし、ヒロインも幼児形態と大人形態を使い分けつつ、うまく魅力を醸していたと思います。さらにサブキャラの役割がしっかりしていて、ラストに収束していく感じが、「ジクソーパズルのピースが嵌まっていく」ようで快感でした。
けっこー、こーゆー萌えアニメって軽く見ていたので、この作品は印象的でした。
「あずまんが大王」なんかもう受験らしい。早いなあ。半年で3年分の進行だから、そりゃーそーか。それにしても、作画の質がずっと高いまんま。すごいです。びっくりです。予算が潤沢だってこともきっとあるんだろーけど(ベストセラーだし、キャラクターグッズも売れてるしね)、スタッフも「あずまんが」がきっと好きなんだろーな。こーゆー幸せなテレビシリーズもあるんだな。ほならやー。
「ちょびっツ」はちぃがそろそろ決めるらしい。ヤンマガの連載は追っかけてないんでよくわかんないんですが、ほぼ同じタイミングで終わるとか。さすが原作者がアニメ版もシリーズ構成しているだけはありますね。これまた贅沢な作品です。作画はさすがに途中ちょっとヨレた回もあったけど。でも、水準以上であったと思う。できれば、すももにもそれなりに見せ場を作ってあげてほしい。です、です。
「ワるきゅーレ」は今週あたり最終回。なんとなくオチがよめそーな気もするけど、気のせいかもしれない。これは前回の作画、ひどかった。「宇宙別館」の話。でも、ギリギリ踏みとどまった感じ。海外作画ならではの香ばしさは垣間見えますが、崩壊は防いだぞ、みたいな。伝説の「ヤシガニ(ロストユニバース)」とか「赤い靴その他(アキハバラ)」とか、最近では「灼熱恋愛指南(朝霧の巫女)」の仲間にはならずにすみました、みたいな。ちゅんちゅん。
楽しみにしている番組がみんな大詰めだなあと思ったら、9月ももうすぐ終わるんですね。10月改変かあ……。季節はめぐるものですなあ。
で、なんとなくアッパーズ。
絶対販促、じゃない反則。
士郎正宗のブックレットポスター。(なんだよ第三弾かよ! 今まで知らなかったよ)
ふざけんなよ。
買っちまったじゃねーか。
つか、マンガは一本も読まず、速攻で切り取り。
「GALHOUND」っつー、制作予定のない企画らしい。あたため中のネタっつーことですな。火星を舞台にしたガン・アクションで、めがねっこのヒロインは探偵事務所の助手という設定らしい。なんつーおいしそーな太股なんでしょ。さすが士郎正宗。
この絵柄と、もうひとつの絵柄でのテレホンカードの販売もするらしい。応募者全員に実費でお分けしますってアレ。
思わず応募しようかと思ったけど、やっぱり応募しようかな。←どう転んでも応募するんじゃねーか。
太股が必要な方は是非。
感動した!
ってなにかというと、「ワるきゅーレ」だ! 第8話「猫耳慰安旅行」は、アニメ史上、おそらくナンバーワンの「慰安旅行アニメ」になった。そーゆージャンルがあればだが。
冒頭からしてすばらしい。ローアングルからの女子高生のパンチラに始まり、ネコミミ女子高生のかわいらしさ(声は「マジカルて」の小麦ちゃんこと桃井はるこだ!)、ネコミミOLの悲哀、ネコミミお嬢様の憂鬱をなぞった後、彼女たちの銭湯での大活躍を描く。むろん、この間は女風呂の描写もバッチリ。
仕事が終わって、ネコミミ侍女たちがおたがいの愚痴を聞きあったりしているうちに盛りあがる「旅行しようよ」の声。それが結局、ネコミミ侍女たちの慰安旅行に発展する。
そして、歴史的なバス旅行のシーンとあいなるのだ。
このシーンの素晴らしさはちょっと筆舌に尽くしがたい。
出発前の真田さんのパンチラとノーブラ乳首プックリも嬉しいが、なんといっても車中のカラオケ大会だ。エンディングテーマ(「SAVE」)をネコミミ侍女たちが歌うのだが、トップバッターはネコミミ女子高生、桃井はるこ嬢の「砂糖菓子のような」甘ったるい歌声が絶品なのだ。
振りも最高。バスに乗っている他のネコミミたちのノリも最高。運転手の真田さんも鼻歌でコーラス。萌え萌えだ。続いてネコミミお嬢様が清楚な感じで歌うのだが、残念、この後フェードアウトしてしまう。正直いって、フルコーラスでやってほしかった。OLの歌も聴きたかったし。
その後、秋菜にもマイクが回ってくるのだが、それまではネコミミたちのノリに呆れていたはずの秋菜もマイクを握ったとたんに豹変、ジャイアンばりの豪快な歌声を披露する。ここで素晴らしいのは、秋菜のメチャクチャな歌に対してもネコミミたちのノリが変わらないこと。ふつうなら、ジャイアンズ・ソングでみんな萎え萎え、というオチに持っていくはずが、みんなほんとうに楽しそうなんだよ、これが。
さらにバス旅行の狂騒は続き、小ワルのバス酔いゲロ吐きがクライマックスだ。あわれ小ハイドラが犠牲になるのだが、いまだかつて、ヒロインがゲロを吐くアニメがあったろーか。しかも、あくまでもかわいらしく、だ。
こんなバス旅行ならぜひ同行したいものだ。死ぬほど楽しいだろーな。
後半は海辺でのドタバタ、旅館での宴会と続くのだが、サービスシーンはてんこもり、ギャグもいっぱい、とにかくダレることなく突っ走った、最高の一篇だ。特に、ハイドラの超ウルトラビキニはテレビアニメの限界を突破している。小ハイドラの時はちょうどよかった水着が変身後ピチピチになって、下乳丸出し、くいこみTバックになってしまうのだ。へたなエロアニメよりもよっぽどやらしいぜ。
それにしても、短い時間によくもこんなにたくさんの要素をブチこめたものだ。このお話では、ほとんどすべてのキャラが立ちまくっているのだ。ネコミミ侍女たち(女子高生、OL、お嬢様)も、真田さんも、ワルQも、リカも、秋菜&ハイドラも、全員おいしい。ライネにまでも見せ場があるのだ。さらにライネが変身した大ワルの「あられのないお姿」もある。しかも、留守番の男性陣にも、ちょっといかすシーンが用意されているのだ。まさに全キャラ大活躍の一篇なのだ。
どうしたらこんな話が作れるのか、ほんとうに感心してしまう。ほぼ全編ドタバタなのに、妙に後味もよかったりするし、訳がわからない。
ひとつ指摘するとすれば、和人を留守番にしたことが効いているんじゃないかと思った。
ふつうだと、「みんなで海に行く」→「和人をめぐってワルQ、秋菜、ライネがにらみ合う」なんてプロットになってしまいそうだ。でも、そうすると、本編シリーズのスタンダードな人間関係を踏襲することになってしまう。なので、ばっさりと和人を切ってしまったのであろう。つまり、「和人を外す」ことで、「番外編」としての人間関係を描くことができているわけだ。ためしに、あの場に和人がいたと仮定したら、秋菜は暴走しないし、ワルQもゲロれない。ライネの動きも、まったく違うものになっていただろう。むろん、ネコミミ侍女部隊について描写する暇はありはしない。なぜならクライマックスで、和人とワルQのキス・シーン=大ワル登場のシーンが追加されるからである。
単なるバカ話に見えて、これはけっこう高等な作劇技術が使われているのだ、という気がするが、そんなことはどうでもいいっ! 真田さんの「にゃんにゃん音頭」が見られたからそれでいいのだ。
つーか、知らん間に、癒されている自分に気づいたりするわけで、ほんとに「慰安旅行」だよ、こりゃ。
オンライン小説の更新状況を掲載していたポータル・サイト「正しいH小説のススメ(http://www.kcat.zaq.ne.jp/h-novel/index.htm)」が閉鎖されました。
うづきのサイトを見に来られる方でしたら、たぶん、知らない方はいらっしゃらないのではないかと思います。それくらい有名なオンライン小説(H系)のリンクサイトでした。
ここのサイトの特徴は、ジャンル別にわかりやすく整理されたリンク集と、毎日掲載される各サイトの更新チェックでした。これにより、ネットユーザーは、自分が読みたいタイプの小説を、効率よく見つけ出すことができるようになったのです。
上に挙げた二点は、言うのはカンタンですが、それを維持運営するとなったら、非常にたいへんです。日々更新されるサイトの情報を収集する面倒くささは言うにおよばず、リンク集にしたところで、生々流転はげしいH小説サイトのこと、移転してたり閉鎖してたりと、すぐにリンク集としての正確性が落ちてしまいます。さらに、それらをジャンルごとに的確に分類するためには、それぞれのサイトの中味をそれなりに把握しなければならないですし、眼力も問われます。よいリンク集を作成・維持するというのは、それだけでけっこう手間がかかるものなのです。
これらの二点において「正しいH小説のススメ」は高レベルを維持していたために、ネットユーザーの支持を集め、たちまち一日のアクセスが1万を突破する超大手ポータルに成長しました。
しかし、今年に入って管理人の方が忙しくなったためか、更新チェックが休止になり(そのかわり、各サイト運営者の告知用の掲示板ができた)、そしてついに閉鎖ということになってしまいました。残念ですが、個人の趣味でおこなっていることについて、外部からとやかく言うことはできませんし、また、するべきでもありません。管理人の方には謹んで「お疲れ様でした」と申し上げたいです。
さて、一時代を築いた「正しいH小説のススメ」はかくして終了したわけですが、このサイトの精神を受け継いでいこうという有志の方たちが現れました。
そのひとつは「秘密の図書館(http://www6.plala.or.jp/los/index.html)」。うづきも以前から親しくさせていただいている老舗のオンライン小説サイトで、もともと膨大な数の小説が所蔵されています。そこにさらに、「正しいH小説のススメ」のリンク集を引き継ぎ、さらに更新情報掲示板も設置されました。更新チェックは行われていませんが、もともとが創作小説(投稿)サイトであるので、そこまでは望むべきではないでしょう。
もうひとつは新規サイトで、「正しいH小説の薦め(http://members.jcom.home.ne.jp/h-novel/)」、サイト名からして、「正しいH小説のススメ」のフォロワーであることを明確に打ち出しており、サイトのデザインも本家をほぼ踏襲しています。ジャンル別のリンク集も本家同様です。ただし、更新情報のチェックはなく、掲示板のみです。
さらに「オンラインH小説のススメ(http://muvc.net/hnovel/)」という新規サイトも立ちあがっています。こちらの特徴は、更新情報をサイトの管理人がチェックしているという点。いわば、機能的には本家に最も近いと言えるのですが、フリーサーバーを使っているという点で、削除のリスクがともないます。本家なみのアクセスが集中したりすると、一晩で終了でしょう。ミラーサイトもありますが、それらもすべてフリーサーバであるため、脆弱性を完全に解消することはできません。
これら三つのサイトは、スタートラインにおいてこそリンク集などの資源の共通性が高いものの、今後は各サイトごとに特徴がでてくるものと思います。
いずれにせよ、ゼロサムゲームではないのです。オンライン小説を盛りあげるため、すべてのサイトがそれぞれの色をまといながら成長していくことを、一書き手として切に望みます。
だるいです。そういえば、「あずまんが大王」とか「ちょびっツ」とか、見忘れたりするようになってきました。頭ボケてんのかもしれません。
でも、なぜか「ワるきゅーレ」は見逃さないです。先週(「リカちゃん歳時記」)は、ハイドラ(幼女ばーじょん)がパンツいっちょになってたので驚きました。このご時世に、線だけとはいえ乳首まで描くのは珍しい……。
ワルキューレも脱がしてくれたら、とりあえず一生ついて行こうと思います。もちろん、大きいバージョンじゃなくて、ワルQのほうで。
主人公の妹のリカって、「バカばっか……」って言いそうなキャラなんですが(声優いっしょ)、そのキャラの視点で世界観のおさらい&他愛のない日常生活描写って趣向で、どうやら「ナデシコ」の「ルリちゃん航海日誌」という話のパロディでもあるようです。なかなか侮れない。べつに侮るつもりもないですが。
「陸まお」はようやくしるびーが合流してきたんですが、もうひとつですね。まお、みそらとの差別化がイマイチというか、中途半端な感じ。
まおは主人公で、みそらはその親友という立ち位置があるわけで、これはCCさくらにおける知世と同じ。つまり、まお−みそらラインっていうのはできあがっているわけで、ここに第三の防衛隊員であるしるびーがどうからむのか、というところなんですが、それがよくわからない。ライバルって感じでもないし、トリックスターにしてはボケが足りない。
声優が堀江由衣というところも微妙。人気声優であり、いわゆるヒロイン声なので、しるびーに期待されるはずのバイプレイヤーとしてのアクが足りないよーな気が。ヌルい関西弁もアレだし。
第三のキャラというのは、セーラームーンでいえばレイ、どれみでいえばあいこ、ゴレンジャーでいえばキレンジャー(ほんまか)、というくらい、パンチが必要なので、そこのところがちょっと足りへんかなあ、と思いました。
でも、丸山シルヴィアって名前も、それをしるびーと呼ぶのも、すごく好きだ。
あ、あずまんが大王「うきよみ」見たです。よみの出番が多くて嬉しかったり。あと、ゆかり先生にシバかれるともの泣き声がサイコー!(泣かしたい〜!) とも・よみはイイね。アニメオリジナルのネタとして、ジェットコースターの写真がありましたが、しっかりともの隣は空いてました。これはともの隣に誰も座りたがらなかったというよりは、「だめ! ここはよみの席なの!」と、ともがわがままを言った方に賭けたい気分。
ぐわー、見てえぞ、それ、猛烈に見たい見たい見たい。
「ちょびっツ」、「ちぃ まかなう」。財布を落として食事代にも事欠くようになった本須和のために、自分のバイト代で食事を作ろうとするちぃ。だけど、料理のやりかたなんか知るはずもない。そんなちぃを助けてくれたのは管理人さん。「左手はネコの手よ」とか言いつつ、包丁の扱い方から教えてくれる。
成績悪化、財布の紛失のダブルパンチで落ちこみまくっていた本須和も、ちぃやすもも、そして「駆け落ち中」の新保や清水センセの励ましでなんとか立ち直る。そして、模擬試験にチャレンジ――という、なんか「ジャンプで連載打ち切りになったマンガの最終回」みたいな唐突な充実ぶり。ラストなんて、「おいおい、このまま終わっちまうんじゃないだろーな」って思うくらいだったもん。ジャンプ打ち切りマンガでいえば、見開きで「おれたちの旅はまだまだ続くぜ!」つって終わるみたいな。
萌えポイントとしては、ちぃが「裸エプロン」を披露してくれるんですが、残念ながらたいへん大きなサイズのエプロンだったので、ちっとも見えませんでした。もっとちっちゃいエプロンにしろよぉ、そんで、せめておしりくらい見せてよう。
で、それが本須和のストライクゾーンだとわかると、すももが「わたしもやりますぅ」と言ってくれるんですが、本須和のアホが「やらんでいい」と言うもんだから……。バカか、本須和。そういう場合は「ジェニーちゃん」かなんか知らないけど、人形用のエプロンを買ってきてやりゃあいいだろ? まったく空気の読めないヤツだ。
そんなこんなで、前半の集大成のような好エピソードでした。作画はベストじゃないけど悪くもないし。
またぞろアニメの新番組とか始まっていたりするわけですが、「熱血電波倶楽部」でしたっけ、なんかイヤな感じのタイトルのアニメ番組は、わりと珍しいタイムテーブルで、15分アニメの二本立て。いわゆるO月プロジェクトかー、そーなのかー、という感じ。O月プロジェクトにデフォルトでついてくる堀江由衣と林原めぐみの歌も聴けて、お得なのかどーなのかよくわかんない。
それはそれとして二本立ての内容はいかに、というところですが、まずは「陸上防衛隊まおちゃん」というロリ系国土防衛アニメ。8歳の女の子(防衛大好き)のまおちゃんが、わりとラブリーなエイリアンとほのぼのな戦いを演じるというものらしい。あと、空と海の防衛を担当する女の子も加わっていく模様(海担当の女の子の三本眉にちょい萌え)。「ラブひな」の赤松健原作ってのがちょと意外。絵はたしかにそうなんだけど。
なんつーか、まおちゃんの自称が「自分」であったり、おそらく次回仲間になるみそらちゃんの語尾が「〜するであります」であったりするのは、軍隊ふう言い回しのパロディなんだろうけど、「国のために戦うこと」をまじめに論じようとした時点で「右翼」レッテルが貼られてしまうこの国において、「パロディ」として国土防衛が語られる程度には成熟してきたんかな、と思えば思えなくもない。もっとも、これはまだまだ微妙なバランスで、「パロですよ、ギャグですよ」という擬態なしにはまだまだテレビでは「国土防衛」をテーマにすることは難しいような気もする。いまだに「日本は某国S(複数形)に謝罪すべき(未来永劫謝罪しつづけるべき)」という論調が、特に「学校・教育機関」において支配的で、日々子供たちに「日本は戦争犯罪国家」という某国Sにとって都合のいいプロパガンダをたれ流し続けているわけだからして。
ある意味、国土防衛にがんばる8歳の女の子、というイメージは、「逆プロパガンダ」たりえるパワーは持っていると思う。むろん、マジで子供に自衛官服を着せたりしたらさまざまな市民団体から非難が集中することは目に見えているわけで、この作品でもまおちゃんたちが着る制服は、軍服というよりも、ほら、マーチングバンドの詰め襟バトントワラーってか、アレ。ギリギリのところで批判を避けようという意図が見て取れる。ほんとうはバリバリの軍服を着せたかったはずだけど。
でもまあ、まおちゃんは応援したい。鼻ないし。
それとカップリングされている「朝霧の巫女」は某ヤングキングアワーズ連載の、巫女フェチ・フィーチャリング、伝奇ラブコメ、という感じの漫画が原作。いちおうストーリーそのものはシリアスで、妖怪の血を受け継いだ少年と、その少年に恋心をよせる女の子の二人の関係を軸にして、学園の治安維持を司る「巫女委員会」なる「萌え装置」を装備してます、みたいな。
原作はまだ連載中で、しかも月刊ペースなので、お話もまだ中盤といったところ。アニメ版はいったいどうするのか、アニメオリジナルな展開に途中から入っていくのかもしれないけど、きっちり終わらせてくれればべつに文句ないです。
にしても林原めぐみはすでにヒロイン声ではないのですね。今回も母がわりのお姉さんの役。もうすぐお母さん声になっていくんだろうな。キテレツのママとか。いや、のび太のママかも。
「ちょびっツ」は清水先生と新保の話に突入。なんか、その前にやった「ちぃ 海いく」ってのが、やっぱり座りが悪いというか、むりやりアニメオリジナルを挿入した感が強くなってしまった。にしても、あのシチュエーションで、なにもしないというのは信じられないなあ、というかありえないだろう、ふつう。で、やんなかったからといって「やっぱりいいヤツだよね」にはならないと思う、決して。でも、もうすぐすももが本須和の元に来るんですねえ、ハアハアハア。
えーと、「あずまんが大王」は「13話 ボンクラーズ結成」と「14話 2年生・夏休み」「15話 2年生体育祭」あたり。まあ、わりと安定してきてしまったし(見ているコッチ側が馴れたとも言う)、とくにコメントすることはない。ただ、ともが活躍すればよみの出番も増えるので(ツッコミ役としてだけだが)、ともにはがんばっていただきたい。
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すみません。今さらながら原作漫画読みました。つーかヤンマガをたまに買った時に何回か読んだことはあったんですが、きちんと通して読んでなかったもので。
アニメ版とずいぶん違っててびっくりしました。設定的にはアニメ版のほうが整理されててイイかな、とも思います。さすが後発。でも、これだと次回の清水先生ばなしはどうするんだろう。まあ、新保くんが待ち受けてるすぐ隣の部屋で本須和と先生がヤッてる(酒盛りを)という面白さはあるとはいえ、気づくだろう普通は、という気もしなくはない。まあ、いいけど。
なんちゅーか、原作では思ったよりもネタばらしをやってるのには逆に驚きました。これだと、ちぃの正体は読者にはほぼオープンになってますね。どっかにミス・ディレクションがあるのかもしれないけど。過去のロボ子モノのパターンを踏まえつつ、どうオチをつけてくれるのかメチャクチャ楽しみです。
ロボ子モノってのはどうしても悲劇的な展開にならざるを得ないのですが、しかし、作中ですでにその悲劇のパターンを使ってたりしますので(チロル店長とか国分寺とか)、当然ちぃはそれらのパターンは避けてくるはずで、きちんとハッピーエンドに仕立ててくれると期待してます。
ロボ子もののハッピーエンドってのは、
(1)いろいろあったけど、いつまでも仲良く暮しましたとさパターン(TO HEARTのマルチ)
(2)実はロボットから人間に生まれ変わりましたパターン(人造人間が受胎能力を持つとかのパターンはライトノベルやマンガ・アニメにけっこうある。たしかハンドメイド・メイとかそうだったような)
のどっちかしかありません。あとは両方死んで意識体で結ばれるとか、ハッピーエンドとは言えないものになってしまうので……
(1)については、そのなれの果てがチロル店長のケースなので、たぶんちぃの場合には取らないはずです。
となると(2)なのですが、そこで日比谷さんの過去がからんでくる、と。現状、原作(5巻まで)を読むかぎりでは、日比谷さんの「娘」や「妹」とは考えにくいですが、そこにミス・ディレクションがあるのかも。
もしかしたらハッピーエンドじゃないのかもしれませんが……。
ただ、どっちにしろ、ラストはちぃと一発やるんだろーな、てゆーかやってくださいね、CLAMP先生!(はあと)
で、こんしうのアニメ版れすが、「ちぃ 海いく」。原作コミックスにはないですねえ、そういえば前作のゲームばなしも銭湯ばなしも原作にはないみたいだし(コミックス未収録?)、けっこうアニメオリジナルで話数を稼いでますね。べつにいいけど。
で、今回ですが、水着がいっぱい出てきたのはいいんですけど、もうちょっと意識的にエッチにしてもよかったんではないかと思うんですけれども。
まず、巨乳という設定の裕美ちゃんはぜひビキニにしてもらって、おまけに海ではしゃいでて胸ポロくらいはやってもらいたかったです。お約束でしょ。
で、清水センセは個人教授というネタがあったのでOKとして、管理人さんにはちぃにさび止めオイルをぬりぬりするところでのセクシーショットが欲しかった(身体を使って塗りたくる……本須和の妄想でもよい)。
ちぃはスク水なのでデフォルトで高ポイントなんですが、ほかの女性(清水先生あたり)がこうら干ししているのを見て、マネしようとして水着を脱ごうとするとか、それくらいはしてほしかったなと。
そんだけやれば、みなさんもお腹一杯になったんではないかと思うんですがどうでしょう。
もへもへあにめ〜。
こんしうの「あずまんが大王」は「ちよちゃんの一日」というコンセプトのアレでした。オリジナル部分もよくできていたと思いまった。小学校時代の友達に逢ったちよちゃんが感じる、「小学校に通っているifの自分」と「高校生になった実際の自分」とのギャップを、「なわとび」という記号でうまく切り出していると思います。ちょっとご都合主義的だけど、ラストみんながなんとなく集まってしまってなわとびに興じるのもいい。また、今回はちよちゃんの視点で学校生活の全般を描いているぶん、各キャラの見せ場がバランスよくあるし、おもしろかったです。
※でも、原作だったら、「ちよちゃんなわとびしたいん?」「なつかしいなあ」「でも、高校生はやらないよね」という流れになるよーな気が。
こんしうの「ちょびっツ」。「ちぃ 遊ぶ」。ネットゲームをするちぃ。やっぱりいろいろあるらしくて、電脳空間では無敵っぽい。ボスキャラも軽々オーバーキルな感じ。でも、まあ贅沢いえばサーバーの破壊天使っつーか、そーゆーイメージでガシガシやってほしかった。黒ちぃだって出せたんじゃないだろーかとも思う。あと、新保はやっぱり面倒見よすぎ。本須和のために生きているのか貴様。ってか異常。異常といえば、今週のすももは電脳空間で巨大化してて、とても怖かった。なんつーか、「おジャ魔女どれみショー」みたいな感じだった。すももはやっぱり小さいほうがいい。
「アベノ橋魔法商店街」は最終回。作画はさすがにすばらしい。このレベルを13回維持してくれれば最高だったんだけどそんなコト無理に決まってるし、まあそれはいいです。絵コンテは庵野さんか。なんか冒頭とかそれっぽいですね。サッシの親父の一人語りのとこるとか面白かったです。
でもね――ああいう終わり方でいいんですか? ようするにアレですよね、コドモの遊びをオトナの力で現実にしちゃいましたってことで、これってガシャポンのオトナ買いと同じじゃないですか。そんなことしたって雅じぃは死んじゃうわけだし、まあ、あるみの目前で惨死ってことだけは避けようという気持ちもわからなくはないけど、やっぱり本質的に避けられない「肉親との死」との対峙をゴマかしたってのは、なんか「????」という感じがする。
あと決定的に気に食わないのは、あるみの記憶がないこと。これって、結局はあるみはパートナーじゃなくて、サッシのコントロール下に置かれているキャラクターのひとつに過ぎなかったってことでしょう。たとえばムネムネは秘書としてユータスと再会できたって救済があるわけですが、彼女は記憶を持っているわけだし(ラストの目くばせでそうと知れる)、あるみよりも自由度が高い。それに対してあるみは最終的に「サッシに捕獲されてしまった」ようにしか見えないわけですよ。楽しみにしていた北海道への転居もできなくなったわけだし。そこになんつーか、子供が捕虫網で捕まえた蝶々をコレクションするような気持ち悪さを感じてしまうわけで、やっぱり「サッシにとって都合のいい世界」ではなく、「あるみのとってベストの世界」をサッシが選択するっていうふうにしてほしかったです。つまり、あるみとサッシはお別れする。それは必然です。雅じぃも死ぬ。ちょっと違ったカタチで。
いずれにせよ、コドモのままオトナの力を持ってしまったいびつな陰陽師のハナシに堕してしまったのが心底残念でなりません。もっとも、そーゆー人たちの集団がガイナックスなんだよ、というふうに言われたら返す言葉もございませんがね。
日本はベスト8に進めませんでしたが、やっぱりワールドカップが日本で行われているというのは凄いことです。日本のサッカー文化がこれをきっかけにさらに成熟すればいいな、と思います。つーか、お祭りっていいね。騒ぐことだけが目的で川に飛びこむのはどうかと思うけど。あと、どこかの国のように過度なナショナリズムも厭だな。ワールドカップはサッカーファンのためのお祭り。もちろんサッカーに興味がない人も一緒になって楽しめば良いと思うけれど、それなりにサッカーのことを学んで、応援のルールやマナーをわきまえる必要はあるなと。
こんしうの萌えアニメ。
「あずまんが大王」とか、神楽さんがわりとフィーチャーされているっぽかったんですが、まあなんとなく。あいかわらずよみの扱いちいせぇ。大阪もほとんど出番なかったし。なんか原作コミックスも完結してしまうと、アニメの進行が物悲しく感じられてしまうような。もうあの世界の時間は循環するだけなんだよな。
「ちょびっツ」は怪談もの。アパートの開かずの部屋をめぐって、本須和くんがひたすら怖がるという。新保くんがますます献身的に。ほとんど無償の愛を捧げているよな。こんな感じで他愛ない話をやりつつ、アパートと管理人さんにひそむヒミツの伏線をはっていくんだろーな。
「アベノ橋」はいよいよラスト前。ハリウッド商店街ってことで、映画のパロディ。ゾンビとか物体Xとかいろいろ。スペクトルマンも←ハリウッドじゃねえだろ。絵はアレ。ロボットアニメのパロをやった回と同じテイスト。ギャグっぽい。あんど、やたらとキャラが脱ぐ。今回もあるみ丸裸。あとチチも揉まれてたな。ラストはかなり唐突で、あの流れで最終回に突入するとすれば、「死ぬのは誰なのか」。どんでん返しは果たしてあるのか? でも、ナレーションでさんざんっぱら「元の世界では雅じぃが死んでる」って言ってるしな。
とかいいつつ、実はアニメもそんなに見てはいない。創作ページも放置中。アクセス数はあまりチェックしてないけど、さすがにかなり落ちてきたようです。でも、とくに苦情もないというか、まったく反響ナシなので、このままフェードアウトしてもそんなに傍からはなにも言われないかもしれない。それはそれでちょっとさびしいけど、しょうがないな。
創作ページの更新ができなくなりました。いろいろ理由はあるのですが、ここには書けません。やめるわけではないです。
それはそれとして。
先週のアベノ橋は「ぽわぽわ(はあと)以下略」。サッシがあるみの気をまぎらわせるために魔女っこものの世界を作り出すが、あるみにとっては迷惑でしかない、という話。いままでとはちがい、意識して現世に帰るまいとするサッシの心根が哀れというか、あるみの怒りっぷりがかえって可哀想というか。パロディの中味については――ケロちゃんの出来損ないみたいなサポートキャラは笑った――それだけ。でも、なんつーか、カタストロフがわかってて、ドタバタを続けなければならないってゆー痛さを感じさせようというのが演出意図だとすれば、嵌まっているのだろう。あと3話で物語をどう閉じてみせるのか、ものすごく期待しています。
昨日の「あずまんが大王」からは2年生に突入。クラス替え〜神楽仲間入り〜仔猫物語、といったところ。あいかわらず よみの存在感薄し。かおりん以下。原作でも扱いが薄かったが、アニメ版ではかおりんが手厚くサポートされているだけに、よけいに凋落感がただよう。いいキャラなのに。そいや原作の最終巻が発売されてた。やっぱりともが好きだなあ。ケガするところなんて最高。ああ、ケガして泣く ともちゃんをはやく動画で見たい。ハアハアハア……。あと原作読みなおしたら、3年のときも ともは微乳だったよ! 訂正のうえ、謝罪と賠償を要求する!
さっきの「ちょびっツ」は「ちぃ 出会う」。ちぃが、もうひとりの自分(黒ちぃ)に出会う話。あと、巨乳高校生・裕美たんと秀樹のデート。思わせぶりなコトをいう子だね。これじゃあ秀樹でなくとも誤解しちまうよ。てか、バランス的に裕美は「めぞん一刻」におけるこずえちゃんなんだなと思ってしまうよな。デートのきっかけもそっくりだし(「めぞん一刻」では五代が管理人さんと見に行こうと用意した映画のチケットが無駄になったため、偶然出会った『バイト仲間』のこずえと一緒に見に行くことにする)。まあ、管理人さんがエプロンがけで竹ぼうきで掃除してたり、「めぞん」からイメージを借りてきているのは明らかなんですが、これを安易にパクリといってはいけません。「本歌取り」なのです。下宿に美人な管理人さんというのは、すでにお約束になっているのですから。
(C) CLAMP・講談社 / ちょびっツ製作委員会
「ちょっびっツ」の第10話「ちぃ 買う」。先週が総集編だったので、ひさしぶりにちぃと再会できたカンジ。全国(放送エリアは限られているが)のロボ子萌えたちはワクワクしながらその放送を待っていたにちがいない。
しかし、放送が開始され、オープニングアニメが始まった時点で、彼らの口からくぐもった呻きが漏れてきた。
「うぐっ!? じ、地震速報!?」
宮古島で震度3とか。
津波の心配はありませんとか。
オープニングアニメは毎週おんなじだから、べつにかまわない。しかし、この速報テロップが本編にも入ったとしたら……
だいたいこの手の速報テロップは二回くらい続けて入るものだ。
ロボ子萌えの男たちはじっと画面を凝視したはずだ。「頼む、二回目のテロップも、オープニングアニメの間に入ってくれ……っ!」
しかし、非情にもそのままCMになだれこむ。
ご存じのとおり、この手の速報はCMにはかぶらないことになっている。
放送局にとっては「コンテンツ(番組)」よりも「スポンサー(CM)」のほうが大事である、というごく当たり前の事実の帰結として、「CM中には、どんなに速報性の高い情報であっても、テロップをかぶせて美観を損ねることはしない」のだ。
そして、本編が始まった。バイト初体験をしたちぃが、その給料で初めて買い物をする話である。本須和のために、なにか買ってあげたいと考える健気なちぃ。その、アップに。
たぶん、日本各地において「ぐぃやあああ〜!」という、なにかに押しつぶされたっぽい嫌な感じの悲鳴があがったことであろう。
いや、なんつーか、地震の被害にあわれた方にはごめんなさい。不謹慎なハナシで申し訳ないです。
しかし……っ!
これはこれで重要な問題なのです。とくに録画とかしてて、保存を試みている野郎どもには。
テレビ録画派にとって、「選挙」とか「地震」とか「重大事件」は敵なのです。かなり。あとナイターによる放送時間変更とかも。
しかも、録画派の動揺を狙い澄ましたかのように、DVD発売のCMが流れ出す。
これは、「DVDを買え!」 そういうことなのか!? わざとか? わざとなんだろう、TBS!
ウワアアアン。
えーと……たぶん買うかもしれません。
しかし、今回のお話――パソコンを風呂に入れるってのは、ちょっとあんまりだよなあ、壊れるだろう、ふつう。
てか、すももをクリーニング液に浸けるってのはやってみたい。すごく。
アニメ版「あずまんが大王」、今週は榊さんスペシャル。榊さんネタ+ちよ誕生会。
声優さんの声にもなんとなく慣れてきて、放映当初からの違和感というものは薄れつつあるのですが、やっぱり気になるのが ともの胸の大きさ。
でかすぎる!
印象でいえば、榊さん>神楽>よみ(ここまでがグラマー)>かおりん(平均)>とも>大阪(洗濯板)>ちよ(子供) という感じであり、ともは「ないわけじゃないけど平均以下」の胸でなければならない。
しかるに、今回の話においてはやたら胸が大きく描かれている。ラスト近くのシーンにおいては、よみ並みかそれ以上の巨乳に描かれている。
オフィシャル設定は知らないが、すくなくとも原作によれば、一年生のときの身体検査におけるとものバストサイズは「榊さん−8センチ」であった(1巻参照)。
仮に榊さんのバストトップが88センチ〜90センチくらいだとすると、ともは80〜82センチくらいになる。82センチもあればかなり立派なものだ。アンダーバストが70くらいであれば、立派にBカップだ。これは、ともらしくない。大阪が「仲間」と認識していたからには(注・二年時に、胸が成長したともに対し、大阪は「うそっ、仲間ちゃうん」と発言した)、ともはAカップでなければならない。
つまり、
榊さん(88センチ)>神楽(86)>よみ(85)>かおりん(82)>とも(80)>大阪(78)>ちよ(70) ――が、一年のときのおっぱいヒエラルキーだ。
これくらいが妥当だと思うが如何。
そして、二年のときに榊さんは90センチを軽々と突破してしまったのだと思われる。そう、たぶん、96くらい! 75のEカップ! いやFいくか!?
それを追うともは、頑張って二年のときで84! 70のBカップにレベルアップ! つまり、この時点でAカップ仲間であった大阪とは別次元の住人になったのだ! しかし、榊さんとの差はさらに広がってしまった!
すなわち、二年生のときのおっぱいヒエラルキーはこうなる。
榊さん(96センチ)>神楽(90)>よみ(88)>かおりん=とも(84)>大阪(78)>ちよ(74)
たぶん、この時点で、ともはかおりんには追いついていると思われる。一切根拠はないが、そんな気がする。そして、何気に大阪は据え置きだ。それどころかちよちゃんの猛追を受けている感じ!
こういう時系列変化――すなわち、ともの華麗なる成長ぉ〜を描くべき「あずまんが大王」において、ともの胸を必要以上に大きく描くことは、もはや犯罪であるとさえ言える!
だめだ許さん、とにかく、ともの胸は微乳だ。そうでなくてはいけない。すくなくともいまのところは。
そういうことを、今回ずっと思っていました。←アホか。
榊さんネタは好きなんですが、今回はオリジナル部分がちょっとというか――かなりキツかったです。ラストもわけわからん。文化祭のときのラストはそれなりに牧歌的で好きだったんですが、今回はちょっと脈絡なさすぎです。
とにかく、ともの胸はもっと小さく描け! てゆうかお願いしますマヂで。
(C)あずまきよひこ・メディアワークス/あずまんが大王製作委員会
小学六年生のサッシとあるみが異世界をさまよう物語「アベノ橋魔法☆商店街」。
主人公たちと年齢が近い子供がこの作品を見たときに、たぶん、ある種の違和感を持つのではないかと思う。それは、サッシもあるみも「親」を懐かしがらないことだ。ふつうなら、異世界をうろつく・家に帰れない・というシチュエーションにおいて、子供が抱くであろう一番強い感情は「おかあさんに会いたい」「おとうさんに会いたい」というもののはず。しかし、サッシもあるみもそういった泣き言は一言も口にしない。もっとも、異世界は異世界でも、場所は「アベノ橋」だし、登場人物も見知った顔ばかり、父も母もその世界には存在している(ヘンな役でだが)。そのためだ、という説明はいちおう成り立つ。
しかし、ほんとうは、物語の軸が「あるみの祖父・雅之を中心とする因果」にあるために、そのフォーカスをぼかさないように計算ずくで「母」「父」に対する思慕の要素をオミットされていたのだ。雅じぃが物語の特異点であったのだ。そのため、それ以外の心的ドラマの要素はサッシからもあるみからも取り除かれていたわけだ。
第9話「泣くよ! うぐいす☆平安京」において、物語の構造の種明かしがおこなわれた。なぜサッシとあるみが異世界をさまよっているのか。なぜ(サッシとあるみにとっての)現実世界に戻れないのか。世界の謎を知るユータス(晴明)によって、サッシは自分の心に秘められた真相を悟ることになる。
――ある人物の死を受け入れなければ、現実世界に戻ることはできない。
単純な異世界漫遊ものではないことは1話や7話から予想ができていたとはいえ、その予想を上まわるシリアスさだ。
この過酷な状況を知ったサッシは思わず号泣する。
だが、ただ泣いて終わるのではない。ある意味能天気に、サッシは希望を取りもどす。それがこれまでのドタバタ話で確立されてきたサッシのキャラの強さだ。それはおそらくあるみのキャラの強さでもあるだろう。
物語において子供を主人公におくことが多いのは、困難に対して成長していく姿を描くのに適しているからだ。こういう構造の物語を「ビルドゥングス・ロマン」という。成長しきってしまった大人は、自分の能力にあまるトラブルに相対すると、もう逃げるしかない。自分の限界を知っているからだ。その「見切り」が大人の「賢さ」でもあるのだが、物語におけるカタルシスにはそれはつながりにくい。(むろん、大人が主人公でないと成り立たない物語もある)
「アベノ橋魔法☆商店街」は、サッシとあるみの心的成長を描く物語であるための条件をこれで満たしたことになる。ハードルが設定されたのだ。だが、しかし、現時点でさえ、サッシとあるみがこのハードルを超えることはあまりにも明らかだ。
ということは、もう一段階、なにかあるのだろう。
「異世界をさまよう子供たちがもとの世界に戻ろうとする物語」は、実は「子供たちが過酷な現実を受け入れるために成長する物語」であった。そして、さらにその先に秘められたテーマがあるはずだ。それがなんなのかは、シリーズ後半のドタバタのなかに、少しずつ形をとってあらわれていくのだろう。山賀監督の手腕が楽しみである。
それにしても、今回は予告! 予告のBGMがエヴァだったよ。ナレーションもエヴァの予告のパロだったし、あるみ役の声優さんも意識的にミサトっぽくしゃべってたし。さすがガイナックス、セルフパロディがお上手。これも、9話の内容がある意味エヴァ的だったから、それに対するスタッフ側の照れを逆手に取ったんだろうなと思ったり。
なんか恒例になってきましたが、今日の「ちょびっツ」、「新保・すもも 語る」は総集編でした。新作カットは新保とすももがお部屋で話しているところだけ。
新保の立場から本須和とちぃのこれまでを振り返るとゆーよーな感じで、ストーリー的には特になにも付け加えることはないんですが、あらためて新保くんの「いいひと」ぶりが浮き彫りになってます。なんかつっーと、本須和を助けていますね、このひと。ご近所のよしみかもしれませんが、甲斐甲斐しくさえあります。
もっとも、本須和&ちぃがらみで一番災難をこうむっているのはすももの方かもしれませんが。ちぃの解析のために一度逝っちゃってますし、総集編には出てきませんでしたがちぃをナビゲートする際にイヌに喰われそうにもなってます。さらには、のぞき部屋から逃げ出したちぃを追っかける際に、「ちぃの影響?」でフリーズしているし。今回の総集編も「本須和&ちぃがらみのデータでハードディスク容量が不足」っていう枕でした。(けっきょく増設してもらえることになった。よかったね)
それにしても、原作とちがい多香子センセとの関係がまだ明らかになっていない現状においては、新保くんは本須和&ちぃのお騒がせコンビの尻ぬぐいをするボランティアのようです。本須和と特に親しいようにも見えないのに(話とかまったく合わなさそう)、彼の親切さは根っからのモノなんでしょうか。それともなにか下心があってのことなのでしょうか。
まあどうでもいいっちゃーいいんですが、人気キャラ・すもものオーナーであること以外に、物語上、ほとんど意味づけがないよなあ、新保くん。
新保くんに恨みはないんですが、彼をヒールにした小説を書きましたよ。創作ページで公開中……。
(C) CLAMP・講談社 / ちょびっツ製作委員会
今日の「あずまんが大王」アニメは初夢スペシャル……。
ただでさえ間の難しいネタが多い「あずまんが大王」のなかでもシュールさではトップクラスの夢ネタをどう処理するかと思っていたら……やっぱり厳しかったみたい。
大阪の名セリフ「ちよちゃんは なんでとぶのん」からずっと滑ってた感じ。でも、難しいよね。マンガでだったら、読者がそれぞれのペースで読むところ、厳然たるタイムテーブルにのっけなくちゃならないわけだから。初夢スペシャルは特にそのギャップが大きくなりそうな気はしていた。
にしても、榊さんパートで「おとうさん帽子」のネタを削ったのは痛い。2年の文化祭のネタだからしょうがないとはいえ、「死ぬようなことを……」というセリフが聞けなかったのは悲しすぎ。あ、お父さんの声優は若本規夫氏で、違和感なかったです。感じ方は人それぞれかもしれないけど、作り物っぽいキイキイ声とかじゃなくてよかった。
原作にはないかおりんの夢パートが追加されてましたけど、これはなかったほうが……と思いました。スタッフはかおりんを偏愛しすぎ。かおりママまで出すし。かおりママの目の下の微妙なシワに萌えましたが。
でも、ベストショットは「微妙なシワつながり」で下のに決定。
(C)あずまきよひこ・メディアワークス/あずまんが大王製作委員会
どうやって読みを外すか、というところで、脚本・演出面ではかなり微妙な線を狙ってますね、今回の「ときめけ!アベノ橋☆学園商店街」は。
ギャルゲーの世界に飛ばされて、各種ギャルゲーのコラージュキャラにサッシがモテモテ状態になり、逆にあるみはその世界では埒外に置かれあまつさえチビ鬼にされキレまくり、果ては巨大化し街を破壊するに至るメチャクチャさ。
この作品、ギャルゲーコラージュはゲスト声優まで元ネタキャラに合わせる凝りっぷり(しおたん=ときメモ詩織=金月真美とか)。たぶん、そのスジの人はツボを刺激されまくりで、存分に楽しんだことでしょう。
しかし、なにか釈然としないっす。ゲストキャラの女の子はネタまみれで作画も薄っぺらなのだが、これはわざとそうしていると解釈できなくもない。つまり、その女の子たちはあくまでもコラージュであり、ほんものの女の子としての魅力を持っているわけではない、という演出意図を実現するための仕掛ではないかと。だとするなら、それに対して、あるみやムネムネはきっちり描かねばならないはずなのですが、これがよろしくない。とくにあるみが絵的に別人になってしまっているので、演出意図(そゆのがあったとすれば)が台無し。「ほんまに……そうしてくれる?」と涙目になるところは、コラージュ美少女よりも魅力的に描かねばならないのに……。たぶん絵コンテの指示では「気合い入れて描け」くらいはあったと思うのですが。※宮崎駿の絵コンテだったら「ここはイイ顔で!」とか赤鉛筆で入っていそうなシーン。
ドタバタとして見るなら面白かったし、作画も合っていたと思うけど、ドタバタのなかに一瞬 情感の芝居をはさむことで魅力が倍加する脚本だったと思うだけに惜しいなあと思ったです。
で、シリーズの展開としては、ここで初めてサッシとあるみが別れた状態で「つづく」となりました。たんなるドタバタ話にするつもりではなかったことが、これでも明らかなんだけど……。うう……作画がなあ……。
まあ、悪いといっても破滅的に悪い作画ではないので、誤解なきよう。でも、「命」たるべきシーンでのキャラの表情がアレだったのは残念としかいいようがない。ていうか、前の話の作画が良すぎたからなあ……。
5/24 もっぺん見直したんでちょっと補足&訂正。
脚本レベルでの出来のよさと、作画の弾けっぷり、声優の芝居(特にあるみ役の松岡さん)のバランスがきっちりとれていると再認識。あるみがキレまくるところは最高。セリフも笑える。テンポもグー。極上品。
昨日書いたこと自体は訂正するつもりはありませんが、シリーズのなかでも一番のおもしろさ(1・7話は別格として除く)だということは書いておこうと。
(C)GAINAX/アベノ橋製作委員会
昨日放送の「ちょびっツ」 第8話『ちぃ とまどう』
前回ラストでクリトリス・スイッチをクリックされてイッちゃったちぃがノーパンで市街を暴走。なぜか他のPCを次々とフリーズさせる。なんとか本須和が救い出し、事なきを得るが、本人には暴走したあたりの記憶はないみたい。で、ひつこくバイトをやりたがるちぃに本須和はケーキ屋のバイトを見つけてやる……といった話。
ちぃがずいぶんしゃべるようになった。しかも労働まで! ケーキ屋の制服を着たちぃはかわゆいですが、店長はちょっと無気味な感じ。
なんちゅーか、かなり危険な匂いがする話だなあ、いまさらながら。ちぃの言動は作中では単純に『無邪気』と設定されているが、社会生活を営む上では警戒水域。まあ、べつにいいんだけど。
原作のほうはぜんぜん読んでなくて、先週か先々週のヤンマガを立ち読みしたくらいですが、そのへんを合わせて推測すると、ちぃ自身、なんらかの精神治療用の検証プログラムのような気がしてくる。たとえば「エンジェリックレイヤー」の元ネタ(とCLAMP自身も認めている)である「プラレス3四郎」において、プラレスラー(プラモデルサイズの格闘ロボ)の技術が義手や義足に応用されていたというオチと似たような構造がありそう。
今後の話の展開としては本須和とちぃが愛しあうところまで持っていくんだろうが、そこは「ロボ子の記憶は抹消されなければならない」という「マルチの法則」によって悲劇的な結末になると見せかけて、じつはちぃの記憶や性格を引き継いだ生身の女の子(植物状態から奇跡的に復活?)が実は存在したって感じになるのかもしれない。日比谷さんがその主治医だったとかね。(日比谷さんがくれた服はもともとその女の子のもの、とか)
まあ、もちろんそんなベタな展開にはならないと思いますが、でも、マジにPCと結ばれる話というのもちょっとアレだしな……。いや、ちぃは好きですよ?
(C) CLAMP・講談社 / ちょびっツ製作委員会
今日のあずまんが大王は文化祭編でした。アニメ版では、けっこう二年とか三年の時のエピソードが混ざってたりもするんですが、今回はさすがに一年のときのネタで固めてました。にしても、『阪神』ってどんな形だったのか……謎だ。
アニメオリジナルの部分はというと、榊さんの手作りぬいぐるみ(ネコ……イヌだったかな)の悲哀。ちっちゃな女の子に「いらない」と突っ返されたのはかわいそうでした。あと、ラスト手前の「あしたも文化祭だったらいいのに……」的な雰囲気はよかったですね。なんか「祭りの後の高揚感と寂しさの混ざった感じ」がうまく出ていました。考えてみれば高校時代そのものが「お祭り」なんですよね。その場にいるとわかんないけど、過ぎ去ってみると、どんなに痛甘いことか……。あの「凱旋パレード」の後には、とってつけたようなオチはいらないような気もしましたが、でもアレがあるからやっぱり「あずまんが大王」だってことで。
あと、今日のベストショットは、どうやらスタッフに愛されているらしいかおりんの「あつぅい」から。
にしても、ともは、木村先生が着たあとの着ぐるみに入ったのか……。ううむ。
(C)あずまきよひこ・メディアワークス/あずまんが大王製作委員会
インターネットの面白さってのは、情報を相互に連繋できること――ハイパーリンクにあると思っています。
もしもこの概念がなかったから、望みの情報にたどりつくまでに階層型メニューをどんどん降りていかなくちゃなりません。このへんの手間のしんどさはニフティ・サーブ(パソ通時代)なんかの操作性を憶えている人には明らかでしょう。
あんなこと、こんなことを、ワンクリックで参照できる。このメリットはいったん享受するともう二度と捨てることはできません。
論文っぽいものを書くことを想像しても、参考文献から文章を引用するよりネット上に保存されているオリジナルの文献に直接リンクを張るほうが楽だし、よりソースの信憑性が増します。ネット上の文献の正当性を検証する作業が前提になりますが、今後の論考作業は印刷物よりもネットワーク上においてよりさかんになると思います。
これまで人類がたくわえてきた「知」は、書物の形から電子的ネットワーク上に移行することで、より広く、より容易に活用されるようになるのです。
そういう意味合いにおいては、創作系サイトの個々の作品にリンクを張る行為もそう悪いことではないのかもしれませんが――
え、なんの話かって?
たまにあるんですよ。個別の作品に直接リンクを張られることが。これって、対処にちょっと困ったりします。
うづきの基本的な考えはすでに書いたとおり、ハイパーリンクこそがインターネットの真髄だと思っているので、基本的にリンクを張る、張られることについて、一切の制限を加えるつもりはありません。インターネットに公開している情報はだれからもアクセスされる可能性があることを前提としているものであって、リンクを拒否するというのはおかしな話です。リンク・参照されることがイヤなのであれば、最初からネットに公開しようなどとは考えないことです。
ただですね、公開している情報がエチーなモノだったりすると、ちょっと話はかわってきます。そういうものを目にすることで嫌悪感を持ったりする人も世の中にはいるものですし、えてして世の中というのはヒステリックな正論に弱いものです。いくら「ひょーげんのじゆー」を叫んだところで、世界のほとんどの国で「有害情報」の公開には制限が加えられているのが現実ですし、なにが「有害」かは偉い人たちの硬直した感性で決められてしまいます。
「有害」に認定されるかもしれない類のモノを公開していくためには、それなりの自衛策が必要になってきます。
その自衛策のひとつがトップページに警告文を載せることです。成人向けであるとか、ある種の趣味の人向けであるとか、見たいなら自己責任でどうぞ、というやつです。その警告文を読んで、なおかつENTERをクリックしてきたとするならば、その行為の責任は閲覧者自身にあるといえます。
まあ、それがどこまで自衛策になりうるかは疑問のあるところですが、現在のところ、それがもっとも現実的な方法です。むろん、パスワード制限をかけて会員制とする方法も残ってはいるのですが――
作品直リンクというのは、そーゆー自衛策をふっ飛ばしてしまうので、けっこう迷惑なのです。
また、直リンクされる作品の著作権が侵害される怖れも、概念上は、ありえます。仮に、ですが、「ネット小説はここで読めます」というように宣伝して、他人の書いた小説やCGへの直リンク集を作った場合、そのページの著作権は誰のものになるでしょうか。
「引用」のソースとしてページを参照するのはよいのです。この日記でも、アニメのキャプ画面などをのっけたり、他人のページにリンクを張ったりしていますが、うづきとしては「引用の範囲を超えていない」と判断して行なっています。<補足:一般的に、文章の引用に比べて図版・映像の使用については厳しいことが多いです。そーゆー意味ではうづきがここでやってるキャプ画面貼りつけはヤヴァイといえばヤヴァイのですが、引用の範囲を超えなければ図版掲載は合法という判例はいちおう存在しています。とはいえ、原著作者が「問題あり」と判断すれば、その判断に従って削除等の対応はするつもりです。大目に見てほしいもんですが……>
リンク集についていえば、各サイトのトップページにリンクを張るのであればなんら問題ないと考えます。個々の作品にリンクを張る場合も、「引用」のソースとしてであればやはり問題ないと考えます。厄介なのは、自分のページのコンテンツとして他人の作品を列挙しているケースです。これはケース・バイ・ケースかな。他人のコンテンツを自分のモノにしちゃる〜という意図がなければいいような気もします。
まあ、ハイパーリンクにいちいち許可が必要になったらインターネット文化は死んじゃいますんで、なんとなくテケトーにいくのがいいかもしれない。
でも、張るならトップページに張ってほしいなあとも思うココロ。
これまでホームページでお金を稼ごうという発想はぜんぜんなかったのですが、創作ページのほうに、この際広告を載せることにしました。100万アクセス達成以降、さがりっぱなしのモチベーションを高めるためです。(小説をサイトのために書きおろすのは、ふつうの生活との兼ね合いからすると、けっこう厳しいものがあるのです)
広告収入をあげるためにはアクセス数を増やさなければなりませんし、そのためにはなによりまず更新をきっちりすることです。それはきっと、見に来てくださるお客さんにとっても悪いことではないと思うし、それに、広告だってきっとなにかの役に立つはず――そう考えたのです。
そういうこともあって、eビジネスの現状を調べるために(おおげさ)、某巨大掲示板でそれ系のスレッドを覗いてみました。
まあ目が行くのはアダルトサイトなんですが。
以前ほどはよくないと言いつつも、「月70万稼いでる」とか「家を建てるくらい貯めた」とか景気いい話がいっぱいでした。稼いでいる人は街で素人さんをナンパしてコンテンツ仕込んでいるそうな。なんか別世界〜。
いずれにせよ、アダルトサイトで本気で儲けようとすれば、かなり割り切らないといけないみたいですね。「インターネットで無修正のエロ画像や動画を見るじょ〜」と思いつつ、新品のPCの前に正座して、まずはヤフーからエロサイトを検索してやってきたいたいけな初心者に、『いつの間にか国際電話につなぎかえてしまうEXEファイル』を落とさせたり、『月100ドルもの会費を取る動画サイト』にクレジットカード番号を入力させたりしなければならないわけですから。あと、騙しリンク(無料エロ画像へのリンクと思わせて、有料サイトへジャンプさせる)とか、いろいろテクがあるみたいです。
うづきにはそこまでの根性がそなわっていないので、ごくごくおとなしい広告を載せることにしました。えーと、いまのところ、サーバー代どころかバス賃くらいにしかならなかったりしますが、それはそれとして、なかなか面白いです。クリックされる確率って、0.5%くらいと聞いていましたが、初日はほぼそれくらい。二日目、三日目と、低減しつつあります。これはうちの創作ページが比較的リピーターが多いせいかなと思ってみたり。そうすると、もしかしたら広告の入れ替えでクリック率は変化したりするのかもしれない、と思いつつ、いろいろ試しています。
こういう試行錯誤自体がおもしろいのかもしれないなあと思ったりしています。
規約によるとクリックを要請するようなことを言ってはならないことになっていますので、そーゆーことは言いませんが、うちのページに来られる方にマッチした広告を載せようというふうにも思ってますので、もしもよかったら利用してやってください。まあ、どっちにせよ、200人に1人クリックすれば御の字、そんな世界なんですから。
今日の話(「回想!魔法商店街誕生☆」)はよかったですね。うん。たぶんいい話になるだろうと予測していたけど、やっぱりよかった。
夢音(ムネ)という名前はかなりムリヤリくさいけど、可憐で最高でしたね。
雅じいの心の動きもすごく切なくてよかったです。
若さに任せてチンピラみたいに生きてきて、でも、好きな女の子のために頑張って人生を切り開いてやろうと思って、でも、望んだからといって夢がかならずかなうとは限らない。
自分が好きになった女の子が、自分のことを好きになってくれるとは限らない。
それどころか、ほかの男――それも、自分がよく知っているヤツに――取られてしまったとしたら――
痛くて、奇麗なお話でした。
ベタだけど、こういう話には弱いです。第一話以来、アベノ橋に浸りました。
こういう系は山賀監督のツボだよね、本人がどう言おうと。
次回は「ときめけ! アベノ橋☆学園商店街」か……。またドタバタにもどるのか。それはそれでいいけど、エクセルサーガの「ラブへな」とどっちが上を行くかな?
(C)GAINAX/アベノ橋製作委員会
WIREDに、セックスをテーマにしたオンラインのチャット&アドベンチャーゲーム「Playskins」のことが載っていました。
グラフィックはかなりヤヴァめというか、はっきりいってヘボいです。キャラのラフ(キティ博士 探偵 ゲイシャボーイ)とか、色々な意味で泣けます。これが立体になるとどうなってしまうのか、かなり心配だったりもします。舞台となる街のスケッチと来たら――小学生の図工の授業を思いだしてしまいました。
べつに絵がヘタだからこのゲームはダメだと言いたいのではなく、2Dのグラフィックに対するセンスが日本とアメリカではえらく違うなあと思ったのです。アメリカ人は、こーゆーキャラにグッとくるとすれば、相互理解の道は険しそうです。と思ったら、新たなデザイナーが参加したみたいです。おお、ちょっと巧いかも(ゲイシャボーイと比較)。
それにしても、こういうゲームについての「日本」の影響はどれくらいあるのでしょうか? 記事を読むかぎりでは『Myst』や『Tomb Raider』、『Quake』といったアチラ製のゲームのタイトルは出てきますが、日本のエロゲーにインスパイアされたというようなことは出てきません。
でも、なんか日本くせーなあと思ってサイトを見てみると、なんとこのゲームの舞台は日本だったのです! 1948年の日本の都市・Tochina(どこだよそれ)で、パンパン・ガールやヨシワラのホステスがいっぱいいるところらしーです。だいたいにしてこのゲームキャッチフレーズの「Anime Noir = RPG + Chat + MUD + H-game + Mystery + Open Source Love Game」からして、Anime、H-gameなど日本語由来のワードがちりばめられていますしね。日本の影響はかなり強いと言えるでしょう。
ちょっと脱線しますけど、アメリカ人の勝手なイメージで、日本は性風俗が乱れまくった国にされているみたいですね。日本が性に対しておおらかな文化を持っていたことは否定できませんが、それもキリスト教的な倫理観を勝手にグローバルスタンダードにした視点からの意見なわけで。言わせてもらえば、「戒律」を課さなければ際限なくヤりまくってしまう方が異常なのですよ。キリスト教ってのは、ある意味、先天的レイプ犯にまともな社会生活を営ませるために発達した宗教だとうづきは思ってます。このへんの性に対する衝動の強さの違いが、チャイルドポルノ問題においても、日本と欧米の温度差につながっていると思います。欧米のペドの凶悪さは、日本のロリとは次元が違うのです。日本人の善良なロリ者が『ようじょにハアハア』している時、欧米ペドは子供をかっさらってレイプしたあげく殺しているわけです。日本のロリ系の創作物が欧米ペドにも喜ばれていることは事実ですが、日本のロリと欧米のペドにはかなり違いがあるのです。もっとも、日本でも宮崎勉事件とかありましたけど、子供がらみの凶悪犯罪の発生率は桁が違っていると思いますよ、正確なデータはないけど。日本とアメリカの温度差の一例として、こんなコラムを見つけました。
考えてみれば、彼女たちが目指しているモノ(参加者がセックスに至るまでの過程を楽しみ、会話を交わすようになる形のセックスをウェブに導入したかった)というのは、日本のエロゲーの大半(恋愛シミュレーション要素のあるアドベンチャー)にすでに実現しているわけです。別に目新しいものでもなんでもありません。
しかし、アメリカのエロゲの主流はいまだにストリップポーカーで、ゲーム性とセクシャリティが分離しているものがほとんどなわけです。エロ部分はぶつ切りのモロ画像に過ぎず、ゲームの面白さとは無縁であることが多いのです。
日本でも脱衣麻雀系がエロゲの主流だった時期がありました。それが、RPGやアドベンチャー、シミュレーションの要素を取りこんで、さらに「萌え」と「泣き」を実装して、ひとつのスタイルを完成させてしまいました。この分野における日本のリードは明らかです……って、リードしているから何、という気もしますが。
このオンライン・エロゲーも日本でなら、すぐにも実現しそうですね。PSOやFF11の18禁バージョンってのがあったとしたら、人気は出るでしょうか? うーん。いつか、コミケのエロ同人のノリが、オンラインゲームにまで押し寄せてくるようになるんだろーか。
ちょとコワイよーな気もする。
寝取られってトレンドなのか? そうなのか? CLAMPってそーゆーの狙っているんだな、そうだろう、そうに決まった。
というわけで「ちょびっツ」第七話『ちぃ 働く』。
お金がないと嘆くヒデキくんを喜ばそうとバイトをさがすちぃが覗き部屋に連れこまれて下着姿にされて、さあどうなる、というお話。
深夜帯とはいえ、テレビアニメとしては物凄く踏みこんでますね。いやすばらしい。
しかもパンツ脱いだ上に、覗き部屋の兄ちゃんに股間クリックされてるし。SEは『カチッ』だもんな。
それにしても、これが原作通りだとすれば、CLAMPってノリがエロ同人作家と同じですねぇ。そりゃあそうかもしれんなと思いつつ、そういう人々が大メジャーとして君臨している現在のアニメ・コミック業界って悪くないと思いまつ。
ぜんぜん関係なくて恐縮なんですが、前回のサブタイトル「ちぃ 弱る」ってのを見て、病床に臥している地井武男さんが目の前にちらついて困りました。
(C) CLAMP・講談社 / ちょびっツ製作委員会
「あずまんが大王」がおもしろいです。アニメのほう。この前の放送では体育祭でしたけれども、原作にはないオリジナル部分がけっこうイイ感じです。
大阪のお天気占いとか、かおりんの暴走っぷりとか(エピソードそのものは原作にもあったけど)。とくにかおりんのアレは、もう目をつむって声だけ聞くと、えらいシーンが想像できてよろしいですな。「榊さぁん、榊さぁん、榊さぁん」「手が、手が、手がぁ〜」「最高っ、最高っ、さいこぉ〜っ!」「死ぬぅ、死ぬ、死ぬぅうう!」とか、声質がすでにアッチ系で。いや、使えます。(何に?)
前回の榊さんといい、原作より一歩踏み込んでキャラを弾けさせているところが、なかなかうまい感じです。
このクオリティが維持されるんなら、これからも楽しみだな〜と。
(C)あずまきよひこ・メディアワークス/あずまんが大王製作委員会
「私が不愉快だから、それを禁止する」 まるで、そんな声が聞こえてきそうだ。
「児童ポルノ」禁止議定書に署名 国内法整備迫られる(http://www.asahi.com/politics/update/0511/002.html)
日本政府は10日、子ども特別総会が行われている国連本部で、18歳未満の子どもについて、買春やポルノを禁じた「児童売買・買春・ポルノ」と、徴兵などを禁じた「武力紛争における児童」の2つの選択議定書に署名した。ともに90年発効の児童の権利条約に付随するもので強制力がある。「買春・ポルノ」議定書は現在の国内法で対象外になっている児童ポルノの所持やアニメや漫画のポルノも禁じており、批准には国内法の整備を求められることになる。
署名は佐藤行雄国連大使が行い、立ち会った遠山敦子文部科学相(子ども特別総会政府代表)は、こうした問題に「積極的に取り組む我が国の姿勢を国際社会に示すことができた」とコメントした。
議定書は児童ポルノを、子どもの演技を含む性行為や性的部位を「いかなる手段かを問わず描いたあらゆる表現」と規定。その製造、流通、販売、輸出入や「こうした目的での所持」を禁じた。「主に性的な目的による描写であるもの」と表現の自由に配慮しているものの、アニメや漫画によるポルノも全面的に禁止している。
日本では99年に「子ども買春・ポルノ処罰法」が発効したが、ポルノ写真の所持やアニメ・漫画などは対象外となっている。またインターネット上の児童ポルノも原則として対象になっていない。議定書は国内法による「適切な処罰」を求めている。
一方、「武力紛争」議定書はアフリカ内戦などに見られる「子ども兵士」の撲滅を図るもので、子どもの定義を15歳から「18歳未満」に引き上げた上、徴兵を禁止するとともに兵士が18歳未満の場合は戦闘行為への参加を原則禁止した。自衛隊では少年工科学校生が対象となる。戦闘行為への参加は想定されていないものの、検討が必要となる可能性は残る。(10:55)
もうほとんど言うべき言葉がない。
『議定書は児童ポルノを、子どもの演技を含む性行為や性的部位を「いかなる手段かを問わず描いたあらゆる表現」と規定。その製造、流通、販売、輸出入や「こうした目的での所持」を禁じた。「主に性的な目的による描写であるもの」と表現の自由に配慮しているものの、アニメや漫画によるポルノも全面的に禁止している。』
これでは、今まで作られた文学、映画、漫画、演劇その他ほとんどすべてが抵触してしまう。許された議論は、ただ、「これは芸術だ! ポルノじゃない!」と主張することだけだ。
この定義には、ほんとうの意味で「子供を守ろう」とする意志などまったく介在していない。自分の信じる教義に反するものすべてを排斥しようとする狂信者の戯言である。そして、その狂信者たちによって世界が動かされているのが現実なのだ。
ばかばかしい。
こんな世の中、滅んでしまえ。
――と思ったけれども、やっぱり滅んじゃやだ。議定書で言う児童ポルノには擬似ポルノ(実在のモデルがいないもの)は含まれないという解釈もあるようですし。(5/14)
話題の「アベノ橋魔法☆商店街」ですが、第6話「夜霧の!アベノ橋☆ハードボイルド商店街」は、作画が1話にもどった感じでよかったーです。具体的にはキャラの身体がリアルになった。この話ではあるみがミニスカポリスっぽい格好や、酒場の歌手なんかになったりするのですが、デフォルメ調よりやっぱり頭身が高いほうがいいです。ミニスカートから伸びるぴちっとした太股とか、イブニングドレスの胸元のふくらみとか、いい感じです。ぜひこの路線でがんばっていだたきたい。
で、この話で、あるみとサッシが異世界をさまよっている理由が判明し、次は現代に戻れそうな感じでヒキになっています。予告をみる限りでは、次回で謎の男やムネムネの秘密がわかるみたいですけどね。おそらく全13話のターニングポイントとなるのでしょう。
あと、興味深いのは、サッシのあるみに対する恋心っぽい部分が表現されていたこと。このへんは終盤まで出さないと思っていたので意外……。まあ、こんな色っぽい表情を見せられたら、男の子的には降参せざるをえないだろうけど。
(C)GAINAX/アベノ橋製作委員会
「ハートキャッチいずみちゃん」(5/6の項参照)とほぼ同時期に連載されていた、やっぱり月マガのマンガで「どっきんロリポップ」というものがあるのです。
テレポート能力を持つ中学生の女の子・石川智子(微妙にいい名前だなー)が主人公なのですが、この能力が効果をあらわすのは智子の肉体にだけ、すなわち服はおいてけぼりになってしまうのです。毎回、智子はみんなに裸を見られてしまうのです。しかも全裸。
テレポートする女子中学生というとエスパー魔美が思い出されるところですが、魔美のばあいは服ごと瞬間移動してましたね。でも、やっぱり魔美もよく脱いでました。(ヌードモデルだし)
たぶん、20年くらい前だと思いますけれども、そのころは中学生くらいの女の子の裸を少年誌で扱うことが「セーフ」だったのでしょう。つまり、中学生というのは「子供」の延長線上にあって、セックスの生々しさとは無縁なものだと。子供の裸の、ちょっと先にある微妙なモノだったのではないかと思います。
いまだと、中学生がセックスすることについて、なんの驚きもありません。ぶっちゃけた話、セックスの対象としての女性の裸身は、ありふれた、珍しくもなんともないものです。そのため、中学生の裸体はかえってエロティックさを失ってしまったような気がします。
セクシャリティとは無縁な、初々しさを感じさせる少女の裸体が満喫できる「どっきんロリポップ」、やっぱり、復刻してもらいたいなぁ……。
「ハートキャッチいずみちゃん」の例もあるし、可能性はあると思うのですよね。そのほうが作者にも印税が入るわけだし。
てなわけで、ちょっと期待して復刊ドットコムを覗いてみましたが、あまりリクエスト集まってなかったです。道は険しい。
(C)井沢まさみ
「あずまんが大王」のテレビアニメはどーも賛否両論、というか、原作への思い入れが強い人ほどボロクソにけなし、原作を知らない層は「そこそこおもろい」という評価を下しているように見えますが、昨日放送された第五話については、原作ファンにもけっこうウケてたみたいです。(まあ、ダメっていう意見もむろんありますけど)
とくに、アニメオリジナルのシーン、いつもであればそこのところが原作ファンの集中砲火を受けるはずが、今回に限ってはおおむね好評だったような気が。
中でも人々に衝撃を与えた(らしい)のは、榊さんのフェラシーンでしょう。ピンク色のモノの先端を舌先でチロチロと舐めあげる榊さん――なんて、いやらしいんだっ!
「榊さん=猥談好き」という描写もあって、アニメ版のスタッフの榊さんへの愛情がひしひしと伝わってくる好演出だなあと思いました。
(C)あずまきよひこ・メディアワークス/あずまんが大王製作委員会
――というマンガが昔あったのです。作者は遠山光。月刊少年マガジンにおよそ20年前連載されていたそうですが……。さすーがにリアルタイムでは読んでないのですが、うづきはフランス書院文庫の復刻版コミックスを持ってました。(探したけど見つからないよ〜)
内容は、いずみちゃんという女の子が毎回脱がされてエッチなイタズラをされるというものです。(明朗活発、勝気でおっちょこちょい、頼まれるとイヤとはいえず、しかも、ものすごく感じやすい体質!)
もともとは、テレパシー能力を持った女の子という設定で、最初のうちはその能力で事件を解決するようなこともあったようですが、連載後半になると、ひたすら脱がされ、いじられ、感じちゃうお話になっていきます。
ところが、媒体が少年誌なものですから、裸になるといってもたいてい胸まで。イタズラされるといっても、性行為には至りません。過激なスカートめくりというか、子供感覚におけるエッチなイタズラをマンガ化したもの、といえるかもしれません。
このマンガで繰りかえし使われるシチュエーションは、いずみちゃん(や他の女の子)が行動の自由を奪われ、そこにつけこまれてイタズラされちゃう、といったものです。あるいは、ぐっすり寝入っているところを……とか。しかし、それが陰惨なものにならず、「もぉーっ! 菊丸くんのエッチー!(怒)」というセリフで済まされてしまうというところが素晴らしいというかなんというか。(菊丸というのが、毎回女の子にイタズラする張本人。読者の期待を裏切らないナイスガイ)
この手のマンガというと、いまでいえばさしづめ「エイケン」とかだったりするのでしょうが、「萌え」が文法化してしまい、キャラクターも読者の意表を突くものをわざと狙っているというか(爆乳小学生とか……)、純粋に明るく楽しくエッチなものにはなりえなくなっています。もってまわった、ある意味哲学的な「萌え道」を追求するものになっているような気がします。
その点、「可愛い女の子の裸が見たい! エッチなイタズラをしたい!」というリビドーをストレートに満たしてくれる「ハートキャッチいずみちゃん」は、時代というものもあったのかもしれませんが、貴重なマンガだよなあと思います。少年誌としての表現の限界(局部を出さない、セックスはしない)というのは確かにまだるっこしいのですが、逆にいえば「やっちゃったらオシマイ」なのです。というか、「いずみちゃん」の世界では、エッチないたずらは存在しても、セックスやレイプといったドロドロしたものはもともと存在していない。だからこそ、エロティシズムが濃厚になるのかもしれません。(「エイケン」の世界にはセックスの概念はあって、その手前までの描写がある。つまり寸どめ。「いずみちゃん」の世界にはセックスはなくて、その世界における限界に到達している――という違いがあるような気がします。というか、当時の月マガの読者の大半って、たぶん、セックスってどういうことなのか知らずにハアハアしていたと思うんですよね……)
というわけで、この「ハートキャッチいずみちゃん」が一部(?)の熱烈な要望によって復刻されることになりました。上下巻で、全話収録+新作+αとのことです。上巻はこの4月に発売されたばかり。うづきも注文したのですが、実はまだ本が手元に届いていないのです……。
ああ、早くいずみちゃんでハアハアしたい……っ!
公式ファンサイト http://www5a.biglobe.ne.jp/~izumi-/
復刊ドットコム http://www.fukkan.com/vote.php3?no=1233
(C)遠山光
続報っていうか、第4話まで進みましたので……。
第3話はロボットアニメのパロディでした。みどころは、あるみの野外放尿、ケツ出し、全裸前転、ノーパン大股開きあたりでしょうか。もう、ひどい話でしたわ。あかほりさとる脚本……。いや、客を楽しませようという意図は感じました。ええ。ただ、絵が思いっきりギャグ調なんで、1話とのギャップが大きくて鬱。
第4話はカンフーもののパロディ。少林寺三十六房とか北斗の拳とかブルース・リーとか。みどころは、ムネムネの「おに〜ちゃ〜ん」か。たしかにああいう妹は欲しい。激・欲しいとは思った。あと、あるみのパンチラ。この手のアホなパロディはもはや商業ベースではありえないと思っていたのですが……。
まあ、お話のほうは、ドタバタであるということは予測できるので、多くは望みません。でも、なんとかキャラを第一話のそれに戻してくれい。わかってはいるのですけどね、絵柄を意識的にかえているということは。でも、第一話のリアルなキャラクターでドタバタをやるほうがはるかに面白いと思うのです。
あと、「ちょびっツ」も4話まで進行。ちぃのセリフの大半が「ぱんつ」の話でした。でも、まあ、ちぃもけっこうしゃべるようになって、あれはオーナーとしては嬉しいだろうなあと感情移入。ちょうどシーマンに名前を呼んでもらったときのような喜びか。←かなり違う
先週あたりから始まったアニメなんですが、なんかすげーベタベタです。ガイナックス制作で、山賀さんが監督――っていうと「オネアミス」系の硬派ドラマかと思わせながら――実際第一話とかはめちゃくちゃシリアスな導入で、没落していく大阪の商店街の情景をていねいに描いていて、「すわ!文芸アニメ?」かと思わせるんですが、結局はスラップスティックだという。
ようするにガイナ版「じゃりん子チエ」なんだろうととりあえず理解してみました。第一話のサブキャラの描き方とか高畑勲っぽかったし。
お話の趣向としては、「アベノ橋商店街」という大阪のとあるさびれた商店街がパラレルワールドになってしまって、毎回「ファンタジーRPG風」とか「SF風」とか「カンフー映画風」などの「アベノ橋商店街」が現われて、ドタバタをやる、というもののようです。第二話の「アベノ橋☆剣と魔法商店街」では、もろ「ドラクエ」のパロディ(今更!)でした。
狂言回しは小学六年生のサッシ(男)とあるみ(女)。幼なじみでケンカ友達という感じ。あるみの方は、家の事情で北海道に引っ越すことが決まっている。ふたりで過ごせる最後の夏休みに、アベノ橋商店街を守っていた四聖獣が壊れて、たぶん空間が歪んだかなんかでパラレルワールドに迷いこむことになってしまった……
まあ、お話のほうはどうでもよくて、特筆すべきはあるみです。
アニメ史上、まれにみるリアルな体型を持った小学六年生ではないかと。子供ではない、大人にもなりきれない微妙な身体のラインを表現した希有なキャラクターではないかと思います。とくに、第一話、神社の境内のベンチに横たわっているシーンには恐るべき量感があります。肉体の質感、重みというものが感じられるのです。これに近い表現というと、「天空の城ラピュタ」で空から降ってきたシータをパズーが抱きかかえ、その重さに苦労するシーン、あれくらいしか思いつきません。しかも、あるみのこのシーンは、ストーリー的にはなんの機能も果たしておらず、ただあるみの肉体を具現化するためだけに存在しているのがすごい。(はっきりいって、この話に、あるみの肉体のリアリティなんて不要です。スラップスティックなんだし。)
もう確信犯的に、スタッフの、小学六年生の女の子の身体を描きたい、という欲望を感じるわけです。こういう欲望が感じられる作品は好きでたまりません。
あるみの声優さんは、「おジャ魔女あいこ」の松岡由貴さんで、ここでもじっつに軽快で愛らしい大阪弁を披露してくださっています。
今後がかなり楽しみな作品です。
放映局とか時間帯とかはこのへんで。
(C)GAINAX/アベノ橋製作委員会
えーと。コラムで書いたり(これ)、ここの日記で触れたり(これとかこれとかこれ)してきた、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」に関して、今年の秋の見直しがそろそろ本格化しつつあります。また、これとは別の法律ですが、同様にポルノコミックなどの出版物をはじめ、メディアに対してほとんど無制限に規制を加えることのできる「青少年有害社会環境対策基本法」の検討も進んでいるようです。
これにともない、ネットにおける反対運動も身の回りで聞こえてくるようになりました。
まず、「児童買春・児童ポルノに関する法律」ですけれども、この改正のキモは「児童ポルノの単純所有の禁止」と「規制対象に絵も含める」であって、これが実現すると恐るべきダブルスタンダード状況が現出します。つまり、法的には犯罪をおかしているのは同じだけれども、検挙されないグループと、見せしめ的に検挙されるグループが権力側の都合で選別されることになるでしょう。
たとえば、一般漫画作品であれば、設定年齢18歳未満の少女のヌードが多少出てきたとしても、単純所持だけで捕まることはほぼありえません。たとえば「ドラえもん」のコミックスでしずかちゃんの入浴シーンがでてくる巻を持っている人間を犯罪者扱いすることは、まずしないでしょう。「らんま1/2」の高橋留美子先生も大丈夫です。てゆうか、ベストセラー作家として地位も名誉もお金もあるVIPの作品に対して、公権力が失礼なことをするはずがないじゃありませんか。ただし、今後の作品については、表現はかなり制限されることになるでしょうね。それは出版社側がリスクを避けようとするためです。
一方、ある種の出版社や作家・団体に対しては、見せしめ的に手入れが入る可能性があります。むろん、この法律の改正が実現すれば、そういった会社・団体は摘発を受けないようにするために、所有している原画や出版物を処分してしまうでしょう。つまり、当局としては、気に入らないメディアに対する牽制・圧力のカードとしてこの法律を使えるようになるわけです。また、ある種の犯罪の立件を目的として、容疑者を別件逮捕する手段にも使われるでしょう。たとえば、近所で小学生の女の子が変質者に襲われたりなんかすると、その周辺の男性でロリ系のコミックや写真集を持っていそうな人物をピックアップして強制捜査する際、口実にできるわけです。
この法律の主旨は、子供の性が搾取されないように――ようするに、子供が身体を売ることを強要されたりすることがないように、そのような環境をなくしていきましょう、というものなのですが、ロリマンガのような「気色の悪い変態の読み物」はとりあえず排除しちまえという方向になっていきそうな感じです。
まあ、うづきとしては、エロマンガの既得権を守れ〜みたいなことは叫んでもしょうがないと思ってはいます。いまのエロマンガ、けっこーやりたいほーだいというか、修正入れずに性器まるだしとかやってますし、「こりゃー規制されてもしょーがないよな」と感じてはいました。あと「このマンガの登場人物はすべて18歳以上です」とかただし書きつけたって、キャラがランドセルしょってたりしたら意味ないだろうとかとも思いますし。
まあ、絵において、それが設定上17歳だからアウトで18歳だからセーフだなんて議論は不毛すぎますけどね。
それでも、結果としては、アダルトビデオは女優が18歳以上であれば問題ないのに対して、エロマンガは劇画調のものを除いてほぼ全滅ということになるでしょう。だって、アニメ絵だと、20歳と15歳で、顔の描きかたも身体の描きかたも変わりがないですから。おそらく、濃いエロ劇画の描法がスタンダードになって、かならずアンダーヘアを描かなくちゃいけないとか、ナイチチとか童顔はやめろとか、そーゆー感じになるんでしょうね、げはは。
なんちゅーか、現実の女性が性行為を見世物にしているAVのほうが、エロマンガよりもえげつないと思うんですけどね、フツーに考えると。でも、法律を厳密に運用すると、まったく逆の状況が出来するわけです。笑っちゃいますね。
「青少年有害社会環境対策基本法」のほうはさらに曖昧模糊としていて、「とにかく青少年に有害なものにはお上が指導できる」という感じの法律です。これはもともと各都道府県レベルの条例で、有害図書(ポルノ雑誌とかビデオとか)を規制していたのですが、それを国法レベルでやりましょう&ネットとかいろいろメディアが広がっているので、そのへんもひっくるめて規制できるようにしましょう、といった主旨の法律のようです。つまり、「これがイケナイ」「こういう形(メディア)で伝えるのはイケナイ」というような規定はなくて、「とにかく有害だとお上が判断したものはぜんぶイケナイ」というアバウトかつ行使する側にとっては実に便利な法律です。まあ、「これがイケナイ」ということを明記しちゃうと、その裏をかく業者があらわれるので、規制対象をわざと絞っていないのでしょうが、なんともはや乱暴な話ではあります。
なんちゅーか、人々の性への嗜好も、お上に届出しないといけないんですかね。SMとかスカトロやスワッピングとかはお咎めなしみたいだけれども、ロリ者は問答無用にペドフィリア認定されて犯罪者予備軍扱いってわけです。
ばかげてるよなあ。たとえば子供に欲情したって、現実ではなにもしなければ問題ないだろうに。
ましてや今度は「絵」ですぜ。「絵」もダメなんですかいとくらあ。
たとえば、源氏物語の光源氏は立派なペドキャラなんですけどね……。彼は10歳の少女を見初めて自分ごのみに調教して、14歳でむりやり妻にしちゃったんですから。源氏物語絵巻なんて、やんどころない令嬢がきっと手すさびのオカズに使ったことでしょう。エロシーンはないけど、シチュエーションは充分エッチだしね。つまり、平安時代から、やおい本はあったってわけで。
浮世絵だって、江戸時代のナイタイ(風俗情報誌)であり、エロマンガだったわけでしょ。
日本にはそういう文化的な土壌があったわけですよ。絵をつかって妄想を楽しむというね。
はっきり言って絵については16世紀以前にはたいして見るべきもののないヨーロッパや、さらにそこで食い詰めた人々が海を渡って作った国の人たちには、とても想像できないレベルの2次元エロティシズムが日本には上古からあったし、現在もあるんですけどね。
ちょっと話がズレズレで申し訳ないですけれども、「絵」を規制しようとしている人たちは、ようするに「絵」に対する感性のない人たちだと思いますね。つまり、「絵」は実物の代替物、劣化コピーだとしか捉えられない人たちです。彼らには、ロリマンガがその画面自体で完結しているものだとは考えられないわけです。つまり、ロリマンガは、実際に子供をレイプする疑似体験を提供するものであると、それをやむをえず「絵」で代用しているのだと。
でも、ちがいますよね?(と、とりあえず訊いてみる) 2次元キャラに萌える人々は、現実の女性の代替物としてではなく、それ自体へのラブを感じているケースが多いはずです。これを「キモイ」と感じるのが、ようするに「絵」音痴な人々なわけです。「絵」への感性を持っている人間からすると、たんなる「センスのない人たち」に過ぎません。
ただ、なんちゅーか、そーゆー人たちのほうがまっとうに見えるし、世界的にも多数派だったりするんで、困っちゃうんですよね。日本ほどそういう「絵」の大衆文化が発達し存続してきた国はほかに(たぶん)ないわけだし、味方はおらんのです。ユニセフのエライ人たちが「日本はけしからん」と言う→日本の議員センセイ(絵心なし)が賛成→法律できちゃうというカンジです。
ちゅーか、なんとなくここまで書いてきて、危機に陥っているのはエロマンガというものに限らず、日本人の民族的な絵心かもしれないと思うようになってきました。
ああ。
世の漫画家のセンセイたちにこそ立ちあがってほしいのですけれどもね。エロマンガ家以外は、ほんと、対岸の火事ていどにしか思っていなさそうなのがはがゆい。
1/26付けの日記で書いたCD-ROMつき雑誌(というより、雑誌つきCD-ROMだな)が発売されました。某社の「なんとかかんとか」というやつです。
で、まあ、どんな感じかと思って買ってみました。記念に。
そしたら、思ったより掲載作品が少なくて(それでも500本って書いてあったけど)、逆の意味で驚きましたね。いったいどういう基準で選定したんでしょう。日本語で書かれていてウェブに公開されている小説は死ぬほどたくさんあるのに、どうしてこんな中途半端なセレクションになるんでしょうか? うづきの知る限りだけでも、オフラインだろーがなんだろーがこれは読めよゴラァというような傑作でここに漏れているものは山ほどあるのです。てゆうか、そういうところからは掲載断られたのかな? 「あんたんとこの全作品を」と言われて「は〜い」と応じたうづきってヴァカ……?
これくらいの収録数だったら、うづきも掲載数を絞ったのになあ……。1本でいい。500分の1。そのかわり、うづきはじめの名刺になるよーな作品をチョイスしたのに……。これでは一山いくらの特売品みたいで恥ずかしいです。
それにしても、おしい企画ですねぇ。
ウェブ小説の総覧をCD−ROMでやったら、これはたぶん文化事業ですよ。500本だったら500本でいいけど、対象とするサイト数を500にして一定水準の作品のみ載せるようにし、それを四半期に一回ずつでも更新したら、これは凄いことです。
たぶん、ウェブに発表される小説のうちのトップグループは、本になって売られているものと比べても遜色ないどころか、おそらくは出版業界にとってのカンフル剤になりうるレベルだと思うんですが、そういうのをきちんと紹介・評論するシステムは存在していないのです。
もしもそれを「なんとかかんとか」でやったら、たぶん、某社は非常に優れたソフト資産を持つことになるとおもうのですけれどもね。(データベースとしてもけっこう価値が出るはずです)
そのためには、生まれては消える小説サイトをウォッチしつづけ、作品に対するアンテナも鋭敏にしておかないといけないわけですが……。
あと、いま、雑誌の内容見たんですけどね……。うぐぅ……。ほかの作品はあらすじが書いてあるのに、うづきのはすべてに「この小説には本来ハイパーリンクによる分岐があります」としか。えーと。「千景さん」とか「ジャリン」には分岐ないですけど。それに、そーゆー注意書きは小説本体のテキストデータに添え書きとしてあればいいことであって、誌面にはふつうは作品のタタキ(読みどころ)を書くでしょ?)
うがああ。信じられん。うづきがコメント書くよ、レイアウトも指定するよ、印刷屋とも交渉するよ〜。←そんなこと言ったってしょうがない。
次回(はないと思うが)、もしもこういう機会があったら、本業で業者を相手にする時と同じように、コメントを入れる位置からなにから、ひとつひとつ指定することにします。
ここまで書いて、いったん日記をUPしてから、ROMを見てみました。
あらら〜。HTML形式で収録されている作品あるじゃん! ハイパーリンクしてんじゃん! 絵までのっけてるじゃん!
――ったまきた!
消去消去、抹消抹消。宣伝になったらいやだから、雑誌名も出版社名も伏せることにしました。
もう、こんなことはやりません。本来望んでいなかった形に作品を改変したのはうづきの過ちでした。気をまわして、バカみたい。
とにかく、二度とこういうことはしないよう、胆に命じます。この雑誌も脳内から消去しよう……
先日、創作ページのほうがめでたく100万アクセスに到達しました。訪問してくださった皆さまには感謝の言葉もございません。
100万なんて、ページの運営を始めたころにはまったく夢の数字でした。最初の半年間で6万アクセスくらいでしたから、そのペースだと100カ月(8年強)かかるわけで、「こりゃ無理だ」と思っていました。
でも、そのくせ、カウンターはいつも7桁表示の設定にしていたりして、100万という数字はやっぱりひとつの目標というか、夢でした。それが達成できたのだから、すなおに嬉しい。
見渡してみるとエッチな小説のサイトって、ものすごいアクセス数のところが多くて、100万、200万なんてページはざらです。エッチ小説のリンク集・更新チェックのページなんて一千万アクセスを超えちゃったりしてます。
まあ、そういう華々しいページとうちの創作ページはあまり比較にならないんですが、うちの方針は、好きなことをテケトーにやるということなので、作風はめちゃくちゃ片寄ってるし、更新頻度もすごーく間があいたりもします(最近はちょっと更新はやいかも、と思ってますけど)。
もしも、いまのペースが今後変わらなかったとすると、200万アクセスに達するのはたぶん1年半〜2年後くらいでしょう。
……ページは残っているのだろうか。
それに、200万って、たぶん100万の時ほどは嬉しくないような気がするんですね。桁が上がるわけじゃないし。だからといって1000万アクセスを目指すのは、徒歩で月へ行こうとするようなものですし。
なので、アクセス数にこだわる必要は、実はもうないんですよね……。
モチベーションがさがる気が……。これも燃えつき症候群なのかな?
まあ、感想がもらえたら全然だいじょうぶなんですけどね。
「ちびくろさんぼ」という童話があります。うづきは子供のころ、このお話が大好きで、絵本を何度も何度も読みかえしたものです。ところが、大阪の市民団体「黒人差別をなくす会」がそれに異を唱え出しました。いわく「これは黒人差別を助長する悪書だ」と。結局、「ちびくろさんぼ」は廃刊となってしまいました。http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/sambo/P00.html
「ドリトル先生」はエディー・マーフィー主演で映画にもなっているように、たいへん有名な童話ですが、それを日本に紹介した井伏鱒二(日本文学の巨匠の一人ですね)の翻訳本が差別表現で回収騒ぎになっています。http://www.asahi.com/culture/update/0204/001.html
黒人差別をなくす会副会長の有田利二さん(大阪府堺市)は「ドリトル先生シリーズのこれまでの改訂でも差別表現を別の表現にかえてきた。問題があることは知っていたはずだ。子ども向けの本には細心の配慮をすべきなのに、問題に気づいていながら出版を続けてきた姿勢に強い憤りを感じる」と話していた。
この件についても問題提起は件の市民団体です。市民団体っていっても、大阪のある家庭内で結成されている会らしいんですが、まあ、それはどうでもいいです。http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/ganbare.html
こういった動きはいろいろなところにあります。マンガやアニメでもです。
「ジャングルくろべえ」というアニメがありました。アフリカから魔法使いの少年が日本にやってきていろいろな騒動を起こすという作品で、藤子不二夫(当時)原作でした。主人公のくろべえの「ウラウラウラ〜ベッカンコー」という呪文は今でも忘れられません。たしか声は肝付兼太さんだったと思います。この作品も「ドジン」が描かれているという理由で消えてしまいました。もうどこでも再放送されることはないでしょう。
「母をたずねて三千里」というテレビアニメは、高畑勲が演出し、宮崎駿が画面構成を手がけたという、今や日本アニメ界の巨匠として有名な人々による名作アニメですが、この作品のなかで主人公が「乞食」とののしられるシーンでは、現在の放送ではセリフの音が消されています。
過去の作品のセリフを改竄したりなどという例は枚挙にいとまがないでしょう。
差別発言というものを規制するにあたって、「言葉を消す」「絵を塗りつぶす」「作品そのものをなかったことにする」といった段階はあるにせよ、通底する考えは「削除すれば、差別はなかったことになる」という誤った認識です。
しかし、「言葉」を、「絵」を、なくしてしまったからといって、差別はなくなりません。むしろ、「差別」のありかを曖昧にして、問題を地下に潜らせてしまうだけです。
たとえ、差別表現が作品のなかにあったとしても、その表現そのものは、差別というものの正体を明らかにするためには有効なもののはずです。それはどういう意味なのかを考える機会にこそなれ、「差別を助長する」だけということはないのではないでしょうか。
ましてや、差別的な意図がない文脈で使われている言葉や絵を、単に「規制の基準にひっかかるから」という理由で削除していくのは、暴力以外のなにものでもないでしょう。
放送局の放送コードというのは実は単なるガイドラインにすぎず、法的に根拠のあるものではありません。放送禁止用語の中には、上記のような「市民団体」からの圧力によって定められたものや、クレームが予想されるものを先回りして禁止用語にしてしまったものもあるようです。報道する側が、初めから表現に制限を加えることに同意しているのです。
笑ってしまうことには、たとえば「百姓」といった歴史的に由緒があり、古くから一般的に使用されてきた言葉すら「狩られて」いるのです。「百姓」とは「百の姓」ですよ? いま生きている日本人の大多数が、数世代さかのぼれば百姓だったのですよ?
ごく限られた時期に、ごく限られた数の人間が、「百姓」という言葉を「このドン百姓めが!」などと蔑みのトーンで使っただけで、この言葉は抹殺されてしまったのです。本来、誇りを持って自称されてきたであろう言葉が、「蔑まれる職業」を示す言葉に転落してしまったのです。
長い目で見れば、言葉狩りがいかに虚しい作業であるかがわかります。
狂牛病をBSEと言いかえ、精神分裂を統合失調と言いかえたところで、酪農家は救われはしないし、精神病患者が社会に暖かく受け入れられるわけでもないのです。解決すべき問題は、呼称などとはまったく別のところにあります。言葉だけをとりつくろっても、なんの解決にもなりません。
むしろ、言葉の多様性、表現のバリエーションを奪うことは、文化的な退歩につながることになるのではないでしょうか。文化的に後ろ向きな社会が、はたして問題解決能力を持ちうるのか、はなはだ心もとなく思います。
「差別」ということをすら、きちんと表現できる社会。そのほうがずっと健康で、力強い社会なのではないでしょうか。
先日、アメリカで子供を虐待し、クローゼットに何年も閉じ込めていたという母親が終身刑の判決を受けました。この女の子はまともに食事を与えられず、発見された時には排泄物にまみれ、体重も平均の半分くらいしかなく、瀕死の状態だったといいます。
この子は父親からは性的虐待を受けていたらしいという話もあります。
また、ちょっと古い記事だったりしますが、世界規模の児童ポルノサイト(ランドスライド社)の摘発に際して、反児童ポルノ団体の責任者はこんなコメントをしています。
アフタブ理事は特にランドスライド社についてはコメントしなかったが、商業サイトは非常に危険で、狙われる子供たちには命の危険すらあると述べた。「これらのサイトは特に凶悪だ。彼らの多くは、子供たちを虐待した後で殺してしまう。彼らは東欧や南米など外国の子供を使う。想像を絶する世界だ」(http://www.hotwired.co.jp/news/print/20000417203.html)
スナッフムービーと呼ばれる、実際にカメラの前で人間を殺してしまう犯罪ムービーの被写体として、貧困層の子供が使われているようです。その子供たちはレイプされ、そしてその後殺されてしまうのです。
考えてみれば、おとなであれば職業として売春婦を選択したり、ポルノ女優になることもありうるでしょうが、子供の場合、それは強制でしかありえません。
児童ポルノとは、そのような純然たる犯罪行為によって成立しているものなのです。(貧困、というより大きな問題もありますが……)
これが世界の「常識」であり、その立場からすると、「児童ポルノ撲滅」に異をとなえる人は、まともな神経の持ち主であれば、まず、いないでしょう。
ところがです。
その「常識」がしばしば暴走することがあります。
アメリカでは、子供の裸の映像は性的なシーンであろうとなかろうと、一律にポルノ扱いされてしまうようです。有名なところでは、カルバン・クライン社の広告写真のケースがありました。(http://www.weeklypost.com/jp/990312jp/brief/opin_3.html)
半裸の男の子たちが楽しそうに遊んでいる なんでもない写真が、ポルノチックだとして物議をかもすという時点で、かえって恐怖を感じます。
それだけ、アメリカではペドフィリア(幼児性愛者)の犯罪がたくさん起きているということなのでしょうが、うづきの「常識」からすると、この「常識」は異常です。
アメリカのポルノはご存じの通り無修正なので性器がバッチリ映っていますが、逆に子供の裸はセクシャルな意図がなくても問題になるのです。
かつて、日本では女性のアンダーヘアが写った写真は規制されるものでした。逆に、子供の、つるんとしたワレメは規制の対象ではありませんでした。ところが、いまや、その基準は逆転してしまっています。じょじょにアメリカに近づいてきていると言ってよいのかもしれません。
それでも、まだ、男の子については、テレビや広告でも、オチンチンが出ていても問題になることはないようです。女の子についても、お風呂で上半身裸というものはたまに見受けられます。
日本はアメリカほど病んではいないんだなあ、と、思います。
とはいえ、このアメリカの物差しが日本にも押し付けられてきているのが現状です。
だいたいにして、「児童ポルノ」ってなんなんでしょう。
たとえば、ちっちゃな子供が裸で遊んでいる写真を、ある人は微笑ましいシチュエーションと思うかもしれませんし、ある人はそれでオナニーしちゃったりするかもしれません。それも、人それぞれです。
人はそれぞれちがう感性を持っています。ハードウエアとしての脳はほとんど共通ですが、そこにおさめられているソフトウェアというのは、一人として同じものはありません。
ですから、性欲にむすびついた感覚についても、人それぞれ、基準はちがっているのです。
一括りにするのは、ムリがあるのです。
たとえば、どこかの国では、日本の相撲取りの写真すら発禁だそうです。理由は女性の胸を連想させるからだそうです。もしも、その国が世界の覇権を握って、思想統一に乗り出したら、日本の国技・相撲もエロエロショー扱いですね。馬鹿げてると思いませんか?
だからこそ、「児童ポルノ」とそれ以外を、きちんと区別する必要があるのです。具体的には、犯罪とは無関係な「子供のヌード」や、実在の子供が何ら被害を受けない「絵」は、明らかに「児童ポルノ」とは別のものです。
子供の裸を否応なく「いやらしいもの」と認定する世界――そんな世界で暮す子供たちが幸せになれるのか、はなはだ疑問に思います。
<補足>
アメリカ社会の異常性について、こんな記述を見掛けましたので引用します。
「アメリカで行われた、最も正確な科学的研究によると、長期にわたる面接の結果、男性の30%、女性の40%の人が、幼児期に性的いたずらをされたことを覚えていました。また、その半数のケースは、肉親からの近親相姦によるもので、残りの半数は、近所の人間からのものでした。」(http://www.aa.alpha-net.ne.jp/hosa2/65sexabuse.html)
おいおい。その数字を信じると、アメリカでは男性の15%、女性の20%が近親相姦しているってことになるぞ。40人学級だと、クラスメートのうち、男子3人、女子4人が近親相姦体験者だ……。
これが事実だとすると、「すでにアメリカ人は人として終わっている」と言いたくなります。
望むらくは、この性的虐待というのは幅が広いものであって、たとえば、お風呂をのぞかれたことがある、とか、胸やおしりを触られたことがある、とか、親からしたらスキンシップのつもりでおこなったことが、アンケート結果としてはおおげさにプロットされているのだと思いたい……。
この前、ある出版社から、たぶんCD-ROMつき雑誌だと思うんですが、ネット上で公開されている小説をCD-ROMに収録したいんでうんぬん、という内容のメールをもらいました。(ネットで小説を公開しているオーナーに無差別に出したっぽい)
その手の依頼は以前もあったんですけれども、問い合わせをしているうちに締め切り過ぎちゃったり、こっち側でなんとなくシカトしたり、沙汰止みになることが多かったんです。
というのは、うづきとしては、うづきはじめの小説は「超世紀莫迦」でしか読めない、というのをひとつのボトムラインにしていて、ネット以外の媒体での活動は基本的に考えていないからです。
それにやってることがアレなんで、あんまり関係ない人の目に触れるのもナニかなー、と。
ようするに、ネットで好き勝手やってるのが楽しいんで、それをきっかけにゆーめーになろーとか、かねを稼ぎたいとか、必ずしも思っているわけじゃないんです。いや、稼げるんならちょっと考えますけどね……。でも、優先順位はネットで好き勝手する方が上です。
だから、雑誌に載るとかいうのは、どーでもいーんです。載れば載ったで、ネットでの活動の障害にならなければ歓迎するし、載らないならばそれでOK。てゆーか、うづきのお客さんはサイトに来てくれる人であって、雑誌を買った人ではないです。雑誌を見て、サイトに来てくれる人がいたとしたらありがたいなー、とは思いますけれども。
などと、否定的なことを書き連ねたりしていますが、今回の呼びかけには応じるつもりでいます。
なぜか。
まあ、それは、ネットでの公開をいつまでも続けられる保証があるわけでもないですし、突如としてホームページを失うかもしれませんしね。
正直なところ、なんちゃら法がどーかなってしまって、各プロバイダの規約が厳しくなったら、自動的に消滅する可能性が高いですし。
そんな不安定な立場にいる者としては、なんらかの形で作品が残せるならば――そして、それが不特定多数の人たちの手元に、そして記憶に、残るかもしれないのであれば――その機会は利用させてもらってもいいかな、と思ったのです。
ただ、やっぱり掲載にあたっては制約がありまして……
挿絵ナシは当然というか、ヘタレ絵なんで載っちゃまずいんでよしとしてもですね、分岐もアウトなんです。
ハイパーリンクが禁じ手になっちゃったら、ネットで公開している意味が半分くらいなくなっちゃうんですけどね。
まあ、しょうがないんで、無難な選択肢を選んで一本道のテキストにしました。
あと、一部書きなおしや書き足しをしよーかとも思ったんですが、それはやめときました。
なんでかっていうと、最新作はサイトにこそ載せるべきだと思ったからですね。
少なくとも、うづきはじめの最新の小説は「超世紀莫迦」でしか読めない、というラインは維持するということで。
まあ、でも、CD-ROMなんで、世のネット小説のかなりの数が収録されることになるでしょーし、楽しみではありますね。
この手のCD-ROMが、ネット小説の総覧として、定期的に更新されたらおもしろいかもしれません。一方で、ネット上の小説データは日々増加し変化していくわけですから、その対比を見るのも興味深いです。
ちょっと前に、「The かぼちゃワイン」ネタで雑文を書いたりしたのですが、この前、テレビアニメの第一話を見る機会がありました。春介とエルのなれそめをそこで初めて知ったのですが、それは予想を上まわるものでした。
女ばかりに囲まれて育った青葉春介は、転校を機に、男ばかりの環境に飛びこもうとします。男子校かつ寮制のサンシャイン学園に入学し、男汁まみれの生活を送ろうというのです。なんかすでにヘンなひとですが。
で、転校初日に学校で出あったのがエルなわけです。彼らのファーストコンタクトは、こんな感じ。
だれもいない学校の庭で腹ごしらえをすべくおむすびを食べていたところに、大柄な女の子が現れ、おむすびを欲しそうに見つめます。しょうがなくおむすびをくれてやる春介。女の子は大喜びでおむすびを食べます。女の子は自分のあだ名はLサイズのエルだと言い、春介はSサイズだから、SLコンビね、などと意味不明な発言をします。
この時点で、ふつうの人間なら電波を感じて引いてしまうところですが、春介はエルに校内を案内してもらうことになります。飼育小屋でエルのパンツを盗み見たりして、春介はけっこう女好きな一面も見せますが、その時の騒動がもとで春介は水をかぶってしまい、着替えが必要になりました。
そして、エルは春介を自分の部屋(女子寮)に連れこみ、春介の服を脱がして、自分の服(ネグリジェ)を着せてしまうのです。この時点で、かなりエルたんの思考回路に異常なものを感じてしまうのですが、みなさんはどうでしょうか?
むろん女子寮は男子禁制です。自分の服(エルに洗濯されてしまった)を探して、寮内をうろつく春介は、シャワールームに入り込んで、シャワーを浴びていた女の子に痴漢扱いされてしまいます。
これが、男子寮(すぐ隣にある)をも巻き込んだ痴漢騒ぎになってしまうのですが、その原因を作ったとして、エルは反省室のようなところに閉じ込められてしまうのです。
最初は我関せずな態度だった春介ですが、エルが夕食抜きで閉じ込められていることを知ると、その部屋に窓からおむすびの差し入れをしてあげます。そのおむすびに感激したエルたんは、夜中にもかかわらず、大声で「春介クン、だ〜いすき!」と告白しまくるのでした。
つまりですね。
エルたんは二度ほど春介におむすびをもらっており、その結果「だ〜いすき」になってしまったのです。どうやらエルたんは、ごはんをくれる男の子にすぐに惚れてしまうタイプなようですね。
それにしても、おむすび二回分でハートをゲットできるなんて、安上がりでうらやましいです……
というと、だいたい9歳くらいなんですが、その手のマンガや小説では実戦可能に描かれてたりしますが、現実はンなことあるわけなくて、ごくごくフツーの子供であります。
どれくらい子供かというと、パンツ見せ放題、寄ってきては人のすねに股間をこすりつけ、くすぐってくれとせがみ、くすぐってやると身もだえして笑い転げるというくらい子供なのです。
なので、ロリ系の作品で描かれる「ちっちゃいのに感じちゃう」女の子は、フィクションの世界の住人、ファンタジー世界のキャラクターだと思ったほうがよいです。
まあ、エルフとか天使とか、そんな感じです。
チャンバラで人が斬られるのを見て楽しんだからといって、殺人を肯定することにはならないのと同じように、ファンタジーの住人である少女がナニされているところを見て(読んで)興奮したからといって、子供の性的虐待を肯定していることにはならないのです。
と、まあ、いつもの主張を繰り返したりしているのは、ちょっとそーゆー女の子と遊ぶ機会があって、「かわいー」とは思うけれども、エッチな気分にはならない自分を再確認したからだったりします。いや、べつにエッチな気分になったっていいんですけどね、ヘンなことを実際にしなければ。
とまあ、こんなことを書いたのはなぜかというと、「ちゆ12歳」で紹介されていた「はじめてのおるすばん」というエロゲーで、出でくる女の子(年齢不祥)の身長が9歳くらいに相当する、というのを読んだからなんですね。
そのゲームってのは、ちっちゃな女の子の双子ちゃんとおるすばんをして、いろいろコスプレさせたり、エッチな遊びをしたり、というようなものらしいです。ゲームには自主規制がありますので、年齢は明記しない方針らしいんですが、身長(133センチ)から察するに小学生くらいの女の子といろいろ致すようです。
で、なおかつ、このゲームに出てくる双子の少女は、最初から非処女なのだそうです。つまり、なにも知らない少女をどうこうするのではなく、最初から性的に成熟しつつある少女との関係を描いているわけですね。
どーも、このゲーム、その手の方に人気らしく、すでに入手困難なのだそーです。うづきももーれつに欲しくなってきたりしているのですが、再版待ちになるみたいです……。
さて、ここからはうづき一人しかサンプルケースがなくて、仮定の話になっちゃうのですが、うづきにとっては、リアル9歳の女の子は性の対象にはならないが、アニメ絵でエッチなボイスを声優さんがつけているエロゲーの9歳相当の女の子は性の対象になりうる――みたいなんですね。まあ、これは勝手な類推に過ぎないのですけれども、リアル9歳には性的な感情を持たないが、バーチャル9歳にはハァハァするという人は、けっこう多いのではないか、と思うのです。
つまり、人は、ファンタジーキャラとしての「少女」というものに欲情しているのであって、現実の少女を犯したいと思っているわけではない、現実の少女の代替物をアニメやゲームに求めているのではない、という仮説です。
もしも、この仮説がそれなりに正しくて、世に言われるロリ属性の人たちが現実の少女にとっての脅威ではないとすれば、ロリ系創作物に対する法の規制は的外れなものであるということになるのですけれども。
うづきの持論では、少女の敵はロリ属性の徒ではなく、もっと別なところにいる人たちだと思うのですけれどもね。