ジャリン戦記

Episode 4:ダンジョン・シーカー


プロローグ 

 足下の反応がなくなった。

 重さがない世界とはこんなものなのかもしれない――そんなことを思ったりする暇は、じつはなかった。

 おれの身体は宙に浮いていた。

 浮遊の魔法を使うことができたら、そのまま昼寝でもできそうな姿勢だ。

 だが、重力ってやつは意地悪なもので、おれのことを猛烈な勢いで引き寄せやがる。

 ちっ。いくらおれがいい男だからって、そりゃあねえだろう。

 頭上にぽっかり穴があいていた。おれが踏み抜いた――つか、突然消失しやがった床があったあたりだ。

 その穴から、エミィの顔が見えた。穴の手前でつんのめりかけた、そんな姿勢でかたまっている。メガネのむこうのお目目は驚愕とおびえの感情に彩られている。

 エミィの側にいたシータと目が合う。

 無表情のままだ。視線だけがおれの落下に合わせて、つ、と動く。

 もうちょっとうろたえろよ、ったく。永久の別れになるかもしれないってのに。

 おれは舌打ちしながら、奈落の底に落ちていった。

 ドリーマー騒動の震源地であるアルセア地方を目指して、おれたちはゲドラフ山峡に踏み入っていた。深き森をぬけた、さらなる辺境地帯である。いちおう道はあるが、ほかに旅人の姿は皆無だ。人家もろくに見掛けず、モンスターだの獣人だのが出没しそうな雰囲気がムンムンだ。

 だが、大陸の最北端に位置し、陸の孤島と呼ばれているアルセア地方に至る陸路は、この一本しかないのだ。

「それにしてもエメロンのやつ、よくもこんなルートを通って、ベルカーンツまで行けたもんだ」

 旅の連れであるエメランディア・パスカルは、アルセア出身の17歳。ドリーマー誘拐事件の手がかりを探すためのこの旅の、いわば、道案内だ。同時に、おれの夜のおもちゃでもある。ついでにいえば、駆け出し魔道士であったりもする。ついこの間まで、ベルカーンツの魔道大学に単身留学していたのだが、不品行な私生活のために街にいられなくなってしまったのだ。ひらたくいえば、不純異性交遊、神聖な職場で男とエッチしまくりだったのがばれたのだ。

「しょれはいったい、だれのせいですかあ!」

 おれの独り言が耳に入ったのか、エメロンが耳まで赤くして苦情を言い立ててくる。緑の色のたっぷりとした長い髪が揺れる。メガネのレンズのむこうの目がうるんでいるのはいつものことだ。あー、うるせーうるせー、無視だ無視。

 おれは空を見あげた。山間部に入ったせいか、太陽がすでに尾根にかかりつつある。

「それにしても、陽が短くなったな。早く集落に辿りつけねーと、また野宿だぜ」

「手持ちの食料も底を尽きましたしね。路銀も」

 おれのななめ後ろから、冷静というか、突き放したというか、他人ごとっぽいというか、冷めた声が聞こえてくる。シータだ。

「この前泊まった村で、マスターが乱痴気騒ぎをしなければ、まだ保ったはずなのですが」

 澄みきった貴石のような碧い髪をさらさらとなびかせている。お高く澄ました表情はまだまだ稚ない。外見上は12かそこらの少女だが、その実は人工生命体・ホムンクルスである。特別に調合した精液から単性発生させた人造人間で、魔法攻撃に対する高い耐性と、強い魔導力を持っている。おれの忠実なしもべのはずなのだが、最近とみに批判的なのはいかがなものか。

「乱痴気騒ぎはないだろう。ちょっと村の娘さんたちと遊んだだけじゃねえか」

「嫁入り前の娘5人、若妻4人を巻き込んで、三日三晩酒池肉林の大騒ぎをやらかすのが、『ちょっと』とは思えませんが」

「うむ。小さい村にしちゃ、若い女が多くてよかったよな、あそこ」

 おれはうなずいた。田舎の女ってのも、なかなか土臭くていいもんだ。まあまあ可愛い女もいるしな。

「飲食代はもとより、女性たちの夫や親から請求された慰謝料がいったいいくらになったと思ってらっしゃるんです?」

「んなもん払ったのか? みんな、向こうからやってきたんだぞ。このおれさまに魅せられて、食い物や酒を持参して、抱かれにきたんだぜ?」

「その《邪掌》でちょっかいを出されたのでしょう? 正気にかえった女性たちが村の長老に泣きついて、それで、わたしたちは追い出されてしまったのではないですか」

 シータがおれの左手を一瞥した。おれの左手には女を一発で参らせる力があるのだ。いいだろう。けけ。

「だから、おれが提案したとおり、夜のうちに村に火をかけて逃げちまえばよかったんだ。なあ、アシャンティ」

「なのにゃ。あの晩は風が強かったから、風上から火をかけたら一発だったのにゃ」

 おれの言葉に首肯したのは小柄な少女だ。ふわふわの金髪から三角形の耳――いわゆる業界用語で言うところの《ネコミミ》――が飛び出している。猫獣人と人間の混血で、名前はアシャンティ、最近加わった旅の仲間だ。外見上は10歳程度のお子ちゃまだが、発育の早いネコ獣人の血を引いているだけあって、自身ではもういっぱしの大人のつもりでいるらしい。物騒な物言いをするのは、もともとが暗殺者(アサッシン)の訓練を受けていたためで、盗賊のスキルも持っている。

「ねこちゃん、だめですよ、そんなことしちゃ。め。」

 エメロンがお姉さんぶってアシャンティに注意するが、ネコ少女は「んにゃ?」と首を傾げるばかりで、道徳教育が成功しているようには思えない。

「ともかくも、路銀も食料もなくなってしまって、このままではアルセアにたどりつく前に、われわれは干上がってしまいます」

 シータが指摘するが、んなこたーわかってる。くそ。

「まったく――甲斐性のない男というのは情けないものだな、ウニ頭よ」

 クソ生意気な声が背中の方から聞こえてきた。キースリング・クラウゼヴィッツ――ギルド監察官を名乗る、いけすかない野郎だ。大ぶりな剣を腰から吊り、剣の鞘と対になった優美な細工の入った甲冑に身を固めている。

「るせー! ウニ頭いうな! だいたい、てめーこそ、なんでこんなところまでくっついてきやがるんだ、このストーカー野郎め!」

「ふん。下賎の輩と戯言をかわす趣味はないが、独り言と思って聞くがよい、ウニ頭。ギルド監察官として、魔導の力を悪しき目的のために使う者あらば取り締まらねばならぬ。アルセアには、以前より、悪しき魔導の結社があると聞く――それゆえにわたしは行くのだ」

 ふっ、と顔をあげ、使命に酔っているかのようにまぶたをおろす。まつげが異常に長い。まったくムカつくツラだ。

 頭に来たので、おれは相手が厭がることを言う作戦――略して、おまえのかーちゃんデベソ作戦を敢行することにした。ちっとも略していないが。

「へん。かっこつけたって、馬なしじゃあ締まらねえぜ、どーしたんだよ、自慢の葦毛は?」

「くっ」

 キースの顔色が変わった。しめしめ。もっと言ったれ。

「そんな甲冑つけてよう、てくてく歩いてるなんて、笑っちまうねえ。いつから騎士は馬なしでもオッケイになったんだ? 馬がいないんじゃあ、騎士ならぬ奇士だよなあ」

 うまい! 山田くん、座布団2枚あげて。歌丸さんからは3枚持ってって。

 円楽さんの声が聞こえてきそうだが、残念、この世界には笑点も漢字もないのだった。(太華<シャイフーン>文字っちゅう、似たやつはあるけどな)

「わたしが銀天号を好きで手放したと思うのか。あれほどよき旅の友はなかった。忠良にして柔順、さらには勇気に富み、疲れを知らぬ、まさに名馬のなかの名馬。ああ、銀天……銀天……」

 キースの声がくぐもる。痛恨の述懐というところか。

 と思いきや、ぐわば、キースが顔をあげる。憤怒の表情だ。

「それというのも全部おまえのせいだ、ウニ頭! 村オサの娘にまで手をだしおって! 怒り狂ったオサを鎮めるためとはいえ、なぜわたしの銀天を差しださなけりゃならんのだ!」

 うむ、そういえば。でも、あの娘、純情そうな顔して、男知ってたしな。それにしても、あの村長の切れっぷりはすごかった。シータたちも人質にされて危なかったもんな。その騒ぎをまるくおさめたのがキースの馬だったってわけだ。こんな辺境では、訓練された馬は一財産だからな。

「けっ、とかなんとかいって、おれの女たちに恩を売っといて、あとでヤッちまおうってんじゃねーのか?」

「ぶ、無礼なっ! わ、わたしが、そんな、ふ、不埒なッ」

 短気なキースが剣の柄に手をかける。ヤツがなにかというと抜きたがるのは魔法剣ヴュルガー。おれから言うのもなんだが、なかなかの力を秘めた剣のようだ。エセ騎士にはもったいないな。

 対抗上、おれも自分のカタナのコジリをあげた。カタナっつーんは、まー、じょーしきだと思うが、刃が上を向いた形で鞘におさまっている。これは一所作で斬撃するための工夫だ。抜かば斬る。それが侍の心ばえだ。問題はこのカタナのばーい、抜いちまうと、「にょほほ〜」とかゆいながら、羽根の生えた小悪魔が飛びだしてきてしまうことだ。くそう。

 ともかくもおれたちはにらみ合った。そこに割って入ったのがシータである。

「お取り込み中、申し訳ありませんが、そろそろ日が落ちます。落ち着きどころを探したほうがよいのではありませんか?」

「む。たしかに。さすがは、シータさん、よく気がつかれる。どこぞのウニ頭とはえらい違いだ」

 さっと闘気をひっこめて、キースがわざとらしく言う。

 ち、なんだよ、いい子ぶりやがって。

「あのう、あすこに、お寺みたいなのがあるんですけどお」

 エミィが木立の奥を指さした。夕闇に溶けこむようにして、石造りの古びた建物が見えた。なるほど、たしかに、打ち捨てられた寺のなれの果てらしい。

「ふむ。屋根があるんならそれに越したことはねーな。よし、今晩の宿はあそこにしよう」

 れっつらごー、と言いかけたときには、もうすでにみんな、寺に向かって歩きだしていた。しかも、キースのやつを囲むようにしてだ。ったく、むかつく。主役はおれだぞ!?

 

 その寺院は、どうやら神人の時代までさかのぼれるようだった。現在の技術ではとても造れないような見事な彫像――のかけら、とか、特殊な窯でしか溶かせない金属を精錬した細工物――のきれっぱし、などが散見される。どれも不完全なのは、盗掘者たちの洗礼をすでに受けたあとだからだ。あるいは、冒険者か。まあ、どっちにしてもさほど違いはない。

 いずれにせよ、その寺院は見捨てられてから数百年くらいは経っていることになるわけだが、神人時代の建造物がなべてそうであるように、この建物も驚くほど保存状態がよかった。ちょっと手を入れれば、またふつうに使えそうだ。

「わあああ、ひろいですねええええええ」

 無意味に声を反響させるエミィ。魔法の光を中空に浮かばせたので、室内は昼のように――とまではいかないが、ふつうに明るい。とはいえ、隅まで光が届かないほどの広大さだったりする。

「こんな辺境にまで、神人の遺跡があるとはな……いったい、どういう種族だったのだろう、神人とは……そして、天魔とは……」

 キースが感に堪えぬようにつぶやきつつ、ふらふらと歩いている。その側にはシータがいる。気に入らんな。

「ふわわ、湧き水がありますよう――あったかいですう」

 おれの側では、エミィがはしゃいでいる。石造りの祭壇――の残骸――のあたりから、ちょろちょろと水が湧き出しているのを見つけたのだ。おれもエミィにならって手で触れてみる。なるほどあたたかい。だが、せいぜいぬるま湯というところだ。

「それでも、身体を拭うくらいはできそうですよねえ……しばらくお風呂に入っていないから、さっぱりしたいですう」

 エミィが髪を払って、うなじを露出させる。天然ボケのくせにけっこう色っぺえじゃねーか。不快ではない程度の汗の匂いがただよってきて、おれさまの股間が反応する。汗にはフェロモンが含まれているてのは、ほんとうらしいな。

「へっへっへっ、エメロンちゃん……」

 おれはエミィに忍び寄り、背後から、がば、と抱きついた。 

つづく〜


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