Dreamcastのスタート時点で、もっとも「らしさ」を持っていた作品だ。グラフィックは美しく、サウンドは華麗・玄妙の趣あり、ゲームの構成も凝っていた。 グラフィックは、テクスチャーの細やかさ・リアリティがいままでの家庭用ゲーム機のそれとはかけはなれていた。これを見たあとにPSのゲームのグラフィックは正直なところ見るにたえない。「バイオハザード2」のキャラクターでさえ、まるで粘土にクレヨンで着色したような人形に見えた。(ムービーではなくゲーム中の映像のことだ) サウンドは、意外にいける。「ソニック」というと。能天気な「パッパッラッパッパー」というUFOキャッチャーでおなじみのジングルが思いだされるが、実際は某大作RPGの曲のようなオーケストラチックなものだ。南米の民族音楽ふうの味つけもなされていて、なかなか好みだ。ただ、ソニックの世界観と合致しているかというと、ちょっと……。これは後述する。 ゲームシステムとしては、ベースは3Dのトラップ回避型アクションだ。特徴としては、複数の主人公がそれぞれのストーリーを持っていて、それがゲームのなかでたがいに関連している。まずソニックでゲームを始めると、テイルスと出逢い、ナックルズと出逢う。そうするとテイルスやナックルズの視点からみたストーリーでゲームが遊べようになるのだ。しかも、ゲームシステムはキャラクターごとにちがっていて、レース的なものやシューティング、釣りゲームなんてのもある。使えるキャラクターは六人いるので、六種類のゲームがセットになっているようなものだ。 さすがソニックチームの手になる作品だけあって、実に丁寧に作ってあるなと感心する。 ただ、である。 なにかちがう。 やりこめない障壁のようなものを感じてしまう。 それまでのソニックが都会的でクールなイメージを持っていて、遺跡ふうのステージを舞台にしていてもその雰囲気を失わなかったのに対して、今回のソニックはどうもなじんでいない。都会のステージでも遺跡のステージでも、なんとなく中途半端だ。はっきりいってソニックはゲーム中のどこにも住んでいない。ゲームのときだけ、ポンとそこに現れているのだ、という気がしてしまう。 サウンドのところでふれたが、曲からして従来のソニックシリーズのポップで軽快な感じとはずいぶん離れている。南米の民族音楽ふうの曲調。それは、ゲームの舞台が南米の遺跡をモチーフにしているためだろう。ナスカとかマチュピチュとかクスコとか。実際のステージのデザインにもその雰囲気は色濃い。聞くところによれば、スタッフは南米に取材旅行に行ったとか。 原因があるとすれば、そこかな、と思う。 取材はよいことだ。リアリティを高めることができる。だが、ゲームのばあい、そこが曲者なのだ。 現実世界のリアリティはゲームのリアルを深めることにはつながらないことがあるのだ。 生活臭というか、現実っぽさが強くなれば、架空のちからは弱まる。 グラフィックひとつを取ってもだ。リアルになりすぎると、デフォルメキャラクターは違和感をもちはじめる。超リアルな、針の一本一本が風にそよぐソニックはもはやハリミズミのバケモノだろう。 もともとソニックシリーズは、ポップでいかにもゲームゲームした世界観を持っていた。ソニックはそのゲームワールドの住人だったのだ。それが画面的にもよりリアルな世界に引きずり出された。 それが違和感の正体だと思う。 ハードの性能がアップしたとき、ふつうはそのリソースをグラフィックやサウンドにふりわける。「ソニックアドベンチャー」でもそうしている。だが、それがソニックというキャラクターを生かす方向にはいかなかったのだろう。 ただし、「ソニックアドベンチャー」が秀作たりえているのは、たんなる「美麗さ」をフィーチャーしているだけのゲームではないことだ。チャオというキャラクターを出し、それを卵から孵して自分の好きなように育成する、というお楽しみが用意されている。この部分だけでもけっこう遊べるのだ。 やはり優れたクリエイターたちの手になる作品だ。 |