名探偵コナンSPECIAL

Sir. MAZE         しょうたいじょう
迷路卿からの招待状

第一部 発端編

「うわぁ、すごーい!」

 歩美が目を大きく見開いて歓声をあげた。

「ロマンティックな建物ですねえ」

「ほんとのお城みたいだな!」

 光彦と元太も驚きの声をもらす。

 目の前にそびえたっているのはヨーロッパの古城を思わせる壮麗な建物だ。高い城壁に尖塔、周囲には堀まであって跳ね橋がかかっている。

「これが迷路城(メイズ・キャッスル)か」

 彼らから少し離れたところに立っている江戸川コナンは、いつもの子供っぽい声でなく、大人びた地声でちいさくつぶやいた。その傍らに、すっと少女が近づく。

「鮫津観光グループの目玉テーマパークってやつね。工藤くん、こういうの好きなんじゃないの?」

 クールな印象をあたえるハスキーな声。灰原哀だ。彼女は、コナンの正体が高校生名探偵・工藤新一であることを知っている、数少ないうちの一人である。

「この城の内部は仕掛をこらした迷路になってて、時間内に脱出できた人には100万円の賞金が出るって話よ。おかげでオープン前から参加予約が殺到しているらしいわ」

「そんな賞金かけたら、すぐに破産しちまうんじゃねえか?」

 コナンは頭の後ろに手をまわしてうそぶいた。哀はそんなコナンをちらりと見て、

「自信ありげね」

 と言った。笑っているわけでもない。むろん、感心して言っているわけでもない。冷徹な批評家としての一言、という感じだ。

「コナンくん」

 背後から声がした。小学一年生の身長しかないコナンからしたら高いところから降ってくる感じがする。

「あ、蘭ねえちゃん」

 子供の声と表情にもどってコナンは振りかえった。

 そこに立っているのは毛利蘭だ。コナンがいま世話になっている毛利家の娘である。工藤新一の幼なじみでもあるのだが、彼女はコナンが実は新一であることを知らないでいる。

「それにしてもすごいお城ね……。お父さんも来ればよかったのに……」

 蘭は柔らかくウェイブを作っている前髪にそっと手をやった。今日の服装はクリーム色のサマーセーターに薄手のジャケット、スカートはキュロットだ。それなりに運動することを想定しているらしく足元はスニーカーである。

「おじさんが招待状をもらったんだよね」

「そうよ。鮫津観光の社長さんと――知り合い、だから」

「ふぅん……それでプレオープン・イベントに招待してくれたんだ」

「なのにお父さんったら、『酒も出ないような子供向けのテーマパークなんかに行けるか!』なんて言っちゃってさ。ほんと、頭きちゃう」

「はは……おじさんらしいや……」

 コナンは力なく笑った。

「コナンく〜ん、はやく〜!」

 歩美が跳ね橋のところで手を振っている。光彦や元太も同様だ。待ちきれない様子が伝わってくる。

「歩美ちゃんたちが待ってるから、行こうか」

 蘭がほほえむ。コナンはうなずいた。

「えっ、入口って、女の子と男の子、別々なの?」

 歩美がコナンのほうを見やりながら、すこし残念そうに言った。

 跳ね橋を渡り、城門を抜けたところにあるエントランスに一行は来ていた。

 エントランスの奥にはふたつの扉があった。左が女性用、右が男性用だ。

「なんだか銭湯みたいだな」

 元太が彼らしい感想をもらす。もっとも、ここには「男」「女」といったのれんはかかってはいない。そのかわりなのかどうか、テレビモニターが埋まった石像がそれぞれの入口の脇に置いてあった。沐浴する女性の像と、剣を持った男性像である。

「ほかのイベント参加者はどうしたんでしょう?」

 光彦があたりを見渡す。広いエントランスにいるのは彼らのグループだけだ。係員の姿さえない。

「このテーマパークは完全予約制で、参加する人たちがプレイしているあいだ、貸し切りになるみたいね」

 パンフレットを見ながら哀が言った。

「それに施設の運営はコンピュータ制御で、ほとんど無人で運営されているんですって。インフォメーションは館内のあちこちに設置されてるテレビモニターを通じておこなうみたいよ」

 哀の言葉をきっかけにしたかのように、石像のモニターに映像が映った。

『ようこそ、メイズ・キャッスルへ』

 タキシードを着た銀髪の男性が、うやうやしく一礼した。若くはない。四十代後半くらいか。鷲鼻で、彫りが深い顔だちだ。

 あっ、と蘭が小さく声をあげた。

「この人……たぶん鮫津観光の社長さんよ」

「会ったことあるの? 蘭ねえちゃん」

「うん……かなり前だけどね……お葬式で」

 蘭の表情が暗くなった。コナンは少し引っかかりをおぼえる。

 もっとくわしく話を聞こうと思ったとき、ビデオの男がルールの説明をはじめた。元太と光彦がコナンを振りかえって「しぃっ」と指を立てた。

『ここは試練の館、謎と神秘に満ちたラビリンス――この館で試されるもの――それはあなたがたの《愛》です』

 男は催眠術師のようにゆっくりとしゃべっている。

『このふたつの入口から、愛しあうふたりが別々に迷宮に入ります。見事ふたりが出会えたとしたら――迷宮の最後の扉が開かれることでしょう。すなわち、その時こそ愛が試練に打ち勝ったことになるのです』

「なるほどね。そういう趣向」

 哀がつぶやく。鼻で笑っているかのようだ。

『ラビリンスのなかで、あなたがたは愛する人が迷宮のなかで苦しんでいる姿を目撃し、心を引き裂かれるかもしれません。でも、それこそが試練なのです。心を落ち着けて、時が流れるままに受け入れるのです。試されているのは、あなたの《愛》そのものなのですから……』

 画面の男はゆっくりとフェードアウトしていった。

「ど、どういうことなんだ?」

 元太が首をひねる。

「つまり、男女がペアになって、中の迷路でうまく出会うことができたらクリアってことさ」

 コナンがめんどくさげに説明する。

「たぶん、それぞれの迷路のゴールがつながっているんだろうな」

「ああ、なるほど! じゃあペアにならないと」

 光彦が納得したように手を打ち、それからメンバーを見回した。歩美と哀を等分に見て顔を赤らめる。どっちにするか迷っているらしい。

「小嶋くん、行きましょ」

 哀が元太に声をかけるなり、さっさと歩きだす。いずれにしろ、一緒に迷宮に入るわけではないのだから、だれが相手であってもかまわない――とでも言いたげな無造作さだ。しかし、指名されて嬉しかったのか、元太は喜色を浮かべてコナンたちを振りかえる。

「じゃあ、行ってくっからよ! 賞金ゲットするぜぃ!」

 それぞれが入口の前に立つと、ライトがともって扉がゆっくりと開いた。どうやら、二人同時に立たないと開かない仕掛になっているらしい。哀と元太は迷宮のなかに入っていく。

「ええと、あたしはだれと組もうかな……」

 歩美はコナンのほうを見て、眉をきゅっと寄せた。コナンの一言を待っているかのようだったが、コナンはそれには気づかず、蘭を見あげる。

「じゃあ、ぼくは蘭ねえちゃんとペアになろうっと」

 歩美は失望したように顔を一瞬くもらせたが、すぐに笑顔にもどった。

「光彦くん、行こうか」

「はいっ!」

 光彦は直立したまま跳ねあがった。

 一定時間がたつと、扉のライトが消える。それが準備完了の合図だ。迷宮のなかで前の組にぶつかることを避けるためだろう。

 歩美と光彦も挑戦を開始した。

 そして、エントランスにはコナンと蘭だけが残された。

「これって、カップル向けのアトラクションだったのね。お父さんとお母さんを連れてきたらおもしろかったかも」

 蘭がくすくす笑った。蘭の両親はたがいの仕事のペースが合わず、別居中なのだ。

 それからややあって、ふと遠い目になってつぶやいた。

「新一もこういうのけっこう好きそうだな……」

 コナンは蘭の淋しげな横顔に気持ちが重くなる。子供の身体になってしまってからというもの、蘭のことはほったらかしにしている。たまに電話で話すくらいだ。たがいの顔を見ながら本来の肉声で語りあう、ただそれだけのことができなくなって久しい。

 時々、コナンは自分の正体を蘭に告げたい衝動に駆られることがある。だが、それをすれば、新一を襲った組織に蘭もマークされる怖れがでてしまう。それだけは避けなければならない。

 蘭はぜったいに守る。コナンは――新一は――そう決意していた。

「ねえ、蘭ねえちゃん、さっきの鮫津社長の話だけど……」

 ライトが消えるのを待つあいだ、コナンはさっきから気になっていたことを蘭に訊ねようとした。

「え?」

「お葬式で鮫津さんと会ったことがあるって言ってたけど、それってだれのお葬式?」

「それはね……鮫津さんの……」

 言いにくそうに口ごもった。

 その時だ。ライトが消えた。準備ができたのだ。蘭は急にはしゃいだような声をあげた。

「あっ、コナンくん、もう入れるよ! みんなが出口で待ってたら悪いから、早く行こう!」

 蘭は小走りに扉の前に移動する。やむなくコナンも男性用入口の前にむかった。

 なぜだか――いやな予感がしていた。

 迷宮のなかに踏み入った。背後で扉が閉まる音がする。

 内部は薄暗く、空気はひんやりしていた。照明は壁に埋めこまれたランプ型の電灯だけだ。それも光量が絞ってあるので、足元さえおぼつかない。

 両側に壁がそそり立っているが、天井には接していない。壁はうねうねと曲がりながら、迷路状の通路を造り出しているのだ。

 通路はいたるところで分岐し、ためしにそのひとつを選んでみると、その先は袋小路になっていた。

「けっこう本格的だな」

 しかし、建物の外観からしても、そんなに広いはずはない。せいぜい学校の体育館くらいの面積だろう。通路が曲がりくねっているせいで、とてつもなく広く感じるだけだ。

「でも、この迷路を抜けるだけで、100万円もの賞金を出すなんて……」

 不思議に思いながら、通路を行くうちに、石像に行き当たった。入口に置いてあった石像と同タイプのもので、やはりテレビモニターが埋めこまれている。モニターには「1」のプレートがついていた。

 そのモニターのなかに、蘭が映っていた。どうやら隣の迷宮の映像らしい。おっかなびっくりで通路を進んでいる。もともと蘭は怖がりなのだ。どうやら集音マイクもあるらしく、蘭の足音も聞こえている。

『なによぉ……これじゃあ迷路じゃなくて、お化けやしきみたいじゃない……』

 泣きそうな蘭の声が聞こえてきた。コナンは思わず苦笑する。蘭は極度の怖がりなのだ。空手の達人のくせに、暗いところとおばけにはからっきしだ。もしもこのメイズ・キャッスルの内部がこんな暗いのだと知っていたら、きっとイベントには参加しなかっただろう。

 なるほど、ペアになった相手の状態をモニターしながら迷路を進むというわけか。これはこれで面白いかもしれないと思う。ということは、コナンのほうもきっとどこからかカメラに捉えられているのだろう。

 笑いだしたい気分になりながら、コナンはモニターの前を離れようとした――そのときだ。

『きゃっ! なにっ!?』

 蘭の声が高くなった。あわててコナンはモニターを覗きこむ。

『いやっ! だれっ!? 離して!』

 悲鳴をあげている蘭に黒ずくめの人物が襲いかかっている。一人が背後から羽交い締めにし、もう一人が蘭の口許にガムテープらしきものを貼りつけようとしている。

「蘭!」

 コナンは思わず絶叫している。

『んぅっ!? んううううっ!』

 口をふさがれた蘭がうめいている。その腹部をめがけて黒ずくめの一人が拳を打ちこんだ。蘭はぐったりと崩れおちる。

 コナンは走りだした。元来た道を引きかえす。むろん、入口から出た方が早いに決まっているからだ。

「なっ! そんなばかな!?」

 入口にたどりついたコナンは声をはなった。入ってきたはずの扉がなかった。そこには壁しかない。壁にはモニターが埋めこまれていた。黒タキシードの男が映っている。鮫津社長だ。

『この迷宮は、一度入ったら、謎を解かないかぎり外に出ることはできぬ……。挑戦者よ、そなたはこの迷宮の謎を解くことができるかな?』

 上品な、と本来は表現できそうな顔だちだが、今は唇をゆがめて邪悪な笑みを浮かべている。コナンはそのモニターを凝視した。

「ビデオじゃないな……そうなんだろう、鮫津さん? あんた、どこからか、おれたちを監視していたな?」

 画面のなかの男が目を細めた。

『ほほう……。きみはほかの二人の男の子とはちがうようだな。名前はなんという?』

「江戸川コナン――」

 名乗ってから、コナンはハッとする。

「光彦と元太になにかしたのか!?」

『べつに危害は加えておらんよ。ほら、そこに』

 男の言葉とともに、壁の一部が口を開いた。壁の奥に小さなスペースがあり、そこに光彦と元太がぐったりとして横たわっていた。急いでコナンはふたりの脈を調べ、安堵する。

『薬をかがせて眠らせただけだ。彼らにはどうやらわたしの挑戦を受ける資格がないようだったのでね』

「挑戦――だと?」

『本来ならば毛利小五郎への挑戦のつもりだった。あやつめは逃げたようだな。おのれの罪の重さにたえかねて』

「おっちゃんがおまえに何をしたっていうんだ!?」

 モニターの中の鮫津の双眸が暗く燃えた。

『あいつはわたしの娘を殺したのだ』

「なんだって!?」

『――十年以上昔のことだ。わたしの娘が誘拐された。競争相手の会社がある土地の入札に勝つために仕組んだのだ。わたしは警察に助けをもとめた。担当したのが毛利刑事だった』

 鮫津は淡々とした口調で語った。

『毛利小五郎は犯人グループのアジトをつきとめた。だが、わたしは犯人などどうでもよかった。娘の命が助かればそれでよかったのだ。なのに毛利はアジトに突入した。結果として犯人は捕まったが、娘は死んだ』

「そんな……それって逆恨みじゃないか!?」

『どうとでも言うがいい。わたしは娘の死と引き換えに得た土地にこのメイズ・キャッスルを建てた。毛利への復讐のためにだ。そして、毛利の娘がわたしの娘が死んだ年齢になるのを待ったのだ……そしてようやくその時がきた』

「蘭に、なにをするつもりだっ!?」

 コナンはモニターのある壁を拳で殴りつけた。むろん、そんなことをしてもなんにもならない。鮫津は唇の端をゆがめた。

『わたしの娘が犯人どもにされたことさ……』

「蘭に、蘭に指一本でも触れてみろ! ただじゃおかないぞ!」

 コナンは子供の演技も忘れて声を荒げた。鮫津の目が興味深そうに動いた。おそらくはコナンの映像を捉えているモニターを覗きこんだのだろう。

『おもしろいぼうやだな。よほど蘭くんが好きらしい。ふふ……毛利のやつに味わわせるつもりだった試練……おまえが受けてみるかね?』

「試練だと!?」

『なに、かんたんなことさ。制限時間内にこの迷宮の出口を探しあてるだけでいい。それができれば蘭くんと――ほかのふたりのお嬢さんがいるところにたどりつける。そこがゴールだ。だが、もしも制限時間に間に合わなかったときには――』

 鮫津の顔がぐにゃっと歪んだ。画面エフェクトがかかったのだ。

『このメイズ・キャッスルごと、すべては無に帰するだろう。制限時間は1時間……きみの健闘に期待するよ――』

 画面全体が渦を巻くように変形し、次の瞬間映像が消えた。

 コナンは歯噛みした。

「くそう……絶対に解いてみせる……この迷宮の謎を!」

続くかもです!(そりゃあ続くだろう)