うたかたの天使たちXI

秋風の十字路

 

- 一子編 -

「いいかげんにしろ!」

 おれは肺一杯に吸い込んだ空気を吐き出した。

「な、ななな!? だれだ!?」

 日柳が顔をめぐらす。おれの声の出所を探しているようだ。

「だれでもいい! 知識のない一子につけこんでの悪行ざんまい、ゆるさねえ!」

 どんでん返しの壁板がいい感じに震えて、思いのほか大音声になっていた。あと、隠し通路に反響して天然エコーつきだ。

「どこだ! だれか隠れてるんだろう!?」

 うろたえたようにあちこちを見やる日柳の顔は蒼白だ。しかし、チンポをおっ立てた男ってのは客観的にみてぶざまだよな。おれは怒りのなかにあっても吹き出したい衝動に駆られた。

 わはははっ

 おれは笑っていた。その声がまた反響して、まるで魔王のようなおどろおどろしさ。

「ひえええ」

 日柳の腰がくだけた。

「ま、ま、ま、まさか、その声――」

 大きく目を見開いて、おれが隠れている床の間を見つめている。さすがにばれたか?

 しかし、その視線はおびえながら、震えながら、さらに上の壁に向かっていた。

「お、おじさん……!?」

 そうか。日柳からすれば、宇多方のじいさんの写真がしゃべったように感じられたのだ。なにしろ、位置的にはどんでん返しのちょうど真上だしな。

 よし。この際だ。ビビらしちゃれ。

「わしの孫をよ〜く〜も〜手ごめにしようとしたな〜!」

「うわっ! 写真がしゃべった! ひえええ!」

「お〜し〜お〜き〜だ〜べ〜」

「ぎゃあああ! おじさん、すみませんすみません」

 日柳は泣き声をあげた。まるで子供に戻ったかのようなおびえっぷりだ。おれは楽しくなって、さらに声をしゃがれさせた。

「そればかりか、この家屋敷まで自分のものにしようとするとは、た〜わ〜け〜が〜! そこになおれ、手打ちにしてくれる〜!」

 日柳は、床の間に飾られた日本刀を凝視する。まるで、それが見えざる手によって抜かれてゆくのを予感するように。

「も、もうしませ〜ん」

 泣き叫びつつ、下半身すっぽんぽんのまま、這い出してゆく。そのまま縁側から庭を抜けて行ったようだ。

 あの格好で往来に出たら、まちがいなく逮捕だな。

 おれはどんでん返しの裏で吐息をついた。

 ほっとした。

 なんとか一子ちゃんの貞操をヒヒ親父の毒牙から守った。

 でも、すげー心配だな、この先。やはり、ちゃんとした性教育をほどこさないといけないかもしれない。

 その一子ちゃんは半裸で座りこみ、床の間の上のあたりを見ていた。

「おじいさま……」

 大きな目がうるんでいる。

 そうか――一子ちゃんはおじいさん子だったのだ。風呂にも一緒に入っていたらしいからな。

「どうして……どうして死んでしまったのですか? わたし……わたし……」

 うーむ。泣いてしまいそうだ。なんとか元気づけてやりたいが……

「えーあー、一子や、泣くでない」

 とりあえず声をかけてやる。

 一子ちゃんの肩がぴくんと震える。

「おまえには妹たちがいるではないか。それに、おれも……じゃない、わしも見守っておるでな。困ったことがあったら、ひとりで抱えこまず、みなに相談してみよ。おまえは頑張り屋さんだが、ドジッ娘キャラだからな、無理しなくていいんだぞ」

「おじいさま……」

 一子ちゃんが眉根を寄せて、首をかしげる。

「あのう、ドジッ娘キャラって、なんですか?」

 そこかよ、ツッコむとこは! つか、自覚なしかよ!

「あーうー、気にするな。とにかく頑張れ、以上」

「はい、わかりました。おじいさまも天国でお元気になさっていてください」

 一子ちゃんは三つ指をついて、頭をさげた。

「それから、遊一さんも――ありがとうございます」

 ぐえ、ばれてた?

 

「遊一さん、おせなお流しします」

 その日の夕方、湯殿で一子ちゃんに声をかけられた。

「え? でも――」

「だめですか?」

 たれ目で上目使い、うっわー。

「だめじゃない、だめじゃない」

 おれはあわてて言った。抵抗できねー、たれ目&上目使い、最強。

「で、でも、なんで?」

 昼間の一件か? やっぱりばれてた? でも、あの後、何度か言葉を交わしたけど一子ちゃんの態度は変わらなかったし。

「お願いがあるんです。遊一さんに」

 一子ちゃんはつぶやくように言った。どうやら、この場では教えてくれそうにない。

 しょうがない。お風呂で聞き出そう。

 気恵くんは自室で勉強、苑子は執筆、美耶子はテレビを見て笑い転げ、珠子は霊界通信――ころはよし――おれと一子ちゃんは連れだって脱衣所に移動した。

 しかし。

 自分から誘ったくせに、一子ちゃんてば、なかなか脱がない。以前は、おれの目を気にすることなんかなかったのに――あきらかに恥ずかしがっている。

 こうなると、おれだって恥ずかしいよ、実際。パンツをおろす手が止まってしまう。

 脱衣所で、ふたり固まった。

「あのー」

「あの」

 同時に口にする。

「な、なに、一子ちゃん」

「なんでしょう、遊一さん」

 これまた同時。

「一子ちゃん、先に言ってよ」

「ゆ、遊一さんからどうぞ」

 これまたピッタリ。あーもー。

「じゃ、言うね」

「で、では言います」

 おれたちは計ったように声をそろえた。

「後ろ向いててくんない?」

「後ろ向いていてください」

 くるり。

 くるん。

 おれは顔を熱くさせつつターンした。きっと一子ちゃんの頬も一緒だろう。

 

 ぎこちなく全裸になったおれと一子ちゃんは、広くて立派な湯殿に入った。

 桧造りの立派な浴室は、本当かうそか、この屋敷ができた時からそのままの姿を保っているという。まあ、さすがに水道や給湯装置、風呂釜などは付け替えられているのだが。

 かけ湯をして、おれは先に湯船に入った。一子ちゃんはためらっている。

 それにしても、裸の一子ちゃんの身体はきれいだ。

 白い肌はつややかでぴちぴち。毎日、新しい肌が生まれ続けているのだろう。

 脚はすらっとしている。そして、柔らかい曲線を描く腿から腰のライン。女の子らしくくびれた腰からまっすぐな背筋、華奢な肩。首は優美に長い。つややかなロングヘア。顔立ちの愛くるしさは言うまでもない。そして、天然記念物的に無邪気な性格、というか、ぶっちゃけアホなところも、ある意味、魅力だ。

「おいでよ、一子ちゃん」

「は……はい」

 おずおずと爪先を入れてくる。恥じらっているくせに、局部を隠すということをしないので、すんげーいい眺めだ。おお、ワレメワレメ。

 肩までつかると、一子ちゃんはちいさく数を数えはじめた。どうやら長年の習慣で、風呂につかるったらそうしなければならないと思っているらしい。

 ひい、

 ふう、

 みい、

 よう、

 浴槽で向かい合い、一子ちゃんの上気してゆく顔を見ていた。

 一子ちゃんのカウントがいつしか歌に変わっていた。

 あれれ、これは数え歌だったのか? いままでちゃんと聴いたことなかったけど――なにせ一子ちゃんの裸を鑑賞するのに忙しくて――その歌はこう聞こえた。

 

 いつのよも 

 みずにきえゆくうたかたの

 やうにかよわきものなれど

 みなぞこふかくねむりたる

 くぼうのたからをまもりたり

 

 たから?

 くぼう?

 公方の宝?

 なんだ、それはー!

 おれは、一子ちゃん肩をぐわしとつかんだ。ほっせ〜。やわらけ〜。でも、今はそんなことに感動している場合ではない。

「い、一子ちゃん、そ、その歌は」

「え? あ、あの」

 びっくり顔の一子ちゃんにおれはたたみかけた。

「その歌は、いったい、なに? 公方の宝って、まさか、将軍家の財宝?」

 江戸幕府の将軍のことを、当時は公方さまと呼んでいたのだ。

「え、えと、祖父から教わった、宇多方家に古くから伝わる歌です。お風呂のなかで歌って、忘れないように、って」

「つ、続きはあるの?」

「ありますけど、ぜんぶ歌うとのぼせてしまいます。いろは歌ですから」

 うわ、なげえ。

「えーと、歌詞だけ、ざっと教えてもらえないかな」

 おれはせっついた。そんなおれを一子ちゃんは不思議そうに見ている。

 そして、訊いてくる。

「遊一さんは、くぼうのたからを探していらしたのですか?」

「はっ――い、いや、それはその」

 認めてしまったら、財宝泥棒でしたと白状するようなもんだ。

「が、学術的に興味があってね、そ、そう、大学の研究テーマで」

「遊一さんはたしか商学部でしたわね」

「うっ、そういえば……」

 最近、学校行ってねえからなあ。

「商売を勉強する学部だから、財宝をテーマにお調べになっていたのですね」

 澄んだ瞳で一子ちゃんが攻め込んでくる。うおお、ごめんよ、ごめんよ〜。

「祖父からは、この歌は絶対に他人には聴かせてはならないと言われてました。また、この風呂場以外では歌ってはならない、とも」

 へえ……

 ともかくも、一子ちゃんに頼んで歌ってもらうことにする。

 途中、宇多方家の歴史をたどるような歌詞が続いたが、省略、省略。

 そして、四六番――

 

 急くなかれ

 まもるたからの ありばしょは

 ゆどののそこに しるされた

 みちのとおりに たどるべし

 

 な、なんだってー!

 おれは、建造当時のものだという、超年期の入った桧の浴槽の底を見た。

 バスクリンが入っていて、見えない!

 ――なんてことはなく、木目のパターンがはっきり見て取れる。

 よくよく見れば、それは曲がりくねった道筋のようにも見える。そして、同時におれの脳裏に、宇多方家の地下に広がる地下迷宮が重なった。

 そうか!

 この浴槽そのものが地図なのだ。そういえば、地下道はなぜかこの湯殿を避けて作られていた。それは、地図のありかを迷宮から切り離すことによって、探索者の目をごまかそうとしたのだろう。

「一子ちゃん、やったー! 愛してるっ!」

 おれは感激のあまり、一子ちゃんを抱き締めた。

 勢いあまってちゅー!

 ちゅうちゅうちゅー!

 はっ! しまった!

 乙女回路がスパークか? 前回はこれで号泣されたのだ。

 おれは一子ちゃんから離れた。

 ぼうぜんとしている一子ちゃん。

 顔がみるみる赤くなり、そのままずぶずぶ湯のなかに沈んでゆく。

「わわわっ!」

 あわてて引き上げる。

 半ば気を失ってるのか、一子ちゃんはぐったりしている。

「だいじょうぶ、一子ちゃん?」

「ふぁ、ふぁい」

 大丈夫じゃないぞ、こりゃあ。

「は、はのー、ひゅういちさん」

「な、なに?」

「キ……キ……、キ……」

「え? なに?」

「キ……ス……を……」

「キスを?」

「キ、ス……したら、赤ちゃん……できちゃいます……」

 でけるかー! 叫びつつ、ちゃぶ台を引っくりかえす。んなもんないけど。

「一子ちゃん、前から言おう言おうと思ってたけど――」

 おれは一子ちゃんを真っ向から見た。

「きみの性知識は間違ってるっ!」

 ズビシ!と指をつきつける。

「え、ええ?」

 ものすごく意外そうな面持ちの一子ちゃん。

「ほんとうですか?」

「キスでは妊娠しない。つーか、外国ではふつーにあいさつでキスしているだろ」

「そ、そういえば。なんだかとっても不思議だったんですけど」

「それに、女の子はかんたんに男に裸を見せてはいけない。身体を触らせてるのもだめだ」

 たれ目が丸くなる。

「え、どうしてですか?」

「男は狼だからだ。年頃になったら気をつけなさい、と、昔の人も言ってるだろ」

「はあ……」

「襲われて赤ちゃんができるかもしれないぞ」

「あ、わたし、赤ちゃん好きですよー」

 にっこりされてもなあ……

 めしべがどうとか、受精がどうしたとか、やらなきゃいけないのかなあ。でも、一子ちゃんは学校の勉強はできたそうだから、知識はあるはずなんだよな。

「とにかく、おれ以外の男の前で裸になったり、身体を触らせたり、あまつさえ一緒に風呂に入ったりしないこと。いい?」

 一子ちゃんはしばらくぼうっと考えていた。

 それから、長いまつげをふせた。

「遊一さんとならいいんですか?」

「ま、まあな」

「どうして、ですか……?」

 だって、一子ちゃんの裸見たいし、おっぱいさわりたいし、お風呂に一緒に入りたいもん。その特権を独占したい。

 要するにスケベ心なんだろうな。でも、それだけじゃない……と思う。

 うまいことが言えりゃあいいんだけど。

 ……言葉が出てこない。

 やっと出てきたのは――

「が、がんばるから」

 って、なにをだよ! と思わず自分ツッコミ。

 でも――

「はい」

 一子ちゃんは納得したように微笑んだ。

「わたしも、がんばって、遊一さんの言いつけを守ります。間違ったことをしたら、一子を叱ってくださいね」

 か、かわいい……

 おれは一子ちゃんを抱き寄せ、今度は。

 ちゃんと見つめあってから――

 キスした。