「いいかげんにしろ!」
おれは肺一杯に吸い込んだ空気を吐き出した。
「な、ななな!? だれだ!?」
日柳が顔をめぐらす。おれの声の出所を探しているようだ。
「だれでもいい! 知識のない一子につけこんでの悪行ざんまい、ゆるさねえ!」
どんでん返しの壁板がいい感じに震えて、思いのほか大音声になっていた。あと、隠し通路に反響して天然エコーつきだ。
「どこだ! だれか隠れてるんだろう!?」
うろたえたようにあちこちを見やる日柳の顔は蒼白だ。しかし、チンポをおっ立てた男ってのは客観的にみてぶざまだよな。おれは怒りのなかにあっても吹き出したい衝動に駆られた。
わはははっ
おれは笑っていた。その声がまた反響して、まるで魔王のようなおどろおどろしさ。
「ひえええ」
日柳の腰がくだけた。
「ま、ま、ま、まさか、その声――」
大きく目を見開いて、おれが隠れている床の間を見つめている。さすがにばれたか?
しかし、その視線はおびえながら、震えながら、さらに上の壁に向かっていた。
「お、おじさん……!?」
そうか。日柳からすれば、宇多方のじいさんの写真がしゃべったように感じられたのだ。なにしろ、位置的にはどんでん返しのちょうど真上だしな。
よし。この際だ。ビビらしちゃれ。
「わしの孫をよ〜く〜も〜手ごめにしようとしたな〜!」
「うわっ! 写真がしゃべった! ひえええ!」
「お〜し〜お〜き〜だ〜べ〜」
「ぎゃあああ! おじさん、すみませんすみません」
日柳は泣き声をあげた。まるで子供に戻ったかのようなおびえっぷりだ。おれは楽しくなって、さらに声をしゃがれさせた。
「そればかりか、この家屋敷まで自分のものにしようとするとは、た〜わ〜け〜が〜! そこになおれ、手打ちにしてくれる〜!」
日柳は、床の間に飾られた日本刀を凝視する。まるで、それが見えざる手によって抜かれてゆくのを予感するように。
「も、もうしませ〜ん」
泣き叫びつつ、下半身すっぽんぽんのまま、這い出してゆく。そのまま縁側から庭を抜けて行ったようだ。
あの格好で往来に出たら、まちがいなく逮捕だな。
おれはどんでん返しの裏で吐息をついた。
ほっとした。
なんとか一子ちゃんの貞操をヒヒ親父の毒牙から守った。
でも、すげー心配だな、この先。やはり、ちゃんとした性教育をほどこさないといけないかもしれない。
その一子ちゃんは半裸で座りこみ、床の間の上のあたりを見ていた。
「おじいさま……」
大きな目がうるんでいる。
そうか――一子ちゃんはおじいさん子だったのだ。風呂にも一緒に入っていたらしいからな。
「どうして……どうして死んでしまったのですか? わたし……わたし……」
うーむ。泣いてしまいそうだ。なんとか元気づけてやりたいが……
「えーあー、一子や、泣くでない」
とりあえず声をかけてやる。
一子ちゃんの肩がぴくんと震える。
「おまえには妹たちがいるではないか。それに、おれも……じゃない、わしも見守っておるでな。困ったことがあったら、ひとりで抱えこまず、みなに相談してみよ。おまえは頑張り屋さんだが、ドジッ娘キャラだからな、無理しなくていいんだぞ」
「おじいさま……」
一子ちゃんが眉根を寄せて、首をかしげる。
「あのう、ドジッ娘キャラって、なんですか?」
そこかよ、ツッコむとこは! つか、自覚なしかよ!
「あーうー、気にするな。とにかく頑張れ、以上」
「はい、わかりました。おじいさまも天国でお元気になさっていてください」
一子ちゃんは三つ指をついて、頭をさげた。
「それから、遊一さんも――ありがとうございます」
ぐえ、ばれてた?
「遊一さん、おせなお流しします」
その日の夕方、湯殿で一子ちゃんに声をかけられた。
「え? でも――」
「だめですか?」
たれ目で上目使い、うっわー。
「だめじゃない、だめじゃない」
おれはあわてて言った。抵抗できねー、たれ目&上目使い、最強。
「で、でも、なんで?」
昼間の一件か? やっぱりばれてた? でも、あの後、何度か言葉を交わしたけど一子ちゃんの態度は変わらなかったし。
「お願いがあるんです。遊一さんに」
一子ちゃんはつぶやくように言った。どうやら、この場では教えてくれそうにない。
しょうがない。お風呂で聞き出そう。
気恵くんは自室で勉強、苑子は執筆、美耶子はテレビを見て笑い転げ、珠子は霊界通信――ころはよし――おれと一子ちゃんは連れだって脱衣所に移動した。
しかし。
自分から誘ったくせに、一子ちゃんてば、なかなか脱がない。以前は、おれの目を気にすることなんかなかったのに――あきらかに恥ずかしがっている。
こうなると、おれだって恥ずかしいよ、実際。パンツをおろす手が止まってしまう。
脱衣所で、ふたり固まった。
「あのー」
「あの」
同時に口にする。
「な、なに、一子ちゃん」
「なんでしょう、遊一さん」
これまた同時。
「一子ちゃん、先に言ってよ」
「ゆ、遊一さんからどうぞ」
これまたピッタリ。あーもー。
「じゃ、言うね」
「で、では言います」
おれたちは計ったように声をそろえた。
「後ろ向いててくんない?」
「後ろ向いていてください」
くるり。
くるん。
おれは顔を熱くさせつつターンした。きっと一子ちゃんの頬も一緒だろう。
ぎこちなく全裸になったおれと一子ちゃんは、広くて立派な湯殿に入った。
桧造りの立派な浴室は、本当かうそか、この屋敷ができた時からそのままの姿を保っているという。まあ、さすがに水道や給湯装置、風呂釜などは付け替えられているのだが。
かけ湯をして、おれは先に湯船に入った。一子ちゃんはためらっている。
それにしても、裸の一子ちゃんの身体はきれいだ。
白い肌はつややかでぴちぴち。毎日、新しい肌が生まれ続けているのだろう。
脚はすらっとしている。そして、柔らかい曲線を描く腿から腰のライン。女の子らしくくびれた腰からまっすぐな背筋、華奢な肩。首は優美に長い。つややかなロングヘア。顔立ちの愛くるしさは言うまでもない。そして、天然記念物的に無邪気な性格、というか、ぶっちゃけアホなところも、ある意味、魅力だ。
「おいでよ、一子ちゃん」
「は……はい」
おずおずと爪先を入れてくる。恥じらっているくせに、局部を隠すということをしないので、すんげーいい眺めだ。おお、ワレメワレメ。
肩までつかると、一子ちゃんはちいさく数を数えはじめた。どうやら長年の習慣で、風呂につかるったらそうしなければならないと思っているらしい。
ひい、
ふう、
みい、
よう、
浴槽で向かい合い、一子ちゃんの上気してゆく顔を見ていた。
一子ちゃんのカウントがいつしか歌に変わっていた。
あれれ、これは数え歌だったのか? いままでちゃんと聴いたことなかったけど――なにせ一子ちゃんの裸を鑑賞するのに忙しくて――その歌はこう聞こえた。
いつのよも
みずにきえゆくうたかたの
やうにかよわきものなれど
みなぞこふかくねむりたる
くぼうのたからをまもりたり
たから?
くぼう?
公方の宝?
なんだ、それはー!
おれは、一子ちゃん肩をぐわしとつかんだ。ほっせ〜。やわらけ〜。でも、今はそんなことに感動している場合ではない。
「い、一子ちゃん、そ、その歌は」
「え? あ、あの」
びっくり顔の一子ちゃんにおれはたたみかけた。
「その歌は、いったい、なに? 公方の宝って、まさか、将軍家の財宝?」
江戸幕府の将軍のことを、当時は公方さまと呼んでいたのだ。
「え、えと、祖父から教わった、宇多方家に古くから伝わる歌です。お風呂のなかで歌って、忘れないように、って」
「つ、続きはあるの?」
「ありますけど、ぜんぶ歌うとのぼせてしまいます。いろは歌ですから」
うわ、なげえ。
「えーと、歌詞だけ、ざっと教えてもらえないかな」
おれはせっついた。そんなおれを一子ちゃんは不思議そうに見ている。
そして、訊いてくる。
「遊一さんは、くぼうのたからを探していらしたのですか?」
「はっ――い、いや、それはその」
認めてしまったら、財宝泥棒でしたと白状するようなもんだ。
「が、学術的に興味があってね、そ、そう、大学の研究テーマで」
「遊一さんはたしか商学部でしたわね」
「うっ、そういえば……」
最近、学校行ってねえからなあ。
「商売を勉強する学部だから、財宝をテーマにお調べになっていたのですね」
澄んだ瞳で一子ちゃんが攻め込んでくる。うおお、ごめんよ、ごめんよ〜。
「祖父からは、この歌は絶対に他人には聴かせてはならないと言われてました。また、この風呂場以外では歌ってはならない、とも」
へえ……
ともかくも、一子ちゃんに頼んで歌ってもらうことにする。
途中、宇多方家の歴史をたどるような歌詞が続いたが、省略、省略。
そして、四六番――
急くなかれ
まもるたからの ありばしょは
ゆどののそこに しるされた
みちのとおりに たどるべし
な、なんだってー!
おれは、建造当時のものだという、超年期の入った桧の浴槽の底を見た。
バスクリンが入っていて、見えない!
――なんてことはなく、木目のパターンがはっきり見て取れる。
よくよく見れば、それは曲がりくねった道筋のようにも見える。そして、同時におれの脳裏に、宇多方家の地下に広がる地下迷宮が重なった。
そうか!
この浴槽そのものが地図なのだ。そういえば、地下道はなぜかこの湯殿を避けて作られていた。それは、地図のありかを迷宮から切り離すことによって、探索者の目をごまかそうとしたのだろう。
「一子ちゃん、やったー! 愛してるっ!」
おれは感激のあまり、一子ちゃんを抱き締めた。
勢いあまってちゅー!
ちゅうちゅうちゅー!
はっ! しまった!
乙女回路がスパークか? 前回はこれで号泣されたのだ。
おれは一子ちゃんから離れた。
ぼうぜんとしている一子ちゃん。
顔がみるみる赤くなり、そのままずぶずぶ湯のなかに沈んでゆく。
「わわわっ!」
あわてて引き上げる。
半ば気を失ってるのか、一子ちゃんはぐったりしている。
「だいじょうぶ、一子ちゃん?」
「ふぁ、ふぁい」
大丈夫じゃないぞ、こりゃあ。
「は、はのー、ひゅういちさん」
「な、なに?」
「キ……キ……、キ……」
「え? なに?」
「キ……ス……を……」
「キスを?」
「キ、ス……したら、赤ちゃん……できちゃいます……」
でけるかー! 叫びつつ、ちゃぶ台を引っくりかえす。んなもんないけど。
「一子ちゃん、前から言おう言おうと思ってたけど――」
おれは一子ちゃんを真っ向から見た。
「きみの性知識は間違ってるっ!」
ズビシ!と指をつきつける。
「え、ええ?」
ものすごく意外そうな面持ちの一子ちゃん。
「ほんとうですか?」
「キスでは妊娠しない。つーか、外国ではふつーにあいさつでキスしているだろ」
「そ、そういえば。なんだかとっても不思議だったんですけど」
「それに、女の子はかんたんに男に裸を見せてはいけない。身体を触らせてるのもだめだ」
たれ目が丸くなる。
「え、どうしてですか?」
「男は狼だからだ。年頃になったら気をつけなさい、と、昔の人も言ってるだろ」
「はあ……」
「襲われて赤ちゃんができるかもしれないぞ」
「あ、わたし、赤ちゃん好きですよー」
にっこりされてもなあ……
めしべがどうとか、受精がどうしたとか、やらなきゃいけないのかなあ。でも、一子ちゃんは学校の勉強はできたそうだから、知識はあるはずなんだよな。
「とにかく、おれ以外の男の前で裸になったり、身体を触らせたり、あまつさえ一緒に風呂に入ったりしないこと。いい?」
一子ちゃんはしばらくぼうっと考えていた。
それから、長いまつげをふせた。
「遊一さんとならいいんですか?」
「ま、まあな」
「どうして、ですか……?」
だって、一子ちゃんの裸見たいし、おっぱいさわりたいし、お風呂に一緒に入りたいもん。その特権を独占したい。
要するにスケベ心なんだろうな。でも、それだけじゃない……と思う。
うまいことが言えりゃあいいんだけど。
……言葉が出てこない。
やっと出てきたのは――
「が、がんばるから」
って、なにをだよ! と思わず自分ツッコミ。
でも――
「はい」
一子ちゃんは納得したように微笑んだ。
「わたしも、がんばって、遊一さんの言いつけを守ります。間違ったことをしたら、一子を叱ってくださいね」
か、かわいい……
おれは一子ちゃんを抱き寄せ、今度は。
ちゃんと見つめあってから――
キスした。