そのむかし、といってもそんなにむかしじゃない。(どっちだよ) 1994年のことだ。セガサターンというテレビゲーム機が発売された。うづきはじめはそれまではMEGA−CDなんかで「LUNAR」とか「慶応遊撃隊」を遊んでいた。まあ、表面的にみればセガファン、といわれてもしょうがない。 そのせいか、セガサターンが発売されたのでさほどの考えもなく買いました。 そのとき、ハードといっしょに買ったのが「バーチャファイター」の一作めだった。 衝撃、というか、「なんにゃ、これは」というか、新しさがあった。ゲームセンターにはあんまり縁がない(すこしだけあるが)うづきとしては、「バーチャファイター」という格闘ゲームがはやっているらしいということくらいは知っていたが、それがあんにゃ感じのゲームとはよく理解していなかった。 しばらくのあいだ、「バーチャファイター」はうづき家の接待ソフトとなった。(ちなみにその前はメガドライブの「四天明王」だった) その後、ほどなくして「バーチャファイター2」が登場し、3D格闘ブームがおとずれた。なかでも「バーチャファイター2」は圧倒的だった。 そして、「移植不可能」といわれた「バーチャファイター2」は、誰もが驚愕するクオリティでセガサターンソフトになり、一気にセガサターンの販売台数をのばした。ライバルのプレイステーション陣営の顔色をなからしめ、一年以上先の発売にもかかわらず切り札「ファイナルファイタジー7」のテレビCMを数億円規模で打つ、という非常手段を取らさせるにいたったのだ。 けっきょく、セガサターン陣営は「バーチャファイター2」をこえるヒット作をだすことができず、「ファイナルファンタジーシリーズ」を核とするスクウェアタイトルを有するプレイステーションがハード戦争の絶対勝利者となった。ちなみに、ハードのシェア争い時にさんざん宣伝に利用された「ドラゴンクエスト」はいまだに発売されていない。しかし、「ドラクエ」がプレイステーション陣営で出ることは誰でも知っている。それが企業の宣伝というものなのだ。 さて、「バーチャファイター3」だが、このタイトルは、すでに3D格闘の分野でセガがトップではなく、ナムコにやや引き離されつつある時期に登場した。たしかにCGの表現としては当時の最高峰だったが、ゲームセンター登場当時から「2よりも落ちる」と言われていた。「バーチャファイター2」があまりにも完成度が高く、かつ、そのプレイ感覚がユーザーに浸透していたため、「バーチャでありながらバーチャっぽくない」新しいニュアンスがネガティブな方向に理解されたのかもしれない。 ほんとうのことをいうと、うづきは格闘ゲームをさほどしないので、真相はわからない。ただ、「バーチャ3」が出たことで、このシリーズは終わってしまった。 セガサターンのときは「バーチャファイター」がハードの立ちあがりの原動力となった。それは「バーチャファイター2」がまだあらわれておらず、シリーズに勢いがあった。未来があった。「バーチャファイター2」が移植されたことで、その期待が現実のものになった。だからハードが売れた。 Dreamcastのときはどうだろう。「バーチャファイターシリーズ」にはもはや未来はない。「バーチャファイター3」に価値があるとすれば、単体のゲームとしての完成度においてのみである。 そして、端的にいえば業務用「バーチャファイター3」のゲームとしての評価は決して「最高」ではない。さらにいえば、Dreamcast版は業務用にくらべて画面のクオリティが落ちるし、家庭用ならではのおもしろみにも欠けていた。結果は、Dreamcastのハードの立ち上がりの勢いにあらわれてしまった。 ハードを立ち上げるためのソフトの難しさを感じずにはいられない。単体のソフトの出来だけではないのだ。時の利、勢いというものが大きく関係しているように思える。それを見抜けず、「バーチャ3があればハードは売れる」とセガの首脳が考えたとしたら、それは不幸なことだ、と言わざるをえない。 |