「ええええっ、講堂が使えないぃ!?」
すっとんきょうな唯の声が音楽室に鳴り響く。
恒例の練習開始前のお茶会の席だ。紬が持ち込んだ今日のお菓子はクリームチーズタルト。もちろん、すでに唯のおなかの中におさまっている。
「ど、どうするの、次のライブ、あと一週間もないよ?」
「うちの講堂ボロいから、補修とかで一か月使えないんだとさ。体育館の使用許可は下りなかったし……」
律はヘアバンドでまとめた前髪をちょっとかきあげて、面白くもなさそうに言う。
「せっかく練習してきたのに……」
しょぼんとする唯。左手が勝手に動いているのは、発表予定の新曲のコードの形だろう。
桜高校軽音楽部結成から数ヶ月、文化祭での初ライブを成功させ、これからガンガン演奏しようという矢先、校内でのライブ場所がなくなってしまうという事態に陥っていた。
「ねえ、ここ(音楽室)はダメなのかな? せまいけど、二、三十人くらいなら」
縞パン事件からようやく立ち直った澪が提案する。だが、律は首を横に振った。
「さわ子ちゃんに頼んだけど、ダメだって……ただでさえ、軽音部がココを使っているの、一部の先生はいい顔しないんだってさ。ライブなんかやったら職員会議モノだって」
「困りましたねえ……」
おっとりとした口調で紬が言いつつ、唯たちのカップに紅茶をそそいでやる。
律はお茶をズズズとすすり、それからはたと思いついたように紬に向き直る。
「そうだ、紬んちのコネでライブハウスとか借りられない?」
紬の父親は手広く商売をしている実業家で、楽器店も経営している。そのつながりでなんとかならないかと思ったのだ。
「そうですねえ……市民ホールくらいならなんとかなりますけど……」
紬は少し困ったように首をかしげた。
ちなみに市民ホールの定員は二千人だ。さすがに一介の高校の軽音楽部が埋められるキャパシティではない。
律や澪もさすがに「それはないわ」という表情になる。
「ライブハウスくらいのサイズがいいんだけど?」
律がねだってみるが、さすがの紬も魔法使いではない。
「ごめんなさい」
すまなさそうに頭をさげる紬。もちろん、紬が悪いわけではない。
「うち、部費がほとんどないからね……」
澪があきらめたように言う。かろうじて活動を認められている状態のこの軽音部に、ホールを借りるような余裕はないのだ。
「ライブ、したいよぉー! ステージでみんなとセッションしたいよー!」
唯がぐずる。ここのところ、客の前で演奏する悦びに目覚めた唯は、ライブを渇望していたのだ。
「わーった! あたしが何とかする!」
律がバンと机を叩いて立ち上がった。
「律、なんとかするって言ったって」
澪が驚いたように律に声をかけるが、律はカバンを肩にかけるとずんずん出口に向かっていく。
「澪、あんたこそ新曲の歌詞、ちゃんと仕上げなよ。唯はリフを完璧にすること。紬、ごちそうさま」
「はい、行ってらっしゃい」
紬が手を振る。
律はそのまま音楽室を出て行った。どうやら今日の練習は残りの三人でやれということらしい。
「りっちゃん、どうする気なのかな」
「さあ、当てがあるとは思えないけど」
唯と澪が顔を見合わせる。
紬は茶器の後片付けを始めた。
「タンカ切って出てきたものの……なあ」
律は歩きながら腕組みをした。頭をひねるがいい知恵は出ない。
「どっかにピカピカで、内装が可愛くて、機材も最新のがそろってて、安く貸してくれる……いや、むしろギャラとかくれるライブハウスないかなあ」
あるわけはないが、ついついつぶやいてしまう律である。
駅前の商店街までさしかかったとき、律の視界に見慣れない看板が飛びこんできた。
五階建てくらいのビルの半地下に階段がつながっていて、看板には「ライブハウス・レンタルスペース ゴールデンフェイク」と出ている。
「こんなとこにライブハウスあったっけ……」
ふだんは通らない道だし、それよりも妙なタイムリーさを感じて、律はその階段を下りていった。どんなライブハウスなのか、どうやらレンタルもやっているらしいので、様子を見たいと思ったのだ。
扉には「準備中」の札がかかっていたが、律はわりとそういうことは気にしない。
カギはかかっておらず、中に入ると、新しい木材とコナの匂いがした。
「おお」
入ったところが受付になっていて、そこから奥がライブ客を入れるスペース、周囲の壁には立ち飲みができるカウンターがあって、螺旋階段の上はVIPコーナーだろうか、ソファなどのあるテラスが張り出していた。
ステージはさほど大きくはないが、大型のPAにウーハなど見るだけで律などはそそられる機材がそろっていた。
「なにこれ、理想的なカンジ」
ライブおたくである律にしてみれば、あんなステージでタイコが叩きまくる自分を想像しただけでよだれが出てしまう――実際にたれていた。
「だれ、きみ。いま、営業中じゃないよ」
奥から店の関係者らしい中年男が出てきた。お腹がぼてっと出ていて、サングラスにひげ面。くたびれたニューヨークヤンキースの帽子にスカジャン、太股パンパンのデニム。業界関係者っぽいといえば聞こえはいいが、あまりまともな社会人には見えない。
律は慌ててよだれを手でぬぐう。
「あっ、スミマセン。表の看板見て……ここ、レンタルできるんですか?」
「ああ、そっちのお客さんか。バンドやってるの?」
「はい! 桜ヶ丘高校の軽音楽部です。あたしは部長の田井中律です」
「高校の部活かあ、いいねえ、そういうの」
男の顔がほころぶ。律は、「お、このオッサンいい人らしいぞ」と思う。
「来週、ここでライブやっていいすか? ギャラ安くしときますよ!」
たたみかけてみた。
「いや、それはムリ」
あっさりと断られた。
もちろん、それでメゲたりする律ではない。
「でも、こんなところにライブハウスって、知らなかったなぁ……」
「まあ、できたばっかりだからね」
律は店内をうろちょろした。とにかく、こういう雰囲気が好きなのだ。
「あたしらもいつかこんなところでガッツリ演奏したいなあー」
「どんなバンドやってるの?」
男は興味を引かれたようだ。ドリンクバーの冷蔵庫からジンジャーエールのペットボトルを出して、「おごりだよ」と言ってくれた。律のなかでのオッサン評価がアップする。
「ガールズバンドっていうかぁ、あたしがドラムで、あとギターとベースとキーボード……みんな同級生の女の子っす」
「へえ」
男の目が細くなった。
「写メとかあんの?」
「ありますよー」
ジンジャーエールのお礼の意味もあり、律は携帯を開いて男に見せてやった。
「このバカッぽい子が唯で、こっちのちょい暗めのが澪、△まゆげが紬です」
「これはこれは……みんなすごく可愛いじゃないか。へぇ……君も入れて四人でねぇ……どんな演奏するかちょっと聴いてみたい気もするな」
男の言葉に、律の中で「お、これはもしかしたら」メーターがはねあがる。
「なんだったら呼びましょうか? いま三人で練習中だと思うんで! なんだったら、ライブもここでやっちゃっても!」
「いやいや、ちょっと言ってみただけだよ……」
男は律の勢いに圧倒されたようにのけぞる。が、ややあって少し口調をかえた。
「待てよ……四人組のガールズバンドか……それも美少女揃い……」
律の制服姿を男の視線が精査する。胸や腰、太股をサングラスごしにチェックする。
ジュースを飲んでいる律はその視線には気づかない。
「田井中ちゃんだっけ……明日、みんなを連れてきてもらっていいかな? 演奏を聴かせてほしい。もしもう
ちのオーナーが気に入ったら、ライブ、組んであげられるかも」
「ほんとっすか!」
目を輝かせる律。やったぜ、澪、唯、紬、一気にあたしらデビューかも!?
もちろん律は、この店が一か月前まで過激なサービスを売り物にする風俗店で、警察の手入れを受けて閉店に追い込まれたものの、同じ経営者が表向きライブハウスとして再建し、その実、夜な夜な怪しいライブショーをおこなっていることなんか知らない。