なんとか先頭のキースに追いついた。キースのやつ、抜き身のヴュルガーをぶらさげている。あぶないなあ。まあ、さっきから戦闘の連続で鞘に収める間もなかったのは事実だが。

「おい、ジャリン」

 キースが珍しくおれを名前で呼んだ。まっすぐ前を見つめた状態で、なにかしら思い詰めた様子がある。なんだっちゅーの。

「シータ殿のことだが」

 いちおう、後ろにいるシータの耳に届かないようにという配慮だろうか、声を低くしている。

 それにしてもこいつ、シータ本人に呼びかける時は「さん」づけなのに、なぜか改まると「どの」づけになるな。どういう基準で使い分けているんだか。

「きさま、シータ殿と別れろ――いや、別れてくれ、たのむ」

「はああ!?」

 世にも不思議な要請だ。ありえない。

 おれは、キースの横顔をのぞき込んだ。どうやら寝言ではないらしい。これ以上ないほど、張りつめた表情をしている。

 あまりに不条理な暴言を吐かれると、かえって腹もたたないもんだ。

「おまえ、シータに死ねっていってるんだぜ? いわば、コアラにユーカリの樹と縁を切れって言ってるようなもんだ」

「おまえは時々よくわからないたとえを持ち出すが――言っている意味はわかる」

 にこりともせず、キースが応じた。めずらしいな、おれの軽口に反応しないとは。それだけマジってことか。

「わたしとて白き血の誓いの意味は知っている。なんというか、ありうべからざる不幸というか、おぞましい悪夢といおうか、この世の辛酸の極みと評すべきか、はたまた地獄の責め苦に例えるべきか、もはや筆舌尽くしがたいが、シータどのがおまえと契約を結んでいることは潔く認めよう」

 ぜんぜん潔くねえ。

「だが、これ以上、ヴェスパーホムンクルスの精華ともいうべきマスタースピーシーズを、貴様のような不良冒険者のもとに置くわけにはいかん。それは、輝かしい魔道科学に対する冒涜だ」

「マスタースピーシーズ? なんだそれは」

「そんなことも知らないのだ、この能無しは!」

 キースが天井を仰いで嘆息した。それから、おれをキッと睨みつける。

「よいか、無知蒙昧な無礼者、さらに変態性欲をもてあます猟奇犯罪者、ええとそれから」

「いいから、はやく続きを言え」

「マスタースピーシーズとは、ヴェスパー博士が手ずからお造りになった最後の十体のホムンクルスのことだ。シリアルナンバーにして、40から49までの」

 へえ、そりゃ知らなかった。まあ、最近のヴェスパーホムンクルスの製作には、ほとんど博士自身はかかわっておらず、弟子たちが過去の遺伝設計図を流用してでっちあげているというのは聞いたことがある。それでも、ヴェスパーホムンクルスのブランド力は健在で、もう何十体分も予約が入っているといううわさだ。顧客たちはいずれも、諸国の王侯貴族や大商人といった金持ち連中である。 

「つーことはヴィンテージものってわけか。得したのかな、おれ。だけど、転売できねーしなあ……って、ちょっと待て」

 おれはふと気づいた。たしかにシータのシリアルナンバーは49だが、どこでそれを知ったのだ、こいつは。おれは言ったおぼえがないし、シータにしても、訊かれてホイホイ答えるようなことではない。まして、偶然見るなんてことはありえない。なぜなら、シリアルナンバーは、脚のあいだの微妙な場所にあるからだ――っつーか、はっきり言えば小陰唇に記載されている。余談だが、「ちぃ〜」とか鳴くタイプの人造人間(ホムンクルスではなく、機械式)も、やっぱりシリアルはそのへんにあるらしい。

 人造人間を――しかも女の子の形をしたやつ――なんつーのを造るやつらの考えることはだいたい共通しているってことだろう。

 それはともかく、なんで、こいつがシータのシリアルナンバーを知っている?

 まさか……

「き、きさま、シータを襲ったな!?」

「なぜそうなるんだ!」

「いや、そうに決まってる。なんてひどいやつなんだ! いやがるシータをおさえつけ、むりやり膝をひらかせて……ああ、ひとでなし! 少女の敵! 鬼、悪魔、ロリコン、節操なし!」

 罵倒しつつ、自分の心も痛くなってしまうのはなぜなんだろうな。

 だが、キースにとっても、この「口撃」は痛手だったようだ。顔色がかわる。

「ぶ、無礼な! わたしは無理強いなど! 見せてくださいとお願いしただけだ!」

「よけい悪いわ、どあほう!」

 おれの頭が灼熱する。たしかにキースは美形かもしれん。それにしても、ひとには――ホムンクルスにも――やっていいことと悪いことがある。

 おれはシータを振り返った。

「シータ、ちょっと、ここに正座しなさい」

「はあ」

 けげんそうな顔でシータはダンジョンの床に座った。

 エミィとアシャンティは、なにごとがはじまったのかと目を丸くしている。

「シータ、おれはおまえを見損なったぞ」

「そうですか」

 おれの叱責に、シータはあっさりと応じた。くうう、ベッドのなかでは恐ろしいほどの甘えん坊さんのくせに、このすかしたツラはいったいなんなんだ。さらに怒りがつのってくる。

「キースにシリアルを見せたというのはほんとうか!?」

「見せた、という自覚はありませんが、キースさまが見た、とおっしゃるなら、そうなのでしょう」

 しれっとした顔で答える。

「ど、どういうことだ!? あ、あんなところを、偶然見られたりするはずがあるかよ!」

「それはそうかもしれませんが、いっしょに入浴した場合にはそういうこともありえるかと」

 ぬ、ぬわんだとお!? い、いっしょに風呂だとお?

「い、いつだ!? いつ、そんなこと!」

「さあ……何度か浴場でごいっしょしてますので回数は覚えていませんが」

 シータが長い首をわずかに傾げさせた。まったく悪びれた様子がない。

 それにしても、いつの間に……

 たしかにここのところは、個室に浴室がついているようなまともな宿に泊まる余裕はなかったので、風呂があったとしても共同浴場だった。おれ的にはむろん、女風呂での入浴を希望するのだが、いつもかならずシータに却下されるので、ひとりさびしく男風呂にはいっていたのだ……って、そういや、風呂場でキースを見かけたことがなかったな……なんてことだ、キースのやつめ、おれの目を盗んで堂々と(なんか矛盾した表現だが)、おれの女たちと混浴を楽しんでいたのか……!!

 これは、もう、明確な殺意が芽生えて、一気に生長して、花を咲かせて、果実までたわわに実ってしまった感じだ。

「ぶっとばす」

 おれはキースをねめつけた。一瞬動揺したように見えたキースだが、すぐに表情を引き締める。口元にはかすかに笑みさえある。やせ我慢でないとしたら、こいつ、けっこう自信があるのだろう。

「それはわたしの望むところだ。きさまを倒して、女性がたを解放する」

「できるもんならやってみろ! その気取った二枚目づらをひんむいて、裏返しにして、パンツにしてはいてやる! ウンチも漏らしてやるからな!」

「それはやめろ」

 顔をしかめつつ、キースは抜き身のヴュルガーをゆっくりと正眼にかまえた。おれは鶴翼拳の構えだ。いや、べつに意味はないが、なんとなく。

「マスター、まさかとは思うのですが、ある点に関して誤解をされているのでは」

 シータが正座していた膝をすこし崩しながら言った。ホムンクルスでも、しびれを切らせたりするんだろうか。

「なにが誤解だ、このふしだら女め。どこの世界に主人に隠れて男遊びするホムンクルスがいるか! おれの精液なしには生きて行けないくせに……」

 わずかにシータの眉がひそめられた。

「申し上げておきますが、マスター。白き血の誓いはたしかにわたしたちホムンクルスにとって、破れえぬ禁忌ですが……それはマスターとなった相手への盲従を意味するわけではありませんよ」

 いつもと同様、あっさりした口調だが、心なしか口調が強い。もしかしたら、怒ってる?

「――わたしたちには、自ら死をえらぶ自由もあるのです」

 あ、怒ってる。

「みろ、シータが怒ったじゃねえか! おまえのせいだぞ!」

 とりあえず、キースに責任を転嫁してみる。

「きさま……ヴェスパー老師の最高傑作に向かって、言いたい放題、やりたい放題しおって……もはやゆるせんッ!」

 こっちもなんか切れてるし、くそう。もともとおれが怒ってたんじゃねえのかよ。

「あのう、ジャリンさん、キースさん、お取り込みちゅう、アレなんですけどお」

 おずおずとエミィが口をはさむ。

「だまれ、エメロン。さがってないとケガするぞ」

 おれは一喝した。つか、キースの放つ殺気のボルテージがあがっている。気をそらせば、その瞬間に襲ってくるだろう。そのとき、おれはどうふるまうべきか考えている。

 刀を抜く――としても、おれの得物は、あのマモンだ。痛いのをいやがる性格だから、ヴュルガーとの一合を拒むかもしれない。よしんば剣のままでいてくれたとしても、あとで法外なお返しを要求されるだろう。この前はシルヴァイラというさばけたおねーさんがいたからよかったが、エミィにしろアシャンティにしろ、マモンの相手は酷だろう。耐え切れる可能性があるとすれば、シータだが……む〜ん。

「ジャリンさぁん……それがですねえ……」

 エミィが泣きそうな声で言い募る。ええい、うるさいな、気が散るだろうが。

 ふと思う。こいつはおれがたとえば死んだら泣いてくれるんだろうか。

 たぶんな。こいつは泣き虫だからな。ちょっとアヌス拡張ごっこしただけで、すぐピーピー泣きやがるし。

 アシャンティはネコだし、ガキだし、すぐにおれのことを忘れるだろう。ネコは三年調教しても三日で浮気するっていうからな。

 シータは――どうなんだろう。おれには、この人造の少女のことがよくわからない。全身くまなく知り尽くしているのに、たったひとつのことがわからない。

 それは――

「滅べ、悪党!」

 我をわすれたキースが踏み込んでくる。

 おれは視界のはしでシータの動きをみていた。

 最後の一瞬に、シータがどっちにつくか。シータの防御系の支援魔法はなかなかに強力だ。その庇護下にあるほうが生き延びる。

 シータの命はおれとともにある。正確には、シータの自我を維持するためには、定期的におれの精液を身体に取り込まなければならない。精液からの単性生殖から生まれたホムンクルスの、それが運命だ。

 だから、デフォルトでおれに味方するはずだ。そうでないとすれば――

「天誅ッ!」

 魔力をまとったヴュルガーの刀身がせまる。まずいな。考え事をしていたら、よけるタイミングを逃しちまった。なにも、シータを試すためじゃないぞ。ほんとだぞ。

 シータの右腕が動きかけて、止まった。おれを見ている。魔法はかけない。

 そういうことか。

 おれは間に合わないと知りつつ、マモンを引き抜く。よくて相打ち、たぶん、斬られる。

 それはそれで。

 エミィの悲鳴がほとばしる。

「あぶないですぅ、ジャリンさぁん、キースさぁん」

 そりゃ、斬りあってるからな――と思った瞬間、足元の床が消えた。

 おれは宙に浮いていた。

 エミィがつんのめりながら叫んでいる。

「だからあ! 落とし穴の罠が作動してるんですってばあ」

 もっと、早くいえ!

 という罵声を吐いてる余裕もないままに、落下を始める。

 おれはシータを見た。その表情の奥に隠されたものを、確かめたかった。

 ――だめだな。やっぱり、わからねえ。

つづく……


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