およそ3000人入れるらしいホールは超満員だった。「いまブームになりつつある」という気恵の言葉もあながちウソではないのかも。
むろん、観客の多くはメイン・イベントのシャイニング・プリンセスvs鬼畜同盟のタイトルマッチがお目当てなのだ。この試合を限りに引退する、という話はファンにも伝わってるとみえ、「やめないで!なぎさSAMA」とか「感動をありがとうHONOKA」みたいなプラカードがあちこちであがっている。
だが、前座の試合もそれなりに盛り上がっていた。「真剣勝負(ガチ)路線とキャラクター性の融合」をコンセプトにかかげるだけあって、試合は過激だった。技のひとつひとつがシビアで、よく死なないものだと感心する。
気恵くんの興奮ぶりはものすごく、うかつに身を寄せるとヘッドロックされた上、頭を拳骨で乱打されかねない。
おれたちの隣には外人のおっさんがいた。ほー、女子プロレスってのもワールドワイドにファンをつかんでいるもんだな。そのおっさんときたら、五〇がらみのロマンスグレーで、高級スーツに身を固めたエグゼクティブふう。そのくせ、胸板がぶ厚く腕も太い。まるで、レスラーだ。
それにしても、白人はオーデコロンつけすぎだっての。くっせー。
気恵くんのヘッドロックと外人のスメルにへきえきして、おれはメイン・イベント前にいったん席を抜け出した。
ホールに出ると、廊下には人気がまるでない。客はみんな試合に集中しているのだろう。だが、それにしては、スタッフたちが慌ただしい。なんかアクシデントでもあったのかな。インカムをつけたスタッフがしきりと「姿を見失った」とか「たしかに入場したんだよな」などと言い合っている。あと、ビンがどうしたとか、幕間がどうしたとか、支離滅裂だ。
おれは、さっき会ったメガネのスタッフに会釈した。相手はおれにかまっているどころではなかったらしく、おれがスタッフオンリーの廊下に入り込んでもほったらかしだ。らっきー。きれいな女子レスラーの脱ぎたてパンツとかおちてないかなー。
おれは、選手控え室のあたりを散策することにした。
そのあたりは、壁のペンキも剥げ、うらぶれた感じだ。客が立ち入れない場所。バックステージの悲哀を感じるなあ。
――と。
「ぶっころしてやる!」
おだやかでない声が聞こえてくる。
「そうとも! ぜったいに逃がしゃしない!」
別の声が応える。
二人とも、女の声のような、そうでないような。性別がわかりにくい声だ。
おれはその声が聞こえてきたドアに近づいた。どうもたてつけがいまいちらしく、細目にあいている。
ドアに掲げられたプレートには「鬼畜同盟様」と書かれている。
中を覗いてみた。
うわ。
ぎゃ。
恐ろしい生物がいるよ、こわいよママン。
どうやら、シャイプリと今日闘うレスラーはこいつらのようだが、二人ともすごい体格だ。
バスト120、ウェスト125、ヒップ150、みたいな。
身長は170くらい、体重も120キロはありそうだ。0.12トンだよ、トン!
顔は極彩色のペイントでなにがなんだかわからない。
コスチュームは、ドラム缶に明細模様の布をまきつけたような感じ、と言ったら、イメージが伝わるだろうか?
こいつらが悪名高い鬼畜同盟のタンカー霧島とデスピオン枕崎らしい。
気恵くん情報によれば、鬼畜同盟はフリーランスの悪役レスラーで、ガチンコの反則ファイトが売りらしい。ようするに、特定の団体には属さず、試合単位で契約をし、なおかつ団体が用意したブック(筋書きのことだ)を平気で裏切ったりする。対戦相手を病院送りにすることもしばしばらしい。
そんな危険なやつらがどうして追放されずに居残っているのかといえば、それは――
「あいつら、強いもん。それに、巧いんだ、プロレスが」
ということらしい。
だが、それにしても「ぶっ殺す」とは穏やかではない発言だ。
いちおう、気恵くんの保護者代理としては、一肌ぬがずにはいられないだろう。
気恵くんが慕う先輩のために、情報収集しよっと。
まあ、盗み聞きともいうが。
「なぎさのやつめ、なにが寿引退だ、ふざけやがって!」
憤慨しているようだ。
「まったくだ! ほのかのやつも、普通の女の子に戻ります、だなんて、ほざきやがって! まるで、あたしらが普通の女の子じゃないみたいじゃないか!」
あんたらについては、普通じゃないと思うぞ。
ちなみに、どっちがタンカーで、どっちがデスピオンなのかは知らないし、興味もない。
「死ぬほどの辱めを与えてやる」
と、タンカーかデスピオンかの、どっちかが言った。
「なにしたってかまやしない。プロレス界にはあたしたちが必要なんだから、すぐにお呼びがかかるさ。今日、なにをしたって……」
「リングの上で、あいつらを裸に剥いたって、ねえ」
「客だって、それを期待してるんだから」
悪党どもがげらげら笑う。
「助っ人もいることだしな」
「そうそう。客の度肝をぬいてやるぜ」
なんという悪巧みだ。
そういえば、気恵くんも言ってたな。鬼畜同盟が得意とする最大の反則技は、覆面剥ぎならぬコスチューム剥ぎだと。リングの上で裸にされて引退した女子レスラーもけっこういるとか。
それを目当てにやってくる男性客も多いんだろうな。そういや、今日もカメラを首から下げた男の客がけっこういたな。
ゆるせん!
いそいで売店で「写るんDEATH」を買ってこなくては!
ちがった。
悪の野望を阻止しなければ。
だが、どうすればいい?
――そのときだ。
おれの視界に、白黒のタテジマポロシャツを着た男が歩いてくるのが飛び込んできた。例のメガネのスタッフだ。あいつ、レフェリーもやってたのか……
「本日のメイン・イベントをおこないます!」
ベルばらのような、世にも恥ずかしい格好をしたリングアナウンサーがリングにあがり、気取った声を出した。
「輝く天使が翼をはばたかせ、最後の戦場に降臨す――シャイニング・プリンセス、入場」
もとネタであるアニメだか特撮だかのテーマソングとともに、なきさサンとほのか様が花道に姿をあらわす。
声援が高まる。黄色い絶叫だ。感極まって泣き出してしまうファンもいる。
リングに上がる。すさまじい量の紙テープが舞う。ほのか様がコールされると、いっせいにパールホワイトのテープが、なぎさサンのときはブリリアントブラックのテープが、一斉に投げ放たれ、からまりあう。光と闇のエネルギーの、まさに奔流だ。
テープが片付けられ、チャンピオンチームのテーマ曲が流れてくる。パンクロックらしいが、ボリュームが大きすぎてよくわからない。
と。花道とはべつの方角から、大きな人影が飛び出し、リングにあがってくる。
鬼畜軍団だ。
いきなり襲いかかってくる。花道に注意をひきつけておいての、完全な奇襲だ。
混乱のなかで、ゴングが打ち鳴らされた。
序盤は完全に鬼畜軍団のペースだった。試合開始そうそうシャイプリ側は分断され、なぎさサンがリング下に蹴り落とされる。孤立したほのか様がめったうちを食らってしまう。
だが、リング下に落とされていたなぎさサンがリングに復帰、ようやく反撃開始だ。
なぎさサンは打撃中心、ほのか様はスープレックス系を得意としているようだ。二人の連係も決まり始めた。会場はものすごいなぎさコール、ほのかコール。鼓膜が破れそうだ。
このまま一気に決めるか、シャイニング・プリンセス!
ところが、さすがは悪の権化・鬼畜軍団だ。隠し持っていたメリケンサックの一撃でなぎさサンを昏倒させ、場外ではほのか様を椅子連打でグロッギー状態に追い込む。
観客が悲鳴をあげる。
タンカーとデスピオンがふたりがかりでなぎさサンをいたぶりはじめる。いかんな。目がうつろだ。意識がとんでいる、という状態かもしれない。頼みのほのか様は場外でのびてるし。
もうろうとしているなぎさサンに対し、タンカーがキャメルクラッチをかける。これは、うつ伏せになった相手の背中に座り、あごに手をかけて、上体を激しくそらせる技だ。背中と腰に大きなダメージをあたえる。
なぎさサンの胸元が痛ましいほどたわめられている。胸はそんなにないっぼいが、苦痛に耐えるその表情はめちゃくちゃ色っぽい。
その顔面にデスピオンがキック。鼻血が吹き出し、なぎさサンの顔が朱に染まった。
会場のファンは悲憤慷慨。しかし、血を見て興奮しているのも事実だ。
これが鬼畜同盟のうまさというやつか。ラフファイトだが、魅せることを意識している。
タンカーとデスピオンがたがいに目配せする。
なぎさサンの胸元をおおう黒いレザーのブラに手をかける。なぎさサンをトップレスにする気か。
その時だ。歓声があがった。息を吹き返したほのか様が駆け戻ってきたのだ。リングに飛び上がり、なぎさサンを救助する――その寸前に。
「ノーノーノー!」
メガネのレフェリーが割って入った。なんてやつだ。鬼畜同盟のダブル攻撃は黙認して、ほのか様のリングインは認めない気か。
そうこうするうちに、デスピオンが奇声をあげた。高々とかざした右手には黒いブラが。
なんと、なぎさサンの胸があらわになっている。
やっぱりそんなに大きくはないが、形はいい。浅黒いなめらかな肌に、小さめの乳首。
観客席から女性ファンの悲鳴がわくと同時に、カメラのフラッシュがいっせいに焚かれた。カメラ小僧たちだ。こいつら、いままで声もたてず、ずっとこのシャッターチャンスを待っていたというのか!?
「レフェリー! やめさせなさい! 反則でしょ!」
ほのか様が縦縞シャツを強い口調で責めたてる。ようやくレフェリーはカウントを始める。しかし、じつにゆっくりだ。
その間、なぎさサンはおっぱい丸出しで、タンカーのキャメルクラッチを食らいつづけていた。
5カウントで反則負けになる、その直前でタンカーは技を解いた。なぎさサンは崩れ落ちながらも胸を手でかばう。やっぱり女性だなあ。
その隙に、鬼畜同盟はクイックタッチ。デスピオンが対戦権を得て、なぎさサンに襲いかかる。なんとかほのか様と交替しようとするなぎさサンだが、胸を腕で隠しているため反撃もままならず、一方的に攻撃を受けてしまう。
鬼畜同盟のコーナーに押し込まれたなぎさサンにダブルの攻撃が容赦なく浴びせかけられる。
デスピオンのストンピング攻撃に、コーナートップからのタンカーのセントーン。100キロ超級の肉爆弾だ。さすがのなぎさサンも胸をあらわにしたままのたうちまわる。
「なぎさ!」
たまらずほのか様が助けに入ろうとするが、「ノー!」と、またレフェリーが制止する。
「いったい、どういうつもりなの、あなたは!?」
満面朱に染めて怒るほのか様だが、「正義の味方」を標榜するだけあって、レフェリーの裁定には逆らわない。悔しげに唇を噛みしめ、自軍のコーナーにもどる。
「なぎさっ! がんばって! 自力でここまできて!」
ロープから身を大きく乗り出し、手を懸命に差し伸べる。
だが、タンカーもデスピオンもなぎさサンを解放する気はさらさらないらしい。
「今日は上だけですむと思うなよ」
タンカーがなぎさサンを引き起こしながら毒々しく笑った。
「そうとも。今日が最後らしいから、めいっぱいサービスしなきゃな」
デスピオンがニタつく。こいつ、目が異常だな。もしかしたら、レズなのかも。
「きっと、ファンは大喜びだぜ」
「インターネットにばらまいてくれるだろうな」
極悪コンビは、なぎさサンを羽交い締めにしつつ、コスチュームの下に手をかけた。
なんてこった! こいつら、本気でなぎさサンをすっぽんぽんにする気らしいぞ。超人気スターをプロレスの聖地で辱める気だ。
おれは観客席に目をやった。悲鳴をあげつつ顔を覆っている女性ファン、デバガメ根性まる出しの男性ファン、そして――
ひとりの男が蒼白な顔でリングの上を凝視していた。そこは位置からいって、関係者席だ。ということはもしかしたら――
「なぎさ……!」
悲痛な叫びが男の喉からもれた――ように見えた。いずれにせよ、この喧噪ではひとりの声など聞こえない。
この男がなぎさサンの婚約者か。
さわやかな感じのイケメン男だ。スポーツをやっていそうだが、格闘系じゃないだろう。女の子にもてる系の――サッカー部の主将をしてました、ってタイプだ。とても荒事が似合いそうにない。
デスピオンが舌なめずりしつつ、なぎさサンのアンダー――黒のスパッツ――を引き下ろそうとしている。
レフェリーは相変わらずゆっくりとしたカウントだ。反則をとるつもりがないのは明らかだ。
「なぎさ! わたしたち、こんな形で終わっていいの!?」
青コーナーからほのか様が叫ぶ。
一瞬、ビクン、と震えるなぎさサン。だが、時おそし、デスピオンはインナーごとコスチュームを引き下ろしていた!
一閃!
うお! ぱっくり!
大股開きの格好で、なぎさサンの身体が一回転した。サマーソルトキックだ。
デスピオンのあごを見事に蹴り上げ、同時に羽交い締めをしていたタンカーへも肘打ちを見舞っている。
素っ裸にリングシューズという、見ようによっては超エロい格好で、なぎさサンは自軍コーナーに駆け戻った。すげー、さすがはレスラー。胸はないけど、お尻はすごい。びしっと引き締まっている。背中のラインも最高だ。
タッチを受けたほのか様がリングに飛び込む。すさまじい歓声だ。さっきまで泣いていた女性ファンが全身をつかって応援している。
ほのか様のスタイルは投げと極め、相手の力をうまく利用するタイプだ。しかし、怒りに燃えている今はラッシュファイターになっていた。
ナックルと回しげりのコンボをタンカーに叩きこみ場外に吹っ飛ばすと、今度は返す刀でデスピオンにバックハンドブローを決める。ただでさえなぎさサンの サマーソルトを食らってふらついていたデスピオンはあっさりと沈んだ。すかさずカバーに入るほのか様。ワンツースリーで勝負ありだ。
と、おもったのだが――
まただ。
メガネのレフェリーがカウントをとらない。
ほのか様が声を甲走らせて怒鳴り、観客もブーイングの嵐だ。
それでようやくカウントを取りはじめたものの、ワーーーーーン、ツウウウウウーと、じつにゆっくりだ。その間にタンカーが息を吹き返し、リング下からほのか様の足を引っ張る。フォールならず!
デスピオンも回復し、こんどはほのか様が二人攻撃の餌食だ。いくらほのか様でも、体格に勝るレスラー二人同時にこられてはたまらない。たちまちボロボロになり、マットにたたきつけられる。
一方、なぎさサンはリング脇でへばっている。セコンドが羽織らせたガウンの袖に腕を通すこともできないほど消耗していて、とてもほのか様を助けるどころではない。
観客が予感に打たれて悲鳴を先走らせる。
そうだ。ひん剥きショウの第二幕のはじまりなのだ。