4(承前)

 しかし、エメロン――エミィはとりあえず事態を彼女なりに理解したようだ。

「<ドリーマー>関係の蔵書はぁ……たしかこっちです」

 手にした手順書を見ることもなく、小走りに駆けだした

 それにしても、迷路のような書庫だ。本棚には分類名や番号がふられているが、それらを暗記するだけでもひと仕事だろう。司書という職業がなりたつわけだ。おれならごめんだ。エロ本の管理ならともかく。

 たっぷり五分くらいは走ったろう。先にエミィがへばった。

「はうはう。たしか、このあたりがそうですぅ」

 ぐるりと一帯の書棚を手でしめす。

 おいおい、ここにあるだけでも背表紙を見てまわるのに何日もかかりそうだ。

「多すぎる! もっとしぼりこめないのか!?」

「でもぉ……。<ドリーマー>という概念は曖昧ですし……」

「アルセア地方にいた、ヴィアーツァ伯爵って知ってるか?」

 とにかく検索条件を絞りこんでいくしかない。とてもではないが、これほどの数の書物をしらみつぶしに当たっている時間はない。

「アルセア?」

 エミィはびっくりしたようだ。

「なんで驚く、エメロン」

「エミィですぅ……。あの、わたし、アルセア出身なんです。学校にはいるためにこっちへ来たんですけどぉ」

「ほう、そうか。ならば、ヴィアーツァ伯爵の娘がドリーマーだったということも知っているな?」

「……え……あ……まあ」

 エミィの歯切れが――もともとよくなかったが――さらに悪くなった。

「なんでどもる。なんか知っているな?」

「そんなことないですぅ。わたしたち、子供のころからそのお話を聞かされて育ったんです。寝るまえに飲み物をのんじゃだめだよって」

 エミィの顔が赤くなる。おれは鋭い洞察力を発揮した。

「ははあ、エメロン、おまえ、おねしょの癖があるんだろう?」

「そんなことありません! もう何年も……はうっ」

 あわてて口をおさえるが遅い。

「ということは、十二、三歳になるまでしていたってことだな!?」

「してないっ、してないです!」

 エミィが耳たぶまで真っ赤にして否定したときだ。

 がごーん、という音がした。

「はえ!?」

 エミィは弾かれたように扉の方角を見やった。巨大な扉は、書棚の森ごしにも見てとれる。それほど巨大なのだ。

 そして、その扉は閉まっていた。ある程度時間がたつと自動的に閉まる仕組みなのだろう。

「ひゃあああっ!」

 悲鳴じみた声をエミィはあげた。

 ふだんのスローペースはどこへやら、脱兎のごとくエミィがすっとんでいく。こういうたとえが許されるとしたら、エイトマン的な走りだ。

「いったいなんだよ、もう……」

 おれとシータはうんざりした顔を見あわせて、そのあとをえっちらおっちらと追いかけた。こんなに広いんなら動く歩道でもつけろよな。

 扉の前では、エミィが狂ったように手引書のページをくっていた。

「あああっ、緊急開扉の呪文が載ってないぃ! どおしよおぉ!」

「どうしたんだ、ねしょんべんたれエメロン」

 結果的にエメランディアよりも長い名前になってしまった。

 エミィは抗議もせず、うるうる目をこっちに向けている。やばいな。また惚れられたか?

「ごめんなさあい!」

 いきなりあやまられた。おれとしては、こう答えるしかない。

「だめだ。ゆるさん!」

「ゆるしてくださぁい」

 エミィは泣きはじめた。床にぺったし座りこんで、無防備な姿だ。

「そうだな、ゆるしてほしければパンツを見せろ」

「見せたらゆるしてくれるですか?」

 涙目でエミィが訊いてくる。おっ、これは、もしかすると。

「エミィさん、いったい、なにがあったのです」

 スカートのなかを覗きこもうとしていたおれの前に、シータがさりげなく割り込んできた。

 おれとエミィに任していてはいつまでたっても話が進まないと思ったのだろう。その判断は正しい。

「じつはぁ、扉がしまってしまったのです」

「そんなことは見ればわかる。しかも、『扉がしまってしまった』などとベタなシャレを言いやがって。そんなのならおれでも言えるぞ――このトッポイ辞書だれんだ?――トッポイジージョの」

「マスター!」

 あう。下僕に叱責されてしまったぞ。

 エミィはしゃくりあげながらたどたどしく説明する。

「この扉は魔法で開閉するんですけどぉ、中からは魔法がきかないんです。ですからふつうは外にも術者が居残ってぇ、作業が終わるまで開いたままにしておくんです」

「そうか……。まあ、今回は緊急事態だったからな。しょうがないじゃないか。外からあけてもらえばいいんだろ?」

「それがぁダメなんです!」

 エミィが泣き声をあげる。ええい、ピーピー泣きミソなやつだ。どうせならよがって泣け!

「この書庫はぁ空間と時間を魔法で歪めてあるんです。扉がひらいている間だけ同じ時間が流れているんですけど、閉じたら、書籍の保存モードに入っちゃうんですよぉ」

「わかりやすくいうと、どういうことだ?」

「このなかではぁ、時間がほとんど流れなくなってしまうんです。外の世界でお昼休みが終わってぇ、職員のひとがここを調べてくれるまでに、わたしたち、ミイラになってしまいます」

「なんでだ! 書庫のなかの本は保存されるんだろ? だったら、おれたちもこのなかで何百年過ごそうが外では一瞬だろ?」

「ちがいます、マスター。この閉じられた世界の時間はごくゆっくりとしか進みません。でも、わたしたちの身体は外の世界の時間律に従おうとします。かといって外の世界の時間と同期しているという保証はまったくないのです」

 シータが冷静に説明する。

「つまり、時間はゆっくり流れているのに、おれたちの腹はいつも通りに減るし喉もかわく。といって、外の世界で昼休みが終わって、ここの異常に気づくのはいつになるかわからない、ということだな」

「そうです。これはゆゆしい事態です」

 と言いつつ、シータは落ちついている。

 床につっぷしてメソメソ泣いているエミィにむけて、シータは話しかけた。

「エミィさん、泣かないでください。この図書館について知識を持っているあなただけが頼りなんです。さいわいなことに、この書庫のなかには膨大な書物があります。こういう封印の魔法を解除する呪文や技術について書かれた本が、どこかにあるのではないでしょうか?」

「はっ」

 エミィは顔をあげた。

「そういえばぁ……」

「心当たりあるのか?」

「<ドリーマー>についての記述があった<ウェリギリウスの真言>という本にたしか、時間と空間の封印とその解除についての技術が……」

「書いてあるんだな!」

「たぶん……。わたしも読んだことないんですぅ。先生が……はう!」

 エミィは喉にサカナの骨をつまらせたときのように突然しゃくりあげ、言葉をのんだ。と、それから、そろそろと口をひらく。

「――<ドリーマー>というのは、世界の因果律を無視してすべてをつくりかえる異能力のことですからぁ……時間と空間の封印についても関りがあるんですぅ……とおもいますぅ。だから、きっとここを抜け出すヒントが書かれているんじゃないでしょうかぁ」

「ふん。だが、これは好都合だな。さがしものがはからずもひとつにまとまった。それが当たりかどうかわからんが、まずは<ウェリギリウスの真言>をさがそう」

 というわけで、われわれは書物の森のなかへとふたたび踏み入ったのであった。

つづく!


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