ジャリン戦記 第四話 ダンジョン・シーカー(第三回)


 落下は数秒間か、それ以上続いた。

 けっこうな距離を落ちて、おれの身体は下の階層の床に激突した。とっさに受け身をとったが、すごい衝撃がおそう。

 ふつうの人間なら全身骨折であの世ゆきだったかもしれないが、さすが主人公はちがう。だいたいにして、おれが死んだら、だれがこの話を続けるんだ?

 おれは周囲を見渡した。第一話で申告したとおり、おれは夜目がきくので、周囲の様子が見て取れる。

 落下時間からすると、落ちたのは一階層分だけじゃなさそうだが、さほど高くない天井には穴さえあいてない。どうやら単なる落とし穴ではなく、一種のテレポートのトラップだったのかもしれない。

 と。

 わりとすぐ近くに、見慣れた鎧姿が横たわっていた。そりゃそうだな。斬り合う寸前まで接近していたのだ。一緒に落ちていないはずがない。それにしても、墜落死とは哀れな最期だ。

 おれは、変わり果てたキースの亡きがらに手を合わせた。憎っくき敵でも死んだら仏様だ。掌のしわとしわを合わせて、な〜む〜。

「し、死んでないぞ、わたしは!」

 がば、とキースが起き直った。なんだ、ちぇ。

「この鎧とヴュルガーは連動していると言ったろう。ヴュルガーの魔力ある限り、わたしは無敵だ」

 自慢しいしいキースが立ち上がる。と同時に、持っていた剣が光を放ち、周囲を照らし出す。うーむ、便利な剣だ。

 おれの剣にもそれだけの芸があれば、と思ってハッとする。どこに行った? あのあばずれ魔人。

 だが、落下した時にどこかにやってしまったらしく、鞘しかない。

 まあ、いいや、気が向いたら帰ってくるだろ。帰ってこないなら、それでもべつにいいし。

 それにしても、かなり、いやな状況だな。

 ダンジョンのかなり深部にふっとばされ、しかも、いっしょにいるのは、ついさっきまで殺し合いをしようとしていた相手だ。さらに、おれには武器すらないときた。

 それにしても、だ。ここはちょっと趣がちがっている。夜目だけでは見て取れない色彩がヴュルガーのおかげで識別できるようになると、その場所の不思議さが浮かび上がってくる。

 なにかの呪文のパターンなのか、文様だか文字だかわからないもので壁一面覆われている。色もさまざまだ。見ているだけで、頭のなかで、渦がぐるぐる動きはじめるような。

「構造呪文の一種だな」

 やに難しい顔でキースが言う。

「なんだ、それは」

 おれが質問すると、キースのやつは人を小馬鹿にしたような顔をした。なんだ、そんなこともしらんのか、とか言いたそうな。

「より大規模で長時間の効力を持った呪文を完成させるための手法のひとつだ。ふつうの呪文は術者の精神集中力に比例して持続時間が決まるが、一定の書式と素材を使って呪文を構築してやることで、自己増幅機能を持たせることができる……いずれにしろ、高度な技法だし、労力もかかる。一人ではむずかしい仕事だな」

 キースがえらそうに述べたてる。いっぱしの魔法使いのような口ぶりだが、こいつの場合はヴュルガーという魔法剣を持っているだけだ。たとえるなら、ドラえもんから道具を借りたのび太のようなものだ。

「それにしても、この階層はきれいだな。掃除が行き届いている――とはいえないが、比較的最近までだれかが使っていたみたいだ」

 そのとおりだ。床には埃こそ積もっているが、ほかの階層のように瓦礫やモンスターの生活の跡(糞のことだ)などは見当たらない。むしろ、生活の場であったような居心地のよささえ感じる。

「シータさんたちと合流せねばならん。そのためにも早くここを探索せねば。いくぞ、ウニ頭」

 キースが勝手に場を仕切り、さっさと歩きだしてしまう。

「おい、待てよ。さっきの決着はどうするんだ」

 おれが呼び止めると、キースはじろりと目を向ける。

「丸腰の相手を斬る趣味はない。それに、シータどのの目の前でなければ無意味だしな」

「どういう意味だ」

「ここでおまえを滅ぼすことはかんたんだが、そうすると、シータどのがおまえのことを引きずる恐れがある。だが、きさまの最期を目の当たりにすれば、新しい人生を始める踏ん切りもつこう」

「あたらしい人生――だと? 白き血の誓いを経たホムンクルスに、んなものはねえだろうが」

「おもてむきはそうなっているが、な」

 キースが嫌な笑い方をした。

「みていろ、いまにきっと、シータどのを解放してみせる」

「――なんで、そこまでシータにこだわるんだよ」

 ヴェスパーホムンクルスはたしかに希少だ。だが、ほかに替わりがまったくないわけではない――いや、むしろ、替わりはあるのだ。だからこそのホムンクルスではないか。

 この自称騎士のやつ、なにをたくらんでやがる。

 ともかくもいまは、こいつと行動をともにしなくちゃならんらしい。

 

 その階層は、どうやら魔道士の住居だったらしい。いくつかの部屋には、家具がそのまま残っていた。書棚もあり、そこにエミィがみたら失禁間違いなしの希覯書がならんでいた。ベルカーンツの図書館でみつけた、閨房魔法の本もあった。

 ありがたかったのは食料の備蓄をみつけたことだ。どうやら、この部屋の主は、長期間ここの隠れ住んでいたらしい。そのための保存食――干し肉だの乾パンだの――が蓄えられていた。酒もあった。赤葡萄酒で、けっこういい感じに熟成している。考えてみれば、ダンジョンの奥って、ワインの貯蔵に適しているかもしれないなー。

 おれはさっそく腹ごしらえをはじめた。ワインはむろんラッパのみだ。

 それを、キースが嫌なものを見るように眺めている。

「なんだよ、じろじろ見やがって」

「いや……毒が入っているかもしれないとは考えないのか、と思ってな」

「んなもん、相手にそういうつもりがあったら、おれたちをここに飛ばすときに壁に塗りこめることだってできたんだぜ?」

 おれは鼻で笑った。100%殺せる方法があるときに、わざわざ確率の低い方法を選ぶやつもあるまい。

「しかし……たとえ無害だとして、女性方もひもじい想いをしているだろうに、われわれだけが食事をするなどと……」

「おまえが食わなかった分が、あいつらの腹に入るのか? 便利なもんだな」

「わたしは騎士の心得というものを論じているのだ!」

 キースがおれの口元を見つつ言う。つばが湧いているんだろう。けけ、騎士さまもたいへんなこって。

「じゃあ、残りもおれがもらっとこうかな」

 食い物が入った箱に手を伸ばそうとすると、その前にバッと立ち塞がる。

「いかん! シータどのたちと合流したときのために食料を残しておかねば!」

「なんだよ、毒が入っているかもしれないんじゃなかったのか?」

「そ……それは、どこかのバカが毒味役を勤めたからよいのだ」

「ふん、てめーで食うくせによ」

 おれの指摘にキースは顔色を変化させる。

「きさま……ッ! わたしを侮辱する気か……!?」

「あーはいはい、騎士は食わねど高楊枝ってね」

 おれは床に横たわると、ぶい、と屁をかます。食い物を腹に入れたせいで腸が動き出したのかな。なんか眠くなってきたし。外の時間はわからんが、ダンジョンのなかでけっこう動き回ったし、もう夜といってもいい時分なのかもしれない。

「おれは一眠りさせてもらうぜ」

「勝手にしろ」

 不快の極み、という表情を浮かべつつ、キースは言った。

「わたしは、この階層の探索を続ける。奥にはまだ部屋がありそうだしな。ここのあるじだった者の手掛かりがつかめるかもしれない」

 とか言いつつ、食料と酒瓶を持ち出している。ふん、格好をつけるのも大変だな。おれにはとてもマネできねえ。

 これも一種の情けだ。キースの行動を見なかったふりをして、おれは目を閉じる――

 

 ぐー。

 って、ほんとに寝ちまったらしい。迷宮のなかだっつーのに、さすがは大物だ。

 とはいえ、一晩寝たわけじゃない。せいぜいがご休憩レベルだが、おれの身体の疲労は完全に回復している。

 周囲には誰の姿もない。キースのやつ、ほかの場所を調べているうちにトラップにかかっていたりしてな。

 おれは軽くひとのびすると、よいせ、と立ち上がる。腹も落ち着いたし、一眠りもした。体調は完璧だ。ゲームでいうなら、HPマンタン。アッチのほうもマンタンだ。これで側に女でもいりゃあ言うことなしなんだが……

 手を頭の後ろで組んで、ぶらぶら歩く。このへんにモンスターがいないのは確実だから、気楽なものだ。もしもいたとしても、キースが掃除してくれているだろう。

 それにしても、このフロアはほんとうに「住居」という感じだ。おれたちが最初に落ちてきた場所は玄関だったんだろう。そして、食料が保存されていた場所が台所兼食堂というところか。ということは、寝室なんかもあるかもしれない。やっぱり本格的に眠るのであれば、ベッドの上の方がいいしな。

 そんなこんなで小部屋の探索を始めたおれだったが、空き部屋ばかりで収穫はなかなか得られない。それに、どの部屋にもあるのは書架ばかりで、ベッドはおろか、くつろげる長椅子さえ見当たらない。

 と。

 最も奥まった部屋に、女がいた。

 錯覚ではない。白い服を着た、髪の長い女だ。

 瞳は紫水晶をはめこんだようで、肌は不自然なほどに白くなめらかだ。髪の色は単純にブロンドと言ってしまうには微妙すぎる色合い。ガラスの繊維に純度の高い砂金を閉じこめたような、とでもするべきか。

 ぶっちゃけ、美形だ。だが、いい女というのとはちがう。観賞用の美しさという感じがする。

 女の目がおれを呼んでいる――

 だが、それは錯覚だ。女は生きているわけではない。

 等身大の肖像画なのだ。

 その部屋は女がつかっていたらしい。調度類が残っていた。鏡台や、衣装だんすがある。たんすのなかにはドレス類がつまっていた。いずれも凝った作りで、値が張りそうだ。しかも、そう何回も袖を通した感じがしない。装身具類もたっぷりある。まるで着せ替え人形の部屋(ドールハウス)のようだ。

 だが、ひとつだけ足りないものがある。

 ――ベッドだ。

 ほかの部屋でもそうだった 机や椅子のたぐいがあっても、寝台はない。

 眠るための家具が、この「住居」にはない。

 おれは改めて肖像画を見た。覚醒しながらにして、つねに夢みているような紫の瞳。

 刻を止められた、眠らずの森の美女――アムリア。

 ここがそうか。ザシューバの潜伏地。

 だが、やつ、あるいはやつらは、なぜおれたちをここに誘いこんだ――?

 そのときだ。おれの鋭敏な聴覚が、水のはねる音をとらえた。この部屋の奥の扉だ。だれかが――あるいは、なにかが――いる。

つづく


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