天使たち
第3話 珠子編
「珠姫異聞」の巻



 おれ、小鳥遊一。小鳥遊を「たかなし」と読んでしまうあなたは漢字博士だね? 残念でした。おれは「ことり・ゆういち」だ。小鳥というのはめずらしい苗字だが、うちの親戚には圧倒的に小嶋ってのが多い。どうやらうちの直系の祖先が、苗字をつける際に、「小嶋」と届けるべきところを「小鳥」と間違えたらしい、とうちの親父(アル中、ギャンブル狂、歴史ファン)が真顔で言っていた。それではあんまり夢がないので、おれは信じていない。

 おれが現在下宿しているのは宇多方家だ。宇多方っていうのも、あんまりな苗字だな。だが、宇多方家はわりと由緒ある旗本の家柄らしい。屋敷もその時代からのものだそうで、敷地はずいぶん削られたということだが、それでも築山だの池だのがある広い庭に、土蔵さえ建っている。

 この広い庭は、庭師などを雇う余裕がないために、ほとんど放置状態だ。むろん、最低限の掃除はしているのだが、とてもではないが五姉妹だけでは手がまわらない。

 だから、ここの庭は、ちょっとした密林っぽい雰囲気さえある。夜なんかだと、なにか出てきそうで怖いくらいだ。

 なにか出そうっていえば、ここの五姉妹の末っ子の珠子だ。

 宇多方の五姉妹というと近所でも評判の「別嬪さん」揃いらしいのだが、顔だちだけでいえば、たぶん珠子がいちばん整っている。よく「お人形さんのような」という表現をするが、珠子のばあいは、じっとしていればまんま人形で通るだろう。

 だが、実際にお人形じみているのはいかがなものか。

 だいたい、おれがこの家に世話になるようになって一か月くらいが経つが、いまだに珠子の声を聞いたことがない。

 しゃべれないわけではないようだ。姉妹たち――とくに双子(二卵性だが)の美耶子とは会話をしている模様である。ただし、その場合でも声が聞こえるのは一方的に美耶子のほうで、珠子のほうは、うなずく、首を横にふる、目でなにかを示す――などによって意志を伝えている。それでも、不便はないらしい。

 この珠子がたまに自分から口を開く――ただし声は出さずに――といえば、どこかのユーレイさんとコンニチハをしている時なのだ。

 実際、霊感は強いらしい。いつも、どこか別の世界とアクセスしているっぽい。

 顔だちが奇麗なだけに、ちょっと鬼気迫るものがあったりもする。

 だが、それもひとつの個性といえば個性だ。それに、端的にいえば、おれには関係がない。

 ――と思っていたのだが。

 その日、大学をサボって昼近くになってようやく起き出したおれは、大あくびをしながら縁側を歩いていた。

 と。

 庭の向こうを、珠子がふらふら歩いている。寝巻きがわりのぶかぶかTシャツをざっくり着ている。

「また、あいつ、学校サボったな」

 と、自分のことは棚にあげておれは思った。常識を超越していらっしゃる珠子さんは、よく学校を休んだり、授業中にぬけだしたり、まったくべつの自由研究をしたり(たとえば算数の時間にアリの生態観察をする等)、の問題行動をされるのだ。

「一子ちゃんは……留守かな」

 この家を実質ひとりで切り盛りしている一子ちゃんがいれば問題はないのだが、それがいないとなると、下宿人とはいえ最年長のおれの責任が重くなる。

「しょうがねえなあ」

 おれは縁側からおりてサンダルをつっかけ、夢遊病者のようにおぼつかない足取りの珠子を追いかけた。

 珠子は竹林に分け入り、築山をのぼった。

 ちょっとしたピクニックができそうな宇多方家の庭である。

 この築山の向こうには古い白壁の土蔵がある。アル中でギャンブル気ちがいで歴史小説ファンでもあるうちの親父が「宇多方家には財宝が隠されている」と力説しているのも、この庭を見るとなんとなく説得力を持ってくる。とはいうものの、「宇多方家の財宝の秘密を探るのだ」と、マジに指令するうちの両親は絶対どうかしていると思う。

 珠子は土蔵に入ったようだ。はて。あの土蔵にはふだんは鍵がかかっているはずだが。そのせいで、おれもその土蔵には今まで入ったことはない――てゆうか、親孝行なおれはなんだかんだいって、宇多方家の財宝について調べようとしていたりするのだよ――故・宇多方じいさんの書斎に忍び込んだり、一子ちゃんのタンスを探ったりしてさあ――いまのところの戦利品といえば、一子ちゃんのパンツくらいなのは秘密だけど……とほほ。

 おれは珠子のあとを追って、その土蔵の扉をくぐった。

 内部は暗くて、かびくさい匂いがした。

 古い物たちの匂いだ。

 ちょっとあたりを見回しただけでも、大きな柱時計や古色蒼然とした道具類、人が入れそうな行李や――げ、鎧兜まであるよ、さすが武家。

 これって値打ちモノなのだろーかと、ついつい鎧兜に見入ってしまったおれだったりするが、階上から、ごとり、と音が聞こえてきて、ハッと我にかえった。

 そうだ、おれは珠子を連れ戻しにきたのだったよ、忘れていた。

 どうやら珠子は梯子をのぼって、二階に――といっても土蔵の二階だから屋根裏っぽいスペースなのだが――あがったらしい。

 おれはゆっくりと梯子に手をかけた。

 ――その時だ。

 おれは初めて珠子の声を聞いた。

 鈴が転がるような、というのだろうか。

 世に、声優に憧れる少女たちは多いようだが、神さまってのは不公平だねい。

 声というのは、顔かたち以上に、持って生まれたものだ。外見ならば繕える。化粧や装身具で――極端な手段なら整形手術で――美しくなることはできる。だが、声はどうしようもない。ボイストレーニングで声量を高めたり音域を広げたりすることは可能かもしれない。だが、持って生まれた声質は――どうしようもない。

 珠子の声は、そういう意味で言えば、神さまに祝福された――そんな声だった。

 小さな声だった。

 だが、そのきらめくようにはねる音の波形は、抗しがたくおれの背筋を震わせ、ぞくぞくさせた。

 そして、その声が形づくるものとは――

「あっ、あっ、あん……はああ……」

 も、悶えてるよ、悶えてるよ、おい。

 ちゅく、ちゅく、ちゅくちゅくちゅく。

 音がしているよ、湿った音がしているよ。おいおい。

 おれはドキドキしながら、梯子の最上段の上に顔を出した。

 階上は階下よりも光量があった。

 明かりとりの小さな窓が開かれ、そこから射し込む光線が明瞭に、室内に漂う年代物の埃の舞うさまを切り出している。

 そして、その光のかもしだすステージのなかで、宇多方珠子、小学――いけね、時節柄やばいな。四捨五入するか……ってさらにやばいじゃん!――《伏せ字》年生が、古びた巻き物を床に広げながら、自らの指を下着のなかに――

「はっ、はあ、はあ……ああ」

 夢中で指を使っているよ。かわいい声で鳴いているよ。これは、どうしたことだ? 夢か、まぼろしか、ご都合主義のエロ小説か――? あ、最後のはとりあえず取り消しね。言わずもがなだし。

 おれは固唾をのんで、珠子の乱れるさまを見つめていた。

 珠子はTシャツをまくりあげた。

 むろん、その下はパンツいっちょだ。平板な胸が露出する。自分で、豆粒のような乳首を刺激しはじめる。くりくり、くりくり。

「はあんっ……ああ……」

 もう一方の手は、さっきからパンツの中にもぐりこんだままだ。

 いじっちゃってるのだ。まだツルツルのはずの、その部分を。好奇心に駆られてか、やむにやまれぬに衝動に身を任せてか。

 珠子は、自分で自分の敏感な場所を責めながら、床に広げた巻き物に見入っている。なんだろう。

 おれは首をうんと伸ばした。自慢じゃないが、おれはアレは仮性だが、首のほうは剥けている――じゃなくて、長く伸びるほうなのだ。少なくとも猪首じゃない。

 どうやらそれは極彩色の絵巻物らしい。それも、男女の交合の図が載っているやつだ。

 なんと古風な。いまどきの女の子のオナニーのネタって、そんなんじゃないだろう、たぶん。エッチなマンガとか、アニメとか、じゃないの? あるいはやおい系の同人誌とか。

 そういえば、どうして女の子ってのは、美形の男が流血するシーンにクラクラきちゃうんだろうねえ。「血、好きなの?」って、高校んとき同級生の女の子に訊いたら、「まあ、男よりは血を見なれているからね」と切り返されて絶句したことがある。まあ、思い出話はいーや、この際。

 ともかくも珠子は、古い古い絵草紙――しかもえっちいやつ――を見ながら自慰にふけっている。しかも、学校をさぼってだ。これは、保護者代理としては、どうすべきだろうか。

 おれが悩んでいるというのに、珠子のやつめ、さらにエスカレートして、下着を脱ぎやがった。

 むろん、見逃すわけにはいかない。おれは梯子にしがみつきながら――ちょうど目線が低くて都合がいいのだ――珠子の脚のあいだの亀裂がどんな感じか、凝視した。

 真っ白だった。

 みちっ、と詰まった縦割れだ。その立てすじのところを、珠子の指がなぞるように上下している。

 こころなしか――いや、確実に――その部分は濡れている。指先が割れ目にもぐりこむたびに、にち、にちゅ、と粘液質の音がしている。

 珠子は大股びらきをしながら、その部分をいじっている。Tシャツも邪魔っけとばかりに脱いでしまって、もう、全裸だ。

「あっ、はあっ、はあっ……したい……したい」

 絵巻物の、いやらしい図像を指でなぞりながら、珠子がうめいた。

「わらわは……わらわは殿方と……まぐわいたいぞえ……ああっ」

 な、なんですと!?

 珠子よ、おまえはいったい幾つだ? まだ、そんなことをしたがる年齢じゃないだろ! それに、なんだ、わらわ? 殿方? まぐわい? どーゆーボキャブラリィなんだ。

 ――そうか。

 珠子のやつ、なんかの霊に取り憑かれたにちがいない。たぶん、大昔に処女のまま死んだ女だとか……作者の乏しいパターンからすると、せいぜいそんなところだろう。

「ほしい、ほしいのじゃ、殿方に可愛がられたいのじゃ……ああ……だれか、だれか、わらわを奪ってたもれ!」

 指を激しく使いながら、珠子がうめく。長い髪を振り乱し、細い腰をうねらせて、人形さながらの顔貌をゆがませて。

 い、いかん、このままでは、珠子がどうにかなってしまいそうだぞ!

 

 (a)と、とめよう!

 (b)いや、もうちょっと見物したいぞ。

 ――また分岐かよ……。後悔すっぞ、作者……。

つづく!