「うわわ〜、びっくりしたでし!」
黄色い声が耳を聾した。
真奈は、自分のひざに幼稚園児くらいの男の子がすがりついているのに気がついた。肌は浅黒く、目がまんまるだ。ものすごくかわいい子供である。
真奈は周囲を見渡した。
色とりどりの花。小川に水車小屋。こんもりした丘の頂上には巨木があって、その幹には老人の目鼻がついている。空にはジャンボジェットが音もなくぷかぷか浮かんでおり、ついでにくじらも泳いでいる。あと、遠くの方にはビル街があって、怪獣と巨大ロボットがじゃれあう小犬同士のように取っ組みあっているのが見える。
「なによ、ここ」
「おっ、ハルキじゃねえか」
太助が子供の顔をのぞきこんで言った。
ハルキと呼ばれた子供の顔が一瞬不思議そうに弛緩し、それから心底うれしそうな笑顔にうもれる。
「たすけにーしゃん、いらっしゃーい、でし」
真奈の膝にすがりついたまま、顔だけを太助に向けている。
「いらっしゃい、じゃねえよ。おまえ、こんなとこでなにしてんだ」
つっけんどんに太助は言った。ハルキの顔がみるみるべそっぽくなる。
「だめよ太助ちゃん、ちっちゃい子に乱暴な言いかたをしたら」
真奈はその場にしゃがんで、子供の肩を抱きしめた。
ハルキは真奈の胸元に顔をうずめる。
太助の太い眉がひくっと動く。
「をい、真奈、そいつを放したほうが身のためだぞ」
歯の間からしぼりだすような声だ。
「どうして? 太助ちゃん、子供にそんなに意地悪だった?」
怒りよりも裏切られたような気持ちで、真奈は抗議の声を放った。
すーはー、すーはー。
「えっ?」
胸元に違和感をもった真奈は視線を下に落とした。
ハルキが顔を制服の胸におしつけ、勢いよく呼吸をしている、というより匂いをかいでいる。
さらにちっちゃい手をブレザーの下にもぐらせて、うにゅうにゅと動かしはじめているではないか。
「きゃっ!?」
思わずハルキをおしのけるようにしてのけぞる真奈。
「おねーしゃんのおっぱい、あんまりおっきくないでしね。でも、だいじょーぶでしゅ、ぼくがすぐにおっきくしたげるでし」
「う……うそっ」
「だから、言ったろ。こいつはハルキ・イパネスといってな。フィリッピーナのおねーさんの子供だが、魂は完全にすけべおやじなんだ」
「またまた、たすけおにーしゃんが、おしえててくれたんじゃないでしか。おんなのひとにあいさつするときにはこうしろってえ」
「太助ちゃん!?」
「うそつくなっ!」
「とにかく、ようこしょ、たすけにーしゃん、それと、びじんなおねーしゃん」
「なんか、すなおに喜べないなあ……」
真奈は嘆息した。
「ここもどうやら異次元世界の一種らしいが、どーも、ハルキの精神世界と関係があるよーな気がするな」
たしかに、見上げた空に輝いている太陽もクレヨンで描いたような真っ赤ではある。
「でも、これって典型的な子供の世界だよね。この子の行動とはなんかギャップがあるけど……」
真奈は、足元にしゃがんでスカートの中をのぞきこもうとしているハルキを蹴るに蹴られず、小刻みに移動しながらつぶやいた。
「いや、そんなことはないぞ」
太助が指差した方角には、ビーチがあって、その先は青い海だ。お約束の真っ赤なタコも波間に浮かんでいる。いかにも子供が好んで描きそうな海の風景だが。
「日光浴しているのは、みんな、ビキニの女の子だ」
たしかに。ビーチにいるのは、健康的な小麦色の肌をした女の子ばかりで、みんな、すごいグラマーだ。
「ハルキのやつ、いい趣味をしてるなあ」
太助が目尻をさげてつぶやく。真奈は自分の胸元と比較して、理不尽な怒りを感じた。
「ハルキー、さわがしいわネ、どーしたのぉ」
ビーチにある白いレストハウスのテラスから、けだるい、少し鼻にかかったイントネーションの声が聞こえてきた。
「あ、ママぁ! おきゃくしゃんでしよー」
さすがに母親の吸引力か、ハルキはレストハウスの方に駆けだし――その途中で日光浴をしている女の子の側にしゃがんで、うつぶせのヒップをうにょうにょといじくりはじめた。
「おねーしゃん、オイルぬってあげるでし」
「なんちゅーガキじゃ」
くやしそうな声が太助の喉からもれる。
*
「なーに、タスケじゃないの、よくきたネー」
テラスから降りてきた女性はハルキよりも一段肌の色の濃い、熱帯系の美女だった。髪は黒でソバージュをかけて肩の下まで。身に着けているのは白のビキニだけだが、そのスタイルといったら――太助は一歩前へ、真奈は一歩後ろへ、それぞれ無意識に移動してしまうほどだ。
「いやー、アマンダ、元気そうでなにより。救助にきたよ」
太助は頭をかきかき美女に近寄った。なんか、ちょっと前屈みかげんなのが若い。
「キュウジョ? どして? なで?」
ちょっと発音にあやしいところがあったりもするが、ハスキーな声はなかなかにセクシーだ。
「なんでって、ここはふつうの世界じゃないでしょ? 女性のサイズがこんなに偏った世界がどうしてまともなんですか!」
なんとなく、それこそ偏った判断基準のような感じもするが、とりあえず真奈は事態をアマンダに把握させようと詰めよった。
「このこ、だれネ? もっかして、タスケのガールフレンド?」
「いや、なんてゆーか、その」
太助がしどろもどろっているのをおしのけて、真奈はきっぱりと言う。
「あたし、志村真奈といいます。太助ちゃ……一陣くんとはクラスメートです。わたしたちは、あなたたちを助けにきたんです。早く、もとの世界に戻りましょう」
「もとの世界へ? ハッ、ナンセンス」
外人らしく肩をすくめるアマンダ。
「なぜです?」
「だって、考えてみてネ。ここでは食べたい物がなんでも出てくるネ。天気も最高だし、ハルキの遊び相手もいっぱいいるネ。だいいち、はたらかなくてもいーネ。どして、ここから離れたいの」
「うーむ、どうやら、この世界には住人の思い描いたものをある程度実現する作用があるらしいな」
うめく太助にアマンダがしなだれかかる。
「ねえ、タスケもここでくらすといいネ。たのしいヨ! タスケがいてくれたら、ワタシもたのしいネ!」
大きな胸が太助の肩に当たっている。アマンダは女性としては大きいほうで、太助は小柄だから、そうなるのだ。
「また、たのしくあそぼうネ、タスケ!」
「また? またってなに!? 太助ちゃん!」
真奈はアマンダの態度と言葉の端々から、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた。そういえば、べつの事件で楽天荘の人々とは仲良くなった、とかいっていたし……。
「おい、アマンダ! よせよ!」
顔を赤くしながら、太助はアマンダをおしのけた。
「あん、もう、タスケったら、すなおじゃないネ。でも、そこが魅力的ヨ」
おとなの女性の余裕で、アマンダはにっと笑った。
真奈はいい気分とは程遠い精神状態だった。
それにしたって、彼らを現世に連れもどして行かなくてはならない。そうしないと、学園王者としての太助の仕事が終わらないからだ。
どうにかして、アマンダに「現世に帰りたい」という気持ちを呼び起こさせなければならない。
「アマンダさん、ここに来てから食事はどうされてたんです? もしもよかったら、お弁当がありますよ」
真奈は持っているバスケットを示した。大食いの太助のために作ったので、量はたっぷりだ。
アマンダは蕩けるような笑みをうかべて首を横にふった。
「さっきもいったネ。ここではなんでもあるヨ。フルーツパフェに、プリン・アラモード。ココヤシのシャーベットに、バナナのアイスクリーム……」
えんえんとお菓子の名前を並べたてはじめる。たまに、ハンバーガーやスパゲッティ、カレーライスなどのメニューもまざる。
「いったい、一日何回食っているんだ? ま、時間の進み方は空間それぞれだから、不思議はないが」
あきれたように太助がつぶやく。と同時に、うらやましそうだ。彼は昨夜、次元トンネルを掘りつづけたが、そんな役得にはめぐまれなかったのだ。
「……で、さっきまでたべていたのが、ネルネルネルネ、とかいうお菓子ネ。へんな名前だけどおいしかったネ」
ほっぺたを両手で押さえ、アマンダはため息をついた。
「お菓子ばっかりですね、あと、子供がよろこぶジャンクフードばっかり」
真奈は考え考え言った。
「一日二日で食べた量でいうと、すごいカロリーですよ。アマンダさん、だいじょうぶですか?」
「ダイジョブよ。なんで?」
「ええと、アマンダさん、ここに来られてから体重増えたりしてません?」
「ホワット!?」
心外だ、とでもいうように、アマンダは自分のウェストに手をあてた。
「ぜんぜん、かわってないネ!」
「でも、ここに来てからは糖分たっぷりのフルーツのほかは、野菜も食べてらっしゃらないでしょ? ダイエットの敵の甘いものと肉類ばかり……それでは太ってもしょうがないですよ」
ピキーン!
アマンダのこめかみが弾けとんだ、かのようにみえた。
ばっ、とアマンダは太助に向きなおり、ビキニ姿のまま飛びついた。
「ひえっ」
世にも情けない声をはなって太助は硬直した。
「タスケ、どうネ? わたし、ふとったか? まえとくらべてどうネ?」
アマンダは太助の手をとって、自分の胸やウエストを触らせる。
「い、いや、アマンダ、ちっとも、かわって……」
太助はにやけた顔でそう言いかけて、真奈の視線に気づいたようだ。
――前とくらべて、って、どういう意味!?
バナナで釘が打てそうな冷たい視線だ。太助はどもった。
「お、重いよ、アマンダ。前のことは全然ちっとも知らないけど、いまのきみは重い!」
アマンダはショックを受けたように太助から身を放し、自分の身体をあらためてチェックする。
「そういえば、なんかまえより腕がぷにぷにするネ。せなかも肉がついたようだし……」
アマンダの身体がぶるぶると震えたかと思うと、ばっ、と顔をあげる。
「ハルキー、こっちにおいでっ! おうちにかえるよぉっ!」