「入る……入る……バァド」
なまぐさい息を吐きかけながら、カエル人間が身体を密着させてくる。
「やあ……やだあ……」
真奈はあまりのことにしゃくりあげている。
下腹が合わさっている。ぬるぬるした感覚。
股間の頼りない部分に、固いものが侵入してくる。
「いやあっ! 太助ちゃあんっ!」
真奈は目を見開いた。
空がまわる。
声が聞こえる。
まな
――それは最初谺のようだった。実体のない波動のようなもの。
まな……!
――少しそれが力を強めた。空気が震えるのがわかる。
そして。
まなあああッ!
声が形になる。
真奈は、なつかしい少年の声を聞いた。
地鳴りのようだった。
いや、ほんとうに震えている。
次の瞬間、地面が傾いだ。角度にしたら十度、いや、もっとか。
「ゲッゲッ」
カエル人間たちは真奈の身体にしがみついた。彼らも驚いているらしい。
「はな……してっ!」
真奈は懸命にもがいた。相手はぬるぬるする。しかも、股間同士をこすり合わせるようにしている。先端が、するっと入ってしまいそうだ。
「いやあっ!」
入り口のあたりを異物感が襲う。
と、それが逸れる。カエル人間に横からぶつかったものがあるのだ。
「まなねーしゃん!」
ハルキの声がした。目覚めたばかりらしいが、あまりの状況に、夢中で体当たりしてきたようだ。
カエル人間たちは地震にうろたえている。ぐぇこぐぇこ鳴きながら、周囲を飛び跳ねはじめる。
傾斜がきつくなる。鳴動はやまない。
突然、泉が爆発した。としか思えないほどに湧水量が増したのだ。空に向けて轟々と水を吹きだしはじめている。
さらに空が傾いた。そう思えるくらいに地面が傾いだのだ。
「ハルキくん……!」
「まなねーしゃん」
二人は抱き合った。地面に膝をつく。もう立ってはいられない。泉の水も低いほうにむけて流れ出している。川のようだ。真奈とハルキはその流れに押し流された。
森は壁のようにそそりたち、泉は、いまや滝となった。膨大な水を放出している。
真奈とハルキは急流を押し流される小石となった。すぐそばにカエル人間たちもいる。泳ぎは得意なはずの彼らでも逃れられないようだ。
そして――川が流れつく先は――海だ。
「もしかしたら、でし」
「なにっ、なにっ、きゃあああっ!」
真奈は絶叫した。ウォータースライダーみたいな速度だ。
「これは、この前のとおんなじように、海の水が吸い込まれているでしか!?」
「この前!? なに、それっ!」
「まなねーしゃんは酔っぱらっていたから憶えていないのっしゅ!」
「そんなこと、どうでもいいから、とめてえっ!」
「おー、おふたりさーん」
そのとき、間延びした声がすぐ近くからした。
「シンダラーしゃんまで!」
リストを手にしたシンダラーが流されてきている。
「よかったでーす、無事だったのデースね。心配してまーした」
「きゃあっ、シンダラーさん、こっち見ちゃだめえっ!」
「なっ、まーな、うぷっ」
シンダラーの鼻の周囲が真っ赤になる。真奈の裸の胸を見てしまったらしい。
三人はくるくる回転しながら流れに飲みこまれたまま、落下していく。
「これは――次元の扉でし!」
三人のなかで最も落ちついているハルキが指摘する。なにしろ彼は自分の妄想の世界を持っていたことがあるのだ。ほかの二人よりも状況を飲み込むのが早い。
「次元の扉って……?」
「この流れのどこかに、この世界からの出口があるかもしれないでし!」
「なるほーど! 異界とのでいーりーぐちがー、うみーのそこーにあるのかーも!」
「でも、このままじゃ溺れちゃう……っ!」
――まな
声が聞こえた。今度ははっきりと。
「太助ちゃん!」
――こっちだ、まな
「どっち!? 会いたい!」
――勇気を出して、潜るんだ。
「はっ」
上流から、巨木が迫っていた。いつの間にか大地全体を覆った激流が、森の木々をさえなぎ倒したのだ。
「ひょええっ!」
「しぬるー、でーす!」
「こっち!」
真奈は硬直しているふたりの男の腕を取った。
頭を水につけ、そのまま下肢を蹴る。
「まなおね――ぷばっ!」
「まーな、びへっ!」
用意ができていなかった男たちは真奈に引っ張られて、あわてて水にもぐる。
土砂を大量にまきあげた濁流では目をあけることもできない。それに、きりもみのように水にもまれて、つないだ手も振りほどかれそうだ。でも、離さない。
(どっち、太助ちゃん)
――そのまま、できるだけ潜るんだ。そうすれば、流れのない場所にでる。
(わかった)
真奈は脚で水を蹴りつづけた。両手は男たちの手を引いている。
ハルキとシンダラーは最初おびえて水面に出たがった。だが。
(ハルキくん、シンダラーさん、わたしが誘導するから――わたしと同じ方向へ泳いで!)
強く念じた。指に力をこめる。
ハルキが、シンダラーが、わかった、というように握り返してくる。そして、それからは速度があがった。ハルキも、シンダラーも、空いている腕で水をかき、バタ足を始めたからだ。
真奈の呼吸が苦しくなる。肺が破裂しそうだ。
でも、まだ流れは弱まらない。真奈は首を振った。
(まだ? まだなの、太助ちゃん――苦しいよぉ)
――もうすこしだ。がんばれ!
太助の声がゆがんでいる。頭のなかで鳴っている脈の音とシンクロしている。ジワーンとひろがる耳鳴りが太助の声の正体なのだろうか。導きなどなかったのだろうか?
(太助ちゃんはきっと来てくれる。だから、信じる)
真奈は懸命に足で水をとらえ、漆黒の闇のなかに潜りつづける。
と、両手に感じていたハルキとシンダラーの握力が頼りなくなった。
真奈は目を見開く。水の底。暗い世界だ。なにも見えない。でも、自分のすぐそばに、ふたつの肉体がたよりなく漂っているような気がする。
(ハルキくんっ! シンダラーさんっ!)
真奈はパニックになった。そのとき、こらえていた肺がたがをうしなって、水の流入を許した。
(だめ……太助ちゃん……きてくれなかったね……ひどいよ……)
肺に侵入した水は重く冷たかった。
(きっと、ほかの女のひとといるんだね……あたしなんかどうでもよかったんだね……)
真奈のからだが浮力に負けて浮きはじめる。そこには、しかしすでに激流はなかった。
静止していた。
――まなっ!
耳元で声が爆発した。光をともなう声の衝撃波。
――念じろっ! おれはすぐそばにいる!
真奈は目を閉じていた。まぶたの裏に、太助がいた。小学校入学のときの太助。おおきなばんそうこ。笑うと目が糸になって――いっしょに遊んだ。ケンカもした。ちょっとエッチなことも――いっしょに笑って、いっしょに泣いた。すこし大きくなって、ちょっとだけ意地をはるようになって、それでも、それでも。
そうか。
真奈は思いだした。
太助ちゃんはいつもそばにいたんだ。
いてほしい、と思えばそこに――
そして、静止した水は、ゆっくりと渦をつくりながら、三人の身体を呑みこんでいった。