「きのうの雨、すごかったね。ここが心配だから様子を見にきたかったけど、約束だから行かなかったよ」
嵐の翌日の昼下がり。雨雲はすっかり通り抜けて、すばらしい晴天だ。
図書館塔のお姫様のもとを訪れた黒髪の騎士は無邪気に笑いかけてくる。
金髪の姫君は黒いゴシック風のドレスをまとい、書物を開いて膝の上に乗せているが、読書に没頭しているふうではない。少年を見上げようとして、何度も失敗しては、頁に視線を落とすのを繰り返している。
「そ……そうか……約束を守ってくれて……その……ありがとう」
消え入るそうな声。その後半は少年の耳には届かなかったようだ。
「え? ヴィクトリカ、なにか言った?」
「な、な、なんでもない! 何でもないぞ、久城」
「にしても、今日も本ばっかり? たまには外に行かない? お弁当でも持ってさ」
「わたしはここから出ないぞ」
ヴィクトリカがムキになったかのように頁に目をやる。
「ま、ぼくはヴィクトリカの顔が見られたら、それでいいんだけどね」
「な!?」
「ほら、毎日会ってるのにさ、たまに一日でも会わないと、変な感じがしない?」
「へ……へんな感じ?」
ヴィクトリカは狼狽したかのように顔を赤らめる。
久城はそんなヴィクトリカの変化には気づかず、ふんふんと鼻を動かす。
「そういえば、ここの匂い、いつもと違う気がする。なんだか、空気を入れ換えたみたいな。香もいつもより多めだし」
図書館塔の最上層には天窓があり、そこを開け放つと換気ができる。その天窓は今日はすべて開け放たれていた。
そして、焚きしめられた香――まるで何か匂いが残っているのを恐れているかのようだ。
「あれ?」
久城は床に落ちているものに気づく。
「これは、蝋……かな? 蝋燭を直接床に立ててたのかな?」
そういえば、本の配置が一昨日来たときと変わっている。まるで、一度片付けた跡、元の雑然とした状態に無理矢理戻したかのような――
「これは、何か、家具の跡……かな」
床に残った傷跡にも注意を引かれる。
「久城、きみはさっきからいったい何を――」
「混沌のかけらを探してるんだよ。見てて、ヴィクトリカ。きみがいったい何を隠しているか、いつかきっと当ててみせるよ」
天真爛漫に笑う久城一弥。
そして、その姿を見ながら、ヴィクトリカは小さく溜息をつくのだった。
(この間抜けっぷりが――いっそ愛おしいな)
昨夜の儀式では、結局、六度にわたって、種付けされた。
その結果が分かるのはおよそ三週間後――生理が来るかどうか――
逃れられたとしても、排卵日はまたやってくる。
(神様、どうか神様――)
ヴィクトリカは心の中でただ祈る。
(この退屈な日々がずっと続きますように――)