ジャリン戦記 第三話 仔猫モノ騙り(第三回)
それからしばらくのち、おれたちは目の前の酒場兼宿屋に落ちついていた。一階が酒場で、二階が宿屋というおなじみのアレだ。そして、こういうところの主人はヒゲ面のおやじと相場がきまっている。
ここでもやっぱりそうだった。もうちょっと個性というものはないのか、ったく。
「ほう……母親をさがして、森から出てきたというのか」
キースが感にたえぬような表情をうかべる。
ミルクの入ったカップを両手でかかえながら、アシャンティはうなずく。
「はうぅ、けなげですう」
エミィはすでに眼をウルウルさせている。泣きミソめが。
「で、母親の行方の手がかりは?」
キースの問いに、子猫はこんどは首を横にふる。
「女郎屋だろ」
明晰なおれはズバリ言った。
「なにいってるですかあ!」
エミイがすごい顔をしてにらんできた。キースも汚いものを見るようにおれに一瞥をくれる。
「なんだよ、ハーフキャットの女ひとり、バイラルにきて、ほかにどうしようがあるってんだ?」
分析的かつ論理的なおれの推測にも、みなは納得しない様子だ。ちっ、ちっ、偽善者どもめ!
「こんなよい子のおかーさんが、そんなところにいるわけないですう!」
アシャンティの肩を抱きながら、エミィがうったえる。おーおー、そんなに振りまわしたら、ホットミルクがこぼれるぞ。
「まったくだ。自分の品性が下劣であると、他人もすべて同等と思いたがるのだろうな」
キースのやつ、いやーな目をしやがって。
「シータ、おまえはどう思う?」
おれは下僕そのいちに同意をもとめた。
シータは微動だにせず、すらすらと応える。
「その可能性は否定できませんが、すくなくとも子供の前では不適切な発言ですね」
おいおい。
「思いやりのないジャリンさんはあっちに行っててくださあい。これから、キースさんやシータと、アシャンティのおかーさんを探す相談をしますからあ」
おいおい、おれは仲間はずれか?
「マスター、ついでにここの支払いを」
シータがおれに財布をおしつける。
「あと、この食堂の二階は宿屋になっていますから、部屋をふたつ、取っておいてくださいね」
「ちなみに一部屋はわたしが泊まる」
キースがつけくわえた。
「ちょっと待て。なんでおれがおまえの分のメシ代や宿代をもたなきゃならねーんだ!?」
「マスター、ちょっと」
シータがおれの袖をひっぱった。
「どうして、店の前であんな騒ぎを起こしたわたしたちがゆっくり食事ができ、宿も取れるのか、わかります?」
「そんなのはおまえ、おれの人徳にきまっとろーが」
「明確にちがいます」
にこりともしないでシータが否定する。腹たつなあ。
「マジックギルドの紹介状をキースさんが持っているからですよ。それで、ここの主人にも納得してもらったんです」
マジックギルドの力は絶大だ。とくにバイラルのような人獣混淆の街の治安を守るためには、マジックギルドが擁する魔道士や魔法戦士の存在は大きい。人間よりも膂力では遥かに勝る獣人たちが人間の統制下にあるのは、マジックギルドのおかげなのである。(例外がワーウルフなどの孤高の種族だ)
「ちっ、虎の威を借るなんとやら、か」
「なにかいったかな、ウニ頭くん」
すまし顔でキースが言う。むっかー。
エミィやキースたちはすぐに額を寄せあって相談を開始した。おれは舌打ちしながら財布のなかの路銀を確認する。ちっ、そろそろ嚢中が乏しくなってきたぜ。
そんなおれを、アシャンティはアーモンド型の大きな瞳で見つめていた。
***
夜が更けたが、あいかわらず親探しの相談は続いていた。仲間に入れてもらえないおれは、最初のうちは話し合っているやつらのまわりで卑猥な歌と踊りを披露したりしていたが、食堂兼宿屋の主人の表情が険悪になってきたのを潮時と感じた。
「シータ、エミィ、先にフロに入ってベッドで待っているからなあ、ぎひひ」
と言いおいて、階上の部屋にもどった。
けっこう上等な部類に入る宿屋だ。ちゃんと個室にフロと便所がついている。水道は屋上のタンクに雨水をくみおいたのをろ過したものだ。このあたりは雨が多いから、ケチケチする必要はない。浴槽にたっぷりと水を張った。
湯沸かしは火の属性を持つ火竜石を詰めた缶に水を通すタイプだ。触ってもまったく熱くないのに、この石は水と触れると、水だけを熱してしまうのだ。ものすごく便利なものだが、ダンジョンなどでわりとかんたんに手に入るので、価格はそれほどでもない。冒険者は駆け出しのころ、こいつを拾い集めるのが仕事のようなものだ。
あーあ、これがシータやエミィといっしょだったら楽しいおフロタイムだったのになあ。三人で入るには浴室はせますぎるが、押しあいへしあい湯に浸かるのもまた一興というやつだ。
おれはやもめの寂しさをひさーしぶりに感じつつ、浴槽のなかに手をいれた。ふむ。よい加減である。
服を脱ぎ、ケイン小杉もかくや(だれだよ、そいつ)という肉体美をさらしつつ、おれは浴槽に身をしずめた。
「はー、極楽極楽」
お約束の一言を吐き、おれは浴槽のなかで伸びをした。
その時だ。浴室の扉がおずおずと開いた。
***
「あの……お背中ながしますにゃ」
アシャンティだ。下着姿になっている。
まったくぺったんこの胸と、細い腰。まったくの子供の身体だ。肌が露出している部分はかすかに白く光っている。人間のうぶ毛よりもはるかに繊細な和毛が肌をしっとりと光らせているのだ。
下着は粗末な薄手のもので、眼をこらせば胸のポッチが透けて見える。ネコ獣人の血をひいているとはいっても、胸の位置は人間と同じだし乳首もふたつしかないようだ。よかった。これがおなかまで六つも八つも乳首があったらちょっと扱いに困るところだ。
とかなんとかマニアックな描写をしているばやいではない。
「なんだ? なんでおまえがきた? シータやエミィはどーしたんだ?」
「おねーさんたちなら、まだ下で騎士さまとお話しているのにゃ」
アシャンティは舌たらずな口調で言う。
「そーか、まだやっているのか。ったく、ご主人様をほったらかしにしてよその男と話しこみやがって」
「なので、アシャンティがお背中流してあげるのにゃ」
「なぜだ」
「あの、助けてもらったせめてものお礼なのにゃ」
「殊勝な心がけだ……といいたいが、さすがにおれでもおまえほど幼いとヤル気にはならんぞ」
「だから、お背中を流すだけにゃ」
「え、手コキもナシ?」
「ないにゃ!」
「フェラも?」
「とうぜんないにゃ!」
「ちっ、なんつーヘルスだよ。ふざけやがって」
「ヘルスじゃないのにゃ、ここ」
「うむ。つきあってくれてありがとう」
ボケに対して、きちんとツッこむのがコミュニケーションの第一歩である。その点、シータやエミィは修行がたりない。おれの見事なボケをよく流してしまうからだ。
「まあ、おまえのようなガキに背中を流してもらってもしょーがないが、礼をしたいという気持ちを踏みにじるのもなんだからな」
おれは浴槽のなかで立ち上がった。とうぜん、平常状態の漢の剣もぶらん、と揺れる。
「はにゃ」
アシャンティは顔を赤らめ、目を手でおおった。おーおー、ガキにはおれさまの裸体は刺激的すぎるかもしれんなー。
***
おれは椅子にどっかりと腰をおろした。背後にアシャンティがまわる。
洗い布にシャボンをつけて、こしこし背中をこすりはじめる。わはは。くすぐったいぞ。
「おいおい、もっと力は入らないのか」
「やってるのにゃ」
子猫は懸命な声で答える。
しかし、背中をこする腕はいかにも頼りない。
「おにーさんの背中、広いのにゃ」
「はっはっはっ、そーだろー」
広いだけではなく、贅肉のない引き締まった背中だ。まあ、女が爪をたててしょうがないので、生傷は絶えないがな。
「おまえの父親と比べてどーだ?」
ハーフキャットにも人間の血の混ざりかたによっていろいろなタイプがある。アシャンティの外見からすると、かなり人間の血は濃そうだ。ということは、だ。
「おまえの父親は人間なんだろ」
アシャンティは答えなかった。しばらく、背中をこする動きだけがつづく。
「――しらないにゃ。顔も、名前も」
「ほう、そうか」
よくあるストーリーが頭のなかにうかんだ。ハーフキャットの女を興味本位で抱いて、孕ませた人間の男。旅の商人か冒険者か――いずれにせよ、この街の定住者ではないのだろう。それだと、まわりの噂になるからだ。アシャンティが顔も名前も知らない、ということはありえない――まあ、こいつがほんとうのことを言っていると仮定してのことだが。
「でも、かーちゃんはいるのにゃ。凄腕の――」
言いかけて、アシャンティが口をとじる。
「凄腕の、なんだ?」
「なんでも、ないにゃ」
アシャンティの指がおれの首に達する。シャボンの匂いが強くなる。子猫のかすかな体臭もまざっている。細い身体を密着させてきている。小さなふくらみの萌芽を感じる。
「どうした? 手がとどかないのか」
子供とはいえ女の子の感触は悪くない。おれは鷹揚に訊いた。
「にゃ」
耳元で小さく鳴く。
その時だ。
のどにまわったハーフキャットの指から鋭い爪が伸びだした。