偉大なる助平 第二話(2)
6
「約束だからな、約束」
しつこいくらいに好男は念をおした。
その日の下校時間である。
「うるっさいわね!」
セーラー服に着がえた真由美はすこぶる機嫌がわるい。
「あーっ! 約束をやぶる気だな」
好男は責めるような口調で言うと、真由美の腕を取ろうとする。
「やめてよっ!」
真由美は反射的に好男の手をはらった。態度におびえがあった。好男に触れられることに恐怖を感じたのだ。
「なんだよー」
好男は唇をとがらせた。
真由美は好男を睨みつけた。
「あんたね、柔道の試合をなんだと思ってるのよ。あんなところをさわるなんて。反則よ、反則。だから勝負もなし」
「あれは試合中の不可抗力だ。押さえこみから逃げるにしろ、おまえを押さえこむにしろ、おれは素人なんだぜ、多少の逸脱はやむをえまい」
「なにが多少の逸脱よ!」
真由美はどなった。
「それはへんだよ、大河原さん」
冷静な声が好男と真由美の間に割ってはいった。
「助平くんには関係ないわ」
真由美は努めて平静さをた保とうと努力しながら言う。
だが、助平の態度は静水のように落ちついていて、感情のゆらぎひとつない。
「ぼくは立会人として発言している。大河原さん、今回の戦いは明らかにきみが有利なルールでおこなわれている。なぜなら、きみは柔道の段位を持っているし、実力的にも全国レベルの選手だ。対する色事くんは柔道に関してはまったくの素人。きみはどのようにも色事くんを料理できたはずだ。ルール上の逸脱にしても、試合中に身体を触られるのは柔道ではやむをえないことだろう。それをことさらに言いたてて、試合前の約束をほごにしようというのはスポーツ選手としては恥ずかしいことではないかな」
「ぐう」
の音もでない。真由美は黙りこんだ。
「ま、そこが女だよな。いさぎよくないっつーか。勝っていたらどうしたって約束をまもらせるくせに、自分が負けたとなったら、とたんにルールを変えようとするんだからな」
好男があてこする。真由美の顔面がひくひく引きつった。
「わかったわよ」
ぽつりと言った。
「んん? なにか言いましたかね、卑怯者さん」
手を耳のところにかざし、なんですか、のポーズを取る好男は、あきらかに真由美を挑発している。
「わかったって言ってんでしょうが! モデルでも何でもやってやるわよ! これでいいんでしょ、これで!」
ついに怒鳴りちらした。
好男は小さくガッポーズをした。助平に、どうだ、と言わんばかりにウィンクして見せる。
助平はただ微笑を浮かべているばかりだ。
7
「撮影って何よ。映研の部室でやるわけ?」
きたない部室を見わたして、真由美は不満たらたらである。
映研とは映像研究会のことだ。ホームビデオを使って自主製作の人形アニメや意味不明のコント映画などを学園祭で発表している。部室にはアニメのヒロインのポスターやセル画がベタベタ貼られていて、なんだかヘンな匂いもする。
「撮影はロケ中心。今日はとりあえずミーティングだけだ。映研から機材とスタッフを借りたんだよ。なにしろ、今回は本格的にやろうという主旨だかんね」
好男は真由美に椅子をすすめ、ニヤニヤ笑いながら言った。
「スタッフを紹介しておこう。まず、監督はおれ。そして脚本、製作の助平」
助平が目礼する。
「やっぱり助平くんもグルだったのね」
脚を組み、真由美は目をほそめた。
「照明や小道具のたぐいは映研から、小出と長崎両氏にお願いする」
「どもっす」
「よろしくっす」
ひょろ長くて度の強い眼鏡をかけているのが小出。
小柄でやや肥りぎみなのが長崎だ。
「機材はデジタルビデオカメラを借りた。据えおきとして2台、ハンディが1台。本当は業務用のベータカムを使いたかったけど、映研にもなかった」
「ぼくのところの機材を使えばいいんだが、となるとプロのカメラマンを雇わなくちゃならなくなるもんでね」
とは助平のセリフだ。
「で、あたしは何をすればいいの?」
真由美はいらだたしげに質問した。
「タイトルは『美少女解体新書・夢幻編』、これが脚本だ」
好男が30ページほどの小冊子を真由美に手わたした。ワープロ原稿をコピーしたもので、いかにも手づくりという感じだ。
「用意がいいわね」
真由美は受けとり、パラパラとめくった。
その顔色がみるみる変わっていく。
「なによ、これはっ!」
「脚本だ。ビデオの」
「内容よ、内容! これってハードコアじゃないっ!」
「だって、おまえ、女である証拠をビデオの前であきらかにするっつったろうがよ」
好男は、なにをいまさら、というような口調で言う。
真由美は脚本のページをひらいたまま、立ちあがった。
「冗談じゃないわ! なんであたしが、部室でオナニーをしているところを目撃されて、それを秘密にしてもらうために飢えた男子生徒に輪姦されたうえに、その光景をさらにビデオに撮られて性奴隷にされて、SM調教を受けなきゃなんないのよっ!」
「見事な要約だなあ。感心感心。大河原さん、国語の成績いいでしょ?」
助平が手をたたいて賞賛した。
「冗談じゃないわ! こんな変態ビデオだなんて聞いていないわ!」
真由美は好男と助平を交互ににらんだ。
助平は穏やかな微笑みをうかべたまま、動揺した様子はない。
「うーん、気に入りませんか? これって女性にしか表現できない美しさ、気高さ、業や哀しみ、そういったものを凝縮した脚本になっているはずですが」
「ふざけないで!」
真由美は叫んだ。
「こういうのは絶対にいやっ! ここまでしなくったって、あたしが女だってことは証明できるでしょ!」
「うーん」
助平は首をひねった。
「どうします、監督?」
好男も首をねじる。
「いい脚本だと思うけどなあ、これ。特にこの『チンポいれてっ、お願いっ』ってとことか。おしいなあ……」
「からみなんか、絶対やんないからねっ!」
「わかったよ。じゃ、この脚本はボツ」
好男が折れ、真由美はホッとした。
「しょーがねーな。じゃ、もうひとつのソフトなやつでいこう。『美少女はアンドロギュヌスの夢をみるか』」
「それ、どんなのよ。また変なのじゃないでしょうね」
警戒して真由美が尋ねる。
助平がにこにこしながら立ちあがる。手にはビデオテープらしいものを持っている。
「これなら多分大丈夫ですよ。内容はですね……」
8
快鳳学園にはひとつの伝説があった。
昔、満月の夜に学校の裏庭―――といってもかなり広大なのだが―――を探索していた少女が忽然と消え、二度と姿を現さなくなったという事件があった。少女の名前はマユミという。それ以来裏庭は封鎖され、誰も入れなくなっていたのだが、主人公の少女(大河原真由美が演じる)は偶然その金網の破れをみつけて、裏庭に迷いこむ。
おりしも満月。真由美は木々やそれにまつわる風とシュールな会話を交わしつつ、裏庭の物置小屋にたどり着く。そこで、マユミが数名からリンチを受けている光景を目撃する。それは過去のビジョンであり、かつてこの場所でマユミは殺されて埋められてしまったのだ。そして、それを学校側はひた隠しにしたために、満月の怪異というスクールレジェンドが生まれたのだ。真相を知った真由美の前に幻視のマユミがあらわれ、ふたりのまゆみはひとつになる。
実際のところ、快鳳学園には立入禁止の裏庭があり、そこには放置された物置小屋もある。
裏庭に幽霊が出るという噂はほんとうにあった。ただし、その幽霊は先代の用務員のおやじであるというはなはだ色気にとぼしい怪談話だが。
その伝説のエッセンスだけをストーリーに取りいれたのだ。ただし、セリフはほとんどなく、音楽とテロップを中心にストーリーを語るという手法をとる。
「いっとくけど、セミヌードはあるからな」
「わかったわよ、約束だから、やるわよ。でも、もろに裸を映したら、承知しないから」
という合意のもとに撮影を開始することになった。
土日の二日間で撮りあげるという強行スケジュールだ。
「なによ、夜の設定なのに、昼に撮影するわけ?」
自前のセーラー服姿で真由美は不思議そうに訊いた。場所は裏庭である。むろん、学校には内緒の撮影だ。土曜日の午後だから、周囲に人影はない。
「当然だろ。後から特殊効果で夜の雰囲気を出すんだよ。そーしないと、暗くて何が何だかわからんだろうが」
好男が馬鹿にしたような口調で言う。真由美はムッとする。
「シーン1、スタート」
ビデオカメラを回しはじめる。
真由美も仕方ないから、いちおう演技をする。
だが、セリフもないし、ただ裏庭を歩きまわるだけだ。
好男はだまってフレームをのぞいていた。
(これは……)
おどろいていた。
かわいいのだ。
毒舌をはかず、笑ったり、走ったりしている真由美はいつもの感じとはまるでちがう。表情にはあざとい演技がなくて自然だし、動きまわっている真由美の肢体ののびやかさといったら、もう仔鹿のような軽やかさだ。
「ね、ぼくが言ったとおりでしょ。彼女には女優の才能がある」
助平がささやくように言った。好男もうなずかざるをえない。
「そろそろ次のシーン行くぞ」
「次はなによ」
「水浴びのシーンだ」
「げっ、もう?」
真由美はいやな顔をした。セミヌードになるシーンだからだ。
一行は映研の部室にもどった。いくらなんでも屋外で肌はさらしたくないと真由美が主張したからだ。後から合成などで森の雰囲気を出せばいいという助平の一言で、屋内撮影に切りかえたのだ。
シナリオでは、月光の魔力にさそわれた少女が、森の中の泉で衣服を脱ぎすて、沐浴をするというのだ。
9
登場した真由美の姿は、スタッフたちの期待を打ちくだいた。
脚本上は、セーラー服を脱いで生まれたままの姿になるはずだった。まあ、画面上は隠すとしても、撮影時にはヌードにならざるをえないはずだった。
なのに。
真由美はショルダートラップレスのビキニを着て出てきたのだ。下もむろんビキニショーツだ。
「これがギリギリの露出だかんね、いっとくけど」
「助平、どうするよ」
好男は困りはてたように助けをもとめた。
助平は落ち着きはらっている。
「女優さんがいやだというものを無理強いすることはできないでしょう。ようは絵としてどうか、です。絵としてきれいなら、それでもいいでしょう」
「でしょ、でしょ。やっぱり助平くんは紳士ね」
たらいを準備し、真由美はその中にひざまずいた。
小道具役の長崎がじょうろで水を垂らす。
それを慈雨のように真由美は手でうけ、首筋にかける。
水滴が肌をつたい落ち、水面に波紋をひろげていく。
「ほい、OK」
気のりしない様子で好男はOKを出した。
真由美は上機嫌だ。
「こんな感じでいいんでしょ。今のシーン、けっこう自分でもよくできたと思うわ」
「今日の撮影はここまでにしましょう」
助平が言った。
「いちおう、今日撮ったシーンを確認してみましょう。これがビデオの利点ですね。その場ですぐに見直しができますから」
映研の部室なので、モニターも備えつけられていた。窓にカーテンをおろし、試写をはじめた。セーラー服姿にもどった真由美も機嫌がよさそうにモニター前に陣どった。
「未編集ですし、エフェクトもほとんど入っていませんよ、念のため」
助平はそう断り、ビデオをスタートさせた。ビデオデッキとモニターとの間に手製の機械がかまされていたのだが、それに気付いた者がいたかどうか。
映像がはじまった。撮影順にシーンがどんどん流れていく。
NGシーンでは笑いがおこった。
だが、使えないシーンにも輝きがあった。
「いい出来だぜ。キラキラしてる」
「おれたちの機材でこんな絵がとれるなんて、信じられない」
映研の小出や長崎も舌をまいていた。
「ほんと……きれい。あれが、ほんとうにあたしなの?」
モデル本人もぼうっとするほどだった。
と、シーンが沐浴シーンに来た。
「ん?」
「あれ?」
小出と長崎が不審の声をあげた。
「なんだかこの絵……」
「ん、ピンとこねえな。照明が悪いわけでもないし、構図がまずいわけでもない」
「だけど……ダメだ」
それからは、黙ってしまった。
真由美もだ。言葉がでてこなかった。
彼女にもわかったのだ。いや、彼女が演じたからこそ、その絵の欠点がすぐに見てとれたのだ。
肌に輝きがない。表情がうわついている。モデルが絵のなかで死んでいるのだ。そのくせ、本人はうまく演じているつもりでいて、それがつたわってくるだけ鼻につく。
いやな女―――真由美は自己嫌悪におちいった。せっかくあんなにきれいに撮ってくれていたのに、自分のわがままのせいですべてをだいなしにしてしまったのだ。
ビデオは終わった。真由美は顔をあげられなかった。
助平は、しらけた場をなごませるように言った。
「ま、ぼくらはアマチュアなんですから、こんなもんでしょう。明日じゅうに撮影を終わらせるために、がんばりましょう。じゃ、解散―――」
「待って!」
真由美は顔をあげて言った。
「沐浴シーン、撮りなおしたいの。納得いかないのよ、あたし」
「そりゃあ……まあ、いいけど……」
好男は圧倒されたように真由美を見、それから助平を見た。
助平は微笑みながら、意味ありげに視線をうごかした。好男は、その視線を追い、助平がビデオに接続した画像変調機の小さなボディを認めた。
映像の輝度と色彩を微妙にチューニングし、見る者が抱く印象を微妙にかえてしまう機能を持った機械だ。これを使えば、くだらない映像を光り輝く傑作にかえることも、佳品をうすっぺらな駄作にかえることもできてしまう。
10
真由美はすべてを脱いだ。パンティもだ。生まれたまんまの姿で熱演した。
スタッフも燃えた。
なにしろ、撮影は狭いところに密集しておこなう。真由美の体温が感じられるくらいの距離だ。
すべてが見える。真由美のこぶりだが形のいいバストも、その先端のピンクの尖りも、きゅっと引きしまったウェストから張りのあるヒップも。真由美の恥毛はあわあわと薄く、可憐な陰裂さえ見てとれた。
照明は真由美の全身を照らしだし、ハンディカメラは真由美の肌を接写して、水滴の転がりを追う。
一番美しい水滴の流れかたを追求した。
背中からヒップへ。
肩から胸にかけて。
腹からへそへ。
太股から内股へ。
さまざまな部位が、さまざまな角度が検討された。
ディスカッションには真由美自身も参加した。
本編にはたった1カットか2カットしか使わない部分にも最高を求めた。
カメラは貪欲に真由美の身体を切りとり、磁気的に定着させた。
「OKだ」
好男が宣言した時には夜の十時をまわっていた。
全員精根つきはてていたが、その声が出た瞬間、誰が最初というでもなく拍手がわきおこった。
11
真由美を家に帰し、映研部員も帰宅したあと、助平と好男だけが部室にのこっていた。
編集作業のためだ。
「いい絵が撮れたな。おれ感動しちまったよ」
好男が華やいだ声で言った。
「映画っていいよな。けっこう、おれマジではまりそうだ」
「おいおい、本来の目的を忘れてはこまるよ」
助平はあきれたように言った。
「肝心なのは明日の撮影だ。今日の撮影でヌードに対する抵抗感を突きくずし、ぼくたちに対する信頼感を植えつけさせた。明日はそれを強迫観念まで高めないとね。すべてをカメラの前にさらけださせるんだ。そうしないと、目的は達成できない」
「じゃ、本当にやるのかよ……」
「もちろん。そのためにウラ映研の部員を手配したんでしょ。映像研究会といいつつ、実はウラビデオの製作・販売を手がけているメンバーを」
「おれ、おまえが怖くなってきた」
好男は、友人の顔をみつめて、つぶやくように言った。
「もう降りられないんですよ、色事くん。もうとっくにね」
助平の微笑みがとてつもなく無気味であることに、好男はようやく気づいた。