小徳学園は総合学園である。そのなかには幼稚舎から大学までがそろっている。
敷地の広さも尋常ではなく、その全貌は、学生生活を小徳一本で通した生え抜き生徒でさえ把握できないといわれている。
3万人に達する学生人口をおさめてもまったく混雑を感じさせない広さ。そして、丘陵地を切り開いて作られた、起伏に富み、自然も多く残っている環境。それだけでも、学内の治安維持には手を焼きそうだが、さらに学園がある地域は、さまざまな力線が交差する<不思議多発ゾーン>なのだ。
さまざまな超常現象が起こりうるこの学園の平和を守るために、力線によって無作為に選び出された生徒に、ほとんど無制限の権限を与え、異常な事件を未然にふせぐ。
その選抜された生徒のことを<学園王者>とよんだ。
現在の<学園王者>は、一陣太助、そのひとである。
「し、しぬ」
その、学内の権力を一身にあつめているはずの学園王者が情けない声をだしてよろめいた。
「太助ちゃん!?」
学校の昼休みである。真奈はお弁当を持って友人たちと校庭へ行くところだった。季節は初夏、梅雨あけのさわやかな晴天の日には屋外での食事にかぎる。
だが、その真奈の予定はどうやら強制変更されてしまいそうだった。
「じゃ、先に行ってるから、気がむいたらどーぞ」
友人たちが真奈の肩をぽんぽん叩いてすり抜けていく。
「邪魔者は退散退散」
「ごゆっくりねー」
「あっ、待ってよ……もう!」
真奈は呼び止めようとして、あきらめた。いつの間にか廊下にへたりこみ、真奈のスカートの裾をつかんでいる太助を睨みつける。
「――いったいどうしたのよ、太助ちゃんてば」
真奈と太助は初等部からの腐れ縁だ。べつに恋人どうしというわけではないが、なんとはなしに周囲もそんな感じだと思っているらしい。本人たちの感覚は、さらにあいまいだ。
「うう〜、真奈あ〜」
弱々しい声だ。目の下にくまができ、心なしか頬もこけているようだ。
子供のころからいつもそうだ。いじめられたり、困ったことがあると、こういう表情ですがってくる。学園王者になって以来、いろいろな事件を解決しているとはいうものの、本質的には何もかわっていないようだ。
そして、そのことは、真奈にとってはけっしていやなことではない――ようだ。自覚はないが。
「そんな、ひざまずいてちゃわからないじゃない。どうしたっていうの?」
「はらへった……」
「へ?」
「弁当、くれ」
くんかくんか、真奈の弁当の包みに鼻を押し当てている。その匂いにつられて真奈の足もとにへたりこんだらしい。
「昨日からなにも食っとらん」
ぐきゅるるるりりりいいい。
ものすごく説得力のある音が太助の腹からひびいた。
「うまいっ、うまっ、ぐはっ」
太助が大口をあけて、かわゆい卵焼きやらタコさんウィンナなどをかっこんでいる。
「あああ、太助ちゃん、全部たべないでねえ」
いちおう真奈としても昼ぬきはつらい。
でも、その時点ではすでにおそかった。
「ぶは〜う、生き返った! お茶ない?」
真奈のあまり大きくない弁当箱の中身は米粒ひとつのこらず太助の胃袋におさまっていた。
「あ〜ん、半分だけって言ったのにぃ」
そこは屋上だ。ふつう屋上というと立ち入り禁止になっていることも多いのだが、なにしろ太助は学園王者だ。学内のどこにも入れてしまうのだ。
さわやかな風がふいている屋上には太助と真奈しかいない。
「しくしく」
しみじみ茶のペットボトルを太助に渡しながら、真奈は失われた昼食を悲しんだ。でも、まあ、ダイエットにもなるかもしれない、と自分をなぐさめる。
「――悪かったなあ、全部くっちまって。でも、あれだけでよく足りるもんだなあ。わるいけど、まだおれ、満腹じゃないぞ」
さほど悪くは思っていなさそうな口調で太助が言う。
真奈はちょっとムッとする。
「なによ、死にそうな顔で『お弁当わけて』ってたのむからあげたんでしょ」
「ごめんごめん、ほんと、腹へっててさ。どうも、次元渡りをするとメチャクチャ腹がへるみたいだ」
「次元渡りって、なに?」
なにげなく真奈は問うた。太助も気軽に答えかけ、あわてて口をつぐんだ。
「――いけね、一般生徒には教えちゃいけないって、生徒会長に言われてたったけ」
「なによ、それ」
真奈は眉をひそめた。
生徒会長というのは一学年上の貴水小夜子のことだ。成績優秀、そしてストレートのロングヘアの美人で、スタイルもバツグンだ。学園王者である太助のパートナーというか、ほとんど上司のようなものかもしれない。学園王者は職制上では生徒会長よりも上の立場だが、力関係的にはあきらかに小夜子が太助よりも強いようだ。
一時期、この小夜子と太助が「デキ」ている。といううわさが流れたことがあった。生徒会の建物である小徳館に二人入り浸って、授業にも出てこない、という日々が続いたからだ。それどころか、学内の美少女たちが軒並み、太助に「食われた」というデマさえあったほどだ。むろん、それらはすべて学園王者の権益をねたんだ者たちの根拠ないでまかせだったのだが、真奈自身、かなりその時期は悩んだものだった。
だから、生徒会長、という語が太助の口からもれたとき、めらめらと対抗意識が燃えあがってしまったのだ。
「生徒会長がなにを口止めしたのよ! 教えて、太助ちゃん!」
「おいおい、真奈……」
真奈の剣幕に太助は困ったように両手を広げた。
「マジで教えたらやばいんだよ。知ってるだろ、おれの仕事。どんな事件を扱っているか、とか」
「知ってるわよ! 別の次元からまぎれこんできたくのいち軍団とか、マッドサイエンティストが作ったスーパーロボットの設計図を持った某国のエージェントがまぎれこんできたりしたんでしょ!」
最近の学園は情報公開が義務づけられるようになっていて、学園王者の行動記録は毎週発表されている。
「そのシリーズはもう終わった。ロボットは完成して、もうすこしで地球の中心核を破壊するところだったけど、木星軌道にまで打ち上げておいたから最低六〇年はもどってこない」
太助はうんざりしたような表情で言った。学園内に活動範囲は限られているとはいえ、あつかう事件のバリエーションはなかなか広いようだ。
「じゃあ、なに!? 次元渡りって言ったわね、それ、なに!?」
完全に真奈はムキになっていた。べつに太助がどんな活動をしていようがケガとかしなければかまやしないのだ。前とちがって、ちゃんと授業には出てきているし、真奈にとっての太助は昔からなにひとつかわっていない。だが、生徒会長がからむと、ちがうのだ。生徒会長は知っている。真奈が知らない太助を。そして、太助も、真奈に見せない自分を彼女にだけは見せている、そんな気がする。
「だからさ、危険だってことだよ。生徒会長とおれは役目だからしょうがないけど」
「教えてくれないのね」
真奈は太助を睨みつけた。太助が口をつけようとしていたお茶をとりあげる。
「お、おい」
「もう、あげない。お弁当もあげない。太助ちゃんと会っても口きかないからね」
「――わかったよ」
太助は折れた。
学園はこれだけ広大だから、職員もたくさんいる。教員以外の、用務員や施設の管理運営スタッフなどだ。その大半はむろん通いなのだが、中には通勤がむずかしい人たちもいる。そういう人たちむけに学内に宿舎がいくつも用意されている。
そのうちのひとつ、楽天荘というのが、今回の事件の舞台だった。
「楽天荘って――あの?」
真奈が思わず口をはさんだくらい、楽天荘は学内でも有名だった。
なにしろ、戦前の建築というからめちゃくちゃ古い。この学園が造成される前からあったという伝説さえ残っている。木造二階建てのアパートだが、手入れがいいのか、住むぶんにはそんなに問題ないらしい。
楽天荘が有名なのは、その住人がユニークだからだ。
アジア系の外国人がたくさん暮らしているのである。
学園にはアジアからの留学生もたくさんいるが、彼らは楽天荘などには住もうとしない。アジアはもうじゅうぶん豊かなのだ。彼らはたっぷり仕送りをもらい、こぎれいなアパートやマンションに下宿している。
だが、家庭の事情で仕送りが期待できない学生や、学生はやめてしまったけれどもさりとて帰国するアテもない元学生たちが楽天荘に居着いてしまっていた。類は友をよび、学内の拡張工事のバイトをしながら、なんとなく楽天荘に住みはじめたエスニックな人たちなどが、ちょっとしたコミュニティを作りだしていた。
とにかく、学生が多くて教員も多くて敷地も広くてなにがなんだかわからない学園なので、楽天荘も野放し状態になっていた。放任、というのが小徳学園のポリシーなのである。
「まさか、あそこの人たちを追い出そうというんじゃ?」
真奈の眉がちょっとくもった。
「無気味といえば無気味だけど……夕方とか刺激臭するし……でも、悪いことしてるんじゃないし、ほかに行くところもないんでしょ? そっとしておいてあげようよ」
「話は最後まで聞けって。おれは学内の超常現象専門なんだぜ。立ち退き屋じゃない。それに、おれ、べつの事件であそこの連中とちょっと関わりができてさ。けっこう仲良くなってたんだぜ」
太助が肩をすくめる。真奈はごめん、と目であやまり、太助の話の先をうながした。
異常、というのは、楽天荘の近くを通った生徒のひとりから告げられた。
――楽天荘に人の気配がない。
ふだんなら、バイトにあぶれた人々がくだをまいていたり、わけのわからない音楽が漏れ聞こえていたり、真奈が言ったように正体不明なスパイスや香料の匂いが漂っていたり、すこぶる生活臭のある場所なのだが、そういった気配がまるでない、というのだ。
同時に生徒会でも力線の影響が楽天荘付近で増大しているという観測結果を得ていた。そして、貴水小夜子生徒会長により、学園王者の出動が命じられたのだ。
「それが、とんでもなくてなあ」
太助がぼやく。
「あちこちに次元の穴があいていたんだ。それがどこにどうつながっているのかよくわからない。どうやら住人たちがおもしろがって、いろいろな次元に遊びに行ったみたいで、その影響もあって、次元トンネルがこんがらがっちまっているんだ」
「それが、次元渡り、というの?」
「ああ、こういうあんばいで」
と、太助は平泳ぎのときの腕の動きをやってみせた。
「かきわけていくのさ。慣れればふつうの人間でも渡れるようになる。でも、むやみに次元渡りをすると、次元どうしのデリケートな部分を崩しちまうことがあるんだ。そうすると、まったく予期しない場所に落ち込んでしまうかもしれない」
「というと?」
「ゆうべがそれだよ」
太助が首をコキコキと鳴らした。気のせいか頬がこけたのは戻ったようだが、目の下のくまはあいかわらずだ。これは、寝不足らしい。
「あちこちの次元トンネルが崩れてて、夜通しトンネル復旧についやしたんだ。抜け出せたのは一時間目が始まる直前だったんだぜ。次元渡りそのものが体力を消耗する上にメシぬきで徹夜だろ? もうヘトヘトなんだよ」
「――ごめんね、そんなたいへんだったのに、あたし、責めたりして」
真奈はわびた。太助の顔がほころぶ。
「べつにいいよ。これも学園王者の役目だからな。でも、今日も次元渡りをするかと思うと、ちょっとうんざりするな」
太助はよっこいしょと真奈のひざの上に頭をのせる。
「――悪いけど、ひざ、かしてくれ」
うん、いいよ、と答える間もなかった。
すぴすぴと太助は寝息をたてはじめていた。