会場周辺は熱気に満ちていた。
格闘技のメッカと呼ばれるホールだけに、周囲にもプロレスグッズの店だとか、格闘技ファンがとぐろを巻いてそうな安っぽい飲み屋だとかが多い。だが、その日に限ってはやけに華やいでいた。
女、女、女――つめかけた客の大半が女の子なのだ。
しかも、若い子が多い。中学生くらいの女の子がめだつ。母子連れなんかもけっこう多い。コスプレなのかなんなのか、革ジャンを着込み、髪の毛を立て、顔にペイントしている連中も見受けられる。
男の客もいないではないが、その大半はカメラを首からぶら下げ、目の焦点は合わず、口のなかでなにかぶつぶつ言ってるような連中だ。お、おれはちがうけどな。
「なにしてるんだよ、遊一、おいてくぞ」
歯切れよく気恵くんが言い残し、おれの返事も待たず、すたすたと先にゆく。
中学生女子にしては長身の気恵くんは、女の子中心の人込みのなかでは頭ひとつ抜けているので、見失うことはないが――まて! おれを一人にしないでくれ。
ふだんは部活に勉強に、さらにはレスラーになるためのトレーニングで忙しい気恵くんだが、今日は特別。
練習生として通っているプロレス団体の興行を見学にきたのだ。
ちなみに、気恵くんは関係者招待券で、おれは自腹だ。なんでやねん。
それにしても、すごい人気だな。会場の外まで行列ができているぞ。こんなに女子プロレスって、勢いあったっけ?
「知らないの、遊一。うちの団体って、格闘技路線の真剣勝負と、レスラーのキャラクター化の両立に成功して、いま、すごい注目されてるんだよ? 昔の女子プロレスブームの再来かって、いわれてるくらいなんだから」
たしかにふた昔前くらいに、あったよなあ、女子プロブーム。だが、クラッシュギャルズとか、顔がクラッシュしてるよーなのがスターだったんだから、いまのレスラーだって、たかが知れてるよな。
「あ、言ったね? 言っちゃたね? しらないよお」
気恵が脅すように言う。
入り待ちってやつか、ファンの子たちがたむろしている関係者入口を抜けて、おれたちは会場に入った。いつのまにか、気恵くんも顔パスってやつになっているのだ。
「ねえ、あれ新人かなあ」
「きりっとしてて、かっこいい」
気恵くんをみて、ひそひそ話すファンの女の子たちもいる。
たしかに、気恵くんは女の子にもてそうだな。女子校なんか行ったら、後輩から慕われそうだ。
バックヤードでは、スタッフが忙しく立ち働いていた。ショップで販売するためだろう、グッズを梱包した段ボール箱を抱えて、行ったりきたりしている。
「お疲れさまです」
気恵はスタッフの一人一人にあいさつする。気恵に目をとめると、みな陽気にあいさつを返してくれる。むー。けっこう溶けこんでおるな。
「お、来たね、気恵ちゃん」
メガネをかけたスタッフの一人が声をかけてきた。
「三谷さん、あたし、運ぶの手伝いますよ」
腕まくりしかける気恵くん。
「いいよ、もうすぐ終わるし、今日は気恵ちゃんはお客さまだからね。正式入団したら、ばりばりやってもらうからさ」
「ありがとうございまーす。今日は楽しませていただきまーす」
スタッフの視線がおれに向けられた。微妙な――探るような表情になる。
「気恵ちゃん、そのヒト、彼氏?」
「まさか! ちがいますよ!」
言下に否定。
「コイツは、じゃなくて、このヒトは、家庭教師の先生なんです。女子プロレスのファンだっていうから、連れてきました」
「へえ、そうなんだ。家庭教師――そうか、気恵ちゃん来年受験だもんね」
スタッフは納得したようだった。
まあ、たしかに家庭教師みたいなもんだが、ここんとこ実技ばっかりだ。むろん、おたがい服を脱いで、布団の上で――
気恵のプロレス技の実験台になってるんだがな。
「ところで、なぎさ先輩とほのか先輩は?」
気恵が話題を切り替える。スタッフは気恵に向き直った。
「シャイプリだったら控え室だよ。今日は大事な試合だからね」
「ちょっと、顔出してきますね」
明るく言って、スタッフと別れる。
いいものを見た、って感じで、表情筋をゆるませているスタッフが印象的だ。
家では難しい顔をしていることの多い気恵くんだが、けっこう外では明朗快活なんだな。
「いい、ゆういち。絶対、失礼のないようにね」
選手控え室――シャイニングプリンセス様とある――のドアの前で、気恵くんはおれをにらんだ。
「は? おまえ、おれの保護者か? ちょっと背が伸びたからっていばるな」
そうなのだ。この夏、気恵くんはオトナの階段をのぼったせいか、たんなる成長期だからかわからないが、ぐんっと背が伸びた。もう、おれとそんなにかわらないな。
なにしろレスラー志望だから、大きくなることは気恵くんにとっても喜ばしいことらしい。榊さんとはえらい違いだ。
「いっとくけど、なぎさ先輩は生まれついての乱暴者だし、ほのか先輩は一見優しそうだけど、実は超きびしいからね。へんなことをしたら、骨の二、三本くらい、あっと言う間だよ」
おれは、こわい顔をしている気恵くんのジーンズのお尻をなでた。
「ひゃっ!」
飛び上がる気恵くん。
「ばか! なにすんだよ!」
「へんなことって、今みたいな感じか? それとも、もっとすごいこと?」
「そういうこと平気でするから、遊一のこと信じられないんだよ」
気恵くん、けっこう本気で怒ってるっぽいな。
「頼むから、先輩たちの前ではまともにしておいてくれよ。軟派な真似とかエッチな顔は絶対しないでよ。あと、女の人と話すとき、胸ばっかり見るくせはやめてくれ。それに、人前で鼻をほじったり、股をボリボリかいたりするのも禁止だからな」
おい! そんなこと真顔でいうなよ、ふだんおれがそんなふうに振る舞ってるみたいじゃないか。ほじほじ、ぼりぼり、気恵くん、乳はあんまり育たないな、でも感度はいいんだ、これが。にや〜り。
「ほら、遊一! ぜんぶやってる!」
し、しまった。鼻をほじくりながら、股間をかきながら、気恵くんの胸を凝視しつつ、えろい妄想をしてしまった!
「あのさ、ぶっちゃけ話すけど、うちの団体って、男禁止なんだ」
気恵くんが声をひそめる。おれは驚いて聞き返す。
「うそ、まじ!? 全員レズ!?」
「そ、そういう意味じゃない! 現役のときは恋人を作っちゃだめだってこと!」
「なんで?」
「プロレスに集中するためだって。センパイたちもみんなそうなんだ。そりゃあ、中には結婚してる人もいるけど、よほどのベテランだけだし」
「ふーん、そんなもんか。でも、だから、なに?」
おれの反応に、気恵くんは顔をしかめた。
「そういうと思った……遊一は自覚ないもんな」
ため息をつく。乙女チック。
「でも、あたしは遊一のこと……だと思ってるし、そしたら団体のルールを破ることになっちゃうから」
「はあ? 聞こえねえな。おれのことをなんだと思ってるって?」
「こ、こいびと、だよ……」
「え? なに? きこえねーな!」
おれは声を張り上げる。
「なんべんも言わせるな、ばかやろう!」
張り手がとんでくる。一瞬、意識が遠くなる。耳はきーんきーんきーん。鼓膜破れたかもしれん。
恋人だと思ってるなら、顔を全力で張るのはやめてほしい。
「ともかく、センパイには会ってもらわなくちゃならないんだ」
ややあって、気恵くんが事情を説明した。
「ほら、あたしの入団テストのとき、遊一、入院してたでしょ? その当時、なぎさ先輩も偶然同じ病院に通ってて、あたしが遊一の病室に入るとこ見てたらしいんだよね。だから、きちんと紹介しないといけないことになって……」
思い出したよ。気恵くんの練習台になって、えらいことになったときだな。
「先輩たちには、遊一のこと、同居の大学生で、家庭教師がわりって、言ってあるんだ。一流大学に通っていて、まじめで礼儀正しくて、中学生に手を出すようなふしだらな人間じゃないってことになってるから!」
おいおい、それはたんなる事実じゃないか。ほじほじ、ぼりぼ〜り、気恵くんのオパーイ。
「わざとやってるだろ、遊一」
気恵くんがにらみつけてくるが、あながちわざとでもないところがわれながら怖い。