ジャリン戦記 第二話
めがねっこ世にはばかる!(第三回)
「あー、腹減ったなあ」
おれは本の壁によりかかりながら、声をあげた。
「マスター、まだ書棚のひとつめもクリアしていませんよ」
同じく本の壁を周囲につくりながら、シータがたしなめるように言う。
「にしたって数が多すぎるわい。シータ、おまえの魔法でなんとかならんのか?」
おれはぶーたれた。だいたい、今回は展開が遅くておれごのみではない。読んでいるひとだってそうだろ?
「すみません、マスター。この書庫のなかの時間は魔法的に遅延しているために、呪文のききかたも遅くなってしまうんです。<発見>の呪文をかけた場合、その効果があらわれるのは、わたしたちの体感時間でひと月後です」
すまなさそうにシータは言った。ひと月もこの中にいたら――さすがにあきるだろーな。
「まあ、しょうがない、手当たりしだいにさがすしかないってことだな。それにしても……」
おれは、少し離れた場所で奇声をあげつづけているエミィを横目に見ながら言った。
「アレだけはなんとかならんかな。効率がわるすぎる」
「ひぃぃっ、<プレンダー・ポゴスの鳥篭>だなんて、三回も焚書に遭っているのに、ここには全巻そろってる! <ペネトレイト・ボワザンの手記>なんて、ノ、ノ、ノーカット版だわああ」
珍しい本を見つけるたびにさわぎたてているエミィは、はっきりいっていちばん仕事がおそい。きゃいきゃい騒ぐかと思えば、いきなり無関係な本を読みふけったり、本気でさがす気があるのか、このガキ。
「とにかくシータ、腹ごしらえだ。もともとおれたちは昼飯もたべずにここへ来ちまったんだしな」
「あ、はい」
シータはおれたちの荷物のところへもどると、いそいそと食事のしたくをはじめる。旅行用の携帯食だ。干した肉とチーズをナンではさんで特製のソースをかける。このソースはロッシュのはげおやじがシータに持たせた荷物のなかで、唯一売り払わなかったブツだ。<ロッシュのななしの店>が、あんな醜悪なマスターのご面相のわりに繁盛しているのは、ひとえにこの秘伝のソースのおかげだとおれはにらんでいる。それくらいうまいのだ。
おれは、シータが作ったサンドイッチにかぶりついた。飲み物は、おれはワイン、シータは水だ。ホムンクルスはアルコールを飲んでもすべて分解してしまう。酔わないのだ。飲んでも乱れない女に酒をくれてやることほどばかばかしいことはない。水でじゅうぶんだ。
おれがもしゃもしゃもしゃとメシを食っていると、エミィが本の壁ごしに、じぃ〜っとこちらを見つめているのに気づいた。
指をくわえていやがる。
「なんだよ」
「……おいしそうですねぇ」
つばがいっぱい口のなかにわいているかのような口調だ。いじましい。
「うまいぜ」
おれは食いかけのサンドイッチをこれ見よがしにひらひらさせた。それにつられてエミィの顔が上下にうごく。
「ほら、あ〜ん、してみな、あ〜ん」
「ふあ〜ん」
エミィが口を大きくひらく。きれいな歯がみえた。
「C0、C0、ほい、こっちもC0。う〜ん、右の奥上がC1なりかけ。はい、お疲れさま」
おれは歯科検診をおえた。むろん、メシはやらない。
「ひどいですぅ」
くうくう鳴くおなかをかかえてエミィはうめいた。
「あの、マスター、わたしの分……」
シータが言いかけるのをおれは制した。たしかにホムンクルスは数回の絶食でも体力は落ちないが――
「はうはう、くれるですか」
耳ざといやつだ。犬みたいだな。
「だめだ。くせになる」
おれはシータを叱った。シータは声をひそめておれの耳元にささやく。
「でも、彼女の知識は必要ですよ。ご機嫌はとっておいたほうが」
「たしかに食い物をくれてやるだけでどんな芸でもしそうな自尊心のカケラもないような女だが、だめだ」
「あのー、ぜんぶ聞こえているんですけどぉ」
エミィがPを横にしたような目をして、おれたちを睨んでいる。なんでも業界用語で<ジト目>というらしいが、おれはそんな手垢のついた表現はつかわないぞ。
「ええい、報酬とは労働の結果えられるものだ。その書庫をとりあえずはクリアしろ。そしたらひとかけらくらいはやる」
「ええっ、何時間もかかっちゃいますよぉ」
「だったら服一枚ぬぐごとに一口、というのはどうだ」
「えーと、それなら」
上着に手をかけるエミィ。おっ。
だが、エミィはボタンをはずしかけた手をとめると、べえっ、と舌をだした。
「うそにきまってますぅ! あかんべのべ!」
ぷいと横をむくと、本の山との格闘を再開する。こんどはまじめなようだ。
「うむうむ。ショック療法が成功したな」
「うそばっかり」
シータがすまし顔で指摘する。う。なんか反抗的だぞ、こいつ。
メシを食いおえたおれはふたたび書物の調査にもどった。
それにしてもだ。
魔法書ってのは、なんでこんなに字が多いのかね。
しかも、時代も地域もバラバラだから、いくら旅暮らしを続けて各地の言葉に精通しているおれでも、なかなか内容を把握することはむずかしい。
魔法使いが高学歴なわけがわかるよな。
職業差別をするわけではないが、やっぱり格闘士とかは前衛での汚れ役だよな。魔法使いはどのパーティでも後衛で、敵からの直撃を食らいにくいよう、ほかのメンバーから守られている。それに、自分で回復魔法なども使えるから、いざとなれば自分だけ助けるなんてこともできなくはない。まあ、そういう魔法使いはパーティからつまはじきにされるが。
とにかく、魔法使いは冒険者の業界ではエリートだ。だから、就職口のとぼしい田舎などではけっこう志望者が多いのだ。
そういや、エミィもアルセア地方の出身とかいってたな。
ぶあつい眼鏡をかけているが、顔だちは悪くない。身体つきもまあまあだ。装う、ということをしらんので、しょんべんくさいガキにしか見えないが、やりようによってはけっこう光るタマかもしれん。
などと思いつつ、ある本をひらくと……
「おおっ、これは!」
「ありましたか!?」
シータが間髪いれずに声をあげる。
おれは会心の笑みをうかべつつ、そのページをひらいてシータに見せた。
「うっ」
シータは上体をさっと引いた。顔がひきつっている。
「閨房魔法、というやつだな。へー、けっこう魔法学の本もさばけてるもんだ」
閨房魔法というのは男女が協力しておこなう魔法のことだ。この大陸ではほとんどおこなわれていないが、東方の国々ではけっこうポピュラーだと聞く。
シャクティとよばれる性的なエネルギーを高めて、いろいろな効果をあらわすのだ。
そのために、抱きあったり、たがいの性器を愛撫したりすることが、魔法の技術として研究されているのだ。いいなあ。おれも東方にいって魔法使いをめざそうかしらん。
そういった書物だから、ふんだんに図解が入っている。
「ほうほう。へええ、こんなテクニックが……なるほど」
「マスター、なにを読みふけっているんですか!」
シータが耳まで赤くして文句をいう。
「ドリーマーとも扉とも関係ないじゃないですか!」
「なんで関係ないと言い切れるんだ。夢は寝床でみるもんだ。寝床の魔法すなわち閨房魔法。少なくともドリーマーには関係あるじゃねーか」
「――たしかにそうですねえ」
のんびりとエミィが口をはさむ。
「ドリーマーについての研究がわれわれの魔法学ではあまり進んでいないのはそのせいかもしれませぇん。東方の魔法書がこのコーナーにあるということ自体、そこに鍵があるということかもしれませんねえ」
「ほらみろ!」
おれは胸をはった。
「おまえたちもこのあたりの本をちゃんと調べろ!」
というわけで、読書ターイム!だ。こんどはちょっと楽しい。エッチな内容の本ばかりだからだ。
むろん、数が多いから、シータとエミィも手分けして読んでいる。
「シータ、この字が読めん。おしえろ」
「ええと……『女術者は男術者のペ……をしっかり口にくわえ』」
「『ペ……』って、なんだよ。ちゃんと読みかたを教えろ」
「『ペ……ニス』です……」
「えっ、なんだって、聞こえなあい」
「『ペニス』ですっ!」
などという楽しい会話をしながら、閨房術の本をかたづけていった。やはり、この大陸の魔法学とはちがう切り口での魔法理論だけに、夢による予知など、ドリーマーに近い能力についての考察や、時間と空間の魔法についての説明もなされていた。
だが、そのものズバリ、というものはなかなかない。
何冊も読んでいるうちに、みんなの口数が減ってきた。
シータもエミィもすわりこんで、ページに目をはりつかせている。