がくえん おうじゃ
学園王者2
〜真奈の異常な漂流〜
第二回 出発

 楽天荘というのは、高等部があるブロックからすこし隔たった、体育会系施設のあるブロックのそのまた外れにあった。ふだんはあまり人通りがない場所だ。

 真奈はいったん帰宅したあと、台所にこもり、おにぎりやおかずのたぐいを特急で作るとバスケットにつめて、また家を出た。あわただしくて、着替えるひまもなかったから、制服のままだ。初夏だから、陽はいちばん長いころだ。

 楽天荘が見えてきた。さすがに建物はボロボロだが、手入れがちゃんとしているためか、外見よりもずっと住みやすそうではある。

 瓦屋根の木造建築。アルミサッシなどはない木枠の窓にすりガラス。昔の学校の校舎のような、趣のある建物だ。

 真奈は玄関の手前までやってきた。太助は授業がおわったあと、すぐにここに来ているだろうから、もうアパートの住人さがしをはじめているかもしれない。差し入れにくる、ということを言っておけばよかったな、と思ったがもうおそい。

 太助の姿をさがしたが、あたりには人っ子ひとりいない。たしかに、へんな感じだ。

 古い薬局のような曇ったガラスがはまった扉。フタのとれた郵便受け。玄関先にはさびた三輪車が放置してある。ここには子供連れも住んでいるのだ。たしか、きれいなフィリピン女性で、食堂のおば、じゃなくておねえさんだ。色っぽいので男子生徒に人気があった。

「なんか……ずっと人が住んでいなかったみたい」

 さびしい感じがして、真奈はつぶやいた。

 真奈の手が梃子の形をしたノブに触れ、ゆっくりとまわす。

 コキリ、キュイー。

 きしみ音をたてて、扉がひらく。

「あっ!」

 真奈は思わず声をあげた。

 ――そこは、枯れ野だった。

 夕刻。太陽が赤すぎる。

 吹き渡る風は悽愴。まるで血の匂いをはらんでいるかのよう。

 真奈はうろたえて振り返った。だが、そこに扉はなく、何もない葦の原が広がっているばかり。

 うそ!?

 茫然とした。

 たしかに、異変が起きているということは聞いていた。だが、周囲に立ち入り禁止の警告もなかったし、このあたりまではまだ大丈夫だと思ったのだ。

 脚がすくんだ。どうしよう、と思った。

 真奈自身、超常現象に対する忌避は持っていない。そういうこともあるんだろーな、という考えだ。なにしろ、身近にミスター超常現象ともいえる太助がいるのだし。

 だが、自分自身が突然その異変のただなかに投げ込まれるとは思っていなかった。

「太助ちゃん!」

 叫んでいた。涙腺が熱くなる。このまま出られなかったらどうしよう。

「たすけちゃあん!」

「なんだよ、来たのか」

 あっさりと返事があり、なにもない空間から、ひょいと太助が顔を出した。

「た」

 べそをかき、口を大きくあけていた真奈は太助の顔を凝視した。

 おそるおそる近づき、ぺたぺたと太助の顔や肩をさわる。

「ほんもの?」

「ほんものだ。外に立ち入り禁止のロープを張ってたのに、だれか取っちまったみたいでな。それをやり直してたんだ――って、なに泣いてるんだ」

「こわかったあ!」

 真奈は太助の肩にすがりついた。身長はまだちょっと真奈の方が高いのだが、そんなことは気にならない。ただただ、安堵した。

「だから、一般生徒には言わないように、と言ったのよ、太助くん」

 クールな響きのある声が真奈の意識を打った。

「悪い、会長。こいつ、どーしても教えろって、きかないもんだからさ」

 弁解口調の太助の声が向けられた方角を真奈は涙目で見た。

 長身ですらりとしたスタイルの生徒会長、貴水小夜子が太助のあとから、その空間に現れていた。理知的な風貌をかたちづくるメガネもよく似合っている。

「はい、志村さん」

 小夜子がハンカチをさしだしてくる。ブランドものだがいやみではない柄のものだ。ほのかな香りを感じる。香水だろう。

 それを断り、真奈は自分のハンカチで涙をぬぐった。くやしい、くやしい、と思った。なぜだかはよくわからない。

「それ、差し入れかしら?」

 小夜子が、真奈のさげているバスケットに視線をやる。

「あ……はい……」

「あいにくね、今回は同じ失敗をしないようにと、太助くんにはたっぷりと食事をしてもらった上に、非常糧食も準備してきたの」

「ああ、ステーキうまかったです、会長ぉ」

 幸せそうな表情を太助はうかべた。こころなしかお腹のあたりがふくらんでいる。

 背負っているデイパックには食料や水が用意してあるのだろう。

 真奈は居場所がない感じにおそわれた。来るんじゃなかった。

「お帰りなさいな、志村さん。そろそろ暗くなるわよ」

 小夜子が先に言った。真奈の心の一部がカッと灼熱する。

「帰りません、あたし」

「おい、真奈……差し入れは助かるけど」

 とりなし顔で言いかける太助に、きっと視線をむける。

「これ、太助ちゃんのじゃないもん。アパートの住民の人のだもん。だって、みんな、次元のはざまとかで、きっとおなかすかせているはずだわ」

 真奈は一気にまくしたてた。小夜子がうすく笑う。

「――それも、一理はあるわね。どうする、太助くん? 昨日の反省から、もう一人ナビ役が必要ということで、わたしがここまで来たけれど、志村さんにお願いする?」

 口調は質問だが、けっこう高圧的な感じがする。太助はしどろもどろだ。ああ、じれったい、と真奈は思う。

「そりゃあ、次元渡りがまっすぐできているかを確認するだけだから、会長でなくてもできるかもしれないけど――でもなあ……」

「正直なところ、事態を把握している人間がひとり、外にいる必要は感じていたのよ。それが志村さんでも、もちろんかまわないのだけれども――」

 真奈は、太助をにらみつけ、それから小夜子に目をやった。

「あたしが、行きますから」

 宣言する。太助の手を握りしめた。

「おい、真奈――危険なんだぞ?」

「わかってるわよ!」

 ぜんぜんわかってなどいないのだが、真奈はそう答えていた。異次元空間に踏み込んでしまった時は恐怖のあまりすくんでしまったが、こうして立っていても、ただ葦原であるというだけで、べつに危険な様子はない。それに、小夜子だって平気な顔をしているではないか。

「――しょうがないな」

 ようやく太助も腹をきめたようだ。

「会長、外でバックアップお願いします――真奈、泣くなよ」

 真奈はうなずく。

「よし、それじゃあ、行くぞ」

「――ここだ」

 小夜子と別れ、太助が案内したのは、他の場所となんの変わりもないように見える葦原の一角だ。その中空には、なんとなしに、向こうの情景がぼやけて見える場所がある。

「なに?」

 小夜子がいなくなったとたん、真奈は不安が首をもたげるのを感じていた。小夜子の前ではぶざまな姿を見せたくないから気持ちが張っているのかもしれない。

「次元トンネルの入り口だ。この葦原はロビーみたいなもんだと思ってくれ。たぶん、大昔、アパートが建っていたあたりはこういう光景だったんだろう。時代を隔ててはいるが、同じ場所というわけだ。でも、ここからつながっている異次元は、そんな因果関係はないぞ。メチャクチャだからな、いっとくけど」

「うん」

 と言いつつ、真奈はへっぴり腰だ。バスケットを片手に、もう一方の手で太助の制服の袖を握りしめている。

「昨日はこのトンネルの周囲が崩れて、どうにもならなかったんだけど、いまは大丈夫そうだ」

 太助は両手を空間にさしのべた。

 ふうっと空気をかきだすように手を左右に広げると、空間が固形物のように伸びた。なにもないはずの場所に、七色に変色するトンネルの入り口があらわれたのだ。

「うそ」

「これが次元トンネルさ。こーゆーことができるようになると、なんか学園王者の実感がわくよなあ」

「太助ちゃん、すごい」

 すなおに真奈は感心した。

「いくぞ。軸がずれてないか、後ろから見ててくれよ」

 太助は先に立って一歩、踏み出した。真奈も太助のベルトをつかみ――異次元トンネルへと飛び込んだ。

 異次元トンネルの中は暑くもなく寒くもない。また、時間の概念すらない。ここにとどまる限りは年をとることはないのだ。むろん、こんな場所で生活をする気になるはずもないが。

 トンネルはかなり長いようだ。はるか行く手は闇に閉ざされている。もっとも現在真奈たちの視界を支えている七色の光自体、厳密には光ではないようなのだが、真奈たちの視神経には光のように作用するらしい。

 トンネルの長さというのも、物理的な長短とはまったく別の概念によって説明されるべきなのだろうが、真奈たちの身体感覚では距離的に長いように感じられるのだ。

「さっきの葦原は現世のすぐとなり、時間をへだてた同じ場所、だったのかもしれないけど、こうやって次元のはざまをかきわけて進むと、それだけ現世とは隔たったところまで行くことになるわけだ。へたをすれば人間がまったくいない世界につくかもしれないぜ」

「ほかの人間がいないところ?」

「ああ」

「ほんとは貴水さんと来たかったんじゃないの、太助ちゃん?」

「ばかいってんじゃねーよ」

 太助の声がちょっと裏返った。あやしいな、と真奈は思う。

 と、太助の声がまともになる。

「ここいらに空間の歪みがあるぜ。ちょっと、探ってみっか」

「アパートの人たち、いるといいけど」

「出口をつくるぜ」

 太助は両手の先を前に突き出し、呼吸をととのえた。精神集中が必要なのだ。これを一人で続けていれば疲労困憊するのもむりはない。

 真奈は太助から離れすぎないように、ベルトをつかんだままでいた。

「開け……」

 太助の指先が光を放つ。いや、これもトンネルが発している七色の光と同様に、光とはちがうエネルギーなのだろうが……

「開け……」

 指先が見えなくなっていく。つまり、べつの空間に食いこみはじめているのだ。

 真奈は息をのんで、その光景を見守っていた。

 学園王者は、その事件を解決するに足りる能力を持つようになるという。太助の場合も、事件に遭遇するたびに成長しているのかもしれない。

「ひらけぇーっ!」

 叫びつつ、大きく左右に手を開く。

 そして!

 子供の絶叫が。

つづく!