ジャリン戦記 第四話 ダンジョン・シーカー(第九回)


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 けっきょく、キースとは、さらに五発ほど膣出ししてからお開きにした。

 まだまだ余力はあったが、キースが失神しまくりで、それ以上はできなかったのだ。

 終盤はキースのやつ、めろめろだったからな。首筋や脇腹をなでるだけイッちまうし、いれちゃったりしたりなんかすると、もう、あえぎまくって酸欠になりかけるくらいだった。まあ、三十回はイってるよな。

 でもまあ、マモンにやられたら、こんなもんじゃすまなかった。さらに十回は、余分にイかされてたろう。

 む。そんなにかわらないだと?

 ――まあ、そうかも。

 だが、魔神の疑似チンポにやられるよりも、モノホンにやられた方がいいだろ? 蛋白質も摂取できるしな。

 おかげさまで、キースの腹の中はおれのザーメンでぱんぱん。あえぐたびに、どぷどぷ、あふれ出るほどだ。

 あかんぼ、できちまったら、どーしよっかな。

 とりあえず、名前でもつけるか。

 女の子だったら、チエに決まりだな。理由は言うまでもあるまい。

 などと、よしなしごとをのたまいつつ、モーローとしていたキースを洗ってやり、おれは風呂場を後にした。あすこなら暖かいから風邪をひく心配もないだろう。

 

 そして、いまはおれ一人というわけだ。

 それにしても、寝室のない家ってのは、なにか不思議なものだ。

 くつろげないっつーか、「半分しかない」っつーか。

 アムリアのための空間には、ベッドが存在しない。ソファもだ。あるのはケツが痛くなりそうな木製の椅子ばかり。

 眠らないからベッドは要らないとしても、手足を伸ばしてくつろぐくらいのことはしそうなものなのに、アムリアにはそれさえも許されなかったのだろうか。

 おれは、比較的状態のいい一室の床に横になりつつ、アムリアの肖像画を思い出した。

 濡れそぼったような長い金髪、いつも夢見ているような双眸、ほのかに染まった頬。

 夢見る美少女と、いってしまえばそれまでだ。だが、この娘が眠りに落ちて夢をみたとたん、それはすべて現実になってしまう。因果律とは無関係に。

 その存在はあまりに危険すぎる。世界を滅ぼしかねないデタラメさだ。

 殺してしまうのが一番手っ取り早い解決策だったろう。

 だが、ドリーマーとしての能力が発現したのはアムリアがまだ十歳にもならないころだ。

 親や周囲の者たちは悩みぬいたろう。肉親でなくったって、まだオナーニも知らないような愛らしい少女を殺したくはない。

 だから、眠りを封じたのだろう。眠らなければ夢をみることはない。

 だが、その処遇がはたして正しかったのか、どうか。

 眠ることがないということは、一日がずっと続くということだ。リセットされない。つまり、過去も存在しない。

 現在がえんえんと継続する。

 それが、百年も――

 

 だいたいにして、ザシューバという魔道士がアムリアを誘拐した理由はなんだろうか。

 美少女だからエッチしたかったのか。

 それとも、かわいい女の子だからオメコしたかったのか。

 はたまた、おいしそうなギャルだったからチョメチョメしたかったのだろうか。

 ――いかん、ほかに理由が想像できん。

 ザシューバがアムリアに惚れて強奪したんなら、べつにどーでもいい。勝手にやっとれ。

 だが、野心的な魔道士にとって、ドリーマーは魅惑的な実験材料だ。世界の因果律に縛られない存在。最強のワイルドカード。その力を我が物にできれば――

 世界を支配することなどたやすい。

 

 まあ、いい機会だから、魔道について整理してみようか。

 問い――この世界において、なぜ、魔法は効力を発揮できるのか。

 答え――ファンタジーだから。

 ピンポーン!

 正解だ。正解だけれども、もう少しちゃんと説明しよう。

 この世界は、一説によると、造物主の一言からはじまった。

 「光りあれ――」

 その言葉が原初の世界に光をもたらし、同時に影を闇から分離した。

 光と闇はせめぎ合いつつ、さまざまな事象を創りだしていった。

 混沌から秩序が生み出され、秩序が情報となって、自らをコピーしつつ増殖していったのだ。

 まず、もとになる情報があって、それが形象・フォルムになり、それが集積して物質となる。つまり、情報こそが世界の本質なのだ。

 であれば、だ。

 世界のもとである情報のありかたを模倣しよう、というのが魔道の基本理念だ。

 つまりは、物質や事象を形作る情報のありようを探り出し、それを応用することによって、造物主の言葉を再現しよう、というものである。

 もちろん、魔道には他にもいろいろな流派があって、聖霊の力をかりてうんたら、とか、魔神がすんたら、とか、オカルトチックなものもたくさんある。だが、ひとつだけ共通しているのは光と闇の二元論である。創世神話としての、光と闇の戦いについて疑義を差し挟む流派は存在しない。

 というのは、記録が残っているからだ。

 神人と魔人――聖魔の争いの歴史が。

 光に属する情報連続体の究極が神人であり、闇に属する情報連続体の究極が魔人だ。

 神人は世界を秩序づけようとする。世界を光で包み込み、影の一片さえ残すまいとする。

 魔人は世界を混沌に還らせようとする。闇の手に世界をゆだね、漆黒に塗りつぶそうとする。

 その戦いの記録が書物として残り、遺跡も数多く発見されているのである。現存する宗教や魔道も、その戦いの系譜のなかから生まれ、伝えられてきたものだ。

 たとえば――

 光の系譜から生まれたのがヴィアン教であり、それはヴィアンシード王国の国教として信奉されている。ヴィアンシードは大陸の大動脈である虹の街道の発着点であり、いわば世界の文化・経済の中心だ。

 闇の系譜から生まれた、魔人やその眷属たる魔神を崇拝する邪教もたくさん残っている。いまは、ヴィアン教の勢いの影にひそんでいるが、邪教が主流であった時代もあったのだ。たとえば、マモンにしたって、いまではしがないマジックアイテムだが、世が世なら神殿のひとつでも持っていておかしくない高級魔族なのだ。

 てな感じだから、魔道ってのも、畢竟、光と闇、聖と魔の二元論の枠内でしか機能しない。所詮は因果律に縛られた存在だ。

 ところが、である。

 ドリーマーは別枠なのだ。世界の秩序と混沌のルールから逸脱している。因果律もへったくれもないのだ。

 いわば、世界というプログラムに対するチートコードのようなものだ。

 ドリーマーの重要さと危険さはそこにある。

 その能力を手中にすれば、世界を滅ぼすことも容易だ。制御ができれば、自由に世界をデザインし直すことだってできる。

 造物主の能力のかけら――

 それが眠らない少女の小さな肉体のなかに宿っているのだ。

 ザシューバって野郎、その力を使って何をしようとたくらんでいるのか。

 

 と。

 遠くないどこかで、空気がゆらぐ。

 なんだ? まるで、なにかが忽然と現れたような。

 次の瞬間、殺気が闇の奥からほとばしった。

つづく


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