はあ――はあ――はあ――
あたしの身体の上で、シンジが荒い息をはなっている。
現実感のない時間が流れている。
シンジの肌から流れ落ちる汗があたしの汗とまざる。
脚のあいだが変な感じだ。じんじんするけど、最初のころほどは痛くない。
目を閉ざしたシンジが速く、小刻みに動きはじめる。
はっ、はっ、はっ――
息もせわしない。終わりが近いのか。
うっ――
シンジが収縮する。
わたしは人形のように横たわったまま、その光景を見ていた。
この世界には、あたしとシンジの二人しかいない。検証したことはないが、たぶんそうだ。
赤い海が見える高台の一軒家――それがあたしたちの今のところの棲みかとなっている。
そこには当面の食料があり、畑があり、水があった。
ちょっとした畑仕事――水をまいたりするくらいだが――以外は、なにもすることはない。
だから、寝る。
あの初めての夜――あたしはシンジに身体を許した。理由は、今となってはよくわからない。あたしをこの世に呼び戻したのがシンジだったとしたら、それなりの対価を払うべきだと思ったのかもしれない。当座の食べ物と寝床をあたえてくれたことに対する礼の意味もあったのかもしれない。あるいは、たんに寂しかったからかもしれない。
シンジはあたしの身体にしがみつき――泣きながら――拙く性交した。
拙く――と表現するのが適切なのかはよくわからない。たしかに何度も失敗したが、最初はそういうものなのかもしれない。あたしもどうすればいいのか、よくわからなかったし。
それからというもの、シンジは毎日あたしを求めた。
むろん、何回かに一回は断ったり、すねたり、怒ったりはして見せたが、ほかにすることもないのだ。けっきょくは、した。
でも、行為じたいは楽しくなかった。
べつに気持ちよくなんかない。どちらかといえば気持ち悪い。
シンジは行為の間じゅう、目を閉じていた。一方的に動いて、すぐに終わってしまう。まるで、あたしの身体をつかって、マスターベーションをしているかのようだ。
でも、終わったあと、シンジと並んで寝転んで、汗がひくのを感じる時間は悪くない。あと、髪の毛を触られたり、キスするのも好きだ。そういう余録を楽しむために、セックスにつきあっているような気もする。
でも――
あたしはなんのためにここにいるんだろう。
もしかしたら、シンジの性欲を処理するために呼び出された人形のようなものなのかもしれない。
シンジにとって、あたしはなんなのだろう。
なぜ、あたしなんだろう。
ほかの女の人は怖いから――?
だったら、せいぜい、わがまま言ってやる。わめいてやる。こき使ってやる。
「シンジ、爪切って」
「へんな形にしたら殺すわよ」
「やすり、ちゃんとかけなさいよ」
「足の爪もやんのよ」
「どこみてんのよ?」
「またやりたいの? ゆうべ、あんなにしたくせに」
「だめよ。冗談じゃない」
「バカシンジは、私の裸を見て、マスでもかいてりゃいいのよ」
「だいたい、二人っきりでなかったら、なんであんたなんかと」
「なに、にやにやしてんのよ、いらつくわね」
「変態」
「なによ、その顔。うざったいわね。消えてよ、私の前からいなくなって!」
「あんたなんか大っきらい! 私の身体だけが目当てのくせに――!」
夏は、もうすぐ終わる。
目覚めたとき、セミの声が聞えていた。狂ったように鳴いている。
セミが鳴くのは交配相手を求めるためだ。
そう考えると、外から聞こえる声が「やらせろ」「やらせろ」と叫んでいるように思えてくる。
あたしは布団に起き直った。浴衣がはだけて、半分裸だ。でも、下着はつけている。
昨夜はセックスを拒絶して、ケンカして、それきりだ。
「シンジ、お水」
あたしは汗をぬぐいながら声をあげた。
「聞えないの? シンジ!」
返事はない。セミの声しか聞えない。
二間しかないその家には、あたし以外の人の気配はなかった。あたしはまた布団に寝っ転がって、シミのついた天井板を見つめた。
「いないのか……」
夕焼けが凄い。
縁側に座って、日の入りを見ていた。
シンジの姿はない。朝からずっと見ていない。
靴もなかった。服もない。食料の一部が消えていた。
「バカシンジ、家出す――か」
あたしは呟いて、笑った。
「それとも、溶けたか」
あの海に。
「どうでもいいわ、もう」
あたしは身体を引きずるようにして、敷きっぱなしの布団に移動した。
一人になったのはどれくらいぶりだろう。
ここにはシンジの視線がない。
あたしを見るひとはどこにもいない。
ぎゅっ、とあたしは自分を抱きしめた。
あたしはここにいる。死んでない。生きてる。
でも――独りだ。
あたしはたぶんもう眠っている。身体がだるい。
セミがまた騒ぎはじめていた。
あたしは縁側で転がっている。シンジはまだ帰らない。どれくらい経つのだろう。一日か、三日か、それ以上か。持っていった食料はもう尽きているだろう。それでも、帰ってこない。
「なにやってるのよ」
あたしは手を空にかざしてつぶやいた。光の量がすごくて、それだけで汗が出る。
「私の身体が恋しくないの?」
胸に触れてみる。シンジがよくするように、掌でこねてみる。
べつに気持ちよくなんかならない。シンジのようにすれば、痛いだけ。自分の好みにあわせて指の動きを弱めてみる。
「ん……」
そうだ。これくらいのほうが心地よい。触れるか触れないか、それくらいのタッチ。
ホットパンツの裾から、腿のつけねに指を入れてみる。
最近、気をつけて洗うようになったその部分の感触を確かめる。
「あ……」
これって――マスターベーションだな、と思う。こんなこと、するつもりはなかった。あたしに性欲なんかない。シンジとのあれは遊びのようなもの。実験といっていい。自分の肉体が、どの程度の影響力を持っているか、バカシンジ相手に確かめたかっただけ。
――の、はずなのに。
あたしは、シンジとのことを思い返しながら、指を動かしつづけた。まさか――このあたしが――シンジをおかずにするなんて――お笑いだ。
「は……んん……」
唇を舐めた。高まってくるものがある。シンジの体臭をもとめて小鼻がひくつく。
こんなばかな、と思う。こんな感じ、初めてで――わからなく、なる。
あたしは声を放っていた。意識が爆発している。
もしかしたら、これが――アレなのだろうか。
わからない。
あたしはせわしく胸を上下させながら、目をあけた。
光が翳った。
男があたしを覗きこんでいた。
シンジじゃない。
顔は逆光でわからない。だが、笑っていることだけはわかった。蔑みの笑みだ。
男は一人ではなかった。
着ているものは、もしかしたらネルフの制服なのかもしれない。日向さんか青葉さんに似ている気もする。だが、そうでもないような気もする。
あたしは跳ね起きようとして、男たちに押えつけられた。
「なにすんのよっ……はなし……」
叩かれた。
縁側の板目が目前に近づく。後頭部を掴まれて、押さえつけられているのだ。
ホットパンツが引きずり下ろされる。下着もいっしょにだ。
「やめてっ! やめてえっ!」
あたしは悲鳴を放った。むりやり何かが侵入してくる。断ち割られそうな痛み。
「いやっ……あああっ!」
あたしは涙目で、のしかかってくる男を見る。あたしはこの男を知っている。あたしのことをこんなふうに支配した男のことを――
――じっとしていなさい、アスカ
男が囁いた。あたしの脊椎が自動的にその命令に服従する。心を無視して、身体が硬直する。
――声をたてないで、いい子だから
男が出たり入ったりを始める。かつては、外側をこするだけだったのに――
「うぐ……ぐぅ……」
あたしは嗚咽をこらえる。ぬいぐるみを抱きしめながら、苦しみの時間が過ぎるのを待つ。
はやく……はやく……終わって……
身体の奥まで擦られて、息が苦しい。
――おや、アスカ、おまえ、感じているのかい?
「そんなことない。そんなはずない」
――でも、おまえの中が、こんなに潤って……
「やめて、そんなふうに言わないで!」
――おとなになったんだね、アスカ。……はうれしいよ
「言わないでぇ! いやあああっ!」
あたしは耳を押さえて身悶えする。
――中で、出して、あげよう、か
あたしは絶叫していた。縁側の板に爪をたてて、引っかいた。爪がベキンと折れて、血が噴きだす。
いやっ! いやよっ! こんなことしたくない! 子供なんかほしくない! おとなになんか、おとなになんかなりたくないっ! こんなことならいっそ、消えてなくなりたい――
「それは嘘よ」
青い髪の女が畳の上に正座していた。あいかわらず行き遅れの小姑のように陰険な表情だ。目の色は赤。気色悪い。
「あなたはもう子供じゃないわ。子供だって産める、身体よ」
そんなこと、わかってる。胸だって、あんたに負けてないんだから。知ってる? あんたの大事なシンジはね、あたしの胸にすがって泣くんだから。アスカ、アスカって言いながら泣くんだから。どう、うらやましいでしょ?
「知ってるわ」
小憎らしいほど冷静に女が言う。
「碇くんが選んだのは、あなただもの。そして、あなたも碇くんを選んだ」
あたしがバカシンジを……選んだ?
「そうよ。気づいてなかったの?」
じゃあ、この世界は――
「あなたが選んだ、あなたの世界でもあるのよ」
あたしは、いまだにのしかかっている男に振り向いた。顔のない男。毛むくじゃらで、煙草の匂いをさせている男。
どきなさいよ、と言った。
「どきなさいよ、あんたは私の男じゃない! たとえ夢のなかでだって、やらせてなんかやるもんか!」
蹴りつけた。男は――男たちはうめきながらゆらめいていく。
「帰れ! 二度と私の前に現れるんじゃない!」
「意外と貞操観念が強いのね」
いつの間にか湯のみを手に、お茶をすすりながら、あの女が論評した。
セミの声で目がさめた。もう、陽が落ちているようだ。あたしは布団の上で身じろぎした。下着がずれて、おしりのあたりに涼しい風を感じる。もう夏は終わりなのだ。
「起きたんだ」
縁側から声が聞こえた。あたしはあわてて下着とホットパンツを直した。
おそるおそる声がした方を見やると、庭に、制服姿のシンジが立っていた。
「ど……どこ行ってたのよ」
「山の向こう。生き残ってる店とかないかなって思って。ほら、いろいろ足りないものがあったろ? 着るものとか、調味料とか……その……あの用品とか」
シンジはリュックサックを縁側におろした。戦利品を取り出しはじめる。そのなかには、ナプキンも含まれている。
「人はいなかったけど、コンビニがあったよ。とりあえず、急ぎの分だけ。あ、盗んだんじゃないよ。ちゃんとお金はレジに置いてきたから」
「ばかっ!」
あたしは枕をシンジに投げつけた。
「なんで、行き先を言わないのよ!」
「ごめん……すぐ帰るつもりだったから」
枕を受けとめたシンジがすまなそうに言う。
「それに、アスカ、なんだか怒ってたし……」
「うるさいっ! 言い訳するな!」
あたしは怒鳴りつけた。
「なんで、私が襲われてるときに助けに来なかったのよ! なんで、あの女が訳知り顔に出てきたのよ! 頭にくるっ!」
「え? え?」
シンジはぽかんとした表情を浮かべている。あたしは怒りに任せてシャツを脱ぎ捨てた。
「シンジ、来て」
「え? でも、昨夜は……」
「いいから、来なさい!」
「あ……うん……」
シンジが靴を脱いで、縁側にあがる。
「でも、ぼく……汗臭いよ?」
「それで、いいの」
そのほうが、シンジの匂いを確かめられる。これが現実であると自分を納得させられる。もしかしたら、それすらも錯覚かもしれないが。
あたしは近づいてきたシンジに抱きついて、のしかかった。
「アスカ……今日はへんだよ」
あたしに押し倒されながら、シンジが喉仏を上下させた。
へんかもしれない。
あたしはいま、欲情してる。シンジを奪いたくて、辱めたくて、そして、気持ちよくさせたくて――あふれそうだ。
だけど、それをストレートに口にすることはできそうもない。
あたしは、シンジの弱いところを指で探りながら言った。
「私のこと――好き?」
「……も、もちろん」
「好きなら、好きと、言いなさい」
「……す」
シンジの顔が赤くなった。
「すきだよ……」
どきどきする。何度となく合わせたはずの肌なのに、その言葉を聞くだけで、感触さえちがってくる。
「もう一度、言いなさい」
唇を寄せていきながら、シンジに強要する。
あたしを人形から女にかえる、魔法の呪文の一言を。