小説講座(その4)

 というわけで、インターネット界でも一二を争う自己満足ページへようこそ。

 小説講座みたいな感じのページで、文章の細かいところまで例示しつつ解説しているものがあったりしますが、ここではそーゆーことは一切しません。

 なぜか。

 「先生」の例文自体がヘタレで、失笑ものだからです。

 てゆいますか、文章のよしあしっていうのは、「とにかく小説を書いてみよう」という段階では考える必要はないもんです。

 言葉の選び方が適切だろーが、リズムが小気味よかろーが、頭からおしりまで書ききらないうちには「小説」になりません。

 小説を映画に例えれば、文章ってのは役者の芝居です。役者の演技指導ばっかりやっていたんでは、いつまで経っても映画は出来あがらない。ヘタな演技でも、まずはカメラを回してみましょう。反省は、完成してからすればいい。

 と、まあ、うづきは思うわけです。

 まずは、文章のうまいへたにはこだわらない。

 これは、うづきが文章ヘタクソだからそー言っているわけではないのですのよ?

 いや、まあ、プロとか、プロみたいに文章指南をしているセミプロには遠く及ばないのは事実ですけど。

 さて。

 本題です。

 今回は「お約束」についてお話しすると前回なんとなく予告してしまったので、それをやります。内容は、いま書きながら考えているので、たいしたものにはならないと思いますけど。

 「お約束」とはなんでしょう?

 たとえば、牛乳びんの底のよーな眼鏡をかけたガリ勉少女が眼鏡を外すとすんごい美少女だったとか、ライバルの美少年が実は女の子だったとか、最後の敵は自分自身(の分身)だったとか、「あー、そーゆーの、あるある」と言いたくなるようなやつですね。

 エローン小説だと、清楚なお嬢様が実はド淫乱で、すまし顔をしながら、股間にはぶっといバイブをくわえ込んでいるとか、そゆんでしょうか。

 「お約束」というのは、「ありきたり」だったり「オチが読めて」しまったりするので、あんまりよろしくないよーな感じに語られることが多かったりします。たぶん、「小説入門」みたいな本があったとしたら、「お約束」や「紋切り型」は排すべし、という結論になるんでないでしょうか。そいや、国語の時間でも、「作文を書くときは、人とはちがう、自分だけの視点で書きましょう」とか指導してそうですね。

 でも、うづきの意見はちがいます。

 「お約束はバンバン使え」「紋切り型、活用すべーし」と思ってます。

 なで?

 なでか、といいますと、「お約束」や「紋切り型」というのは、ギターでいうとコードのようなものだと思っているのです。

 コードを幾つか組み合わせるだけで、曲らしいものが弾けてしまいますね。

 ひとつひとつの音を組み立てて曲を創りあげるのは、それはそれで立派なのですが、むだな労力も多く費やしていると言えます。先人が築きあげてくれた「いい感じの音の組み合わせ」を使うことで、効率よく、それなりに聴ける曲になるのではあれば、それを利用しない手はありません。

 小説でいえば、既成のイメージを使うことによって、少ない行数でキャラクターを読者に理解してもらったり、魅力を醸し出すことが可能になります。

 たとえば、「幼なじみ」というコードがありますね。あるいは「義理の妹」とか。「女教師」とか「メイドさん」とか「人妻」とか「病弱な少女」とか「触覚の生えた娘」とか「ボク女」とか「ロボット」とか「宇宙人」とか「地底人」とか「最低人」とか。

 そういったカテゴリィには、それにともなうイメージがあり、それを暗示することで読者は「みなまで言うな、これはアレだろ、ぐひひ」と思ってくれたりするかもしれません。

 「血のつながらない妹」が出てきたら、「禁断の愛」に決まってますし、そうすると読者サイドでは過去見たり読んだりしたその手のキャラを思い浮かべてくれるので、兄妹のエピソードをつらつら並べなくても、多少の暗示的なセリフのやりとりだけで、キャラを立てることが可能になってきます。

 逆にいえば「血のつながらない妹」が出てきたのに、お兄ちゃんとはごくふつーの兄妹の関係に終始してなんの進展もないとすれば、「なじぇ?」となるでしょう。それは、メロディにならない、孤立したコードなわけです。

 ここで「血のつながらない妹」を例にあげたのは、それがコード(お約束)というものの典型だからです。

 「血のつながっている妹」の方が燃える!という方もいると思いますが、「実の妹とデキる」のはコードではないのです。

 実の妹の場合は、兄と致さなくても、物語のなかで居場所がいくらでもあります。

 ですが、「血のつながらない妹」は、兄と致さなければ、そう設定された意味がありません。兄と致すために、物語上、血縁を外されたのです。物語が血縁でないことを要求したのです。

 同様に、ロボット少女は、メーカーに回収されたり、壊れたり、メモリを消去されたり、しなければなりません。なぜなら、ロボット少女は、「機械なのに人間に恋したという悲劇」を象徴的に演じるために、設定されているからです。

 人妻であれば、貞淑で健気であったものが、身も心も蹂躙されて、ついには喜悦の声をあげなければならないわけです。「あなた、ごめんなさい」と言いながらイカなければならないのです。夫を裏切ることに罪の意識を感じながらのぼりつめていく妻、というイメージのために、人妻は登場するのですから。

 つまり、コード、お約束、とは、キャラクターとストーリーを結びつける、公式のようなものです。

 これを活用することで、読者の期待と物語をシンクロさせることが可能になってくるのです。

 ロボット少女が出てきても、主人公とラブラブで、いつまでも仲良しさんでしたっ、では、なんのためにロボ子として生まれてきたのかわからんわけです。

 眼鏡少女の場合、ずーっと眼鏡かけっぱなしでは、やっぱり眼鏡をかけている意味がないのです。

 人妻が、最初っからアンアン言ってたら、人妻と銘打つ必要はないのです。

(もちろん、それを逆手にとることもありえます。でも、それはあくまでも、「お約束」ありきだからこそ、逆手になりうるのです。)

 そんなん、あたりまえやん、そう思いますか?

 でも、意外に、このあたりが抜けていることがあるのです。

 うづきが考えるに、「キャラもいーし、ストーリーも悪くないんだけど、燃えない」というケースがあるとしたら、この「コード」「お約束」をうまく活用していないんではないか、と思います。

 少なくとも、小説の場合は、原則的にビジュアルはないか、あっても添え物なので、設定を生かすエピソードがないと、キャラは立たないと思いますです。(ビジュアルがあれば、ツインテール萌え〜とか、目尻のまつげの描きかた萌え〜とか、いろいろあると思うんですが)

 タカビーなお嬢様を犯す、のであれば、どこでそのプライドをヘシ折るのか? その「折れた瞬間」を象徴するエピソードを用意しているか?

 巨乳娘だったら、なぜ巨乳なのか? 本人はそのことを誇りに思っているのか、あるいは恥ずかしく思っているのか? 乳を責められることで、何かが壊れたりするのか、しないのか――

 ちゅーか、ここまで書いてきて、けっこうマズイ感じがしてきました。自分でもちゃんとできてないや。

 うむ。この小説講座で学んでいるのはうづき本人「だけ」なのかもしれません。

 次回はとりあえず未定です。なんか身のほど知らずがしんどくなってきました。

2001/12/7