浴室は、いまやこの世ならぬ様相を呈していた。
浴槽はうねり、たわみ、温水を吹き上げながら一時として同じ形にいない。
まさに女陰だ。
女陰は、孕んで赤ん坊を生みだす。
人間の赤ん坊が受精という儀式を経て、無明の闇から現世に現れるとすれば、それは――この場では――なにを生みだすのか。
異界と現世をつなぎあわせる門になるのではないか。
まるで出生の瞬間のような衝撃と、そして赤ん坊の産声を思わせる絶叫が幾つも重なった。
まず、小さな肉体が出現した。裸で、ちっこいオチンチンがついている。
アマンダは瞬時にそれを悟った。
「ハルキ!」
叫びながら、わが子を抱きしめる。
ハルキはすぐに気がついた。
「はう、ママでし。なんででしか? どうしてここにいるでしか?」
目をぱちくりさせる。異界の水を飲んだダメージは、この世に戻ればすぐに消失するのかもしれない。
「――成功だわ」
失神から醒めた小夜子が太助を抱きかかえながらつぶやく。
「でも、まだ――」
次に衝撃がきたとき、ふんどし一丁の長身のインド人が浴室のタイルの上に投げ出されていた。
「オーウ、なんとゆー神秘でしょーかあ!?」
シンダラーはすっとんきょうな声をあげる。
そして――
浴槽に白い裸身が浮かんでいる。いつの間にか、太助のそばに寄り添うようにしている。見ると、手と手を握りあっている。まるで、太助が浴槽の底から手を取って引き揚げたかのようだ。
「志村さん」
小夜子はつぶやいた。その表情に微妙な影がゆらぐ。
真奈は気絶しているようだ。いちばん精神力を使ったからかもしれない。太助の能力によるよびかけに応えて、彼女自身が次元渡りをしたのだ。それも、二人ものお荷物を持って、である。意識を失っても、むりはない。
だが、太助のそばで、穏やかな表情を浮かべている。
と、真奈のまわりをカエルが三匹泳いでいた。湯が熱いせいか、なかばゆだっている。
小夜子は首を傾げた。異界からこちらに来たということは、だれかがこのカエルたちを連れてきたということなのだろうか。無意識の願望――あるいは罪悪感のような、こだわりか。
だが、次の瞬間、小夜子の思考はさえぎられた。裸の美女が周囲に三人もいることに気づいたシンダラーの鼻血によって、浴室が阿鼻叫喚の修羅場と化したからである。
「志村さん、無事でよかったわね」
翌日、楽天荘につづく道を歩きながら、貴水小夜子が言った。
「ああ。今日は学校を休ませたけどな。本人はなんで休まないといけないのかって、文句たらたらだったぜ」
頭の後ろに手をまわして、ぶらぶらと太助は歩いている。
「どっちかというと、太助クンのほうが疲れているんじゃない?」
「それがさ、調子いいんだ。風呂場でさ、おれ記憶がないんだけど、なんかしてくれた?」
太助が真顔で訊いてくる。小夜子の頬がちょっとだけ赤くなる。
「……それは、その、秘伝のマッサージです。奉仕隊心得に載っているのよ」
「へええ。なんかすげースッキリして、快調なんだ。また頼もうかな」
「だめよ!」
思わず口調を強めてしまった小夜子はあわてて口をつぐむ。
太助は肩をすくめる。
「はいはい。どーせ、生徒会長からしたら、おれは便利屋だもんな」
「そんなこと……ないわ」
小夜子の声は小さくなる。と、意を決したように口調を改める。
「あのね、太助クン、お風呂場でのこと、全然憶えてない? 最後、ちょっと眼をあけたじゃない」
「うーん」
太助は頭をガシガシ掻く。
「実は生徒会長がなにか言ってたのは憶えてる。意味がよくわかんなくてさ、それ」
「わたしが? なんて言ったのかしら」
小夜子の顔は真っ赤だ。
太助はそんな小夜子に気づかない。のほほんと歩いている。
「たしか、なにかが好きだとかどっかへ行くとか――あれ、なんの話? 食べ物とか旅行についてアマンダと話してたの?」
「ばかあっ!」
いきなり怒鳴られて太助は驚く。
「わわっ」
たたらをふんだところに、楽天荘の門構えが見えた。
「あっ、タスケにーちゃんでし! 美人な生徒会長さんもいっしょでしっ!」
門の前にいたハルキが歓声をあげた。そのそばにはアマンダもいる。
窓が開いて、カリーの香りが漂ってくる。細長い顔がターバンの下で笑っている。
「新作カリーができたのでーす! ぜーひたべてってくださーい!」
カリーだけではなく、各国のいろいろな料理の匂いが、そしてさまざまな言葉が入り乱れている。そろそろ早い夕食どきに近いのだ。
「太助ちゃん」
はにかんだような声が太助に届く。
トレーナーとジーンズというラフな私服姿の少女が立っている。
「やっぱり、来ちゃった」
「真奈……」
「だって、身体はなんともないし。それに、ハルキくんやシンダラーさんに会いたくて。ちょっとだけだけど、家族のように過ごしたから、いっしょにいたほうが落ちつくんだ」
屈託のない笑みを浮かべる。
「あと、太助ちゃんに、きちんとお礼言えなかったから――ありがとう、助けてくれて」
「いや……おれ……なんもしてないけど……」
そっと真奈は首を横にふる。
「だって、お願いしたんだもん――太助ちゃんに来てほしいって……だから……」
「真奈……」
太助の喉仏が上下する。二人っきりだったら抱きしめてキスでもしてしまいそうな空気が漂う。だけど、場所が悪い。
「だめでしー! 真奈おねーしゃんはぼくのお嫁さんになるでしー」
ハルキが割って入る。太助はずっこけ、真奈はころころと笑う。そんな光景を後ろから見つめている小夜子とアマンダは顔を見あわせて苦笑をうかべる。そこに、シンダラーが調子っぱずれの歌――ヨーガマンのテーマを歌いはじめた。
楽天荘はいつもの喧騒を取りもどし、そして、また夜がやってくる――。
玄関横に置かれたプラスチック製の水槽のなかで、三匹のカエルが鳴く。エサも充分与えられて、ある意味満足そうに。
ばあど
わーい
ざー