ジャリン戦記 第四話 ダンジョン・シーカー(第四回)


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「きっ、きっ、きさまっ! 眠っていたはずでは……!」

 怒りのためか、驚きのためか、キースの声は上ずっている。それからようやく気づいて胸を隠し、浴槽のなかにしゃがみこむ。

「み、みるなっ! でてゆけっ!」

 確かに声質そのものはキースのものなのだが、響きのニュアンスが女っぽくなっているからふしぎだ。きっと、胸郭の形が変わってしまっているからだろう。

「キース、おまえ……」

 おれはあまりのことに言葉をうしないかける。だが、やはり、声はかけてやるべきだろう、それが人の道というものだ。

「おまえ……女装マニアだったのか。かわいそうに……。あまりに女に縁がないせいで、そんな偽オッパイまでつけて……」

「偽じゃない! 胸は自前だ、無礼者ッ!」

 キースが切れて、声をあらげる。腕で抱えている胸の半ばあらわになる。うむう、たしかに天然ものだな。

 おれの視線に気づいて、キースはさらに低くしゃがみこんだ。なんとか身体を見せまいとしている。

「ここから出て行け! さもないと……ヴュルガーのサビにしてくれるぞ!」

 すごんで見せるが、ちっとも怖くない。むしろ懸命で可愛らしいくらいだ。

 キースの剣は鎧とともに浴槽の脇にある。それを取るためには、立ち上がって、何歩も移動しなければならない。当然、身体をおれに見られることになってしまう。どうやら、いまのキースには、それをあえてする勇気さえないらしい。

「いったい、これはどういうことなんだ? ここは呪泉郷か?」

 おれはこみあげてくるニヤニヤ笑いを抑える努力を放棄して、キースに問いかける。もちろん、視線をねっとりとはりつかせることは忘れない。

「まさか女だったとはな……しかし、おれが気づかなかったのはなぜなんだ? いくら男を装っていても、<気>のレベルまではどうにもならない。おまえはずっと完全な男だったはずだ。顔つきも体格も、体臭や気配、立居ふるまいまでも」

 キースはおれを睨みつけたまま、動かない。いや、動けないのだ。いまのキースは女で、一糸もまとっていない。おれの視線や表情の変化に、本能的な恐怖を感じてしまっているのだ。く、く、く、かわいいなあ。

 おれはセラミックスでできた胸当てを外した。おれの防具はこれだけで、あとは黒いシャツとズボンだけだ。それも脱ぎ捨てる。ここだけの話だがパンツはビキニタイプを愛用している。

「な、なにをするつもりだッ!?」

 けけけ、あわててる、あわててる。語尾がカタカナだし。この癖は女になってもかわんねーんだな。

 おれはパンツにも手をかけた。

「いやあ、おれも今日はずっと穴蔵のなかをはいずり回っていたわけだからして、ひとっ風呂あびたいなー、なんてな」

「あとにしろ! わたしはすぐ出るから、外で待て――お願いだから……!」

 お願いだから、か。いい響きだな。まさかキースの野郎(いまは野郎じゃないけど)の口からこの言葉が聞けるとはな。長生きはするもんだぜ。

 だが、美女の「お願い」は叶わないものなのだ。それがはるか昔からのお約束だ。

「いっただきまぴょ〜ん」

 おれはブリーフを脱ぎ去ると、奇声を発しつつ浴槽に飛び込んだ。キースが甲高い悲鳴をあげつつ逃げ惑う。おほほ、胸がぶるんぶるんゆれてやがるぜ。おさわりしちゃお〜っと、えいえい。

 だが、さすがは剣士の端くれだ。おれが伸ばしたいけないお手々をかいくぐると、キースは裸身をひらめかせて、立て掛けてあった剣の柄を握る。

「ヴュルガーよ! 力を!」

 鞘から剣を引き抜きつつ、声を張りあげる。

 刀身が光をはなつ。

 なんてこった。

 剣のはなつ光のなかで、キースの肉体が変化していく。

 乳房の膨らみがみるみる引っ込んで、引き締まった大胸筋にかわる。腹筋もみごとに割れている。さらには、肩幅、顔の輪郭なども男らしく変化する。

 ただし、股間――そこに目だった変化はない。チンチンが生えてきたらどうしようかと思ったが、そこまでの男性化はしないようだ。とはいえ、骨格レベルで、すでにキースは男と言っていい。

「殺す」

 キースが男の顔で言った。静かすぎる口調だ。激していないだけ、心中の怒りが伝わってくる。ここまで明確な殺意を伝えてきたのはさすがに初めてだ。これまでも斬りかかってきたことはあったが、どこかに余裕があった。しかし、いまはそれがない。触れるものみな両断あるのみ。まさに抜き身そのものだ。

 さすがになんかやばい気がしてきたぞ。

「わはは、冗談だ。おれはあとでいいから、キース、ちゃんと十まで数えてから上がるんだぞ」

 ごまかししつつ、後ずさりを始めてみる。だが、キースの剣先がぴたり、おれを狙ってついてくる。

「わが秘密を知った不幸をあの世で呪うがよい、ジャリン」

「秘密……おまえが実はボインボインのかわいこちゃんだったってことがか?」

「問答無用」

 キースのやつ、殺意を動かすことさえしない。おれの反応を監視している。おれがキースの気をそらそうとしているのを、ちゃんとわかっているのだ。

 それでもおれとしては、やつの打ち込みから逃れるためにしゃべり続けるしかない。

「いわゆるアレか? 跡継ぎ息子が生まれなくて、娘を男に仕立てたってやつか? それで魔法剣の力をつかって男っぽくなったってか? でも、剣を持ってないときはどうすんだ?」

 キースの視線が一瞬、鎧にむかう。

 そうか、なるほどな。

「そういや、その鎧、剣にシンクロしてるとかなんとか言ってたな。剣が発する魔力を蓄積する機能があるのか。それで、剣を手放し、鎧も脱ぐと女に戻る、と」

 これで謎がいくつか解けた。バイラルでのエミィの振舞い、また、シータがキースにシリアルを覗き見られたこと。キースが女だったとわかればどうということもない。もっとも、シータの場合はやっぱりどうかと思うが。どんな洗い方をしてやがるんだ、あいつ。

「おしゃべりはすんだか? わたしの気組みを挫こうとしても無駄だ。必ず殺す」

 キースの声にはなんのゆらぎもない。まったく、まじめなやつは扱いづれーよな。

 さて、どうするか、だな。キースが女、それもとびきりの美女だとわかったからには殺すわけにはいかなくなった。美人は世界の宝だからだ。とはいえ、このシチュエーションでは、まったく無傷で切り抜けるというわけにはいかんかもな、おたがいに。

 おれの思案が固まるまえに、キースが動いた。足は湯に浸かっているが、さすがは自称騎士、見事な足さばきで遅滞がない。

 おれに向かって剣を振りかぶる。

 その時だ。

「ねえ、ジャリン、助けてほしい?」

 耳の後ろで声がした。声質そのものは愛らしい少女のものだが、楽しんでいるような、不謹慎な響きがアリアリだ。

「べつに」

 おれはヴュルガーの描く軌跡を眺めながら、ぼそっと言った。めんどくせえなあ、という気もする。おれはアマノジャクだから、いっそ斬られてやってもいいかな、という考えさえ浮かんでくる。

「んなこといってえ。ほんとうはやられてあげる気なんかないくせにさあ」

 やつが囁きかけてくる。瞬話モードだ。しかたがないので、おれもそっちの時間の流れに乗ってやる。剣の動きがぐっと遅くなった。

「そんなことより、おまえ、どこに行ってたんだ? 勝手に出歩きやがって、剣のくせに。自覚あんのか、ああ?」

「へへー、ちょっと気になることがあったから、お散歩〜。でも、こっちのほうがおもしろそうだったから、戻ってきた。それに、あいつ、知り合いだしね」

「知り合い? キースを知ってるのか?」

 おれがすこし驚いて訊くと、マモンは舌を出しながらおれの前に回り込み、実体化する。

「ぶー。剣のほうだよ――ねー、ヴュルちゃぁん」

 

 驚いたのはキースの方だろう。おれを一刀両断するつもりで振り下ろした剣が途中で消えてしまったのだから。さらに、目の前に、羽根の生えた幼女と、灰色の巨漢が現れたりしたもんだから、さらにたまげたに違いない。まあ、「あちらの時間」の速度に対応できないのだから、しょうがないが。

「なっ、な……なんだ、いったい!?」

 浴槽にしりもちをつきながら、キースが絶叫する。

「け、剣が人になった!?」

つづく


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