第4章

 

 おれは会社にいた。

 仕事を半自動的に処理しながら、昨夜のことを考えていた。

 ***

 川原で、まゆを抱きしめて泣いた。そのおれの頭を、まゆが撫でてくれていた。妙な話だ。自殺しようとしていたのはまゆで、それを助けに行ったのがおれだ。立場は逆のはずではないか。

 だが、おれはまゆの胸で――薄っぺらな胸にすがりつくようにして泣いたのだ。自分でもどうかしていたとしか思えない。

 その後、タクシーを拾って家に帰ったが、その間、まともにまゆに声をかけられなかった。まゆも押し黙っていた。

 会話はなかったが、ずっと手を握っていた。小さな手の感覚だけがまゆの実在を保証してくれるような気がして、放すのがこわかった。

 ふたりのアパートにもどった時、管理人と行きあった。アパートの清掃や雑用、そして家賃の集金をしている五十代の女性だ。ずいぶん前に離婚して一人暮らしをしているそうだ。

 この人には、むろん、まゆを引き取ることになった初日にあいさつに行き、かんたんに事情は説明してある。アパートは一応単身者向けとなってはいるが、「あたしは子供好きだから、大家さんにはうまく言っといてあげるわよ」と言ってくれていた。

「あらっ、まゆちゃん、どうしたの、こんなに遅くに」

 わざとらしさがその声にはあった。廊下の電燈はさほど明るくないが、目をすがめて、まゆの姿を詮索している。

「あーら、まあ! 腰までべちょべちょじゃないの! どうしたの!?」

 おおげさな声だった。まゆが顔をふせた。まゆは人見知りをする。しかも、今日は、大人びた受け答えを期待するほうがむりだ。

「んま」

 管理人の顔がちょっと歪んだ。ほんとうはこの女性は子供がきらいなのではないかと、ふと思った。

「すみません、なんでもないんです。ちょっと水たまりで転んだ何かしたらしくて。まだ、このへんに慣れてないから」

 おれは適当なことをいって、まゆの手を引いて階段をのぼった。

 管理人がじっとこちらを見あげている。その顔がかすかに笑ったように思えた。そして、おれたちの部屋の真下にあたる部屋に戻って行った。

 部屋にもどったおれは、ガスの元栓をあけて湯が使えるようにした。。

 まゆの身体は冷えきっていた。いくらそんなに寒くはない季節だからといって、このままでは風邪をひいてしまう。

 だが、水恐怖症のまゆに、入水を試みるほどに追い込まれた精神状態のまま、浴槽に入れるわけにはいかない。

「まゆ――シャワー浴びろよ」

「う……うん」

 まゆの顔色が悪い。

 寒いのか怖いのか、その両方か。

「熱いシャワーを浴びたら、さっぱりするぞ」

「わかってる……でも」

 まゆは笑おうとしているようだった。

 でもどうしても泣いているように見えてしまう。

「いろいろ考えちゃうの、お風呂場に一人でいたら――」

 裸でひとりぼっちになると、自分のことしか考えられなくなる。

 来し方を思い、未だ来たらぬ明日を思う。

 孤独な人間はそれを自覚する。

 風呂場とはそういう場所だ。

 おれは無言でシャツを脱いだ。

「ほら、早く脱げよ。それとも脱がされたいか?」

「え?」

「洗ってやるよ、おれが」

 冗談めかして言ったつもりだったが、おれの声は震えていた。

 まゆを救いたかった。でも、その方法がほんとうに正しいのか、許されるのか、わからない。

 でも、まゆはおれをじっと見て、うなずいた。

 水に濡れたままのキュロットを脱ぐ。ぐしょぐしょのパンツが肌にはりついている。

 トレーナーを脱ぎ、インナーも脱いだ。

 知らない裸ではない。だが、こんな目で見たことはなかった。

 好きな女の裸だ。

 ――そう、おれはもう自覚していた。まゆが好きだ。可愛いというだけではなく、愛しい。

 まゆは最後の一枚に手をかけて、ためらった。

 前回にはこんな迷いはなかった。  

「おにいちゃん」

 まゆの顔が赤くなっていた。

「そんなに見たら、恥ずかしいよ」

 食い入るように見ていたことを自覚する。おれも顔が熱くなった。

「ばか! 子供のくせに」

 わざとつっけんどんに言い放つ。

「ちがうもん!」

 まゆが強い口調で否定した。

「まゆ、子供じゃないもん。おにいちゃんの前で裸になることの意味……しってるもん」

 言いつつ、下着を下ろした。

 見たことがないわけじゃない。

 だが、その姿を目の当たりにして、おれは痺れたようになって、身動きができなかった。

 まゆの一糸まとわぬ姿――

「おにいちゃん……」

 まゆの目がきらめいている。

 どうしよう。自分で言い出したことながら、こんな状態でいっしょにシャワーなんて浴びたら――ましてや身体を手ずから洗ってやったりしたら――

 おれはおれを抑えることができないかもしれない。

 

 熱めに設定したお湯を全身に浴びる。

 まゆはじっとしている。

 洗われることを待っているように。

 おれはシャワーヘッドを手に取り、まゆの背中に湯を当ててやる。

 青ざめていた肌に血色がもどっていく。

 なめらかでミルクを含んだような肌。

 胸元をめぐらせ、全身に湯が行き渡るようにする。

「大丈夫か?」

「うん、へいき」

「熱くないか?」

「ううん……ちょうどいい」

「頭にかけるぞ」

「うん」

 まゆは目を閉じた。緊張しているのがわかる。見るともなしに見た乳首が勃起している。

 おれはまゆの髪を水流で濡らしてゆく。

 こわいのか。

 まゆが震えている。

 前髪が水圧で分けられて、整った愛らしい顔の上を湯が流れてゆく。

 

「おにいちゃん、まゆといっしょにいたいって言ってくれたよね。でも、まゆとおにいちゃんはきょうだいじゃないし、遠い親戚だから、そんなギムないんだよね。それなのに、まゆがここにいたら、めいわくかかっちゃう。だから……」

 まゆの喉がこくんと上下する。

「まゆのこと、おにいちゃんの恋人にして。そうしたら、いっしょにいてもへんじゃないもの」

 おれは、まゆを抱き締めて、くちづけをしたい衝動に駆られた。

 だが、おれは目を閉じ、大きく息を吸った。

 ほう、と息を吐き、苦労して笑顔をつくった。

「ばかだな、まゆ。そんなことしなくても、まゆのことじゃまにしたりしないよ。そんなこと心配せずに、ほら、服を着て、ごはんにしよう」

「でも、おにいちゃん……」

「それとも、ごはん食べたくないのかあ?」

 まゆのおなかがタイミングよく、きゅるる、と鳴る。いろいろなことがあって忘れていただろうが、もうとうに夕飯の時間を過ぎている。まゆはいっそう顔をあからめ、脱衣所に飛んでもどった。

 ***

 そして、今朝。まゆは元気のよい小学生にもどって、学校へと向かって行った。

 おれは、しかし、昨夜からずっと悶々としている。

 まゆはまだ子供だ。自分のとった行動の意味など、深くはわかっていない。どうせ、少女まんがの影響かなにかだろう。最近の少女まんがは、けっこう過激な内容が多いと聞く。

 だが、おれがまゆの肢体に欲望を感じてしまっているのも紛れのない事実だ。もともと、そういう素養があったということなのか。

 ――ちがう。まゆのことを好きになったせいだ。まゆがもしも大人だったら、ためらうことなく抱いている。それどころか、結婚だってするだろう。

 だが、まゆはまだ少女なのだ。初潮さえ迎えているかどうか怪しい。そんな子供に対して、好きだの愛しているだのと考えるおれは異常なのではないか。事実、毎晩まゆが寝入ってからトイレで自慰をする、そのネタはまゆのことばかりなのだ。

 もしかしたら、自制心がはじけて、今夜にでもまゆのことを襲ってしまうのではないか。

 自分に対する不安を抱きながら、おれがアパートへ帰る時間が来た。

 おれは、どうすべきなのだろうか……。

 今夜、まゆを抱く 

 だめだ、こらえる 


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