バトルアスリーテス 運動会

うづきはじめ


 

 そこは大学衛星、宇宙撫子(コスモビューティ)をめざす乙女たちの青春が炸裂する夢舞台。

 全宇宙の少女のあこがれ、コスモビューティになるためには、大運動会とよばれる競技会で優勝しなければならない。栄光の座に至る道程は遠く、けわしい。

 そして、ここにも、そのいばらの道に挑む少女たちのドラマがあった。

 **

「はあ……」

 神崎あかりは百メートル走の自分のタイムを見てため息をついた。ここのところ、思うようにタイムが伸びない。大運動会に向けての予選がもうすぐ始まるというのに、こんなことではチームメイトのクリスやアンナに迷惑をかけてしまいそうだ。

 技術的な問題ではないようだ。もともとあかりはテクニックで走るタイプではない。フォームがどうあれ、気持ちがのっていれば走れる。逆にいえば、調子が悪くなくても、気持ち的に落ち込んでいたりするとダメなのだ。ボトムレス?

「どうした、あかりー!」

 元気いっぱい、ターニャ・ナティピタットが声をかけてきた。あいかわらず、トレーニングウェアをビリビリに破ってしまっている。

「あ、ターニャ」

「顔色よくないぞー! ゴハンちゃんと食ってるかー?」

 ターニャがあちこち飛び跳ねながら声をはなつ。

「ターニャは調子よさそうだね」

「あったりまえだー! ターニャは調子いいぞ! 毎日、ペロリンガの儀式をしているからな!」

「ペロリンガ? なあに、それ」

「知らないのか、あかり」

 ターニャが真顔になる。つい、ひきこまれて、あかりはうなずく。

「ペロリンガは、かけっこを早くしてくれるギシキだー! すごーくご利益があるんだぞー!」

「それって、たしか……ンガジとかいうんじゃないの?」

「ンガジは神さま! ペロリンガはちがう! ギシキだ! 神さまじゃないけど、いやなことぜーんぶ忘れる! 走ることだけを考えることができるようになる! それに、ペロリンガをすると、すっごく運動になる! だから、ターニャ、毎晩、ペロリンガする!」

「ふうん……」

 あかりはターニャをまじまじと見た。にきびひとつない、すべすべの肌。むだのない筋肉。ターニャのコンディションは完璧だ。ペロリンガというのは、一種のトレーニングなのだろう、とあかりは判断した。

「あかりもペロリンガのギシキ、するか?」

「うーん……」

 ンガジの夜の大騒動を思いだすと、考えてしまう。だが、あの騒ぎはあの騒ぎで、ダッシュとバトンリレーのコツをつかむ、いい練習になった。

 いずれにせよ、現在の練習メニューをこなしているだけでは、スランプを脱出できそうにない。

「やってみよう……かな」

 ***

 その夜。

 あかりはターニャとの約束どおり、ふだん使われていないトレーニングルームのひとつへ向かった。

 クリスやアンナには黙っていた。スランプに悩んでいることを知られたくなかったからだ。

「きたな、あかり」

 ターニャが先に来て待っていた。服装はトレーニングウェアではなく、彼女の本来の衣装、腰ミノひとつだ。上半身はすでに裸で、小柄なわりに豊かなバストはむき出しだ。

「ターニャ、そのカッコ……」

 あかりは顔を赤くした。

「あかりも同じカッコする!」

「ええーっ、やだよお」

「する! しないと、ペロリンガのギシキ、できない!」

 ターニャが、あかり用の腰ミノを突き出し、言いつのる。

「……クリスたちに言わなくてよかった」

 こんなところ見物されたら、とんでもない笑い者だ。

 あかりはトレーニングウェアを脱ぎはじめた。深夜のトレーニングルームだ。人目はない。

「パンツもぬがなきゃだめだ!」

「パンティもなの……はずかしいなあ……」

 とはいえ、ターニャとは南極訓練校時代から、更衣室やシャワールームでさんざん裸を見せあった仲だ。いまさら照れる間柄ではない。

 とまれ、あかりもすっぽんぽんの上に腰ミノひとつ、といういでたちになった。

「これ、ぬる。たっぷりぬると、効果ばつぐん!」

 木でできた器に入った、油のようなものをターニャは自分の肌に塗りはじめた。香油らしく、不思議な香りがする。芳香とはいえないが、悪臭でもない。

「あかりも、ぬれ!」

「う……うん……」

 まあ、ペンキで顔に落書されるよりはましかな、と思って、あかりもターニャにならった。油が皮膚にしみこむ感覚があった。ぼうっと熱をもった感じになって、わるくない。

「それじゃ、ペロリンガのギシキをはじめるぞ! でららららららららーっ!」

 ターニャが奇声とともに踊りはじめた。ぷりん、とした胸が固そうに揺れる。

「んばか、ばかんが、またんぎ、ら!」

 あかりもしょうがなく、それを真似る。むろん、アクションも声もターニャの十分の一くらいだ。

「べらっちょ、べらっちゃ、ばりらら、ほ!」

 盛大に脚もあげるものだから、ターニャのヒップはほとんど丸出しだ。あかりには、とても同じようにはできない。

「あかりぃ、そんなことじゃだめだっ! ペロリンガのギシキは本気でやらないと、ケガするかもしれない!」

「ええーっ、そんなに危険なの?」

「危険ない! でも、最初のうちは、血がでるかも!」

「血がでるのぉ? そんなの聞いてないよ」

「ちゃんと、脚をあげる! ひらく! する!」

「わかったよ……」

 ターニャがさらに激しく踊る。

「ぶらるら、ぼらるら、べらるら、ら!」

 汗に濡れた胸が揺れ、あらわになったヒップがあやしくくねる。

 軽いトランスに入っているようだ。全身が紅潮している。と同時に、香油の香りがターニャの体臭とまざってひろがってゆく。甘酸っぱい、不思議な匂いだ。

 たしかに、ここまで徹底して踊れば、ストレスもなくなるし、夜もよく眠れるだろう。ペロリンガのギシキの秘密は案外そんなところかもしれない、とあかりが思った時だ。

 いくつもの気配が部屋のなかにあらわれた。

 ****

「なにっ?」

 あかりはあわてて胸を手でおさえながら振りかえった。

「ワンちゃん?」

 思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。

 部屋の奥からぞろぞろとやってきたのは、ゴールデンレトリバー、秋田犬、チワワ、ダックスフンド、チャウチャウ、ドーベルマンなど、大小とりまぜた犬、犬、犬。

「なんでこんなところにワンちゃんが……?」

 あかりは、ようやく気がついた。

 大学衛星は、むろんペット持ち込み禁止である。

 だが、ペットとどうしても別れることができなかった生徒が、こっそり犬や猫を持ちこんだ、という例はけっこうあるのだ。はなはだしきは、牛を連れてきた生徒さえいる。

 連れてきたものを送り返すにはそれなりの費用がかかる。それに、ペットがいた方が、生徒たちの精神も安定し、記録も伸びる、というデータもある。だが、管理上、生徒それぞれの部屋でペットを飼わせるわけにもいかないので、使用しないトレーニングルームを改造してペットを飼育しているのだった。ここは、そうした部屋のひとつだったのだ。構造的にいえば、奥が飼育室で、ここは動物たちの運動場なのだ。

「そっかー、ターニャ、ここでワンちゃんと遊んでいたんだあ」

 あかりは納得し、足もとにすりよってきたチャウチャウをなでるためにしゃがみこむ。

「ぷにぷにしてるぅ、かわいー、きゃは」

 手をなめられて、あかりは嬌声をあげた。

 だが、ターニャは、はしゃぐでもなく、感情のない声でぽつりと言う。

「あかり、ギシキ、はじめる」

「え?」

 チャウチャウに手をなめさせながら、あかりはターニャを見あげた。

「ぐにゃああん」

 奇声を発すると、ターニャはよつんばいになり、ヒップを高く掲げた。

「ちょっ、ターニャ、見えてるっ……」

 あかりは赤面して顔をそむけた。ヒップを突きあげるものだから、ターニャのおしりの穴も、その下の部分もまる見えなのだ。いくら同性だからといって、こんな部分まではふつう見せあうものではない。

 ターニャはヒップを左右にふる。すると、香油にまじって、ターニャのほのかな体臭が部屋に漂いはじめる。

 チャウチャウが舌の動きを一瞬とめた。鼻をくんくんさせる。

 ほかの犬たちも鼻を高くあげ、匂いを確かめている。

 雰囲気が一変した。

 犬たちがうなりはじめる。

 殺気だっている。あかりはおびえて手を引いた。温厚そうなチャウチャウまでも、激しく息をはき、今にも噛みつきそうな感じだ。

「ターニャ、へんだよ、あぶないよ」

 あかりはへっぴり腰で逃げかける。が、ターニャはさかんに腰をくねらせている。そうして、

「ぐにゃああ、ふにゃああ」

 と声をあげつづけている。

「ターニャってば……!」

 あかりがターニャのほうに向かいかけたときだ。

 犬たちにみなぎっていた緊張感が一気に弾けた。

 いっせいにターニャとあかりに向けて襲いかかってきたのだ。

「やだあああ! かまれるうう!」

 あかりは顔を手でかばい、身体をまるめた。

 そして、犬たちはあかりに向けてその白い牙をひらめかせ――