小徳学園は総合学園である。幼稚舎から大学までがそろっている。
3万に達する学生をおさめても混雑を感じさせない広さ。丘陵地を切り開いて作られた、起伏に富み、自然も多く残っている環境。それだけでも、学内の治安維持には手を焼きそうだが、さらに学園がある地域は、さまざまな力線が交差する不思議多発ゾーンなのだ。
あらゆる超常現象が起こりうるこの学園の平和を守るために、力線によって無作為に選び出された生徒に、ほとんど無制限の権限を与え、異常な事件を未然にふせぐ。
その選抜された生徒のことを学園王者とよんだ。
現在の学園王者は一陣太助、そのひとである。
「し、しぬ」
一陣太助は情けない声をだしてよろめいた。
「太助ちゃん!?」
昼休み、真奈はお弁当を持って友人たちと校庭へ行くところだった。
だが、その真奈の予定はどうやら強制変更されてしまいそうだった。
「じゃ、先に行ってるから、気がむいたらどーぞ」
友人たちが真奈の肩をぽんぽん叩いてすり抜けていく。
「邪魔者は退散退散」
「ごゆっくりねー」
「あっ、待ってよ……もう!」
真奈は呼び止めようとして、あきらめた。いつの間にか廊下にへたりこみ、真奈のスカートの裾をつかんでいる太助を睨みつける。
「――いったいどうしたのよ、太助ちゃんてば」
真奈と太助は初等部からの腐れ縁だ。べつに恋人どうしというわけではないが、周囲はそんな感じだと思っているらしい。本人たちの感覚はさらにあいまいだ。
「うう〜、真奈あ〜」
弱々しい声だ。目の下にくまができ、心なしか頬もこけているようだ。
「はらへった……」
「へ?」
「昨日からなにも食っとらん」
ぐきゅるるるりりりいいい。
ものすごく説得力のある音が太助の腹からひびいた。
「うまいっ、うまっ、ぐはっ」
太助が大口をあけて、かわゆい卵焼きやらタコさんウィンナなどをかっこんでいる。
「あああ、太助ちゃん、全部たべないでねえ」
だが、時すでにおそし。
「ぶは〜う、生き返った! お茶ない?」
真奈のあまり大きくない弁当箱の中身は米粒ひとつのこらず太助の胃袋におさまっていた。
「あ〜ん、半分だけって言ったのにぃ」
そこは屋上だ。ふつう屋上というと立ち入り禁止になっていることが多いのだが、なにしろ太助は学園王者だからして、学内のどこにも入れてしまうのだ。
さわやかな風がふいている屋上には太助と真奈しかいない。
「しくしく」
お茶のペットボトルを太助に渡しながら、真奈は失われた昼食を悲しんだ。でも、まあ、ダイエットにもなるかもしれない、と自分をなぐさめる。
「――悪かったなあ、全部くっちまって。でも、あれだけでよく足りるもんだなあ。悪いけど、まだおれ、満腹じゃないぞ」
さほど悪くは思っていなさそうな口調で太助が言う。
真奈はちょっとムッとする。
「なによ、死にそうな顔で『お弁当わけて』ってたのむからあげたんでしょ」
「ごめんごめん、ほんと、腹へっててさ。どうも、次元渡りをするとメチャクチャ腹がへるみたいだ」
「次元渡りって、なに?」
なにげなく真奈は問うた。太助も気軽に答えかけ、あわてて口をつぐんだ。
「――いけね、一般生徒には教えちゃいけないって、生徒会長に言われてたったけ」
「なによ、それ」
真奈は眉をひそめた。
生徒会長というのは一学年上の貴水小夜子のことだ。成績優秀、そしてストレートのロングヘアの美人で、スタイルもバツグン。学園王者である太助のパートナーというか、ほとんど上司のような存在だ。
一時期、この小夜子と太助が「デキ」ている――といううわさが流れたことがあった。
だから、生徒会長、という語が太助の口からもれたとき、めらめらと対抗意識が燃えあがってしまったのだ。
「生徒会長がなにを口止めしたのよ! 教えて、太助ちゃん!」
「おいおい、真奈……」
真奈の剣幕に太助は困ったように両手を広げた。
「マジで教えたらやばいんだよ。知ってるだろ、おれの仕事。どんな事件を扱っているか、とか」
「教えてよ! 次元渡りって言ったわね、それ、なに!?」
完全に真奈はムキになっていた。太助がどんな活動をしていようが、ケガさえしなければ別にかまわない。だが、生徒会長がからむと違うのだ。生徒会長は知っている。真奈が知らない太助を。そして、太助も、真奈に見せない姿を彼女にだけは見せている――そんな気がする。
「だからさ、危険だってことだよ。生徒会長とおれは役目だからしょうがないけど」
「教えてくれないのね」
真奈は太助を睨みつけた。太助が口をつけようとしていたお茶をとりあげる。
「お、おい」
「もう、あげない。お弁当もあげない。太助ちゃんと会っても口きかないからね」
「わ、わかったよ」
太助は折れた。
学園はこれだけ広大だから、職員もたくさんいる。そういう人たちむけに学内に宿舎がいくつも用意されている。
そのうちのひとつ、楽天荘というのが、今回の事件の舞台だった。
「楽天荘って――あの?」
真奈が思わず口をはさんだくらい、楽天荘は学内でも有名だった。
木造二階建ての平凡なアパートで、建物自体が特に変わっているとちいうわけではない。
楽天荘が有名なのは、その住人がユニークだからだ。
アジア系の外国人がたくさん暮らしているのである。
学園にはアジアからの留学生もたくさんいる。彼らの大半は楽天荘などには住もうとしない。彼らはたっぷり仕送りをもらい、こぎれいなアパートやマンションに下宿している。
だが、家庭の事情で仕送りが期待できない学生や、学生はやめてしまったけれどもさりとて帰国するアテもない元学生たちが楽天荘に居着いてしまっていた。類は友をよび、学内の拡張工事のバイトをしながら、なんとなく楽天荘に住みはじめたエスニックな人たちなどが、ちょっとしたコミュニティを作りだしていた。
とにかく、学生が多くて教員も多くて敷地も広くてなにがなんだかわからない学園なので、楽天荘も野放し状態になっていたのだ。
「まさか、あそこの人たちを追い出そうというんじゃ?」
真奈の眉がちょっとくもった。
「無気味といえば無気味だけど……夕方とか刺激臭するし……でも、悪いことしてるんじゃないし、ほかに行くところもないんでしょ? そっとしておいてあげようよ」
「話は最後まで聞けって。おれは学内の超常現象専門なんだぜ。立ち退き屋じゃない。それに、おれ、べつの事件であそこの連中とちょっと関わりができてさ。けっこう仲良くなってたんだぜ」
太助が肩をすくめる。真奈はごめん、と目であやまり、太助の話の先をうながした。
異常、というのは、楽天荘の近くを通った生徒のひとりから告げられた。
――楽天荘に人の気配がない。
ふだんなら、バイトにあぶれた人々がくだをまいていたり、わけのわからない音楽が漏れ聞こえていたり、真奈が言ったように正体不明なスパイスや香料の匂いが漂っていたり、すこぶる生活臭のある場所なのだが、そういった気配がまるでない、というのだ。
同時に生徒会でも力線の影響が楽天荘付近で増大しているという観測結果を得ていた。そして、貴水小夜子生徒会長により、学園王者の出動が命じられたのだ。
「それが、とんでもなくてなあ」
太助がぼやく。
「あちこちに次元の穴があいていたんだ。それがどこにどうつながっているのかよくわからない。どうやら住人たちがおもしろがって、いろいろな次元に遊びに行ったみたいで、その影響もあって、次元トンネルがこんがらがっちまっているんだ」
「それが、次元渡り、というの?」
「ああ、こういうあんばいで」
と、太助は平泳ぎのときの腕の動きをやってみせた。
「かきわけていくのさ。慣れればふつうの人間でも渡れるようになる。でも、むやみに次元渡りをすると、次元どうしのデリケートな部分を崩しちまうことがあるんだ。そうすると、まったく予期しない場所に落ち込んでしまうかもしれない」
「というと?」
「ゆうべがそれだよ」
太助が首をコキコキと鳴らした。気のせいか頬がこけたのは戻ったようだが、目の下のくまはあいかわらずだ。これは、寝不足らしい。
「あちこちの次元トンネルが崩れてて、夜通しトンネル復旧についやしたんだ。抜け出せたのは一時間目が始まる直前だったんだぜ。次元渡りそのものが体力を消耗する上にメシぬきで徹夜だろ? もうヘトヘトなんだよ」
「――ごめんね、そんなたいへんだったのに、あたし、責めたりして」
真奈はわびた。太助の顔がほころぶ。
「べつにいいよ。これも学園王者の役目だからな。でも、今日も次元渡りをするかと思うと、ちょっとうんざりするな」
太助はよっこいしょと真奈のひざの上に頭をのせる。
「――悪いけど、ひざ、かしてくれ」
うん、いいよ、と答える間もなかった。
すぴすぴと太助は寝息をたてはじめていた。