みっつめのあとがき

 この結末にたどりついた方は、おそらく、ほかのふたつのエンディングもご覧になっていると思います。

 物語がどう終わるのが正しいのか、作者としては決めたくない、というのが正直なところです。

 どの終わりかたもヒネリはありません。でも、うそはついていないつもりです。(お話の設定はずいぶんムリがありますけどね)

 人生は無限の可能性があるように見えて、実はそうではありません。本人のあずかり知らない事情によって、道筋はたいてい決まっているのです。根本的なことをいえば、男に生まれるか、女に生まれるかによってずいぶん生き方はかわってしまうはずですし、どこの国で生まれるか、どんな家庭で育つか、どんな時代を過ごすかによって、人生のレールはある程度は敷かれてしまっているのです。

 ですから、大事な瞬間に人間ができることといったら、踏み出すか、留まるかを決めるだけです。

 それだけは、本人の意志によって決まるものです。

 いま、歩きださねばならない。そう思った時に、歩きださなかったら、きっと後悔します。

 むろん、その逆もありえます。でも、歩いたことを後悔するよりも、歩かなかったことを悔やむほうがきっと辛いのではないでしょうか。

 と、いう考えかたで書いたのがこの結末でした。

 主人公は、いまは幸せです。でも、これに続く状況を考えていくと、きっと彼はそうとうな苦労をしそうです。

 たとえば、禁欲しつつ、まゆを育てあげた揚げ句、若いボーイフレンドにまゆを取られてしまうかもしれない。未成年者に対する淫行で処罰される可能性もあるでしょう。

 いずれにせよ、まゆが思春期をむかえ、おとなの女性になっていくにしたがい、主人公に対する気持ちが変わっていかないという保証はありません。作者としても、あまり考えたくはない事態ですが。

 そういったリスクを負わないとすれば、まゆを渡した方がいいんです。思い出は美しいままにしておいて。

 それが正しくないとも言えませんね。だから、純愛編の最初のエンディングも、決してダミーではありません。重さは同じです。

 どの結末がよいのか、についてはみなさんのご判断にお任せします。

 あるいは、うづきが気づかなかった、まったくべつの終わりかたもあったかもしれませんね。